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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
甲斐武田氏研究の第一人者が語る戦国真田氏の研究本。真田氏が戦国をどのように乗り切ったかを明確にする。
自分には史実よりも物語がベター
2012/03/02 08:22
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投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
これまで読んできた本のなかから「ベストをあげよ」と言われれば、間違いなく『真田太平記』(池波正太郎さん)をあげます。全十二巻むさぼるように読みました。2周しました。歴史モノ、戦国モノはそれほど読んでいないのですが、この本だけは別格なんです。
...というわけで「真田」には興味関心がありこの本を手に取りました。幸綱、昌幸、信繁(幸村)の3代にわたる真田家の「シンソウ」(真相、深層)を知りたい、っていう動機から。池波さんの「小説」と大きく異なり、歴史研究者が史料、史実に基づいて語る、という内容で...
残念ながら自分の「欲」を満たすものではありませんでした。史実をもとに、という研究者としてのスタンスであるので、確固たる証拠がないものに関しては断定できない、という立場でいらっしゃいまして、特に幸綱に関しては、その史実がない、という理由から詳細はうかがい知れませんでした。どちらかというと武田晴信(信玄)の行動やヒトトナリが中心に描かれている印象です。中盤の昌幸については家康のことが中心、最後の幸村については(それまでに比べると)多少ドラマチックになってきますが、この人物についてはページ数が多く割かれていない...
どちらが正しいとかいうことではなく、史実に基づいた「検証」的な書き方と、脚色も含めた「物語」的な書き方があると思いますが、「史実」の方は自分には合わないようです。もちろん真田家特有の個性から周りの武家との関わり、というのが重要なポイントで、そこの説明は必要ではあると思うのですが、人物が生きていないというか、声が聞こえてこないというか。淡々とした事実の記載というのは、なんだか教科書的なイメージです。
歴史をひも解く専門家や、専門家に近いような方にとっては、こちらが「正解」だと思いますが、「楽しく読む」ための読み物としてとらえている自分のようなタイプは、池波さんタイプがベターです。
いろいろな計り知れない事情があったと思いますが、「家」や「地域」の反映、拡大のために尽力した真田家の「地域政治」については一切触れられず、時流を見て「その時に」有力な大名に与する、という真田の姿が、日和見主義的な、政党を渡り歩くポリシーのない政治家のように思えてしまいました。
戦国時代は今からは考えられないほどの環境だったと思いますが、誰を切った誰についた誰が自害した、という書き方から、「最近の子どもは人を倒すゲームを繰り返して命の尊さを分かっていない」という一方的な批評をする評論家の言葉を思い出しちゃいました...
次は「小説」にしたいと思います。
【ことば】戦争は...不測の事態は避けられない。それをカバーしうるのも、周到な作戦計画と、相互のち密な連携・協力なくしては考えられない。
家康軍と対峙した「西軍」(豊臣側)の、軍団としての稚拙さを説いているもの。まさに。こと戦争だけではなく、すべてにおいて言えることでもある。寄せ集め故に敗れたといわれる西軍だが、東軍だって寄せ集め。リーダー不在と、フォロワー不在、不幸が重なった結果といえるのか。
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学術論文ではないものの史料批判が多いので、読み辛さは否めない。また、人名にしても正確を期すためか、時代に沿って同一人物でも名前が変わるので、読み進めるうちに混乱することもしばしばあった。
