紙の本
登山における遭難の表現方法
2012/10/21 21:19
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投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
新田次郎の山岳小説の一篇である。古い話ではあるが、木曽駒ケ岳で遭難した地元中学生を題材として小説化したものである。昭和50年代に映画化されている。本書の読後、ぜひ見てみたいものだと思った。
新田次郎の山岳遭難で有名な著作の一つに『八甲田山死の彷徨』があった。これも映画化されているが、指揮命令系統の乱れによって悲惨な運命をたどる物語であった。単に大勢が遭難したというだけでなく、新田次郎の筆致は、なぜこのような悲惨な事件が発生したかについて、ドキュメンタリーのような余韻を残す。
本書では子供たちが犠牲になっているだけに、その描写はさらに悲惨さを増している。遭難後に山行を指導した校長や学校に対する親達の怨嗟の声は当然ある。この描写がドキュメンタリー調で、淡々としているだけに悲しみが伝わってくるような気がするのである。
100年前に実際におきたこの遭難事件の第一の原因は、悪天候が予想されたにもかかわらず、強行したことにあるように見える。しかし、100年前には単なる低気圧の接近で片付けられていた。現在ではこれは明らかに台風であったとされている。その区別すらつかなかったのが当時の気象観測能力であった。現在何気なく受け入れている天気予報や台風情報も昔は何もなかったのである。
もう一つ奇異に思われるのは、遭難の慰霊碑を建てるのではなく、遭難記念碑を建てるという動機である。犠牲者の霊を慰めるのであれば慰霊碑となるはずである。記念碑とは今では顕彰すべき事例の場合が多いのだが、当時の感覚は異なっていたのだろうか? 反省のための記念碑という意図だったのかがよく分からなかった。
私自身も木曽駒ケ岳には登ったこともあるので、一層心にしみる作品であった。今はロープウェイがあるおかげで良い季節には比較的簡単に登山ができる山であるが、当時の地元の教育者の考え方や教育に対する思いなどが想像できる作品である。
紙の本
生還者に直接取材した迫真の書
2023/09/28 12:36
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投稿者:弥生丸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
遭難ルポにありがちな、悲劇の描写だけを強調していないところがいい。第一章は実践主義と白樺派理想主義との思想的対立と教師の人間模様。第二章は駒ヶ岳登山の道行と天候の急変、決死の脱出行。第三章は遭難の後日談と生還者たちの苦悩、遭難記念碑建立までの葛藤。そして取材の過程を克明に記した後記。
登山強行への反対もある中、実践主義教育に基づく「鍛練」を目的に登山は実行される。帝国憲法下で男子には兵役義務があり、日露戦争の記憶も新しい。そして、チフス、赤痢、結核などの伝染病が日常的にあった時代。強靭な心身をつくりあげ生き延びる。「鍛練」の重みが令和の現代とはまったく異なることを念頭に置きたい。
低体温症の恐怖にさらされる現場の描写が、生還者の証言に基づいているだけに生々しい。生還者を迎えたのは喜びだけではなかった。遅れた生徒たちを何故見捨てたかと糾弾され悲哀を味わう。人間の性というものを思わせる。
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聖職の碑 新装版(講談社文庫)
2017/05/14 18:09
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投稿者:n - この投稿者のレビュー一覧を見る
親が通っていた中学校で実際にに起こった遭難事故。日本の伝統の道徳教育と西洋の民主主義教育が衝突し、その対象が学徒登山であった。
子供たちは、大人の欲と権力に振り回された
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修学旅行の山登りで、悲惨な遭難事故を起こした学校が、事故の"記念碑"を建てた。そこには一体どんな理由があったのか?
