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何でも屋のような探偵事務所の中で繰り広げられる、依頼人と所長と助手の三人の会話で、この小説の全てが出来上がっている。会話の中で、登場人物たちすら今自分達が何の話をしていたのか分からなくなるくらいに、話がどんどんずれていく。ひとつの話題から、様々な記憶が呼び起こされて、会話の中に紛れ込んでいく。その様子は、ダラダラと書いてしまったらつまらないものになったと思うが、そこは堀江敏幸氏である。ゆるい中にも緩急がついていて、メインの話題から話がずれたとしても、時間はしっかり流れているような仕掛けがちゃんと作ってあった。
人それぞれの記憶や話し方の特徴などを、しっかりとした眼差しで捉えておきながらも、型にはめようと焦らないでじわりじわりと物語を紡いでいく。言葉、特に書き言葉でしか出来ない仕事だと思う。ただ、会話が余りにも頻繁に脇道に逸れていくので、じれったい! と感じることもしばしば。固定された舞台の、第四と登場人物としてこの場所にいることを、読者は楽しんだら良いのではないかと、読み終わって感じている。
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ある豪雨の日に探偵事務所で交わされる、探偵、事務員、そして依頼人の三人のとりとめのない会話。そこから視点が一切動かないので、まるで三人芝居を観ているような作品です。
スタイルが非常に特徴的で、短い段落の連続、そして鍵かっこなし。改行なし。句点も最低限。さらには日常ほとんどお目にかからないような単語が漢字ルビなしなので、久しぶりに辞書引きながら読む羽目に…。
そういう作品がお好きな方にはたまらないと思います。
ただ、読むときは一気読みがオススメ。会話の話題が行ったり来たりするので、途切れ途切れで読んでしまうと途中でワケわからなくなります。私もいつか再読しなければ…。
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まさに台風が来る日に読んだ。
一見つまらないような雑談が続いていく中に、本人にとって重要な話が出てくる。
終わってみると、意外な展開に びっくり。
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いつかは書かれるべくして書かれた小説といえるかもしれない。同じ作者によって何年か前に書かれた異国の河岸に係留された舟を住まいとする青年の静謐な日常を記した『河岸忘日抄』なる小説がある。その年若い主人公には故国に「哲学的な」話題を話し合える年上の知人がいて、その名が確か枕木であったと記憶する。遠く離れて暮らす二人の交流の手段は手紙だったから、枕木は名のみ知らされていただけの人物ではあったが、不思議に印象に残る人物ではあった。
バルザックの『谷間の百合』や『ゴリオ爺さん』が、それぞれ単体の小説でありながら、それら全ての小説群が壮大なスケールの『人間喜劇』の世界を作るように、作家には自分の創作した人物が独り歩きして別の小説世界を歩き始めてしまうことがあるのかもしれない。それとも、書かれていないだけで、そもそも事のはじめからそういう人物が想定されていたのかも知れない。
そこは堀江敏幸の小説であるからして、話らしい話が起きるわけではない。市井に住まう名もない人びとの何気ない日常生活におきる出来事を淡々と、しかし滋味溢れるユーモアを配した筆致でさらりと描いたスケッチに淡彩を施したような小説世界があるばかり。
主たる登場人物は三人。風に乗って潮風が海の匂いを運んでくるような運河沿いに建つ古い貸しビルの二階に、頼まれた仕事なら何でも引き受ける「便利屋」の事務所を構える枕木と、その事務所の雇い人の郷子さん。そして、事務所を訪れた依頼人の熊埜御堂という珍しい名の中小工場の経営者。時ならぬ雷雨に降り込められたかたちの三人が、雨夜の品定めならぬ四方山話に時を過ごすといった体。
「探偵」が事務所で人探しの依頼を受けるのが発端なのだから、ジャンルから言えば探偵小説のスタイルだろう。ただ、聞き手が心理療法士よろしく、どこまでも相手の話を妨げることなく聴くというスタイルで、おまけに時折り合いの手のように自分の回想を織り込んで話しはじめるものだから、いつまでたっても依頼人の頼みごとがなにであるかにたどりつかない。そこへもってきて、途中から話に割り込む形になった聡子さんが、枕木に輪をかけての話好きだからたまらない。話は右往左往し、何人もの人物に纏わるエピソードがアラビアンナイトのように入れ子状に錯綜して収拾がつかない。
どうやら枕木は、相手が警戒心を解いて自ら話し始めるのをいつまでも待つことのできる類まれなる聞き手らしい。そうして話が引き出せれば問題はほぼ解決されているというのだ。問題というのはそれを解くより、問題を提出する方が難しいものだという枕木の言葉には成程と思わせられた。薄毛で小太りの中年男という、およそ外見からは魅力を感じることのできない枕木の面倒を郷子さんがみているのもそこらあたりが理由らしい。
依頼人である熊埜御堂もまた枕木の産婆術によって自分の過去を語りだすことをためらわない。こうして、どこにでもあるような話に細やかな陰影が付され、男二人の会話には哲学的な切り口さえ仄見えることになる。もっとも、聡子さんの介入によって話が徒に晦渋になることは慎重に避けられている。このあたり作家の成長ぶりを感じるとともに、以前の堀江敏幸が少し懐かしくなったりもする。
