こんな結末とは・・・でも、これしかないかと納得もある
2020/08/08 00:18
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投稿者:とりこま - この投稿者のレビュー一覧を見る
順調に交易を進める梁山泊に、まさかの天災が襲いかかった。それを乗り切り、ついに楊令と岳飛が正面対決に突入する。
さらに、金が梁山泊に宣戦布告し、楊令と岳飛の対決に介入する。
楊令はそれでも勝つ、岳飛を追い詰める、そこで意外なところから楊令に死が・・・
無敵の楊令だか、岳飛に討たれて物語が岳飛に引き継がれるのだと思っていたが、こんな結末とは。でも、まともな戦じゃ楊令に勝てるものはいない。死ぬならこういう展開しかなかったかも、とも思った。
岳飛伝への伏線も張られているし、まだまだ目が離せない。
楊令の死でシリーズ完結。また、命を延ばされた岳飛を主役とした「岳飛伝」に続く。
2016/12/06 23:49
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投稿者:ナミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
陸上戦で南宋に勝利した梁山泊は、更に「自由市場」の交易路を確保するため南宋水軍をも壊滅させる。一方、金も中原の領域確立を目的に大軍を南下させ、梁山泊は金と南宋の間という微妙な位置関係で南宋との全面戦争を継続することになる。このような中、青蓮寺の李富は金の撻懶(ダラン)と会い何らかの密約を行う。その直後、李富は公孫勝に殺されるが密約の内容は不明のままとなる。一方、金ではウキマイ帝が「自由市場」=自由交易が国家を危うくするものであるとの観点から、「3年以内に楊令を亡き者にしろ」という勅命を残して逝去する。この方針に基づき、「自由交易」を基礎に据えた国造り手助けをしていた梁山泊の宣賛・武松らは殺されてしまう。南宋軍の中核である岳飛を討つべく全軍を挙げて攻撃に移り岳飛をほぼ壊滅状態に追い込む。その時突然、梁山泊軍の背後から金軍が攻撃を開始する。
こうして、南宋=岳飛、梁山泊=楊令、金=兀朮(ウジュ)&撻懶(ダラン)という三つ巴の戦いとなるが、抗金を信条とする岳飛は金と手を結ぶという有利な状況を拒否し、敢えて単独で梁山泊=楊令と向き合う。楊令は、岳飛を倒した後金と戦う予定でいたが、岳飛が金と連携する気持ちが全くないことを察知し、明白に楊令殲滅の姿勢を見せる金軍と先に対峙しそれを殲滅する。背後を確保した楊令軍に対し、大幅に戦力を減殺された岳飛が勝つ見込みはなく、岳飛は全滅を覚悟して楊令に立ち向かう。しかし、その直前、長く楊令の従者を務めて来た欧元(実は青蓮寺にいた周炳の従弟の周杳)に、楊令は毒を塗った短剣で刺されてしまう。死を悟った楊令は、黙って戦場に赴き、岳飛との一騎打ちに応じ、岳飛の右腕を切り飛ばしたまま馬上で息絶える。また、命を延ばされた岳飛は、本来の志は似通っているのに何故命をかけて戦わなければならなかったのかと一抹の疑問を持ちつつ楊令の亡骸を見送る。
楊令伝 シリーズ
2023/08/10 09:52
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投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
思いもよらぬ大災害が起きる。これまで積み上げてきた者が次々に失われていく。多くの仲間も。楊令は岳飛との戦いに出陣するが。まさか、まさか、という結末。
決して、今までの努力が無にすべて喫する訳ではない。人々の心に熱い何かを確実に残したのは間違いないのだから。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
個人的には、楊令は、こんなラスト……というのが感想でした。長い物語の最終回は、もう少し違う終わり方、あったのでは?。梁山泊に、天災によるアクシデント。のり越えたあと、ついに楊令と岳飛が対決というのが流れですけど……
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楊令伝読了。自由市場は…、岳飛は…、梁山泊は…。物語はそのまま岳飛伝に続くのか…。すぐ読みたいが、ここはぐっとこらえて、まず吹毛剣を読んでから。
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とうとうクライマックス。今回は、最後の局面に向けてどんどんヒートアップして、って感じじゃなかったから、いったいどうやって物語を結ぶんだろ?って思いながら、ひょっとしてガクヒ伝でもまだヨーレーは登場する?とかまで考えてたけど、最後はそうでしたか。チョーガイのパターンで。異様にあっけなく思えたけど、その後、最後の見せ場としてガクヒとの一騎打ちが用意されてたから、読後感はかなり良くなった。ヨーレー→ガクヒへのバトンタッチの場面としても素晴らしいと思ったし。これでまた、次のガクヒ伝読むのが凄い楽しみになりました。
