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一気読みした。
村上春樹がクラシックを勉強しすぎていてビックリした。小澤さんよりも音楽史的なことは把握出来ていて、小澤さんに「そうなんだ。」と言わせていた。
小澤さんが本をあまり読まない様で、「文章にリズムなんてあるんだ。知らなかった。」みたいなことを言ってる。村上春樹がインタビュアーだったら何かしら作品の話するかな、と思ったけど一切出ず。。。
バーンスタインの弟子時代・副指揮時代の小澤さんの勉強の取り組み方はすごい。早朝からスコアとにらめっこする。誰にとっても楽譜を読み込むことは基本中の基本なこと。誰も劇場にいなくなってからスコアをピアノで勉強する。安月給でも他のアルバイトをしていては勉強の時間が無くなるので一切しない。常に劇場へスタンバイしている。だから、急遽指揮者交代しないといけないときは小澤さんが信頼されて指揮を任された。ここまで仕事にかけていたから今の成功があるんだと思った。
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面白い!!音楽に関しては門外漢ですが、クラシックが聴きたくなります。間違いなく。小澤征爾は、自分の仕事を語る時、「楽譜を読み込む、勉強する。」という言葉を頻繁に使っています。どんな巨匠になっても勉強することを強要する音楽の奥の深さを感じます。Ituneで思わずクラシックアルバムを購入してしまいました。
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おもしろくなかったかと言えば、そこそこおもしろい。
しかし、無類におもしろいかと言えばそうでもない。
作者の作品、基本的に読んだことはないのだが(「ノルウェーの森」読んだかな?)、「アンダーグラウンド」は、あざとさが勝って、ちょいとうんざりした覚えがある。読み応えはあったが。
それと同じ読後感。
少しお勉強にはなりましたが。j
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とても読みやすく、登場してきた曲を聴きたくなりました。
ドビュッシーの室内楽、マーラーのシンフォニーなど発見をたくさんいただきました。
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こんなに勉強しながら読んだ本は初めてです。結果、リズムをもった美しい物語として読むことができました。(単なる対談でなく)
リズムを体感しながら読み終えるまでに勉強が必要だったのは、Gouldを少しかじっただけの私には分からない語彙が沢山あったからです。それら文章を少しずつ理解しつつ、物語として読み進む過程もとても楽しい体験となりました。
この本を読み終えると、マーラーはじめ多くの録音を聴きたくなるでしょうが、のみならずサイトウキネンに行きたいし、マエストロのオペラを聴きたい。小澤先生が後何年タクトを振ることができるか。読後、その様な哀愁に包まれたからです…
また音楽に対する姿勢が変わる契機となりそうです。
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2011.12.28-2011.12.30
題名のとほりに村上春樹氏が小澤征爾氏と音楽について語る本。村上氏の音楽についての造詣が深いので、極めて充実した内容となつてをり、音楽の好きな人には必読。面白いので、あつといふ間に読めてしまふこと請け合ひ。
最初の章では、ベートーベンのピアノ協奏曲第三番の様々な演奏を二人で聴き比べながら、グレン・グールド、内田光子、ゼルキン親子など、小澤氏がよく知る奏者達の演奏の特徴や、独奏者と指揮者の解釈のどちらが優先するかといふ問題まで、縦横に語られる。
その他の章でも、小澤氏のバーンスタインの助手時代の話、マーラーの交響曲の特徴、小澤氏が指揮したオーケストラの比較、オペラの指揮の面白さなどの話題が次々と出て来て、最近の五十年のクラシック音楽の流れから、指揮者の仕事の具体的な中身、主な演奏家の素顔までを、現代屈指の指揮者の口から直接学ぶことができる。
村上氏の理解力、文章力も、この本の魅力の一つだ。本が出来るまでの経緯を述べた前書を読むだけで、本全体の質の高さが窺はれて、先へ進むのが楽しみになる。
小澤氏は饒舌だが、理由があつて語らなかつたこともあるやうだ。知識が乏しいので、それがどのやうな事なのか、見当もつかないが、詳しい人にはそれを読み取るといふ楽しみまでを与へて呉れる本になるだらう。
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刊行当時入手して、おもしろく読了したことになっているが、何も記録がないので、2024年2月、小澤征爾の訃報を聞いて改めてじっくり読み直した感想を書く。