身の回りの細々とした小物にも一言あったこの作家が提出した今回の主人公は、ネスカフェにクリープ、それにこれだけはこだわりのある赤いスプーン印の角砂糖をほうりこんだ「三種混合」なる飲み物をひっきりなしに飲む。仕方なしにお相伴する依頼人は腹具合が悪くなり、富山の薬売りの置き薬、赤玉を白湯で飲む始末。しかも、その後空腹になった三人はスパゲティとお握りを作って食べるという、どこまでもゆるい設定に堀江敏幸の変貌を見るのは評者だけだろうか。
表題の「燃焼のための習作」は、枕木のかつての依頼人の話の中に出てくる風見鶏ふうのオブジェの名前。明朗なタッチで綴られるこの小説の中で、成就されることのなかった愛を描くそこだけは唯一暗い情念のようなものがたゆたう世界が現出している。エピソードとエピソードを記憶に残る声や音、物の名前、ある種の形といった些細なものごとでつなぐ連想ゲームのような中編小説。物語性をできるだけ回避しつつ、それでいてそこにあるのはあくまでも小説でしかない、といったちょっと手の込んだ作風になっている。話の間に挿まれる風雨や雷鳴、空き缶の転がる音の精妙な描写にこの作家ならではのセンシティブな持ち味を堪能できる。善意の人しか登場しないのに、どこかやるせない後味の残る佳編である。
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雷雨のため事務所に閉じ込められた探偵と依頼人と探偵助手。この三人の会話と、時折かかってくる(あるいはかける)電話とで成り立つ物語。流れるように会話が進み、引きこまれていきます。一つの話題から話はあちこち飛んでいきますが、飛ぶ先はあくまでも日常の範囲内、つまり半径二メートル以内の出来事。依頼人が帰ったあと、探偵助手が探偵にする話もまた、自分の経験(見聞きしたこと)=半径二メートル以内の出来事に基づいています。
地に足をつけ、今できることを着実に。あらためてそう思わせてくれる小説です。
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とっつきにくくて読みにくい構成の作品だ。おそらく「難解」のひとことで切り捨ててしまう人も多いことだろう。
しかし読み進めていくうちに私は、この雷雨に降り込められた場末の事務所での、三人の男女の会話のまだるっこしいともいえるやりとりに、ひとつのカウンセリング手法を見出して感心した。
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3人の人物が1つの部屋でただおしゃべりをするという、
とても退屈な小説。という見方も出来ると思う・・・
耐え切れず、72Pで断念。
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「河岸忘日抄」以来の名作だな、と読んで数ページでわかった。そして、しかもこの作品がその延長線上にそもそもあったことも読み取れて。とてもとても読んでいて幸せな時間だった。今年、今のところ、ベスト作品だと思う。(12/6/23)
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『河岸忘日抄』の「彼」が船で思索に耽り思うところを手紙でFAXでやり取りしていたふしぎな友人、枕木さんの話ーではなく、その枕木さんは探偵事務所のオーナーで、この小説では聞き役だ。
「会話に参加して好き勝手にしゃべっていれば、なんとなく役に立っているような気がしてくる(中略)そういう気にさせてくれるのが枕木のやり方」「その鈍さを悟らせない不思議な吸引力がある」物腰の枕木さんと、その助手、依頼者が、暴風雨が止むのを待ちながら事務所でとりとめなく話している。
会話が行きつ戻りつしながら、しかしそれらひとつひとつのすべてが互いに見えないやわらかな糸でつながっているかのようなふしぎな感触を受ける。
「出会いであれ縁であれ、それは出会いであり縁であるからこそ起点のないものですよ、人と人とがある場所で会うことには、たとえそれが仕事であったとしても明確な起点はないと思いますね、誰かひとりでも連鎖から外れていたら、一分でも歩く速度がちがっていたら交錯しなかった、そういうことが日常では起こる、今日、こんな途方もない雷雨にならなければ(中略)こういう差配を、いったいどこの誰に感謝したらいいんですか」
雨夜の何とかであれば色艶めくのに、なんてつぶやきもしながら、コーヒーを飲む。彼らの話は思いやりに満ちていて、あたたかで愛おしい。ひとときの揺らぐことない安らぎがこの事務所にはあるのだった。
枕木さんは角砂糖をかじるのをほんとに控えたほうがいいよ、おもしろいからいいけど。
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なずなの記者と看護士が、枕木と郷子に重なります。外は急に降り出した大雨で、場所は、何を生業としているのか結局判然としない柏木の事務所。ストーリーは依頼であろう熊埜御堂氏との会話。密室のはずなのに、会話の背景からいくつものシーンを思い浮かべてしまいます。語られる人物の声まで聴こえてくるようです。こういう話はテレビドラマのように途中で途切れてはダメで、中断されるものがなく一気読めることが醍醐味なのだろうと思います。
