紙の本
そっとそばに
2012/01/05 08:28
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて開高健は「小説家というのは、小さい説を書くから小説家なのだ」といったことをたびたび書いていた。開高らしいはにかみを感じる言葉だが、うまいことをいうものだといたく感心したものだ。
よしもとばななのこの小説も「小さな説」なのかもしれない。
2011年3月11日に起こった東日本大震災を経て、多くの作家たちが重いペンを走らせた。あれだけの大きな震災を経験して、そしてその多くは実際に自身が体験したというより、情報によって知りえた惨状ではあるが、作家たちはそれでも書くことを良しとした。
「あとがき」によれば、よしもとばななもこの小説を「今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたもの」だという。
しかし、「多くのいろんな人に納得してもらうようなでっかいことではなく、私は、私の小説でなぜか救われる、なぜか大丈夫になる、そういう数少ない読者に向けて、小さくしっかり書くしかできない」と思ったそうだ。
小説とは、確かに開高のいうとおり「小さな説」かもしれないが、人の心を揺さぶり、癒し、慰めることができる力を持っている。「小さな説」だからこそ、生きることの真髄に迫ることができる。おそらく、開高自身、そう信じていたにちがいない。
よしもとばななのこの小説もそうだ。
どこにも震災のことにはふれていないが、愛する人を喪ったものたちがどうその悲しみと立ち向かい、これからの日々を歩んでいくかを静かに指ししめしてくれる。
いや、指ししめしもしない。
そっとそばにいるだけだ。それだけで心が静かになる。
主人公の小夜は突然の交通事故で恋人の洋一を喪った。その時同乗していた彼女は、大きな怪我をしながらも一命をとりとめた。
死んだもの、生き残ったもの。愛したもの、愛されたもの。
小夜はそんな喪失感の中でけっしてがんばろうとはしない。
「親しい人が死んだことにすっきりする解決策はない。会えないままでしばらく元気なくどんよりと、泥沼の中でもがくように、ただ静かに生きていくだけだ。世界に色彩が戻るまで」。
事故のあと小夜は死んでいったものたちの姿が見えるようになった。そのさまようものたちを介在にして出逢う人たち。その誰もが、小夜にいそぐことを求めない。彼女もいそがない。
人は悲しみにどんなに傷ついても、いま、生きている、そのことだけで、人としてありつづける。
そのことを、よしもとばななのこの「小さな説」は、しずかに語りかけている。
紙の本
前を向いて、いなくなった人の分まで生きること。
2012/01/27 14:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チヒロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
深く内容もチェックせずに読んだ。
ただ事故でお腹に鉄の棒が刺さって生還したってことだけ知ってはいたけど。
臨死体験をして生き帰った時、同乗していた恋人は即死と知らされる。
悲劇なのにそうは受け取らずにたんたんと、再び与えられた人生を、感謝しながら生きて行こうとする主人公。
そして臨死体験のおまけは、時折幽霊が見えるようになったこと。
これは文中でも触れてあるけど、「まるで『花田少年史』だ」と。
あの「ピアノの森」の作者の代表作「花田少年史」のこと。
少年・花田一路は事故で生死をさまよい、その後霊が見えるようになる、というストーリー。
やんちゃな少年の生活が面白おかしく描かれているけど、実は私が読むのを封印したとてもとても哀しいお話でもある。
今回のこの「スウィート・ヒアアフター」は、終始一貫スピリチュアルな雰囲気が漂う。
死と生のはざまを体験した女性が、嘆き悲しむよりも自然でスッキリと前向きに生きて行く自分を見出す。