***
小澤征爾が病後療養中だった2010年11月から2011年7月にかけてさまざまな場所で行われたインタビュー、村上春樹自身が録音した会話を書き起こして、小澤征爾とともに検討しまとめあげた本。指揮台に立てなかった期間ということで、世界を飛び回り先々の予定でいっぱいいっぱいで多忙だった状況ではとても息抜きにはなりえなかった音楽の話や過去の回想をかなりつっこんで引き出すことに成功している。その意味で、かなりの音楽好きで分析的に言語化できる作家がたまたま近くにいて話を聞き出して世の中に共有してくれたのは奇跡的なありがたいことだったと改めて思う。話し言葉は文字起こししてずいぶん整理してはいるだろうけど、小澤さん「とても」=「めちゃ」だったんだなあ…
全体を通して、小澤征爾にとって、カラヤンはあくまで「カラヤン先生」、対するバーンスタインは「バーンスタイン」あるいは「レニー」であり、その指揮についての考えも師弟関係も対照的なものであったことがにじみでていた。そしてなにより斎藤秀雄先生の存在感、十代のうちに徹底的にたたき込まれた指揮者としてオーケストラを仕込む技術のおかげで、若くても言葉のハンデがあっても外国の一流オーケストラでいい仕事ができたのだと断言しており、自分が斎藤秀雄から受け取ったギフトを次世代に渡すためなら骨身を惜しまない姿勢だったのが印象的だった。
ただ、(「狂言サイボーグ」と同じような)型を徹底的に叩き込むという方法に感謝しつつも、自分は相手に合わせた穏やかな指導をとったあたりが興味深かった(秋山和慶の追悼文に「臨終の床にあった斎藤先生が、小澤さんと僕の目を交互に見て「ごめんな」と言ったことがあるんです。「君らをよく怒ったのは僕が未熟だったから」。あの言葉がずっと、音楽や人間というものに対する小澤さんの愛の根源であり続けたのではないか」とあったが、つまり未熟な指導を乗り越えた指導を探って得られた結果といっていいのだろうか)。
言葉などとびこえて音楽でコミュニケーションができるからいいのかと思いきや、言葉ができなくて外国の音楽家とじゅうぶんつっこんだ話ができなかったことを(繰り返し)すごく悔いているのはちょっと意外だった。政治的駆け引きから距離をおいたり、雑音が直接届かないぶんのびのびとしていらられるというメリットもあったと思うが、本人にとってはいろいろ不便でコンプレックスだったし、ほんとうは音楽についてプロフェッショナル同士でもっと議論したかったのかな…
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クラシック音楽には門外漢のわたしにも楽しく読めた。村上春樹のクラシック音楽に対する造詣の深さには驚いた。ジャズならなんとなく分かるのだが。
でもまあ、レコード・コレクターのマニアックなおたく芸かと言ってしまえばそれまでか。
とはいえ、音楽に対する感性の在りようがスバラしいのかもしれない。「インターリュード2 文章と音楽の関係」で語られているような部分の。
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冬休みは実家でごろごろしたりうたた寝したりしながら
これ読みました。
演奏家でない村上春樹が、小澤征爾から深い音楽の話や
貴重な巨匠の昔話を引き出しています。
普段ほとんどクラシックは聞かないワタクシですけど、
小澤のレコード聴きたくなりました。
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この本は帯の「魂に触れる」という表現がピタリとハマる。
ノウハウ本や自己啓発本は一種の技術書だけど、この本は小澤征爾さんに自身が人生を捧げた音楽について語って貰うことで、その言葉の一端や文脈からその魂を感じ取る。技術じゃなくて根本的な信念を学ぶ本。
この人の音楽への愛情は、好き嫌いという次元じゃなくて、その深くパラドックスに満ちた歴史に対する敬意から生まれているんだという印象。
‥僕の中で本の新たな価値が生まれました。この本はすごい。
あと対談本ながら村上春樹の文章構成力にも脱帽。
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『モンキービジネス』で立ち読みしてたんですが、こんなに早く1冊の本にまとまるとは。しかも売れてるってのがまた驚きでした。このようなクラシックについての対談本が。
わたしは村上春樹さんが音楽について書いてるものがとても好きなので(音楽に関係ない小説でも、音楽エッセイでも)、大変楽しめました。オザワ語もおもしろいし。
春樹さんの「シルクっぽい音」とか「空間に墨絵を描くような、どこまでも美しいピアノの独奏。端正で、かつ勇気にあふれた音の連なり。ひとつひとつの音が思考している」といった音楽に対する表現が大好きです。
演奏者(指揮者)である小澤さんと、聴くことを楽しむ村上さん。
「レコード・マニア」みたいな人が好きじゃなかった、と話す小澤さん。「あなたと話していて僕がいちばん感心したのは、あなたの音楽の聴き方がとても深かったということなんです。僕から見ると。あなたの場合は(レコードをたくさん集めてはいるけれど)いわゆるマニア的な聴き方じゃないんですね」。
