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作者は自分をさらけ出して書いている。きれいごとはなし。言い回しや、古風な文体は西村さん独特の味がある。主人公の生い立ちをや困窮した状況を思えばとても笑えない話なのに、なぜか笑ってしまう。不思議だ。映画では主人公の恋愛も絡ませて描かれているが、原作では描写なし。1人の男として日下部や同僚の橋本との対比がしやすく、貫多像がより鮮明に感じられた。他の作品も読んでみようと思う。
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「苦役列車」は、タイトル通り、”苦い”小説。
主人公は歪んでいる。その歪みに目をそむけたくなるのは、おそらく、主人公の歪みはだれしもが持っている劣等感や現状に対する閉塞感を拡大したものだからだろう。目をそむけずに読まなければならない。
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は苦役列車の後の話。小説家であるのは、自らが小説家と名乗るから…とは言うものの、やはり名を成したいと考えるのは自然のこと。その自然のことを屈折しつつ受け入れる様が、やはり苦いのだなぁ。
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なんか獣臭が漂ってきそうな一冊。
作家としては面白そうな人だなぁと思いつつも、近くには絶対にいてほしくないタイプだと思う。
映画化されてあっちゃんも出演するみたいだけど、これだけでどうやって映画作るのかのかなーと。
あと言葉づかいが独特で読めない漢字や意味の分からない単語が多かった。
いろいろ勉強になりました。はい。
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映画化される芥川賞作品。
もはや、純文学は落ちぶれたひきこもり男の中にしかない、普遍性のかけらもないものであるなどと言われるが、私は「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」に、作者の小説に対する姿勢が表明されていて、とても気に入った。
最近はテレビでも個性的なキャラを発揮する西村氏だが、この人の在り方そのものが、時代遅れの純文学の生き残る道(あるいは滅んでいく道)を示している気がした。
堀木克三、藤澤清造という名も、きちんとその名を留めていく。
作家が、一部の学者の研究対象でしかなく、広く語る言葉をもたなくなることの恐さを、情報社会に生きる我々は認識する必要がある。
良い情報は、「アクセス数」と比例するのだというスタンスではない何かを持ち続けることを忘れないようにしないと。
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面白いんだけど、既にこの著者の作品を一通り読んでいるから、目新しさは無かった。毎回お決まりのパターンなんだけど、それが好き。
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この作品は人間臭さというのがよく現れていると思う。
人付き合いの下手だったり日雇いも最低限しか行かないものぐさなところとかもどこか他人事と思えないところもある。
ただ、これ映画化って・・・
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中卒で日払いの労働をやっている人間の19歳の話(苦役列車)と、40代の話(落ちぶれて袖に涙のふりかかる)
人格の歪みっぷりとその描写がすごい。
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楽しく読める話ではない。しかし純文学としては、非常に読みやすく、思わず一気に読ませてしまう処がある。この主人公のような生活はしたくない、また関わりたくもない。こんな生活を送らずにすんで良かったと、自分の今の生活をありがたく思える。そんな話であった。
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予想してたよりキョーレツに(こういう言い方が良いかわからないけど)いろんな意味で最底辺だった。ドロドロして、生臭くて、どん詰まってる。
それでも何だかんだでも生きることに執着して、這いずってでもしぶとく生き続けている貫多は普通に凄いし強い人間だと思う。そしてこの生々しさは、本人が通ってきた道だからこそ描ける世界だとも思った。
西村だから北町。賢太だから貫多。納得。
併録の短編で貫多のその後が確認出来たのもよかった。
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芥川賞受賞時から気になっていた作家。文庫化を機に読んでみた。
前日に楊逸を読んだせいか、重苦しい小説らしい小説を読んだ気にはなったが、さほど骨太ではないと感じた。
古くさい言葉が逆に軽々しく思える。言葉に頼っている気がして、書かれていること自体には凄みを憶えなかった。
また読んでみたくなるかも。
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んー、一撃一撃に鈍い痛み。軽い気持ちで手に取ると痛い目見るよ。これは読物じゃない。あと、石原慎太郎の解説文が秀逸。
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「私小説の作家」というのもやはり定期的に出てくるものなのか。最近の人(でもないが)で私が「私小説」と聞いて思い出す名前が車谷長吉さん。また一人この領域に足を踏み入れたのだな、との思いが去来する。本の中に入っていた新潮文庫の西村さんの著作のラインナップを「私小説の逆襲」と題して載せてある広告を見てもそんな風に思う。日本の小説の伝統芸の一つなのかな、と。
「苦役列車」は困窮する生活の中での、主人公の自意識をありのままに書く小説である。そんなに多くのことは書かれていないと思うし、新しい点もそんなにはないと思う。なのであるが、こういう物語をときどき欲しいと思うことがある。自分の中では、たぶん他の物語と並べて考えてみたいのだと思っている。並べてみてこの作品が輝く点を見出したいのだと思う。例えば西村さんが藤澤淸造に入れ込むような一途なまなざしとは、少し違う感じである。
言葉はそれを発してしまうことによって何かを表すことができるが、逆に何かを隠してしまうことがある、と長年の読書で教えられてきた。そういう意味では、西村さんのスタイルだと言葉は明晰なので、どこまで「掘る」ことができるかによるのではないかと思う。「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の文学賞にこだわるところの文章はかなり掘っていっているように自分には思える。こういうのはやはり凄みを感じる。
自意識は言葉によってどこまで掘っていくことができるのだろう、とそんなことを考える。
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赤裸々な私小説と言えばそれまでですが、繰り返される暴言、傲慢、軽蔑、嫉妬の類いは多少の忍耐と包容力が必要です...
友達が出来たり、その友達の彼女に性欲的妄想を抱いたり、多少の起伏はありますが、
これを映画化すると言うことは、相当な脚色が必要でしょうね...
そんなに年配な方じゃないのに、古典的な文脈のリズムとか、小難しい漢字と言い回しが多いのは独特でした。
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面白かったデビュー作や他の作品と比べると、芥川賞をあえて与えるほど面白いかは疑問に思う。
青春小説具合は西村作品では最も高く、『小銭〜』でちょろっと出てくる郵便局員の男が友人の専門学生としてメインで出て来る。
オチとしてはいつも通り常に周囲を見下して生きている主人公がつい口を滑らせて、新しく築き上げた人間関係を破綻させてしまういつものパターンだが今回はそこまでパンチが無かった印象。
併録された駆け出しの小説家として文学賞を渇望する様を描いた短編の方が面白かった。
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芥川賞受賞作品のため、事前にある程度の情報は入っていたものの、想像以上の底辺ぶり。私小説ということで、著者の実体験に則しているのだろうが、劣悪な環境下したたかに生きる主人公に人間の強さを感じた。