紙の本
二流哲学者。
2023/05/12 09:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あ - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルを見てなかなか挑戦的な分野だと思ったし、何より自分が最近思い悩んでいたテーマでもあった。購入してみた。だが結論から言うと、内容はことごとく残念で、通読はしたものの、ただただ時間を無駄にした。なぜ残念だったかを3つ述べてみる。
一つは、ところどころ本論に重要でない概念が長々と導入、説明され、大事な疑問点を軸に読み進めるのに必要以上の集中力と、思考の整理整頓が求められる。
二つ目は、何の証明や裏付けもされないまま、仮説に過ぎないようなものが前提として話が進められていくこと。読んでいて、こちらが疑問に思ったり、それは少し強引ではないか?と思うような箇所がよくある。こういったアカデミックなテーマにおいては、まず避けたい初歩的な詰めの甘さだ。
三つ目は、著者が導き出した結論があまりに普遍的で当たり障りがない。まるで、「そんなことはみんな思ってるし、もう実践してるんだよ!」と言わずにいられないような薄い提案である。だったら最初から読まなければ良かった。ただそう思った。
以上が残念だった項目である。非常に厳しいレビューであることは認める。テーマが哲学ゆえに、さまざまな角度や分野からの研究と考察を求めらる性質であるので、難しいことであるのも十分理解するが、著者は哲学を哲学でやって満足してるように思える。二流だ。おそらくこの本に興味も持つような人は本がそれなりに好きで、勉強することも好きな人だと思う。ただこの本はそのような人達には今更読む必要のない本だと私は思う。
投稿元:
レビューを見る
この本では「暇」と「退屈」について、複合的な視座から分析し、現代におけるそれら概念の在り方について検討している。
「暇」と「退屈」は異なる。「暇」は客観的な条件である。時間に余裕がある、何らかの仕事に追われていない。そういう状態。
対して「退屈」はこれと異なり、主観的な規定である。
だから、この2つの概念から4つの場合に分かれる。
「暇であり、かつ退屈である」「暇であり、退屈でない」「暇がなく、退屈である」「暇がなく、退屈でない」
これらの中で一番想像しにくく厄介なのは、「暇がなく、退屈である」状態だと思われる。後にハイデガーを援用して、この「暇がなく、退屈である」状態とはどういうことかを分析する。
後の議論の展開は読んで欲しいところであるが、自分にとっては示唆に富むとこが多かった。「消費/浪費」「環世界」など、極めて重要と思われる概念について詳細に書かれ、全体の議論の見通しが良かった。アレントのマルクス批判を批判する箇所は痛快だった。
わからなさ過ぎて困った、というようなところはなかった。それは序章にもあるが、意図的なところなのだろう。
本の刊行にあたり、度々著者は「自分の思うところをぶつけたので、是非読者の感想を聞きたい」という旨のことを言っていた。
個人的に、ここに書き連ねたくなるようなものではないが、皆何かを喚起される文だと思う。
あまり関係ないが、並行して読んでいた森岡正博「無痛文明論」との近似性を感じるとこがあった。あまり上手く説明できないので、同じような感想を持つ人の詳細なレビューを待つか、頃合いを見て自分が纏めてみたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
一瞬、時間の感じ方が人それぞれ、動物それぞれ違うというのが新鮮だった。
自分が途切れないように感じる時間には一瞬のブラックアウト、未知の時間がある。
五感をフル活用して、贅沢を感じながら生きる。私の言葉では足りなさ過ぎると思うがそんなところ。
面白かった。
人間が定住を始めざるを得なかったという大昔の話から展開するとは思わなくて興味深かった。
定住が当たり前でなかったとはまた目から鱗。
でも私は確かにゴミ出しとかが苦手だ。
投稿元:
レビューを見る
いやー、参った。環世界あたりの話はディスコミュニケーションの話にも応用できそうな気がするなぁー。それにしても知的好奇心をくすぐる一冊!
投稿元:
レビューを見る
お堅い本かと思って読み始めましたが、なかなかに面白かったです。暇と退屈について、よくぞここまで考え抜いたもんだと感嘆しました。話は哲学してるんだけど、どこかユーモラスで退屈しない。読んでて笑ってしまう。ちょっと強引な展開もユニークです。「環世界移動能力」、私も持ってるんですね?知らなかったですw 動物的にならないように気をつけなきゃw 読み終わった瞬間から、再読しようと決めました。私の大切な時間をこの本で"浪費"して大変よかったです♪
投稿元:
レビューを見る
みなさんの「好きな事」は、産業に与えられた事ではないですか。以下、本文より『…産業は、あなたが何を受け取るかを先取りし、あらかじめ受け取られ方の決められたものをあなたに差し出している…』
マーケティングにも通じるかと勝手に思う。
投稿元:
レビューを見る
暇と退屈に関して、論理的かつ哲学的観点から検討を行なっている。しかし哲学者という人はいつもこんなことを考えているのだろうか。
退屈と気晴らしが入り交じった世界に生きながら、徹底的に物を楽しみ突然訪れるであおう不法侵入に備えること。そうそれば、そこから思考することができる。これこそが筆者のいう「暇と退屈への有効な対処方法」となるのであろう。恐れ入りました。
[以下読書メモ]
<暇と退屈の累計>
・退屈している かつ 暇がある
・退屈している かつ 暇がない
・退屈していない かつ 暇がある
・退屈していない かつ 暇がない
(退屈とは主観。暇があるとは客観)
・退屈の三形式
①日々の何かの奴隷になる状態
(田舎の駅で電車を4時間待っている状態。何度も時間を確認している)
②パーティー(退屈と混じり合うような暇つぶし)に参加しているがなんとなく退屈だ
③深い退屈が決断によって反転し、何かに突き進む。①に戻る
