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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
身分制度が緩くなってきたとはいえ卑賎の身からたたき上げてきた林蔵の足跡は後々まで語られることがい多い。謎もある彼の功績を物語る。
紙の本
史料的価値も高く、冒険的ストーリーも面白く、充実した内容
2015/11/12 09:32
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投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
樺太からシベリアに住む北方民族の生活に触れられるかと思い読み始めました。
資料や実見に基づく徹底取材をする著者との評に違わず、史料的な価値も大変高いと感じました。また千島エトロフ譚を経て樺太東岸から西岸へ、さらに北へ、そして対岸の地を奥深くへ との展開には息つく暇もなく夢中で読み進めることができました。それらの地に住む 幾つかの民族の生活や思考法にも触れることができ、当初の目的への満足感も感じました。
終局は探検を終えた主人公の、それからの生きざまが語られていきますが、ここもサスペンスものの様な面白さでした。 ただ、相前後して読了した『中島欣也/幕吏松田伝十郎のカラフト探検(新潮社)』で、アイヌとの友情を育てながら、林蔵とほぼ同時期に黙々とお役目に励んだ伝十郎の人柄に心打たれていた私は、林蔵の出世欲・名誉欲が全面に出た生き方にはやや引いてしまったというのが偽らざる感想です。 しかしその生き方を、生身に感じさせる著者の描写には只々脱帽しました。
面白かったです。
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世界地図に日本人で唯一名を残している間宮林蔵の壮絶な一生を描き、史実の中に林蔵の人となりを浮かび上がらせている。
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さすがは吉村昭である。かなり緻密に調べ上げられている。樺太探検の様子が手に取るように分かる一冊である。おすすめしたい。
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スリリングで緊張感のある展開、面白かった。日本の領土問題の原点。江戸後期、北方沿岸に頻繁に出没するロシア船の脅威が日に日に高まる中、ついに択捉島の集落が襲撃される。世界地図で唯一不明となっていた、樺太が中国東北地域の東契丹と陸続きかどうかを確かめる必要は国防上の最重要課題となった。百姓から立身した林蔵は、樺太の探検を命じられる。
間宮海峡を発見したとして、歴史の教科書で必ず名前が出る人物だが、当時の江戸日本が置かれていた外交上の背景は教えない。ただ、行って見てきただけのような教え方も手伝ってか、彼の業績は過小評価され過ぎの感を禁じ得ない。
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城山三郎・平岩外四対談集「人生に二度読む本」に掲げられている一冊、興味を持って読んでみた。世界地図で、唯一日本人名が登録されている間宮海峡を発見した冒険家として知ってはいたが、本書によって幕府老中の信認によって隠密活動をしていたことを改めて知った。前半は、樺太調査に挑んだ林蔵の過酷な探検行、史料と作者の想像力の融合により、血沸き肉踊る冒険譚。後半は、その成功により幕府の信頼を得て、諸国を巡る隠密行。シーボルト事件を筆頭に幕末のさまざまな人物との邂逅があり、対談集の城山氏の言葉では、幕末のオールスターキャストが登場する。確かに、人生で少なくとも一度は読むべき名著である。
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間宮海峡を発見した人として有名であるが、その発見の旅中の状況が克明に描かれており、まさに命がけの発見であったことがよくわかる。
志を高く、何かを成し遂げようとする偉人伝は時代を超えて学ぶことが多い。
(間宮林蔵は、世界地図の地名に、日本人として唯一人名が刻まれている)
当時は、地図を作るに際して足で稼ぐことが基本にあるわけだが、その測量方法、技術も興味深い。
本著を通じ、当時の蝦夷(北海道)北方における国際情勢を理解することができる。
また、自分自身、知らなかったことであるが、間宮林蔵は後年、幕府の隠密として働いていた。
本著の後段は、その活動について触れられ、当時の幕府の対外方針や各藩の実態など興味深い内容に触れることができた。
伊能忠敬、尚歯会、シーボルト、川路聖謨、徳川斉昭などの人的繋がりを知ることにより歴史を紐解く面白さがある。
以下引用~
・「あなたは、魚が嫌いらしく食べぬが、どうしても口に合わぬなら蝦夷地から去りなされ。この地に来てから病みがちだと言われるが、当たり前のこと。蝦夷人(アイヌ)は主として魚を食い、昆布を口にする。それ故、病むこともなく冬を越す。郷に入らば郷に従え、という。蝦夷地にいたければ、蝦夷人を見習い、大いに魚や昆布を食することです」
