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出家前の西行…佐藤義清(のりきよ)は今ならサッカーの有名選手、中田英寿みたいな人と想像してしまう。蹴鞠という平安時代の上流階級のスポーツの名手、北面の武士だった。
なんだか蹴鞠もサッカーのように足先でけり、膝で受けたり回転けりするらしい。そこへ持ってきてストイック、ますます中田ではないか。ストイックの余り出家してしまう。
おかしい想像だが、例をあげると
もう彼が出家遁世してからだが、さるお姫様(菩提院の前斎院、統子内親王)のお屋敷に訪れた時、転がって来て池に落ちそうな手毬を足技、身体をひねりながら救って手渡す場面。
『そして娘たちが頼むので、その手毬を使って蹴鞠の蹴り方、受け方などを演ってみせた―蹴鞠を膝で受けたり、うしろ向きに足の裏で受けたり、肩、膝、足と三段に弾ませたり、その他私が知っている蹴鞠の作法をごく簡単に演ってみせたのである。娘たちはその度に手を打ち、口々に驚きの声をあげた。』
その『娘たちはいずれも十五、六から二十歳前後の若やいだ年頃で、薄紫、萌黄(もえぎ)青など、色とりどり内掛けを着けていた。』
またその勾欄から転がってきた手毬は『美しい薄紅と紫の糸を巻いた手毬』なのだ。
西行は『坊主が手毬で遊んではいけないという法はないが』『若い娘たちの華やかな笑いや賞賛の叫びが、出家した身にも嬉しいのであろうか―』と思う。
そうして菩提院の前斎院とは密かに想っている高貴な女院(鳥羽院中宮待賢門院璋子)の娘。母君の貴(あて)やかなお姿に似た面影が。
などなど、辻邦生氏の筆は全編美しい流れの物語、ここはことさら流麗なのだが、なぜか中田さんが...。
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西行を借りて作者辻邦生氏の芸術至上主義の思いのたけが書かれている。
まるでヨーロッパ文明の香りに満ちているような物語を、読み進み味わった。
シェイクスピアの戯曲のようでもあり。
悟りをひらいた荒行『まるでどこか広い海原を沈むことなく歩きつづけてきた人のような、軽やかな強さが身体に溢れていた。』にはキリストを彷彿。
「保元の乱」など戦の場面ではイラクの戦場を思い浮かべた。
かと思うと、国木田独歩「武蔵野」ツルゲーネフ「猟人日記」を彷彿させる森の中に立つ姿。森羅万象に照準をあわせて。
私は昔「新平家物語」吉川英治を読んだ時の西行の印象「追いすがる妻、子を蹴飛ばして出家、出離した」が強く残っており、(吉川「新平家物語」を出して見たがやはり記憶にあるとおり)とんでもない風流人との感が、「辻西行」で違ってきたのだ。
私がなぜ辻邦生に興味惹かれるようになったか
日本の中世文化の中に西洋ぽいものがあるという驚きだった。
違う読み方もあるだろう。ぎっしりと辻邦生の思想の詰まった物語。
最後に西行らしいうたを
月を見て いづれの年の 秋までか この世にわれが 契りあるらん
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素敵な言葉がありすぎて、忘れないように付箋を貼って行ったら、付箋だらけになってしまいました。自分の大切な世界を全力で守り、熱いところも有りながら、清清しい空気も感じる事が出来ました。日本語はこんな偉人たちによって練り上げられ、奥深い物になって行ったんですね。
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西行という人についてずっと知りたかったが、ページ数が多く(700頁)、ずっと後回しにしていた一冊。
平安時代の美しい情景が目に浮かび、歌が満ち溢れていてそれだけで心が癒され楽しめます。
元々は武士であり、仕事も流鏑馬や蹴鞠などの芸術的才能にも優れていたという事にまずは驚き。にも関わらず早くより歌人として生きる事を決心して出家し修行の道を選んだあとも、世の争いを治めるべく僧でありながら政治にも多く関わっていたとは。
究極の悟りに至る姿に感銘を受けます。
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時は平安末期、動乱の時代。権力が貴族から武家に奪い取られるという単純なものではなかったのが、語り手・藤原秋実も後の西行・佐藤義清も抱えていた地方の小領主たちの苦しみから語り始められていることに滲み出ています。そんな時代だからこそ西行は、永遠の「花」を追求し続けようとしたのでしょうか。アーティストとして生き抜いた、最初の人なのかもしれません。芭蕉が憧れてやまなかったことに納得です。
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山川草木のみならず、老病死苦すらも御仏の慈悲の現われと受け入れるのは、正直なところ理解の域を超えてる。それにもかかわらず、森羅万象 (いきとしいけるもの) に恵みが溢れていると見る西行の生き方が、目覚めともいうべき悟りがとても魅力的に思える。