新書という性格上、一般向けにもう少しわかりやすさを意識した書き方ができなかったものだろうか。
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真田幸綱(幸隆は法名か)、昌幸、信繁(幸村)の三代について。前二者については詳しく、武田氏、上杉氏、北条氏、徳川氏、豊臣氏ら大名と国人の動向と関連して流れが解りやすい。信繁に関しては簡略的である。一方、彼が大坂城内で大野氏らから信頼されず、牢人同士でも反目し孤立していたのを知った。
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日本人が愛する「鬼謀の一族」の実像
近年の発見も踏まえた決定版
戦国時代を生き抜いた真田三代の本来の姿を
日本有数の戦国史研究家が丁寧に描く。
本書は真田幸綱、昌幸、信繁を三代として描
かれているが、信之びいきとしては残念なと
ころである。幸綱・昌幸については、史料を
駆使し、重厚に描かれているが、信繫に関し
ては、駆け足(300ページ中30ページ)であ
る。著者も悔いが残るようであり、あとがき
では新たな著作に意欲を表している。
武田家臣としての真田昌幸の事績はあまり明
らかではない。著者は、甲陽軍鑑を参考にし
ながらその実像に迫ろうとしている。
また、武田家滅亡後の飛躍期は、読んでいて
も血脇肉躍る感じがする。
本能寺の変のあと、甲斐、信濃は徳川家康が
すんなり手に入れたというイメージがあった
が、本書を読むと北条、上杉、徳川の三つ巴
の争奪戦が繰り広げられた事がわかる。しか
も、北信濃を掌握する事は出来ず、小笠原、
木曽、真田が秀吉方に走った事により、諏訪、
伊那、佐久の三郡を押さえる事しか出来なか
ったという話は面白い。
一般的には小牧長久手の戦い以降、秀吉は、
なりふり構わず、家康との和睦の道を模索し
たように言われるが、著者は石川数正の出奔
など、両者は決戦に向けて、緊張感が高まっ
ていたが、関西、中部地方を中心とする地域
を襲った天正大地震や大飢饉をきっかけとし
秀吉が強硬策から融和策へと方針を転換した
としており面白い。
著者の史実を徹底的に調べ上げ、ディテール
を重んじ徹底的に書き込むという姿勢は好ま
しく著作に重みと説得力を与えている。本書
においても、幸綱と昌幸については、満足の
行く出来栄えとなっているが、信繫ファンに
は物足りないかもしれない。
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緻密さと正確を期す感じが良い。
幸綱(幸隆)、昌幸、信繁の三代を新しく発見された資料を織り交ぜて書く。信濃と上野の距離感とか、武田家の信濃攻略の詳細とか、武田滅亡後の武田領のことだとか、勉強になった。大阪の陣では信繁への感情移入が窺えて面白かった。
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読破。戦国末期から織豊期の真田氏で幸隆から信繁(俗に幸村)まで3代。信玄が信濃から上野国へ侵攻し諸城を従えるところ、秀吉が家康と対戦時にその背後の信濃の調略の凄まじさが 印象に残りました。 周囲の味方からも信頼されず孤軍奮闘して散った大阪の陣ではやはり筆者も幸村に感情移入したみたい。
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再読。真田幸綱の活動は、地元が近く地理感覚があるせいか、想像しやい。何故、武田信玄が重用したのかは、真田幸綱が活躍した場所が海野一族が広がる地域と重なるので、理解できると思う。昌幸は政治感覚が凄すぎる。武田遺臣は多くいたが、あそこまで活躍した武将は少ない。できれば昌幸の兄、信綱や昌輝の活動も書いて欲しい。最期は信繁。彼がいたから昌幸の策士、裏切りなどのマイナスイメージを払拭できたと思う。
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20130520 やっとという感じで読み終えた。前半の二代までに詳細な調査の結果を書いているが真田家に読者が求めているのは三代目の部分だろう。最終ページの感情の噴出が全てか。