ばななさんがなぜこれほど「生」にこだわった作品を書いたのかと思っていたら、
これは3・11への彼女なりのメッセージ作品であったとあとがきにあった。
歌を歌う人は歌で、お話を書く人はお話で、自分の出来ることでメッセージやシグナルを出す。
もうすぐ3月がくる。人々は1年を振り返る。
歌もお話も作りだせない私達は忘れてしまわないように、ただきちんと心に刻むしかないのだけど。
投稿元:
レビューを見る
あとがきにもあったとおり、伝わらない人には伝わらないだろう。
現地に行ったことも無い人が何を、という人もいれば
取材でボランティアなんて不謹慎だという人もいるだろう。
どうしたって、いろんな考えの人がいて
特に昨今の風潮では当事者ではない”不謹慎厨”が
自重を叫んで正義の使者のような顔をしたりするものだ。
しかし、それぞれがそれぞれの立場で
できることをするのが当たり前で、日々の営みで
だからこそこの世は回っていくものだと思う。
ばななさんが東日本大地震を経て、多くの人が納得しなくても
なぜか救われる、大丈夫にある人が数人でもいれば
と”小さくしっかりと書”いた小説が
暗く悲しい物語ではなく、影があっても淡々とすっきりと
前を向いて、光を見ながら歩いて行く小説であったことが
なんだかとてもほっとする。
それから、自分が京都に惹かれ、行く度に思うことは
こういうことなのかもしれない、と
とても納得する部分があり、その辺りも個人的に面白かった。
私も、もし自分が死んだとして、それを悲しんでくれる人がいたとして
いつまでも悲しい気持ちで思い出されるより、
一緒にいて楽しかったことをふと思い出して
もう会えないんだとちょっと泣いたり、
いいところにいるように祈ったり、空を見上げて思い出したり
そういうふうにしてほしい。
いつまでも引きずって辛く悲しい気持ちで日々を過ごして欲しくはないと思う。
読み終えてどこかすっきりと、しかし淡々としつこくなく
少し軽い気持ちになれる小説だった。
投稿元:
レビューを見る
最近のよしもとばななさんはスピリチュアルなものが多くてだめだったけど、これは平気でした。
恋人を失い、半分幽霊になった小夜。
――洋一と最後にしたセックスで妊娠していますように、と願った。頭が痛くなるくらい。
よしもとばななさんの描く男性はほんとうに素敵。
途中から出てくるゲイのあたるくんなんかすごく魅力的。
投稿元:
レビューを見る
ここんとこちゃんと本を読めてなくて、大好きな西かなこさんの本も途中で挫折してしまうくらいに集中できてなかったけど、なぜかというかやっぱりというか、ばななさんのこの本はさっくりと心地よく気持ちよく読めました。
ハゴロモも好きだったけど、、、
それをさらに上回る癒しの小説。
本ぜんたいからみずみずしくあふれでる、なんだろうこの優しい癒しのほわほわ感。
この本は手元に置いておきたいかも。。。と、ひさびさに思えたくらいの素敵な本でした。
投稿元:
レビューを見る
きれいな言葉が、あっちにふわっ、こっちにふわっと泳いでいるだけの印象。その軽さがよいのかもしれないけれど、私にはぐっと迫ってくるものがなかった。
投稿元:
レビューを見る
ばななワールド。
震災後確かに変わった生と死の合間のほわほわした世界を何となく捉えた良作だと思いました
投稿元:
レビューを見る
内容(「BOOK」データベースより)
お腹に棒がささった状態から生還した小夜子は、幽霊が見えるようになってしまった。バーに行ったら、カウンターの端に髪の長い女の人がいる。取り壊し寸前のアパートの前を通ると、二階の角部屋でにこにこしている細く小さい女の子がいる。喪った恋人。元通りにならない頭と体。戻ってこない自分の魂。それでも、小夜子は生き続ける。
投稿元:
レビューを見る
この本の全ての言葉が、
静かな歓びで満ち溢れています。
失う、とか、別れる、とか、
そういうことにとらわれている人に、
ぜひ読んでほしい。あたたかいなみだを流してほしい。
人が死ぬのは、必然。
のこされたわたしたちが
