紙の本
『ほとんど記憶のない女』を読んで
2011/01/26 12:47
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
いくつもの短編が収められている短編集。
短いものは、わずか数行。
長いものでも30ページほど。
私小説と思われるもの、
明らかにフィクションであるが、
「書くこと」を「書くこと」によって解き明かそうとしているもの、
様々な短編が楽しめる。
短編の可能性に触れられた。
たぶん、女性の方がフィットする作家だと思うが、
短編好きなら、読んでみた方がいい、と思う。
著者が「幻視」する世界の「終末」の風景も、
シュールレアリスムの絵画のように心に残る。
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数行で終わる作品もあれば、「ロイストン卿の旅」のように30ページの長い作品もある。30ページで長いと思うくらいだから、ほとんどの作品が数ページで終わるもの。
何かうまいオチとかそういうものを求める人には向いていない。訳わからんなあと思って読んでいると時折、ハっとさせられる一文が出てきたり、でもそういうものを求めるのも違うような気がする。いやとにかくこの人は相当変わっているひとだな。
長いものも読んでみたい。
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確かに禅問答のような、詩のような。不思議な感覚になる。
今のところ中でも、「大学教師」という話は意外に!うなずけた。
女がカウボーイと結婚したいと思い込む。ほぼ話はカウボーイと結婚したらという妄想で続く。カウボーイと結婚して暮らしたらきっと馬具に油を塗ったり、素朴な料理を作るのだろう・・・・と。でも女は思う。もしカウボーイと結婚することになったら夫も連れて行こうと。
たぶんこれが夫婦なんだと思う。お互いが一部になって自分でもあり伴侶でもあり一対にいつしかなっているんだと思う。
村上春樹的にいえば「100%の女の子に出会う」というのに近いのではないかと強く思った話。
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ほんの数行、数ページの短編や旅行記のようなものが51編詰まった本。
リズムがすごく心地よい。アフォリズムも好み。
小説は、伝わるならばなるべく短いほうが良いと思っているので、すごく気持ちよく読めた。
ポールオースターと過ごした日々についての短編も入ってます。
ポールオースターも同じエピソードを作品として残しているらしい。
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いろいろな感情や状況や設定を煮詰めて書いている作品。
とても短い話(三行のものもある)ばかりだけれど、おもしろい。短い言葉だけれど、的確に伝えてきてくる。
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昔読んだ本で、話の中身は忘れてしまったのだけど、特定のシーンだけが心に残っていることありますよね。この本はそんな断片がたくさん詰まった感じ。
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仏英翻訳家として有名なLydia Davisの短編集。51からなるこの本は著者にとって3冊目の短編集だが、邦訳されたのはこれが初めて。51の短編はすべて長さも一ページに満たないものから、10ページほどのものまで様々で、後半は著者曰くストーリー性のないものであるが、どれも読む者をはっとさせ、疑問を持たせる様な不思議な内容である。Davisの作品は男女の関係を取り扱った物が多いが、一人称で書かれているものですら、どこか第三者的目線で描かれたような冷静さと、距離感がある。その関係について深くは語られないが、その不思議な関係に潜む空間に引き込まれてしまう。
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リズム、ユーモア、奇妙な感触、イタチゴッコの様な可笑しな文章…。
ほぉと唸ってクスッと笑って、時折フワリと感覚に訴えかけてくる、
そんな著書にすっかりヤラレてしまいました。
『私が興味をもつのは、つねに出来事よりも、
その裏で人間が何を考え、どう意識が動くか、そのプロセスなのです。
出来事は、それを見せるための方便でしかない』
こうキッパリと言い切る著者の他作品に興味津々。
今後、未訳作品の翻訳予定もありとの事なので、今からワクワクムズムズとしています。
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岸本佐知子翻訳ということで手を出してみました。
数行から十数ページの、さまざまな長さ、テーマの文章がまとめられています。
琴線に触れる、ようなものもあったものの、全体としてなかなか私の脳みそが追いついてくれませんでした。
ある意味、もっとも理解するのが難しい種類の難解さでできた一冊。
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そっけなかったり、非常に客観的なのだけれど、静かに揺さぶってくる感じ。1ページだけの非常に短いエッセイも多いのだけれど、わたしはそれが特に好きです。
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ち、ちょっと手に余るって言うか…手に負えません。
リディア・デイヴィスの頭の中を覗き見ようと、気合いを入れようと、逆に流して読んでみようと、やっぱり理解できないんだから。いや、理解しようなんて考えるほうが間違いだったのかも!センス・オブ・ワンダーの範疇なのかも、ちょっと分からない。でも、分かりづらい世界があるのも、楽しいことなのかも?って思える不思議な短編集でした。
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普段、心の奥底に潜んでいる悲しい事忘れてしまったはずの傷ついた出来事いつもはりついているような不安。大人になったら自信を持って生きていけると思ったのに、何処かに子供の頃と変わらない臆病な柔らかい部分をひらりと描いてくれた。その高い知性と明晰な言葉でひらりとすくいあげてくれた。大切な作家、大切な一冊になりました。
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こんな人がいたらこわい…
でも、いそうだし、私にもその片鱗があるかも…
するすると情景の浮かぶ、読んでいてたっぷりその世界にいける本。
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数行のお話から数十ページのお話まであり、内容も寓話あり紀行文あり何でもありの、とても幅広い一冊。主観的な描写があまりないうえに世界観も抽象的で、どう感想を言えばいいのか分からないほどの掴み所のなさだけど、それだけに引き込まれた。
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短編小説集。短編どころか、ひどく短い掌編というか、一、二行で終わるものもあり、小説の多様性を感じさせる。作者が通常の物語を提示することを目的としておらず、その物語が生まれる過程、人間がどのように考え、何を意識して動いていくかを重視するという姿勢だけあって、起承転結がなく、宙ぶらりんのまま終わるような話が多い。禅問答のような話も多い。だが、その筆致は訳者あとがきにも書かれてはいるが、冷たくはなく、客観的に書かれてはいるが、コミカルであり、読むものを引き込むものがある。ポール・オースターと似ているなと思ったら、もともとポールオースターの妻だったようだ。
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帯に書かれていたように、いつもの日常風景が違って見えてくるような気がする。「体験したあとに、世界が違って見える」というのは、文学作品だけに関わらず、良い文化的作品の基準といってもいいのかもしれない。それにしてもそれはいったいなぜなのだろうか。作品には、世界の一側面を切り取って集中させる機能があり、それによって、人は当然のものとして捉えていたことを新たに新鮮な目でとらえなおす。枠組みを提供し、その中である秩序に基づいた世界(それは秩序を持たない世界という秩序も含む)を示し、作品を見る者、聴く者、(ひょっとすると、食べる者や飲む者、嗅ぐ者という場合もありえる)に何かを気付かせるからではないだろうか。