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2011年に出た新書本。作者の人は、山梨県内で学芸員や大学教員をされている方のようです。
いわゆる戦国真田家について、ノンフィクション実相的な初歩を知ろうかなあ、と思って買った本です。
まあ、正直に言うと本として面白い本では全然なかったです。
それでもこういう本が出る、ということは、それだけ真田昌幸・真田信幸・真田幸村(信繁)の、一般的な人気が高い、ということなんでしょうね。
ざっくり言うと、
真田幸綱さんという人がいまして。幸隆とも呼ばれます。昌幸の父。幸村の祖父。
この幸綱さんは、大まかに言うと武田信玄と同世代人。信長、秀吉より1世代、上です。
この人は、
「長野県内で、真田という名称の土地の、領主というか国衆というか、そういう立場だった」
らしいんですね。
で、信長とか秀吉とかという以前の、戦国前半期の時代。
長野県は割と有名人が居なくて、群衆割拠だったそうです(だから後々は、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信に刈られる訳です)。
この幸綱さんは、村上氏の攻撃で、自領を追われます。
亡命して上野、今でいうと群馬県とかの、知り合い?の、豪族あたりをフラフラ彷徨う訳です。
この幸綱さん「故郷真田を取り返したい」と。
そして、どうやらバイタリティと権謀術数と戦闘能力が高かったようで。
色々考えて、甲斐の若き武田信玄のところに就職します。
で、めきめき頭角を現して、中途採用(笑)にも関わらず、重臣の一角を占めます。
幸綱という人については、(あるいはそれ以前の真田氏については)
要するに、それ以上のことは史料的にはなんにもわかんないんだそうです。
清和源氏の流れとか、名門海野氏と関係が、とかいろいろ可能性はありますが、
判りやすく言うと証拠はゼロだそうです。
その三男が真田昌幸さんなんですね。
人質も兼ねて、武田信玄さんの小姓のようにおそばに仕えていたんですね。
昌幸さんは、信玄の子供の世代。信長・秀吉・家康より、ちょっと年下。まあ大まか同世代。
どうやら子供の頃から頭が良くて。
武田信玄に可愛がられていたそうですね。
信玄vs.謙信で、直接チャンバラがあった、と言われる第四次(だったかな)の川中島合戦が、昌幸さんの初陣だったそうです。ちなみに山本勘助さんが戦死した戦いです。
で、この昌幸さんは、三男坊だから、どこかに養子に行ってたんですが。
信玄の死後(幸綱も死後)、有名な「長篠の戦い」がありまして。
信玄の子の勝頼さんが、騎馬隊率いて信長の鉄砲隊の前に無残に大敗北をした戦いですね。
ここで、お兄ちゃんたちがみんな死んじゃうんです。
なので、急きょ昌幸さんが真田姓に戻って、跡を継ぐことになります。
ここから、武田家の滅亡までの間、真田昌幸さんは、「武田の、歴史は浅いながら有能な家来」として、
長野県や群馬県を中心に活躍します。
やがて、信長軍に攻められ、武田が滅亡すると、しょうがないから「独立中小企業」として活躍します。
流れで織田軍には服従するんですが、そこで本能寺の変。
中央政権の崩壊。
秀吉が天下統一するまでの期間は、群馬・長野・山梨あたりの、「旧武田信玄領」は、狼の狩場になるんですね。
具体的にどういうことかっていうと、
●北条氏…関東を本拠に群馬一帯へと領土を広げたがっている。群馬にかなり食い込んでいる。
●上杉氏…新潟を本拠に群馬と長野へ領土を広げたがっている。長野にはわりと食い込んでいる。
●徳川氏…静岡を本拠に、山梨から群馬へと領土を広げたがっている。山梨はほとんど占領している。
という三大勢力がありまして。
この三氏が、武田が滅んで、織田信長も死んで、京都辺りで羽柴秀吉と柴田勝家が喧嘩したりしている頃に、
「今のうちに群馬・長野・山梨は空き家だから、どんどん占領したろう」
と、えげつなく軍事進攻してくる訳です。
この間で、真田昌幸さんは、「長野県上田~群馬県沼田」あたりの自分の領土を守りたい訳です。