・時間とは何か。人間は18分の1秒以下の時間は体感できない。スクリーンの暗転が18分の1秒以下だと気づかない。しかも驚くべきことに、全ての感覚の最小の器らしい。(18分の1秒以下の空気振動は聞き分けられず、単一の音として聞こえる。触覚も同様)
・二つめの結論。これは贅沢を取り戻すこと。人間は通常、②の退屈な状態にある。この状態を利用したのが消費。消費は観念を対象としているから浪費と違い終わりがなく、いくら消費しても退屈な状態から脱することができない。
退屈を脱するためには、②の状態を徹底的に楽しむこと。楽しむためには訓練が必要なのだ。(かならずしも知識や教養だけが要求されるわけではない。)物(パーティにおける食事、飲み物、葉巻・・)を楽しむ必要があるのだ。
そして待ち構えないといけない。何かが不法侵入してくるのを。①や③の状態では何かが不法侵入してきたとしても気づかない。それは何かに囚われている奴隷状態だからだ。唯一②の状態のときだけそれに気付くことができる。気づけば思考することができるのだ。
投稿元:
レビューを見る
タイトルにあるように、「退屈と暇」という問題について考察したのが本書。キャッチーなテーマでありながら、骨太な内容で「人はいかに生きるべきか」という哲学の根本問題について論じている。哲学的な話題だかりでなく、人類史的視点、労働問題的視点など広範なトピックを扱っている。
投稿元:
レビューを見る
押しつけがましくない啓発書といった感じ。広く先人の思想に触れながら自らが打ち立てた問題の核心に徐々に迫っていく展開は読んでいてわくわくする。非常に知的。定住革命、環世界などの面白い考えも紹介されていて、充実の内容だった。
投稿元:
レビューを見る
「消費するな浪費せよ」というのはやや言葉遊びかな?という気がしないでもないし、バブル時代に流行ったボードリヤール的記号消費批判の域を脱してはいない。全体には古臭く、少々冗長ではある。中心部分はハイデッガーの3形式の関係性だろう。決断の奴隷になる事で結果的には第3形式≒第1形式というのは気がつかなかった視点ではある。だからと言って、消費社会の罠に嵌らずに、第2形式を享受せよという著者の主張はある種の諦観であり、高等テクニックかな?とは思う。まあそんな事はお構いなしに、ネット社会の隆盛において、退屈する暇もなく、新たな衒示的消費が蔓延っているわけだが。
投稿元:
レビューを見る
ある意味、怪物本。自分と同い年の人間がこんなの書くなんて凄い。思考が奥深い。はっきり言ってここに要約やあらすじを書くことに全く意味がない。本書は著者と一緒に思考を追体験して結論に辿り着かないと本当の意味で理解したとは言えないからだ。読んで面白さを感じるしかない。
個人的には、『環世界』からの展開が好き。
投稿元:
レビューを見る
あまりに長くなったのでこっちに。最高の読書体験。
http://d.hatena.ne.jp/pespace/20120109
投稿元:
レビューを見る
何をしてもいいのに、何もすることがない。だから、没頭したい、打ち込みたい...。でも、ほんとうに大切なのは、自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること。p帯
「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない」(ウィリアム・モリス)p27
パスカルの言うみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみをもとめる人間のことに他ならない。p43
(ラッセルにおいて)「事件」とは、今日を昨日から区別してくれるもののことである。p53
【定住革命的な人類史観】
遊動生活→定住生活の開始→食料生産の開始 p78
定住民は物理的な空間を移動しない。だから自分たちの心理的な空間を拡大し、複雑化し、そのなかを「移動」することで、もてる能力を適度に働かせる。
【「文明」の発生】
「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であると共に、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである」p88
【有閑階級】
有閑階級とは、いわば、暇であることを許された階級である。p103
→(顕示的閑暇)
【資本主義において】
余暇は資本の論理のなかにがっちりと組み込まれている。Cf. フォーディズム p121
【レジャー産業】
は人々の要求や欲望に応えるのではない。人々の欲求そのものをつくり出す。p125
20世紀の資本主義は余暇を資本に転化する術を見出したのである。p125
ボードリヤール「消費とは観念的な行為である」p146
「疎外」と「本来性」p165
ホッブズとルソーの「自然状態」の対照的な捉え方。p169
「本来性なき疎外」p180
【環世界】
すべての生物は別々の時間と空間を生きている。p253
人間にとって18分の1秒とは、それ以上分割できない最小の時間の器である。p265
【ハイデッガーの動物観】
動物は「世界貧乏的」であるのに対し、人間は「世界形成的」である。p277
環世界論から見出される人間と動物との差異とは何か?それは人間がその他の動物に比べて極めて高い環世界間移動能力を持っているということである。人間は動物に比べて、比較的用容易に環世界を移動する。p285
投稿元:
レビューを見る
なんなんだろう…圧倒的にポジティブな読後感。哲学って面白いですね。たぶん現在の状況に視点を持つ読書が続いていたので、人間本来の感覚から語りかける論旨が新鮮だったのかも。いけない。この、ついつい使いたくなる「本来」とかが鬼門なんだよね。この本との出会いによってスピノザいわく、の「反省的認識」が生まれているかも。まずは〈物を受け取ること〉として、本書を楽しむこと。(かなりの一気読みだったから…)そしてパスカル、ハイデッカー、ルソー、マルクス、ユクスキュル、ヘーゲルを消費じゃなくて浪費出来たなら、と思いました。
投稿元:
レビューを見る
暇と退屈で、こんなに深い話になるとは思っても見なかったので、とてもいい刺激になりました。
しかし、退屈ってやつは厄介だね( ・´ω・`)
この本を読んでいること自体、俺にとって気晴らしだったのかもしれない。