しかし春樹さんは「いろいろと考えてみたのだが、僕は昔からレコードを集めることに喜びを見出している部分があり、それは確かに小澤さんの言う『レコード・マニア』にいくぶん通じるところがあるかもしれない」としたうえで、こんなことを書いている。
「でもあるとき、実際のインタビューにかかる前に世間話の一部として、このような-それなりに率直な-会話を交わしたことによって、小澤さんと僕との音楽に対する姿勢の根本的な違いみたいなものが、僕にもより正確に、いわば立体的に理解できるようになったし、それはかなり大事な意味を持つ認識であったと思う。プロとアマを隔てる、あるいは創り手と受け手を隔てる壁というのは、僕が今さら言うのもなんだけど、かなり高いものだ。とくに相手が超一流のプロとなれば、その壁はとてつもなく高く、また分厚いものになる。しかしそのことは必ずしも、僕らが音楽について正直に話し合うことの妨げにはならないのではないか--少なくとも僕はそのように感じている。音楽というのはそれだけ裾野の広い、懐の深いものであるからだ。」(p.97-98)
p.129の「文章と音楽との関係」も面白かったな。
「いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。
(中略)
新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん、僕はそう思う、ということですが。」
あぁ、これは本当に春樹さんの考え方をよく示しているなあ、と思うと同時に、100%共感しながら読ん���いたら、小澤さんたら、
「文章にリズムがあるというのは、僕は知らなかったな。どういうことなのか、まだよくわからない。」
ですって!
やはり春樹さんのこの意見って一般的じゃないのかな。そんなふうに文章をとらえる人は少ないのかしら。
わたしも文章のリズムはすっごく大事だと思ってて(それは春樹さんの影響なのかな)、心から共感するんだけどね。
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村上春樹による小澤征爾のインタビューというか対談集。村上自身が文字おこしをしているためだろう、言葉遣いが心地よい。カラヤン、バーンスタイン、そして小澤自身の演奏のレコードを聴きながらの対話に始まり、当時の思い出話、現在の音楽活動を語るなかで、音楽に誠実に向き合う小澤征爾の姿を浮かび上がらせている。
印象に残ったのは、音楽と言葉との関わりだ。音楽は一見、言葉では語り得ぬもののように思われるけど、音楽を作る上では言葉やイメージが大切になる。以前読んだ岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書)のなかで、リアルな身体感覚を喚起する言葉として「わざ言語」というものを解説していたが、本書にも近いものがあった。
例えばp73で小澤は、音には母音の音と子音の音があり「音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです」と説明している。ここは面白い箇所なのでそのまま引用してみる。
>小澤「うーん、何と言えばいいのかな、『あああ』というのが母音だけの音です。それに子音がつくと、たとえば『たかか』とか『はささ』とかいう音になります。要するに、母音にどういう子音をつけていくかですね。『たたた』というと子音ばかりになって、メロディーが潰れちゃうけど、それを『たらぁらぁ・・・・・・』と行くか、それとも『たわぁわぁ・・・・・・』で行くかで音の表情が変わってきます。音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです。」
また小澤が主催する「小澤征爾スイス音楽アカデミー」のルポである「スイスの小さな町で」(p315~)においては、若き音楽家たちの成長する姿を追うなかで、「良き音楽」がどのようにして生まれるのか、村上が巧みに言葉を紡いでいる。音楽的な成長というのはこういう言葉で語りうるのだなと、楽器演奏をする者の端くれとして、いちばん興味深く読んだ。
最近音楽を聴かなくなってしまったせいか、音楽をどう楽しめばよいか忘れてしまっていた自分であったが、ふたりの言葉から伝わる思いをひしひしと感じ、再び音楽に浸りたくなった。
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クラシックって全然聴かないんだけれど、前書きと後書きを読んで面白そうだったので購入した。
自分が全然知らない分野でも、その人が好きな分野について、いかに奥深いか、面白いか、見所は何なのか、みたいなことを語っているのを聴くのは、もちろん知識がなくてわからない部分はたくさんあるんだけれど、面白い。
指揮者と作曲家と演奏者の関係だとか、音楽と文章の関係だとか、とても興味深かった。
