紙の本
専門家って
2019/03/17 16:39
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
2011年の原発事故の直後、テレビに出てくる原子力の専門家たちはほとんど楽観的だった。なかには、煙をみて「あれは水蒸気だから心配ありません」と断言していた人がいるくらいだ。でも、事実は・・・。あの当時、専門家たちは本当に楽観していたのか、楽観しているふりをしていたのかは不明だ
紙の本
タイトル通りの内容の本。
2017/09/18 20:14
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投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
初版の発行が2012年の3月。
タイトル通りの内容の本。
事故が進行形だった当時、テレビに出てきた専門家たちは、
ほとんど一貫して、事故の重大性・危険性を過小評価するような発言を行っていたことが分かる。
もちろんテレビメディアの影響力を考えれば、視聴者にいたずらに不安を起こさせない、
パニックを起こさせない、不用意な発言は控える、という基本は大事なのだが、
後から見ればになってしまうが、彼らの「解説」は、ほとんどが現実よりも楽観的なものが多かったと言える。
またテレビメディアは、屋内退避区域であっても「ただちに人体への影響はない」という政府発表の言葉をくり返し放送し、専門家の解説を通じて、
「きわめて微量の放射線量が観測されているだけであり、健康への被害はない」ことを伝え続けた。
それでいて報道各社の記者の、屋内退避区域を含む30キロ圏内への立ち入りや取材活動を自主規制した。
その圏内で屋内に退避して生活する人たちもいたのにである。
そしてそれに限らず、避難者に関する情報が圧倒的に少なかったのも特徴である。
全体的に見ると、陰謀論的な見方をしたくもなってくる。
つまり、テレビメディアはどこかからの圧力により、または自主的に遠慮をして、
結果的に原発事故というものに対しては、公正な報道ができなくなってしまっていたのではないか、という疑念である。
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福島原発の事故を、TVはどう放送していたのかを検証している本であるが、
当時のアナウンサーや専門家の発言をママ載せているようで何を伝え、何が足りなかったのか、
を検証する一端となる本と思う。
結果としては、少し前に読んだ「官報複合体」という、
こちらは新聞の方を扱った本と同様に、
発表報道に終止したという事実である。
当時から、政府や報道に対しては事実を隠蔽しているという
不信感が何となく蔓延していたように思うが、
結果として隠蔽という事になっているものの、TV報道関係者は
誰も彼も原発についての知識が圧倒的に不足しており、
そこを埋めてもらうべく登場させた専門家も知識として
知っているはずの事を認められなかったのか、
イメージ出来なかったのか、「原子力ムラ」が怖かったのか、
その役割を十分に果たすことができていなかったという事が
明らかになる。
政府もよく使っていた、「想定外」という言葉に報道関係者や専門家も
無意識的に捕われてしまっていたのではないかと強く感じた。
また、国民に無用なパニックを引き起こさない、という事が大前提にあったと思うが、
それが強すぎてしまった事もあるのだろうと思う。
本の最終章では既存メディアで出来なかった事が、
ネットの世界では出来ていた事例がいくつか紹介されている。
ここら辺の話はweb進化論とかソーシャルネット進化論辺りで
よく述べられているような事が展開される。
時代の流れ…を的確につかまなければ、生き残る事は出来ず、
眉唾ものと思われてきたモノの中から次のメインストリームが
持ち上がってくる可能性が非常に高い、
その過渡期に生きている事が感じられた。
よく言われる事だが、
氾濫する情報の中から、何を自分が汲上げて活用していくのか、
その為には自分が何を学ぶべきなのか、を真剣に考えていかないと
簡単に絡めとられてしまう怖さも同時に感じてしまった。
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恩師が書いた本。
原発事故直後にテレビ局がどんな対応してたかを分析した本。
大本営発表に基づいた報道しかできないあたりやっぱり日本のジャーナリズムは弱いのかなと。
ソーシャルメディアなんかにもちょっと触れてたけど、何が良いって一概には言えないね。
パニック回避して安心させるのもマスメディアの役割だと思うから、それ自体は間違いじゃなくて、全部似たり寄ったりなのが問題かと。
