紙の本
人間のもつ「身ぶり」と「言葉」といった特徴から、人類の進化の本質に迫った貴重な書です!
2020/04/20 10:57
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、人間がもつ「身ぶり」と「言葉」といった他の動物には見られない特徴から、私たちの進化の本質に迫った興味深い一冊です。同書では、二足歩行によって頭蓋と手足を発達させた人間が、知性を育み、記憶を外部のアーカイブに託していったこと、そして、文明的価値観に大きな変更をもたらした新たな「欠乏と制御」といったことについて詳細に解説されています。同書の構成は、「第1部 技術と言語の世界―手と顔が自由になるまで」、「第2部 記憶と技術の世界―記憶とリズムその1」、「第3部 民族の表象―記憶とリズムその2」となっており、読み応え十分な一冊です!
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圧倒的な情報量で迫ってくるので、その内容の多くを噛み砕けていないけれども、人間と動物の境界線を「直立歩行」に見出したり、技術と人間の関係性については、極めてマクルーハン的な発想(いや、マクルーハンがルロワ=グーランの議論を参考にしているのか?)でとてもとてもメディア論的で面白かった。いつかもっと熟読して、マクルーハンの議論と並走させながらメディア論に沿って読んでいきたい。
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内容はたいへん面白い。ただ、本論で600ページを超えるため、時間はかかった。まぁ、昼休みだけで読もうとしたのが間違いか。ガッツリ読む時間を設ければ、その面白さから一気に読めそうだが。
とある人から、歴史学をやる人なら必読の本だといわれていた。しかし手に入れることができず、今回ちくまさんから刊行されたということで、利用する図書館にムリヤリな感じで入れていただいた。だが、これは自分で持っていていい本だと思う。
人類の進化の本質について、ここまで面白いとは思わなかった。タイトル『身ぶりと言葉』だが、そのままの意味合いで受け止めることはできない。もう説明しきれるものではないし、必読というのも納得だ。
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600ページを越える長大な書物だが、内容は更に驚くべき壮大なスケールをもっている。タイトル邦訳の「身ぶりと言葉」は直訳だが、この凄まじいほどの内容を表しているとは言えない。ルロワ=グーランの言う「身ぶり」とは、我々が日常会話の中で補助的表現として使うジェスチャーのことではなくて、道具の使用から始まる人類の意図的な動作一般を示している。
しかし「動作と行動」と訳しても、この本の中身の広大な空間を表すことはできない。むしろ「人類と文明」とでもいうべき書物である。
こつこつと積み上げながら着実に進む地味な文体であり、これは明らかに、興味をひくトピックをあちこちから拾い集めて呈示するジャーナリズムの文体とは全く異なる。独断論的に安易な結論へ飛躍することもない。真摯な「学者」の文体なのだ。読み進めるのはそれなりに苦労するが、その誠実な思考の歩みには本当に好感が持てるだろう。
600ページのうち、前半は「人類」の起原をさがす進化論的な分析から成っている。著者は人類の祖先が直立歩行することによって、手が移動という仕事から解放されることで、細かな作業・道具の活用・さらにはその制作という仕事にたずさわるようになった、と考える。また顔は地面から遠く離れることによって、捕食動作から解放され、脳の重要化を推進する。
チンパンジーはいくら待っていても人類に進化することはなく、猿はそもそも人類とは全く異なる種である、とするルロワ=グーランの主張は同意できるし、たぶん現在の科学においても定説となっているものにちがいない。
進化論的な記述が続き、書物の半ばに達した頃、突然この本の世界は豹変し、かぎりない拡張を始める。
確かに「人類」の文化の歴史は、ある時点からもの凄く急激な加速度で展開していくことになるので、この本自体もそうなったのだろう。言葉、文字、図像の発明から有史時代に突入すると、一気に文明の産業技術、経済、芸術、メディアといった問題群が流入してくる。めまいのするようなスピードだ。
著者の洞察は、たとえば芸術においても実に堂に入った、奥深いものであり、示唆に富んでいる。
知的刺激に満ちた書物だ。
この本はできるだけ多くの読書人に手にとってもらいたい気がする。タイトルと分厚さのために、敬遠される場合が多いかもしれないが・・・。
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訳:荒木亨、まえがき:寺田和夫、解説:松岡正剛、原書名:LE GESTE ET LA PAROLE(Leroi‐Gourhan,André)
技術と言語の世界◆記憶と技術の世界◆民族の表象
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先史考古学や人類学やってるものなら必須といわれる名著。学生時代に読んだけど、訳本そのものを紛失してしまったので買い直し。読み終わったら再度、感想をば。
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千夜千冊381夜。下のテキストに食指を動かされました。
https://1000ya.isis.ne.jp/0381.html
さらに旧人から新人にいたってようやく芽生える社会組織的なるものにふれ、そこに「リズムの進化」や「時空の構造化」という特質があったことを指摘した。
ここまででも充分に刺激的なのだが、これはまだ序の口で、ルロワ=グーランはこれらの一連の知性のおおもとに「共生の意思」「交換の利得感」「種から収穫にいたる周期性に対する感謝」などが踵を接して育まれていったことを見抜いた。
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(01)
身ぶりと言葉は、身体的には手と口に対応し、それは脳の中でも互いに近所となる領域で処理されている活動でもある。また人間が形成する社会の方において、身ぶりは技術に拡張し、言葉は記憶や情報技術に対応する。
著者は、この二者がそれぞれに発達してきたのではなく、互いにその特質を補い合いながら人間と社会を進化させてきたことを本書で明らかに(*02)している。また、人間という種の始まりから、その二者によって猿などの動物との距離を隔てていたことを脳(頭蓋骨)の断面から推測している。
(02)
過去に遡るほど人間が残した痕跡は少ない。1万年から3万年ほど前になると、人間自らの骨や打製石器(*03)、洞窟壁画、集落遺構といった物を今に遺している。著者は、これらの遺物を丁寧に分析し、それらの道具や図像を用いていた旧人たちは既に現代人とそれほど変わらない脳を持って世界に対応していたことを示す。また、技術や言語の外化(*04)はまだ発達段階にあったものの、それらの遺物の観察と比較によって、思考する力も現代とそれほど変わっていなかったことを推し量っている。
(03)
石器から尖った点を打ち出すために、数度にわたり手と石によって、角度を変えながら打撃を与えている。その形にはリズムが宿っており、象形の羅列化が進んだ絵文字にもリズムを見て、言語の端緒を探っている。また、そうした絵や書字は、口語による音声を伴ってようやく意味や象徴を解することができると考えている。
農業の発達とその蓄積は、都市化と並行しており、都市の形(遺構)の平面にも絵のような象徴作用を見ている。都市にある方位やミクロコスモスの図像の引き写しがそれである。
(04)
記憶装置の応用として、現代の図書カードやパンチカードを扱っている。1960年代の最新のデジタル技術の成果を取り込んでいるが、半世紀後の今日ではその記憶技術は飛躍的に拡張しており、著者の文脈に従えば、人類の危機的な情況はより深刻な局面にあるといえる。ほかにも、核、オートメーション、映像といった現代的な技術にも目を向け、警告を発しているように感じる。また、人間が人間である以上は、身ぶりや言葉から離れることができないことに可能性を嗅ぎ取っているようでもある。