対した理由じゃない。
少しも納得出来ない。
時代が違うからなのか?とも思ったが、遺族や父兄は納得できていない様子だし、時代が理由な訳でもないのだろう。
山岳小説として読み応えは、まあまあ。雪やまで寝たらやっぱり死ぬのかどうか、あとでググってみるか
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大正二年八月、小学校の修学旅行で37名が伊那駒ケ岳に登り、気象の激変により遭難。11名の死者を出した。実際に起こった事故を作者が詳細に取材を重ねて小説化。児童達が震えながら1人、また1人と息をひきとっていく描写は壮絶。また、当時の教育会での軋轢も合わせて描かれている。長野県伊那市では現在も全中学で徹底した安全管理のもと 駒ケ岳登山が続けられている。
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他の人の読んだ後に新田さんに戻ると安心する。安定感あり。山の描写の部分はすんなりと中に入ってくる。実際にあった話だけれど、今回はそれを事実として受け止めた。また次読む時に、別の思うことを付与できるような気がする一冊。
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「孤高の人」をはじめに、「八甲田山死の彷徨」「銀嶺の人」など新田作品はよく読みました。
二桁年振りの新田作品。臨場感は相変わらずで感慨深く読了。
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内容(「BOOK」データベースより)
大正2年8月26日、中箕輪尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す。
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大正時代の教育現場の物語。
国定教科書を使わない理想主義を掲げた白樺派が長野県で勢力を広げる中、保守派の校長が駒ヶ岳登山を断行する。結果は、同じ新田次郎の描いた八甲田山を思い起こさせるような遭難と、多数の生徒の死である。
現代の教育委員会と学校が危機管理だとか安全確認だとかをやたら重視するのは、こういった先達の経験に原点があるのだろう。
苦い経験を乗り越えた長野県の中学校では、十分な鍛錬や準備を行った上で毎年の登山を続けているという。この姿勢、見習いたいものだよね。
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結局買ってしまい2回目読了。八甲田山よりもこの本のほうが好きなのは、死ぬ、あるいは生還する1人1人に、丁寧に焦点をあてられているから。立て続けに新田次郎読んで、自然を畏れる気持ちをなくしてはいけないと。
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前半はひたすら教育の話。難しくて読み進めにくかった。後半からこの遭難事件についての物語がようやく展開する。
取材についてのあとがきも相当のボリュームだった。
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一気に読んだ。子どもたちの遭難の描写には胸がつぶれる思いをした。予想できない天候の急変が最大の原因とはいえ、いくつかの判断ミスが重なったことも事実。こうした悲劇の経験を生かし、今の登山のルールや常識が導き出されてきたのだろう。
しかし、教師という職業が聖職とされていたとは、なんとも隔世の感が禁じ得ないというか、まるで歴史の教科書を見ているようだ。
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ロープウェイで行けると聞き、行ってみようかなと…。お餅や氷砂糖が非常食だったのね。聖職の碑の意味付けが良かったです。
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中箕輪尋常高等小学校いまでいう中学校は駒ケ岳登山を修学旅行としてきた。校長先生が身をもって生徒達に実践教育をさせることの必要性を説いたが、不運にも登山中に台風に見舞われ、遭難し、生徒と教師を合わせて11名がなくなった。
赤羽校長は、「教育とは教師が生徒に教えるのではなく、生徒が自得しなければならない。教育の主体は教師ではなく生徒であり、例えば高山の標本は教師がそれを戸棚にしまっておくものではなく、直接子供達に手で触れさせることによってはじめて標本としての効果を発揮するものである。その場合、教師はキンタマを握って黙ってみておればよろしい」という実践教育を教育理念とし、教室の授業よりも郊外での実習に重きをおくのであった。14、5歳の少年を3千メートル級の山へ登山させるには危険だからやめた方がよいという意見があったが、困難を乗り越えることに登山の意味があり、子供達を甘やかさず、鍛錬のなかに自分を発見するように仕向けるには登山が最も適していると考えていた。
この遭難は、台風の接近を予知することが当時は出来なかったことによる悲劇であり、その悲運の中で赤羽校長は身を投げ出して子供達を助けようとし自らも斃れた。こどもたちもそれぞれ立派に嵐と戦い、ほんの紙一重の条件の差によって生死を分かち合うことになった。亡くなった者は修学旅行の途中で斃れた者であり、いわば公式の死である。このため、村として死者に礼を尽くすこともあり、村葬としたという。ただ、遭難事故を不幸なことだとして終わらせずに、この事件を永遠に忘れないように遭難慰霊碑でもなく、遭難殉難碑でもなく、遭難記念碑とされたのである。そして遭難を起こした学校としてはその碑の建設は遠慮すると共に、教育会がその碑を建てたのだ。
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実際にあった高等小学校の修学旅行として計画された登山で起きた遭難事故の小説化。
その事故の記憶の残すために建てられた「遭難記念碑」。なぜ「慰霊碑」ではないのか。
登山そのものを行うべきかどうか、学校内でもめていた背景にあった当時の教育論争。
教師たちの考え方、生きざまと共に遭難事故の生々しい迫力。小説としての迫力と共になぜこの作品を書くに至ったかと言う作者自身のあとがきもとても興味深かった。
☆が一つ少ないのは、少々内容が難しく読み辛い要素があったため。作品としては素晴らしいです。