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津波報道では想定外の被害・危機を煽ってでも避難を促すのに、原発報道では「安全神話」から逃れられず最小の被害予想に縋ってしまったテレビ…テレビ報道に対する信頼回復への第1歩は、テレビ各局が自ら(この本の試みのように)この実績の徹底的な自己批判から始めなければならない。
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震災の時から、どの放送局も同じような報道しかしていないと思っていたが、この本を読むと、それがよくわかる。
テレビで報道されないことが、ネットでどのように展開されていたかなどは、メディアよる役割の違いが、放射能に限らず、他のことでも言えると思う。テレビに代表されるマスは「所有」が原則であり、ネットは「共有」だと説く。その考え方は、男の論理と女の論理の違いでもあり、女性的に考えている人が増えているというアテナドクトリンのひとつとも言えるのではないか。
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今まで読んできた、原発事故と報道のあり方の意見とそれほど変わるところはなかった。ただし、いままでの原発推進派とメディアの関係が、今回の報道姿勢につながったのではという点は目新しかった。
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本書は「福島原発事故」をめぐる2011年3月11日から31日までのNHKと民法キー4局の全報道をすべて検証したものである。よくまあ著者は800時間ものビデオに目を通したものである。
当時多くの人々がマスコミの報道に釘付けとなっていたことは当然であるが、誰もが全ての報道に目を通すことはできないのもまた当たり前の事実である。本書は、その主要な報道全てを検証したものであるが、読んでメディアというか人間の「不完全さ」を痛感した。
今までの報道でも「首相官邸」や「東電本店」の対応のひどさは様々に指摘されては来ていたが、報道機関もまた「非常時」に対応できていなかったことは、本書の検証の中で明らかにされている。
「振りまかれた楽観論」や「SPIIDIの存在を認識していたのか」等々の検証は、報道内容が実害をまねいた事実を指摘しているし、「日本テレビの爆発映像」の取扱いについても多くの問題点があったことが浮かび上がっている。
これは、報道機関もまた、原発の「安全神話」に絡め取られていたということなのだろうか。
本書は決して「反原発」の本ではないが、これを読んだ読者は「原発」を安全に運営管理することは非常に難しいという事実をデータとして認識するのではないだろうか。
メディアもまた痛烈な反省と自己改革を突きつけられていることは間違いがないが、メディアにそれができるのだろうかと本書を読んで痛感した
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大本営発表に終始したマスメディア、より自在な発信と共有が行われていたネットメディア。
ネットをきちんと使いこなしていかないと、生命も財産も守れないということですね。
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原発事故の最初の7日間のテレビ報道について。いろんな論点があったが、一番驚いたのは、専門家の楽観視した解説。テレビだと聞き流してしまうが、文字でみると、矛盾や破綻が見える。専門家としては、あり得ない!の思いが混乱をさせていたのでしょう。少し気持ちもわかるけど。
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既得権に胡坐をかき顧客をないがしろにする業界は、やがて滅びる。
今、これに一番近い業界がマスメディアであると思う。
福島原発事故後、「ただちに健康に影響はない」との政府発表を流しながら、自社の社員には30キロ圏内に「危ないから入るな」と指示した自己矛盾を突くだけで充分であろう。
NHK、民放各局の事故後1週間の報道の検証の後、独立系メディアであるIWJやOurPlanet-TVの成果を対比させられると、その違いが浮き彫りになる。
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3月11日の地震発生から
一週間の原発報道について
たんねんにたどっています。
健康に影響がない、
という政府の発表をそのまま伝えるだけのテレビ報道と
ネットでの草の根の報告をかんがえると、
とちらが本当なのかよくわかります。