紙の本
ピケティの「21世紀の資本」に先立つこと百年前の書
2016/05/28 01:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
河上肇は、所得・資産格差の問題に真面目に取り組んだ我が国の大先達経済学者ですが、なかなか楽しめました。名著です。今話題のピケティの視点が決して目新しいものでないことがわかります。ピケティの場合は、近年、大量の各種統計や各国国税等のデータにアクセスできるようになり、かのアプローチが可能になったわけで、時の利を得ているわけです。それにしても、当時の社会構造からして既に、貧富格差を拡大しつつあることを、データを駆使して実証的に証明しているところは、その先駆性に脱帽です。
河上は、その問題となっている貧富格差解消のためには、富者は贅沢を慎め、と結論づけています。それは、富者向けの贅沢品生産が圧迫して、貧者のための生活必需品の生産力がそがれてしまい、これが貧富の格差を拡大してしまうから、というものです。これは江戸時代の贅沢禁止令のセンスに近く、現代の経済学の常識からすると受け入れがたいものです。当時のような、モノのない時代なら、格差問題の解消のために富裕層は贅沢を慎め、という主張にも何らかのリアリティを伴った説得力があったのかもしれません。まあ、その部分は、現代においては、明らかにそぐわないとした上で、それでもこの瑕疵が、この本の高い価値を貶めるものでは決してありません。巻末の大内兵衛による解題を読むだけでも楽しいです。
なお、宇沢弘文氏は本書に大いに影響を受けた、とのことです。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
資本主義社会の問題点は日本にこの思想が展開し始めたこの頃、この本が書かれた事実は重い。これはいまだに解決されないこの現象の解決のために手助けになる必読書である。
投稿元:
レビューを見る
貧乏とは個人的な問題ではなく社会的な問題であり放置することの危険性を説く。貧乏とは資本主義の欠陥であり国策による是正が必要。贅沢は貧乏を生み出す、みたいな流れ。
出版当時の資本主義懐疑、修正資本主義の姿が垣間見える。
古い本だし鵜呑みせずに読めばおもしろいはず。現代にも通じるものは多々ある。
投稿元:
レビューを見る
#booklog 貧困を経済学からアプローチした、と見せかけてその実「富者の奢侈贅沢の廃止こそが貧困の連鎖を断ち切るんだ」教という宗教。著作当時はともかく、現代に生きる私にとっては特に学ぼうと思えるところのない、読んで後悔なアカい一冊。ただし、河上の、ボディ・マインド・スピリットの三つをのばせるだけのばすのに必要な物資を得てない者はみんな貧乏人という考えは、救いのあるユーモアとして心に残った。本人はユーモアのつもりで書いてないだろうけど。
投稿元:
レビューを見る
現代と時代背景が異なるので少し想像しづらいが、これは物不足の時代における「貧乏物語」。大正以降の資本主義経済が生み出した社会的矛盾の原因と対策を述べる。
限りある資源が富裕層の奢侈の為に費やされる。ゆえに貧困層に生活必需品が行き渡らない。そして貧困の追放のために資源は一般民衆の為に大量生産され、安価に供給されるべき。という持論が展開される。
社会的な階級の差を現前化させて経済を語ることは、大正デモクラシー期に於いては社会主義や共産主義の活動に援用されたのだろう。しかしその後の日本にとっては国家社会主義や皇国思想、軍国主義を支えるひとつの柱ではなかっただろうか。
投稿元:
レビューを見る
「貧乏」問題を、経済学の知見や古今東西の典籍に基づいて検討するもの。富裕層の奢侈を廃止することが貧乏対策になると説いています。なにしろ大正5年の古典なので、その理論的妥当性は別途の検討に委ねるとして、早くもこの時代から格差問題に理論的に取り組もうとしていた点に感銘を受けました。
投稿元:
レビューを見る
いかに多数の人が貧乏しているか(上編)
何ゆえに多数の人が貧乏しているか(中編)
いかにして貧乏を根治しうべきか(下編)
著者:河上肇(1879-1946、岩国市、経済学)
解題:大内兵衛(1888-1980、南あわじ市、経済学)
投稿元:
レビューを見る
為替の影響でインバウンド需要が再び戻り、街には外国人が溢れている。高級店はまるで外国人のために値付けされ存在するようだ。一方で日本人は度重なる値上げに賃上げが追い付かず、格安店を賑わす。コロナ禍が終息し、活気を取り戻したが、金持ち外人と格安国民のこの構図は辛い。やがてくるトリクルダウンまでの我慢なのか、ネットで「岸田」と打てば「増税」の予測検索。社会政策の有効性が問われる。
貧乏物語は、物語というくらいだから、小説だと思っていた。大正時代の経済学本だという。中身は、貧乏を生みだす社会的構造に対し、奢侈を廃止し社会政策を講ぜよ、というもの。投資は利益重視で行われるから、儲かるものに傾斜されるが、それは金持ちの嗜好を優先するため、貧乏に行き渡らない。政策介入が必要だと。この古典を引いて経済学的見解の誤りを正せと試験に出れば、私なら、多数派な貧困相手のビジネスが成立し得る事を反証にするだろうか。高級店と格安店が、格差を見事に写像する。多数派の貧困もまた、儲けのネタになり得たのである。
ー道具の発明によって禽獣の域を脱しえた人間が、機械の発明された今日、なお貧苦困窮より脱せぬと言うのは不思議なこと。ものを作り出す力は非常に増えたが、その力が抑えられて十分に働いていない。分配の仕方が悪いのではない。十分に生産されていないのである。需要があるものに限り生産すると言う前提が問題である。金のない乞食がほしがったとてそれは重要に換算されない。
ー貧乏根絶のためには、人の心の改造が根本的に必要。心がけを変えれば、社会組織は今のままでも問題はすぐにでも解決してしまうと言う。その心がけとは、各人が無用の選択を止めると言う事だけ。奢侈品を優先生産しない事。
VIP価格があるから、庶民が安くサービスを得られる論者で有名な西野亮廣が怒りそうだ。どうでも良いが。