・樺太が世界地図の中で唯一の謎の地域であるということを耳にしていた。
・熊は積雪期になると穴ごもりをするが、犬は雪をいっこうにきにかけない。そうした動物の習性から考えて、熊の毛皮は雪に不向きで、それとは対照的に犬の毛皮は雪に順応する性質をもっているのではないか、と思った。
・それでも斉昭は諦めることもなく、蝦夷地経営の悲願はさらにつのっていた。斉昭の蝦夷地についての構想は、林蔵から得た知識によって立てられたもので、「北方未来考」として記録されていた。その概要は、まずは斉昭が隠居し、自ら蝦夷地に乗り込むことを基本としていた。
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「光と影を背負って歩き続けた男」
19世紀世界地図の最後の謎とされた樺太が島であることを発見し、シベリア大陸との間の海峡にその名を冠された間宮林蔵。輝かしい業績の一方で後年は幕府の隠密としても働き、幕末の大きな事件にも関わった。その波乱の生涯を描く。
一人の人間の生涯がこんなにもくっきりと光と影とに分かたれるのも稀なのではないだろうか。500ページにおよぶ大作の半分を費やして、著者は樺太の謎を明らかにするという林蔵の輝かしくも苛酷な探検をつぶさに再現していく。
圧倒的な臨場感だ。極寒の樺太を草木を踏み分け進む。同行させたアイヌたちに漕がせる小舟で山肌が海に落ち込む海岸を海藻や芥にゆくてを阻まれながら進む。彼らアイヌの働きには目をみはる。彼らの酷寒の地に生きる知恵、それを知るとき林蔵の樺太探検が彼らの助けなしには決して実現しなかったものであることがよくわかる。その先端を回り込むことこそかなわなかったものの、樺太の最北端の丘の上から荒波立つ大海原を眼前にしたとき、世界に先駆けた世紀の発見の瞬間を読者は林蔵とともに目の当たりにする。
常陸の農家の一人息子であった林蔵は、小貝川の灌漑工事に興味を持ったことにより普請役雇の村上島之充に見出されて測量を学び、やがて士分を与えられて、蝦夷地の測量に従事しこの快挙を成し遂げるに至った。日本地図の作成に生涯を捧げた伊能忠敬とも親交があり、彼の日本全図完成には林蔵の作成した蝦夷の原図が一役買った。思えばこのあたりが林蔵の生涯の最も輝かしい時期ではなかったか。
測量の第一人者として認められその健脚も買われて、後に林蔵は幕府の隠密となる。シーボルト事件など隠密としては成果を挙げる仕事をしたものの、皮肉にもその仕事ぶりは密告者として人々の誤解を受け親しかった人々も次第に離れていく。息子に嫁を用意して待っていた両親も、さしたる親孝行もできぬうちに世を去ってしまう。久しぶりに帰った生家は朽ち果て、座敷には孟宗竹が伸び放題であったという。妻帯し子供を儲けることもついになかった林蔵の晩年は寂しかった。
久しぶりに読んだ吉村昭の歴史小説だった。『生麦事件』では実は少々重かった史実を淡々と追う著者の筆致が心地良い。家族の温かみを得ることこそなかったものの、日本でただ一人世界地図にその名前を残した男の、ひたすら歩き続けた生涯だった。
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史実をベースに、間宮林蔵の生涯を丁寧に追った作品。
困難を極めた極寒の地・樺太探査は勿論の事、シーボルト事件との関わりや幕府の隠密として全国を駆け巡った晩年の様子に興味を惹かれた。
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この人の人生を左右したのは間宮海峡を発見したことというより、むしろシーボルド事件だったのかもしれない。いろんな意味で幕末の日本のカギを握っていたといえよう。
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間宮林蔵といえば、江戸時代、樺太を調査し、世界で初めて樺太が島であることを発見。その功績で「間宮海峡」という地名を後世に残した。というのが、教科書的説明。本小説でも、林蔵の樺太探検は詳細に描かれ、当時の乏しい装備で死を覚悟して赴く林蔵の覚悟が伝わってくる。
しかし、間宮林蔵がアドベンチャーというのは彼の一面に過ぎない。彼の人生の真骨頂は樺太探検後、豊富な地理の知識と行動力が認められ、スパイや政治アドバイザーとして幕府に貢献したことだ。
何よりも、林蔵は正義を重んじる。若き頃、日本領土にロシア人が侵入したとき、徹底抗戦を主張する。樺太探検のために異国のユーラシア大陸にまで足を踏み入れてしまったことが鎖国政策に反するのではないかと、苦悩する。また、その鎖国政策では外国人との交流が禁じられており、突然のシーボルトからの贈り物を開封せず、奉行所へ提出する。など、幕府に従順で慎重だ。そして、そんな冷静な判断がその後の彼の評価をより高めた。真っ当に生きれば、どこかで報われるものだ。
また、鍛えた脚力で北海道から九州まで歩き回り、隠密行動も苦にしない林蔵は幕府からの信頼を得、出世街道まっしぐら。