あわよくば増やしたい訳です。
で、この戦国の時期っていうのは、江戸時代に儒教で植えつけられる、「忠君」「社畜」「協調性」みたいな日本人気質は、あまり支配的じゃないんですね。
なので、みんな生存の必要のためには君主もころころ変えます。
サッカー選手が移籍するくらいの感覚です。
で、昌幸さんも、上杉、北条、徳川に、従ったり裏切ったり。
ほんとに1年毎くらいに、服従相手というか、同盟相手を変えながら、色々やりながら、上手く生き延びます。
戦っても、信玄譲りなのか、築城も野戦も優れ、負け知らず見たいなローカルヒーロー。
悪者結構ゴキブリ野郎な訳ですね。
で、結局最後はうまいこと、いいタイミングで豊臣秀吉に臣従を示します。
領地を安堵されて、秀吉時代を迎えます。
長男の信幸さんは、なんとなく徳川と仲良くして。徳川の重臣の娘と結婚。
次男の信繁(幸村)さんは、なんとなく秀吉に気に入られます。秀吉の子飼い大名・大谷吉継の娘と結婚。
で、関ヶ原の戦いのときに、「犬伏の別れ」という場面になります。
お父ちゃんの昌幸さんは、山っ気があるんですね。
「西軍について、戦う。まだまだ戦国が続くぞ」的な。たぶんですけど。
で、長男だけ徳川軍に。
お父ちゃんと次男は西軍石田軍に属します。
で、昌幸&信幸は。
関ヶ原に向かう、徳川本軍(家康の息子の秀忠が率いていた)を、信州上田城に迎え撃ちます。
このときに、4万くらいの相手に、2千人くらいで戦って、無茶苦茶、勝ってしまうんですね。
ここは、戦上手の真田昌幸&幸村親子のひのき舞台、見せ場な訳です。
…なんだけど、関ヶ原の戦いは。
徳川本軍を見事足止めしたのにもかかわらず。
諸大名を束ねただけの家康軍は、たった一日の戦いで勝っちゃうんですね。
こうなると、もう天下は徳川の物ですから。
昌幸&幸村は、信幸さんが家康に気に入られていたおかげで、助命嘆願。高野山に蟄居になります。
この後、昌幸は病死。幸村は十何年の蟄居の後、中年になって「大坂の陣」で活躍して戦死することになります。
なんだけど…このあたりはもう、若干の史料的な事実指摘以外は、結構この本は、ちょっとセンチメンタルだったりしまして。
…センチメンタルになっても面白ければいいのですが、
だったら司馬遼太郎さんの「関ヶ原」「城塞」を読むほうが、脇役ながら真田昌幸・幸村のことは心情的には良く判るし…何より面白いんですよね…・
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日本史は得意ではないので、読み進めるのに苦労した。今後、再読しようと思う。大河ドラマ『真田丸』理解の参考にしようと、本書を購入。真田幸村は作り物であるが、江戸から現代に至るまで、真田が愛され、数々の伝説が作られたかちょびっと分かった。父親の信昌のように、戦術や人を動かす力が信繁にあれば、大阪夏の陣で徳川・真田は勝利をしたかもしれない。歴史にIFは御法度だが。
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好調な大河ドラマ「真田丸」のおかげで、書店業界は「真田本」でうるおっている(と思う)。そのビッグウェーブに乗って手にした1冊。
タイトルの真田3代というのは、真田幸綱・昌幸・信繁(幸村)の3人。信濃の地方豪族にすぎない真田一族が3代にわたり、いかにして生き延びたか、その苦難の歴史を正確な資料で読み解く。
とはいえ、本書で語られる多くは昌幸の活躍について。幸綱は資料不足、信繁は著者の調査不足で、付け足し感がハンパない。なんだか、騙された気もするが、出版社も作家も大河ブームに乗らざるをえない大人の事情には同情する。
しかし、真田昌幸本としては、読み応えあり。昌幸は家を守ることに異常な執念を燃やした人だった。彼は武士道ともいえる義理や忠義を持たず、ただ、真田家にとって都合が良くて強い者に付く。それだけをモットーに戦国時代を渡り歩いた。武田、上杉、北条、織田、徳川、豊臣、とにかく手当たり次第に主君をとっかえひっかえする節操の無さ。