すごくつらくて暗いところで彷徨っているときには、
ばななさんの言葉と、わたしたちのこころの奥の奥が、共鳴して、
すごくすごく淡~いけど、
しあわせに似た希望とか安らぎを感じることができると思います。
きっと、ほんとうに大切にしたくなる一冊って、
こういう本なんだろうな。
そして、自分のことも今よりもっともっと大切にしたくなる。
あたりまえのこと。
すごくシンプルになること。
全ての人に読んで、感じてほしいです。
投稿元:
レビューを見る
本屋で目があっちゃってね(^^;
久々の「よしもとばなな」
キラキラの素敵な言葉がいっぱいでした。
どこかに書き留めておきたい言葉が沢山あったけど、
読後一番に思ったのは
「恋愛に行く心配のない誰かと安心して手を繋ぎたいなぁ。」
でした^^
投稿元:
レビューを見る
去年の震災を経験した全ての人に向けて書かれた本。
直接的なメッセージはないけれど、悲しいことがあっても生きていける、人の強さが書かれていて、感動しました。
投稿元:
レビューを見る
生と死の間が、いかに曖昧で、いかに皮一枚で生きていて(それを生かされている、というのかもしれない)、死は決して遠くの境界線ではなくて、すぐそこに、毎日目の前にある境界線である、ということ。
いつものばなりんのメッセージだけれど、3.11の地震で、
普通の毎日が一瞬で崩れ去るのを目の当たりにした今、いつもより鋭く心に響く。
紀行物と比べて、沖縄とかハワイとか、要素があちらこちらに散らばって散漫な感じがしていたのが少々残念。
投稿元:
レビューを見る
読み始めて、何度も涙が出て、胸が締め付けられる思いをしながらも
あわてず、ゆっくりと読もうと思ったのだけど、やっぱりもう読み終わっちゃった
たくさんの小説の中の言葉が、忘れず大切にして行きたい
自分がいま生きていること、苦しいことがあったときに
下を向きながらも少しずつ上を向ける自分になっていった時期
悲しかったこと、切なかったこと、色々な自分の人生が愛おしくなる
人はひとりで生きているわけじゃない、
どんなに寂しくたって、ひとりじゃないんだなと思えること
なんだか、とっても救われたような気がします
投稿元:
レビューを見る
よしもとばななさんが昨年の大地震の後に書いた作品。
全体的にほんわかした作品。
しかし、この人の紡ぐ言葉に
多くの人達が元気づけられていると思う。
大切な人を喪った悲しみは、
いつまでもその人の心の中にあり続けて、
完全になくなるって事はないけれど、
その悲しみと共存し、力強く生きていく事が、
辛いけれど、遺された人の使命なのだと思う。
涙が溢れたり、怒りたくなる日もあるけれど、
微笑んだり、腹の底から笑える日も、
いつか必ずあるから。
理性では割り切れない、
絶対受け入れたくない、受け入れられない
大切な人の死。
でも、その人と過ごした幸せな時間が思い出となり、
その人が遺してくれたものが宝物になり、
時にそれは自分の胸をきゅっとしめつける事もあるけれど、
生きていく自分の心と体を温めてくれる何かであってくれるはず。
投稿元:
レビューを見る
2011年3月11日のあの日から、生きること死ぬことについて強く考えたこの一年の終わりに、とても心に優しく響く物語でした。
何気なく当たり前の、けれど多くの人が忘れている真理に触れて、自分の意思と関係がない場所から涙が運ばれてくるような感覚を得ました。
それはまるで今生きている人もう死んでしまった人の哀しみの涙が、私という入れ物を通じて溢れてくるような不思議な感覚でした。
私はこの目に見えないものの存在を基本的には信じていないけれど、それが必要な人にとっては確実に存在するのだと思っているから、ばななさんが描くそういう不思議な存在はふんわりと受け入れることができます。
ばななさんが後書きに書いているように、全ての人の心を癒すことが出来るような物語ではないかもしれないけれど、さりげなく隣に座ってそっと肩を抱かれるような優しさに溢れた物語でした。