小澤征爾という、すごい人ということは漠然と知っているけれど、具体的にどんな人なのかわからない存在について、その人となりをリアルに感じられたのも面白かったなぁ。その道を突き詰めていった人だからこその、心に刺さるような言葉もたくさんあった。
これをきっかけに小澤さんの指揮したサイトウ・キネンのクラシックを聴いてみようと思ったら、TSUTAYAで見事に借りられてた。同じようなことを考えてる人がいたのかもしれない。笑
きっと、ここで紹介されている音楽を聴いたり、同じ作曲家の曲でも指揮者や演奏者によってどう違うのかということを知ってから読んだら、もっと楽しめるだろうし、いつかそういう知識をつけて読み返したいという気持ちを込めて☆4です。
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本が厚いので、内容が面白くなかったらこれは続かないかも、と思いながらも
そんなことは考えずに読み進められる内容。
「のだめカンタービレ」を考えなら読むと想像しやすいかもしれない。
対談は期待に反することもあるけれど、この二人はとても好きだなぁ。
ずっと読んでいたい気持ちです。
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驚きました。春樹さんといえば、ジャズとクラシックがとてもお好き、ということはもちろん知っていたのですが、世界の小澤からこんなにも深い話を聞き出せるほどの“好き”であったとは。
私はクラシック音楽には全然詳しくないのですが、小説家村上春樹のファンなので、ただ、春樹さんの語りが読みたい、という興味でこの本を手にとりました。
小澤征爾さんの娘さん・征良さんとたまたま知り合いだったというご縁から、春樹さんは時折、小澤さんとも親交を持たれるようになり、特に、小澤さんが大きな病気をされてからはその機会が多くなったとか。そして、(たぶん)音楽畑にいない自分だからこそ気楽に語ってくれるこの話を誰かがテープにとって文章として残すべきである、と思われた、というきっかけには頷けるものが。
だって、春樹さんって、これまでにも感じていたたけれど、その人が語りたいことをピンポイントで引っ張り出す優しさをお持ちの方だなぁ、と思うから。
小澤さんという人も、たぶんかなりフランクなお人柄で、音楽の話をするのもお好きではあったんでしょうが、こんなにも気持ちよく話せた自分(*^_^*)に驚かれているのでは、と思います。
春樹さんは、この本の最初で、世の中には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」がある、というデューク・エリントンの言葉を引用しています。
これだけで、春樹さんは音楽がホントにお好きなんだなぁ、と感じとられ、とても嬉しくなりました。どのジャンルであれ、音楽ファンには、いいものはいいと認めつつ、それほどでもない、という演奏にはかなり辛辣になったり、極端なことを言えば、悪口が言いたいがために音楽の話をしているんじゃないの、と思えることもあるから。
それにしても・・・
上にも書きましたが、春樹さんのクラシック音楽に対する深い愛情と膨大な知識にはホントに驚きました。素人が“蘊蓄”を語ることなく、こんこんとただ綺麗な水が湧きでるようにひとつひとつの演奏や指揮者、演奏者についてさらっと口にし、小澤さんがそれに応え、かつ、忘れていたけど…と言われながら当時のあれこれ(これは小澤征爾の、そして、クラシック界の貴重な歴史なんでしょうね)を語る、というパターンが実に素晴らしいです。
小澤さんがスイスで毎年行われている、若い弦楽者たちのためのセミナーにも春樹さんは同行されてます。寄せ集めの若い演奏家たちの演奏がたった10日間ほどでどんな具合に“良き音楽”になっていくか、の美しいレポートには感嘆するばかり。
(私は、中・高・大・社会人、と吹奏楽バンドでピッコロを吹いていたので、1人の指揮者によって音楽が変わって行く様、特に、バンドの他メンバーの音が急に厚い層として耳に入ってくる&その中に身を置く自分の位置が喜びを持って感じられる、という経験は持っています。レベルは全然違うけれど、そんなことをふっと思い出したりもして、これも嬉しいことでした。)
また、休み時間に受講者たちと話をしたことを小澤さんと後に語っていた際、「彼らはそんな風に思っていたんですか」と小澤さんが驚���れるのも面白かった。プロの音楽家ではない春樹さんだから、(そしてやはり春樹さんが人の本音を引き出すのがお上手だから)話してくれたんでしょうね、と言われているのも納得できたし。
「音楽好きの友人はたくさん居るけれど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている」、そして、「春樹さん、ありがとう。あなたのおかげですごい量の思いでがぶり返した。おまけになんだかわからないけど、すごく正直にコトバが出てきた」という小澤さんによる後書きが、春樹ファンとして、とても誇らしかったことをここに記しておきます。(*^_^*)