それだけの謀略人生を送りながら、最期に畳の上で死ねたのは、奇跡のようだ。ただ、子から見れば、父として見習うにも、武士として真似しがたい存在だったのだろう。2人の兄弟がそれぞれ1人の主君に殉じたのは対照的だ。
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著者は大河ドラマ「真田丸」で時代考証を務める平山氏。真田幸綱・昌幸・信繁の三代記である。
幸綱が甲斐の武田晴信に臣従し、めきめきと頭角を現し、重臣の一人に数えられるほどまでのし上がる。次代の昌幸は子供のころから信玄の近習として目をかけられ、信玄の戦略を目の前で学び、信玄死後、長篠の戦いで長兄信綱・次兄昌輝が戦死し、昌幸は真田家当主となると、父以上の手腕を発揮して武田家存続のため、かなりの活躍を見せた。
「天正壬午の乱」においては、昌幸は上杉・徳川・北条・羽柴の列強と諸豪族らを手玉にとって織田家滅亡→上杉→北条→徳川→上杉→羽柴とコロコロと付く相手を変えつつ、武田家の一部将から独立した戦国大名にのし上がった。何故かれが「表裏比興の者」であるのかがよくわかる。
上野沼田を東国の火薬庫と評したところには笑った。
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2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」時代考証に名を連ねる平山優の著作。
放映開始時に購入していたのですが、積ん読のまま、ようやく今読みました。
昨年(2017年)のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で穴山信君が「あなやまのぶただ」と呼ばれていたのが気になりましたが、本書ではこの読みの訂正の経緯が示されていて「歴史学の進歩は著しいのだな」と目から鱗が落ちた思いでした。
(1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」の続編であるところの新田次郎作新装版 武田勝頼(一)陽の巻 (講談社文庫)では「あなやまのぶきみ」とルビが振ってあったように記憶しています。)
1988年の「武田信玄」放映中に山本勘助の墓が見つかって、忍者ではなく、れっきとした足軽大将であることが判明し、風林火山―信玄の戦いと武田二十四将 (歴史群像シリーズ 6)で時代考証の上野晴朗が苦悩を披瀝しているのを読んで
「最近になっても、新しい発見とともに歴史は明らかになるのだな。」
と感慨深かった記憶がありますが、
さらに三十年経て、
本書でも「真田家」にまつわる新事実が沢山読めて満足でした。
と、言うわけで、本書で扱う真田三代は、
真田幸隆ではなく、真田幸綱。
真田昌幸はそのまま(笑)。
真田幸村は真田信繁として記述されます。
それだけでなく、領国支配の経緯が詳しく面白く感じました。
特に上野(群馬県)での武田、真田の領地、拠点の確保にまつわる努力、苦労が鮮明になったように思います。
大河ドラマ「真田丸」では、沼田城に居座って北条の大軍を相手に奮闘する真田幸綱の弟(矢沢頼綱)が後に豊臣秀吉の惣無事令を無視して沼田城を増強したり、おもしろく描写されていましたが、本書ではそのようなコミカル(ユーモア)は抑えて、時代の流れと成り行きがわかりやすく示されていて良かったと思います。
武田家滅亡後、北条、徳川、上杉と頼る大名を次々と変えて「表裏卑怯のもの」と嫌われていたと思っていたのですが、
頼る先を変更するのも経緯が分かり納得できましたし「表裏卑怯」と言うのも必ずしも「危険人物なので注意しろ」と言う意味に留まらず、賛辞でもあることがわかり嬉しかったです。
武田/真田贔屓である僕にとっては必読の本でした。面白かったです。
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はしがき
第1章 真田氏の興り
第2章 真田幸綱の本領回復
第3章 真田昌幸の飛躍
第4章 「犬伏の別れ」と上田合戦
第5章 真田信繁の悲劇
真田三代略年表
主要参考文献一覧
あとがき