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紙の本
街や村に住む人々の心
2011/06/08 04:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災により無惨にも打ち砕かれた街や自然の映像を見るにつけ、一刻も早く、もとどおりの街を、そこに住む人たちが取り戻すことを願わずにいられない。
この大震災の復旧・復興が、真に、そこに住む人たちのものとなるように、日本中が見守り、支援を続けていかなければならない。
それでは、いま考えられている復興策は、本当にそのようなものとなり得ているだろうか。
新聞などで見聞きするにつけ、“お上”や“先生”の考えることはどうも怪しい。公共や学識者の考えることは、本当に“庶民”の感覚に沿ったものとなっているというのだろうか。
もとあった街の上に津波の届かない高さで大規模人工地盤をつくるというものがある。人々はその人工の薄っぺらいコンクリート板の上で、あらたな街をつくって暮らせということである。
原発の安全神話に騙された人たちを、再度、コンクリートの安全神話で騙そうとしている。そんなの決して未来永劫存続できる街にはなりえない。
そのほか、今回の津波の高さに負けない防波堤築造であるとか、防波堤機能を有する高規格道路の建設であるとか。
“お上”や“先生”といった“お偉い方々”は、どうして住民を人工構造物の檻の中に囲い込みたがるのか。どうしてもうがった見方をしてしまう。こんな計画を喜ぶのは誰だ。大手ゼネコンが陰で活発に動き出しているとしか考えられない。
こんな計画にうんざりし、げんなりした後には、宮本常一を読みたい。何百年も続いた村や街の、決して名を残すことも無かった人々の暮らしの丹念な記録である。
人間の生活とは、本来こうであったはずなのだ。そんな生活を洗い流した自然災害であるが、その後の人工復興策は、住民のかつての暮らしをすべて否定したところから入ってきているとしか考えられない。
宮本常一の調査の旅における心がけのようなものが本書に記されている。「採訪の旅行というものは面白いもので、あるテーマを持って調査に出向く事もそれはそれとして価値があるが、このように唯知らぬ世界に触れてみたい気持ちでやって来た場合に心にとまり、書きとめておいた事が、その後自らの心の中であたためられ、また読書などによって類似の事柄を見つけたりしていき、次第にその全貌をあきらかにしたり、また研究の態勢のととのって来る事が多い。」
何も知識も先入観も持たずに入っていっても、民俗学の材料・資料がごろごろしているのが、人間の住む街や村なのである。
そんな街や村を、もう一度取り戻そうとするところから、復興計画はスタートしなければならない。
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