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恐らく、読了までに今年一番かかった作品。
単調すぎて進まない進まない…
セリフに「」を付けない、と言う
この人独特なのか、この作品限定なのか分からないけれども、
その書き方に苦戦。まったく世界観に集中できなかったり、
進行を把握できないまま、ズルズルと読んでしまった。
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堀江敏幸「燃焼のための習作」読んだ。http://t.co/gQSLdEpk タイトルから書評集かと思ったら小説だったという、先日のとは逆のパターン。雷雨によって室内に閉じ込められた3人の語りを繋ぐ形で話は進行する。薄い本なのにたっぷりとした読み応えで満足した(つづく
地の文に話文を乗せ、句読点で話し手を切り替えている澱みの無い文面同様に、3人は拡散したり跳躍したり割り込んだりしながらも延々と語り続ける。無関係に思える話でも、それが相手の本意を引き出すこともあれば相手の話を補完することもある。独立した語りが絡み合い会話の体を成している(つづく
うちも、轢死した動物を、轢かれて轢かれて無くならないうちにとよく北大通りに回収しに行ったっけ(で、うちの庭か北大構内に埋める) あと、郷子さんタイプは永遠にわたしから遠ざけておきたい。。。がさつな性格と動作、どうでもいい内容の永遠のマシンガントーク、思慮より早く口出る人(おわり
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探偵事務所を営む枕木へ,所在がつかめない別れた妻と息子の事で相談に来た熊埜御堂(くまのみどう)さん.珍しい苗字でたまたま枕木の記憶に残っていたこともあり,話が延々と続く.外は暴風雨と雷で設定も整い,話題はあちこちに飛び火する.事務員の郷子さんやタクシー運転手の枝盛の存在も面白い.表題の「燃焼のための習作」は全編216頁の163頁にやっと出てくる.
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いい意味で堀江さんらしく、いい意味で堀江さんらしくない。
いつもよりすこしエンタメ色がつよいかな。
すてきな装丁なんだけど、しみ作っちゃったかな、ってすこし焦る。笑
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錯綜?、と捉えてみて、いや断絶か、と思い直す。堀江敏幸の文章には、いつも仕掛けが多いと感じるけれど、この小説の中で張り巡らされる糸は、どこからどこへ渡されたかが解るようなものではない。むしろ張り巡らされるための明確な意図は、敢えて持たされぬまま、言葉の行く先は宙に浮く。登場人物それぞれが、それぞれに問わず語りを繰り返す内に、話の接穂は再び宙から手のひらに落ちてくる。幾つもの物語が絡み合った風であり、それが一つの織物のようでもある。そこに多重構造的な入り組んだ仕組みを見出そうとしても、何がどうなるものでもない。そんな散漫な印象とは裏腹に、不思議と詠み手の意識は発散しつつも完全に霧散することもなく、語りの一つ一つに聞き入ってしまう。必然、言葉を辿る足取りはとてもゆったりとしたものにならざるを得ない。
ああ、新しい堀江敏幸だ。とは言え、やはり堀江敏幸の文章であることに違いはない。一つ一つの逸話のようなものが、創造ではなく堀江の随筆と同じような味わいを持っているとも、確かに感じる。主人公の友人の一人の文学者風に形容される人物が、堀江敏幸を思い起こさせもするが、むしろ胴回りの伸びきった主人公そのものが、堀江敏幸の志向する本人自身の深い所にある存在の投影とも見える。その口から出てくる言葉はお馴染みのものであるとも思えるのである。その感慨の混在が、この本にもう一つの奥行を与えてもいる。
推理小説のような展開を一応は辿りつつ、謎解きには(当然のことながら)語りたいことの本質は隠されていない。語ることそのことが最も重要なことなのである。主人公の物語る動機には、作家本人の思いがひょっとしたら重ねられているのかも知れないが、堀江敏幸はそんな一見「無」とも思える文字の羅列から、思いもかけないような「実」を引き出してみせる。全体と要素の関係を常に緊張感を持って読み進めなければならないような思いに縛られる。錯綜するかに見える物語の立体的な構造が、構造物としての面白さを直観的に感じさせつつ、構造物を構成する要素に一つ一つの味わいがある。例えば、安野光雅の旅の絵本に似た、要素と全体の関係性が、ここにはあるようにも感じる。
それにしても不思議なタイトルの本だ。もちろん、それは作中のある作品のタイトルではあるのだが、その謎めいた言葉の意味は作中できちんと解明されたようには思えない。むしろ「燃焼のための習作」という言葉の響きに、次回作の期待を読み取って欲しいという作家の思いを解き明かすべきなのではないかとすら思えてくる。回送電車のように、この主人公たちはいつかまた新しい依頼人を交えて、次の構造物を見せてくれるのだろうか。そしてその時には、堀江敏幸を思い起こさせる主人公の友人である文学者風の男は登場するのだろうか。