が、そのおかげで、妻も持たず、子孫も残さず、両親の死に目にも会えなかった。家族とのくつろぎとは無縁の人生だった。今でいえば、仕事一筋で、忠実なCIA調査官といった感じか。その点が生涯を地図作りだけに捧げた伊能忠敬とは異なる。
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樺太が島であることを、初めて確認した人物。
間宮林蔵が、類まれなる探検家だということは、知識にあった。
しかし、その後、隠密として暗躍していたことは知らなかった。
己の探究心、プライドのために生涯を捧げた林蔵。
日本各地、そして、己の人生を颯爽と渡り歩いた。
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マミヤ海峡の発見者として世界地理に名を残す江戸時代の冒険家、間宮林蔵の生涯を、若き日の樺太冒険だけでなく、幕府隠密として過ごした後半生やおりきと暮らした最晩年も含めて描き切った一冊。史料に基づきつつも、まるで見てきたかのような人物の生き生きとした描写は吉村昭の真骨頂。
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歴史好きな人、男性には楽しめる本でしょう。二部構成の文章だったので要旨が分かりやすいほうでした。前半部、登場する北方民族は素直に「お前マジ関係ねぇっ」と言いたくなる。後半部、江戸趣味が繚乱を飾って読むのが楽しかった。吉村昭さんを単に歴史つながりで本を借りたんですが、吉村さんも歴史も早熟だし奥が深いですね。
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吉村昭「間宮林蔵」 東京・深川
私にその術の何分の一かをお教えいただけませぬか
2022/2/12付日本経済新聞 夕刊
樺太は島なのか。それとも大陸の一部である半島なのか。
伊能忠敬の元に足しげく通った林蔵。歩幅を一定に保つことは測量に大事な能力だった=三浦秀行撮影
伊能忠敬の元に足しげく通った林蔵。歩幅を一定に保つことは測量に大事な能力だった=三浦秀行撮影
江戸時代、だれも知らなかったこの問題にはっきり決着をつけたのが、間宮林蔵だ。
北へ、ただひたすら北へ。厳しい自然のなかを突き進み、ついに離島であることを確認する。その名はいまも「間宮海峡」として、地図に残っている。
本書はそんな彼の生涯を、史料をもとに立体的に描き出す。樺太北部の探査だけでも大仕事なのに、さらに海を越えて東韃靼(だったん)に足を踏み入れ、当時の清とロシアの情勢まで探っていた。
また、後年には幕府の隠密として全国各地をめぐり、藩ぐるみの密貿易を暴いたりもする。高い見識を持つ林蔵を信頼して意見を求める人は、水戸藩主徳川斉昭をはじめ多くいたが、身に覚えのない世間の悪評にさらされることもあった。波瀾(はらん)万丈な人生で、手に汗を握るような臨場感が伝わってくる。
ただし、決して派手な話ではない。その底流を流れているのは、まっすぐ物事に向き合おうとする、鋭いまでに真摯な生き方だ。
もともと農民の子として生まれ、その才気を見込まれて幕府の役人になった。
樺太北部の探査に出発する前のこと。彼は正確な探査と測量に役立てようと、第一人者だった伊能忠敬に羅針(磁石)を譲ってくれるよう思い切って頼み込む。忠敬も意気に感じて、改良に改良を重ねた羅針を2つも譲り渡す。
無事に樺太・大陸から江戸に戻り、幕府から高い評価を受けたのちも、林蔵の学ぼうとする姿勢は変わらない。自分の測量技術は、まだまだ足りない。忠敬に頼み込んで、さらに教えを乞うたのだ。
これにより林蔵の技量は向上。北海道を測量して目覚ましい成果をあげ、日本の地図づくりに大きな貢献をすることができた。
東京・深川は、林蔵が江戸にいるときによく住んだところだ。ここ深川と、生まれ故郷のつくばみらい市との2カ所に、林蔵の墓がある。
周辺には、林蔵が何度も足を運んだ伊能忠敬の自宅跡がある。作中で林蔵が測量へと旅立つ忠敬を見送った富岡八幡宮も、すぐ近くだ。
深川江戸資料館は、江戸の町並みを再現した施設だ。7月まで改修・休館中だが、ここでは当時の空気感がよく分かる。
どんな偉業のかげにも、地道な日々の努力がある。人と人は響き合い、思いと知識をつなげていく。なぜ林蔵ははるか遠くまで行けたのか。深川を歩くと、胸におのずと浮かんでくる。
(編集委員 辻本浩子)
よしむら・あきら(1927~2006) 東京生まれ。学習院大学中退。66年「星への旅」で太宰治賞。「戦艦武蔵」「関東大震災」などで73年、菊池寛賞を受賞する。多彩な記録文学、歴史文学を次々に発表。主な作品に「ふぉん・しいほるとの娘」(��川英治文学賞)、「破獄」(読売文学賞)などがある。
小学校6年生のとき国語の教科書で林蔵のことを知り、「北天の星」「ふぉん・しいほるとの娘」のなかで取り上げた。さらに関心が高まり、研究者のもとを訪ねて本書を執筆したという。「史料は、あたかも庭の飛石のように点在している。私は、その史料と史料の間の欠落部分を創作によって埋めていった」とあとがきで記している。
(作品の引用は講談社文庫)