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先の戦争の悪影響が日本と日本人にとって大変なことだったことが色々なところで言われるようになりました。
わたし自身も、たとえどんなに辛くても目をそらさずに、記錄としてでもある程度知らなくてはいけないことだと考えるようになりました。
Wikipediaを読むと、当時のアメリカ政治家、軍人たちがどれほど日本と日本人をこけにして、バカにして、軽くみて、見下していたのか、そして自分たちがやった悪逆・残虐非道のことを都合よく正当化してきているのかがわかります。
アメリカ大統領ハリー・トルーマンと国務長官ジェームズ・バーンズの二人は、原爆の威力を実証するために手持ちの二発の原爆を日本の2つの都市に投下し終えるまで日本を降伏させなかった。
これがこの本で考究する主題である
ハリー・S・トルーマン(英語: Harry S. Truman、1884年5月8日 - 1972年12月26日)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第33代大統領(在任:1945年4月12日 - 1953年1月20日)。ミズーリ州選出連邦上院議員、副大統領を歴任した。第二次世界大戦終結当時の大統領、原爆投下時大統領
ジェームズ・フランシス・バーンズ(英語: James Francis Byrnes、1882年5月2日 - 1972年4月9日)は、アメリカ合衆国の政治家。1945年7月から1947年1月まで国務長官を務め、閣内で唯一の原爆投下強硬派
トルーマンとバーンズが戦中、戦後に、自分たちに非人道的な計画と狡知な意図を隠すために語ったその場限りに嘘、強弁、自己欺瞞は数えきれないほどある。
それだけではない。計画にずっと反対を続けた人物が、これまたトルーマンとバーンズが嘘をついたのと同じ動機、すなわち、アメリカの正当性と大統領の名誉を守ろうとして、戦後になって論述した虚偽の説明がある。原爆の開発、製造のすべてに精通していた陸軍長官、ヘンリー・スティムソンがかっての部下の協力を得て、つくった弁護である。
そのような嘘や誤魔化しがそのまま流通して、今日までだれもが知っている伝説が二つある。
ひとつは、百万人のアメリカ兵の生命を救うために、原爆を投下したのだといったトルーマンの口上である。多くのアメリカ人がきまってこれを主張してきた。
ルソン島と硫黄島と沖縄の戦いのアメリカ兵の戦死者の総計は二万七千人ほどであろう。本土の戦いで百万人という数字は、戦傷者を加えてのことだとしても、桁外れに多い。
戦争中の米軍人たちは、戦死者だけであれば、一万人以下という推定であり、アメリカの軍首脳がだれ一人論じることもなければ、考えもしなかった百万人の犠牲者という数字が登場したのは、戦後になってからの創作なのである。
昭和二十年七月二十八日、首相だった鈴木貫太郎が「ポツダム宣言」を無視するといった意味合いで、宣言を「黙殺」すると語った。これが原爆投下を招いたのだという説である。
多くの人びとがその説を信じたばかりでなく、歴史研究者がその説をおうむ返しにしてきた.
かれらが無視し、それこそ黙殺したのは、トルーマンとバーンズがポツダム宣言を公表するにあたって、日本が降伏しないように入念な細工をほどこし、陸軍長官スティムソンの原案から天���の地位保全の条項を削ってしまったという事実である。さらに、日本側をしてその宣言が正式の外交文書だと思わせないようにつくり、最終通告だという認識を持たせないように細心の注意を払い、日本側が間違いなく黙殺するように仕組んだことに目を向けようとしない。
そして日本の多くの歴史研究者が見落としているのは、トルーマンとバーンズは原爆を落とす実験を終えるまで、日本を降伏させなかったという単純な事実だけではない。投下を終えたあとに、トルーマンとバーンズが日本に対して行った譲歩は、本当はポツダム宣言の草案から外した天皇の地位保全条項を加えただけであるにもかかわらず、そうとは気づかせないように企んだ策略、その巧みな隠蔽に騙されて、研究者たちはなにも気づいていないのである。
※注"【〈本書の最後の、文庫版のためのあとがきに、著者の鳥居民さんは、はっきりと原子爆弾と原爆投下について、トルーマンは間違いなく前大統領のルーズベルトの胸のうちを知っていて、原爆の機密を聞いていたはずだと記されています。
つまり、ルーズベルト政権当時から、決して「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」と明らかな計画と意図を持って、この原爆の実証の計画があったはずだと。>】"
はじめに
序章
六月二十二日天皇、「時局収拾」を求める
Ⅰ一号作戦
1章 国民政府、中共党、アメリカ三つ巴の争いのなかで
2章 尾崎秀美が考えたこと、やったことは
3章 第八十七臨時議会、それと比べて中共党七全大会は
Ⅱグルーか、スターリンか
4章 グルーの構想、それに対応する近衛・吉田の計画
5章 戦争をやめるべきだと皇太后は説いた
6章 頼みはグルーか、それともスターリンか
7章 ドイツは降伏した。なぜグルーは動かなかいのか。じつは行動にでたのだ
8章 天皇、南原繁と高木八尺が説いたことを考える
断章 六月二六日、チューリヒのグルー
Ⅲトルーマンとバーンズ
9章 なぜかトルーマンはソ連参戦の期日を知りたがる
10章 なぜかトルーマンは「七月十五日」に拘泥する
11章 トルーマンの予定表の「八月一日」と「八月八日」
12章 トルーマンの予定表の「七月四日」と「七月一五日」
13章 六月十八日、マックロイ、ホワイトハウスの会議で禁を破る
14章 電報を読んだトルーマンとスティムソンのそれぞれの反応
15章 「自分も考えていることだから、まかせてもらいたい」
おわりに
あとがき
文庫版のためのあとがき