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紙の本

身を屈して救いを乞うこと

2012/02/11 09:51

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 他力本願はおのれの努力なしに救われようとするもの。自力本願はおのれの努力によって救われようとするもの。浄土仏教と禅宗とのちがいを、自分はこのように理解し、浄土仏教を怠け者の宗派のごとくとらえてきた。しかし、本書を読み、そのような考えは180度改まった。
 他力本願とは、ただひたすら阿弥陀仏にすがることである。法然、親鸞はともに念仏を唱えることで、阿弥陀の力により浄土へと往生をとげることができると説いた。案の定、当時から上に書いたような批判、すなわち何の努力もせず、ただ念仏をとなえるだけで往生をとぐという虫のよさに対する批判は多かったという。だが、どんなに外道な生活をしていても、一度念仏をとなえればそれで救われるという安楽な態度は、そもそも彼らが説く他力本願とはちがう、というのが本書の教えるところである。
 では、真の「他力本願」とは何か。それは他でもない、自己の無力をとことん思い知った人間が、救いを求めて阿弥陀仏の慈悲にすがることである。つまりそこには、一度絶望の淵に落ちるという契機が必要であり、それなしに念仏を唱えても何の意味もないのである。
 このような考えを明確にしたのは、親鸞であった。彼は、自らをダメ人間であると思い知り、反省することで、師の法然が説いた他力本願の考えをさらに発展させた。悪人こそが救われるという、いわゆる「悪人正機」は、その究極の思想である。自らの力で往生できる者に阿弥陀仏の力はいらない。自身の弱さを自覚する者こそがそれを必要としているのである。そういう弱者の絶望的ともいえる叫びが、「南無阿弥陀仏」の念仏であり、阿弥陀仏はありがたくもそれにこたえて、浄土へと往生をとげさせてくれるという。
 自分には、人間とは何かはよくわからない。しかし、その存在は明らかに不条理で、みじめである。人によっては、自信に満ち、おのれの力で道を開く者もいるが、そのような人も、自分の力ではどうしようもない苦境に陥ることはありうる。そういうことがないとしたら、それは運がよいだけである。だれもが弱い。そして、だれにも罪がある。それがわからず、おのれを信じるとしたら、おろかなことである。だから究極的に無力な私たちにできるのは、ただ身を屈して、自分を超えた存在に救いを乞うことだけではないか。そのとき初めて、己はその存在の慈悲により生かされているということを知り、感謝をするのである。他力本願とはこのような考えのように思われる。
 本書では、親鸞だけでなく、法然や一遍も詳しく論じられているが、最も感銘を受けた親鸞の思想を自分なりにまとめてみた。作者は、阿弥陀仏の前にただひとり立ち、一心にそれへとすがる親鸞の姿を、神のまえにひとり立つ「単独者」キルケゴールと重ねあわせているが、己の無知を自覚し、自らおごることのなかったところは、ソクラテスに似ている気もする。あるいは、どこまでも身を屈して他力にすがり、柔和で謙虚なるその姿は、ドストエフスキーの『罪と罰』に登場するソーニャを思い起こさせた。それはもはや救われるべきものというより、むしろ阿弥陀仏と一体化し、ともに衆生を救おうとする存在である。

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紙の本

浄土仏教の通史

2015/02/02 21:42

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:豆柴タロウ - この投稿者のレビュー一覧を見る

好きですね、こういうの。
法然-親鸞-一遍の浄土仏教について、個々に深入りし過ぎず、相違がわかるように説明されています。特に法然はアカデミックな分析で述べられており、理解が深まります。
著者は浄土系(他力)のようですが、自力についてはどう考えられているのでしょうか。他力について考察したものを読んでみたいと思いました。

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2011/11/12 23:49

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2011/12/09 16:31

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2012/06/30 20:44

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2012/10/04 23:45

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2017/11/13 20:21

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2023/06/10 20:38

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