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福岡出身の私にとって秋月は小さい頃何度か行った思い出の土地である。覚えている記憶は、紅葉と葛餅。最近では台風や水害で話題になっているが、本作は私の知っている秋月をふんだんに詰め込んだ作品だった。
話自体は歴史物でよくある巨悪と対峙する青春一代記物。怖がりの小四郎が同年代の仲間とともに乗っ取りを狙う福岡藩と戦い、自藩を守っていく。戦いの場面や友情の話などそれぞれの要素で高揚するものがあったが、それがどれも秋月の美しい風景に根付いているのが素晴らしい。
史実に根付いているからか、最後の悪に徹しても自藩を守ったというのが少し納得はいかなかったが、「織部崩し」の青春期から守るものが増えた「成年期」の葛藤など現代にもよく観られるテーマも歴史小説らしく清廉に美しく描いていて、読んでいて清々しかった。
その中でも、いとが「葛」を見つけ出し、それを名産に借金を返していくことに繋げるシーンは鳥肌物だった。ここが葛餅の原点なのかと。
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人は美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか
さてなぜでございますか
山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。人だけが、己であることを迷い、疑う。それ故、風景を見ると心が落ち着くのだ
私は、葉室さんの作品の魅力の1つに、作中人物の高潔さがあると思う。あの逆境のどん底で藩の経済を救いつつ、逝く、百姓娘いとのなんと高潔なことか
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付箋
・おのれが弱いことを知っておる者はいつか強くなれる。お主がわしより臆病ならわしより強くなるだろう
・もし、いとがいなくなっても、葛はあの久助という男が作り続けるのではないかな。そうすることでいとのしたことは生き続けるのだ
・剣は無心でなければならん。命を捨ててというのは、逆に命にとらわれておるのだ
・自らの大事なものは自ら守らねばならぬ。そうしなければ大事なものは、いつかなくなってしまう。わたしは命がけで守るものがあって幸せだ、と思っておる
・孤り幽谷の裏に生じ 豈世人の知るを願わんや 時に清風の至る有れば 芬芳自ら持し難し 広瀬淡窓「蘭」 蘭は奥深い谷間に独り生え、世間に知られることを願わない。しかし、一たび、清々しい風が吹けば、その香を自ら隠そうしても隠せない
・目の前の敵がいなくなれば、味方の中に敵ができる
・どれだけ手が汚れても胸の内まで汚れるわけではない。心は内側より汚れるものです
・山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ
・その静謐こそ、われらが多年、力を尽くして作り上げたもの。
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いつの時代にも、どんな事象にも、どんな政策にも裏と面がある。
とかく若さは明るみに出ている正義の面だけを見て動きがちなのだけれど、老獪な大人に操られている危険がある事に気が付きにくい。
学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
むずかしい。
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淡々とした筋運びで、いまひとつ物語に入り込めなかった。登場人物やエピソードが多すぎて、私には消化しきれなかったのかもしれない。
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いかにも葉室作品らしい、真っ直ぐな武士を描いた物語。義に殉じるようないわゆる武士道ではなく民衆の幸せを第一に考えて愚直に生きる主人ですが、これに立ちはだかる悪役の権力者達も決して一筋縄ではいかない面を併せ持つ。時代小説にありがちな勧善懲悪ではなく、正しく生きることの難しさを絶妙なバランスで表現されているところにいつも惹かれます。
石橋建設に関わるエピソードはどうやら史実らしく、福岡県の朝倉に今でも残っているみたいなので、一度見に行きたいな。