あと、やっぱり最終巻だけあって、今回はいつも以上にたくさん逝きました…特に水滸伝からの古株、どれだけ死んだんだろ。悲しかったのはやっぱりコーソンショーとブショーで、あとリフもとうとうか…って感じでした。
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最終巻。
長かった。
何というか,すぐには言葉が出なかった。
水滸伝と較べて,哀しみを強く感じるシリーズだった気がする。水滸伝と岳飛伝の中間に位置するからかな。
白い表紙にも心打たれた。今までの全ての死者に対して喪に服してるみたいで。
公孫勝の死に様も,何だか彼らしかった。
「夢が実現していくのを,わたしは見たくない」。
本当に公孫勝らしい。
岳飛伝での梁山泊の棟梁は呉用みたいなので,シリーズ文庫化を楽しみに何年でも待ってます。
良い作品でした。
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どのような結末になるのか、ハラハラどきどき頁をめくって行った。最終巻である以上、楊令は無事ではないだろうという予感はあったのだが、意外な最期に唖然とした。それは、あまりにあっさりとした死であった。読者は、見事に騙されてしまった。無事であってくれという、一抹の期待も裏切られてしまった。でも、なぜか、清々しさが残った。
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2012年08月 06/64
ついに完結。激しい戦と眺めるのみの自然の力の対比が印象的。もう一度読みたい。
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こんな最終章、想像以上でした。
呉用の覚悟、李父の暗殺、公孫正の死
大洪水
南宋とくに岳飛との息詰まる戦い
金の裏切り、宣賛の死
そして・・・
思わずハードカバーの岳飛伝1巻を買ってしまいました。
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楊令伝の完結編
もう少しで「替天行道」の国が実現する。その実現のため、最後の闘いに挑む。多くの困難が梁山泊を襲うが、一つ一つ切り抜けてゆく楊令。そして完結。
最後は、楊令から岳飛のバトンタッチ
楊令が作ろうとした国はどうなるのか?まだまだその先を読みたい。
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楊令の死で夢は潰えたのか、いやまた次代へと風のように靡いていくのでしょう。前シリーズの水滸伝よりは儚さ、哀しさが滲む物語でした。覚悟して死を隣りに日々生き切る漢達の姿は忘れません。次シリーズ岳飛伝の文庫化までまだ何年もかかるでしょうが、じっと待つ楽しみにしたいと思います。
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うーーーん、ちょっとすべてが中途半端だったか。
新しい登場人物に水滸伝より思い入れが入りにくかった・・・・。
登場人物が多過ぎて・・・。
詰め込み過ぎか・・・。
岳飛伝。読むのどうしようかなー?
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楊令伝もついに完結です。 フィクションであるのは知りつつ、余りにも生き生きしたキャラクターの生死に引き込まれました。 続編の岳飛伝を文庫本で読むのは数年先ですが、待ち遠しいですね^^
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前作からずっと追い続けてきた人物の物語が終った。
『水滸伝』はまさに叛逆と破壊の物語であり、志のもとに集った並みいる英雄たちが、強大な権力に挑み、壮絶な戦いを繰り広げていた。克明に描かれる漢たちの強さ、弱さ、絆、愛、怒りと悲しみに幾度も胸を熱くさせ、また熾烈な策謀や戦闘のシーンでは、敵味方問わず夢中になった。
前作に対し、『楊令伝』はその緊迫感や爽快感をやや欠いた。
四散していた梁山泊の同志たちが、北の大地に消えた楊令を見つけ出し、新たな頭領を得るところから、宗教という要素を持ち出し、人間存在や戦とは何かを徹底的に追求した方臘戦、それを乗り越え究極の戦人となった童貫将軍との最終決戦まで、すなわち本作の前半部分は、いわば単純に『水滸伝』の「続き」であり、闘争の精神が息づき、全てが戦を中心にまわっていた。
しかしひとたび梁山泊が「国」となってからは、帝を持たぬ新たな国の姿として、民からの搾取ではなく交易による富で国を豊かにするための奮闘に、物語の力点が置かれる。梁山泊、金、斉、南宋と、複数の国家が並び立つも、いずれも体制が不安定であるがゆえに、戦も謀略も複雑な駆け引きを必要とし、緻密で緊張感はあるが地味で勢いが削がれた印象がある。破壊のあとの創造、国作りの物語を極めて現実的に描いているのだから、仕方の無いことではあるが。
登場人物の価値観もますます多様化し、前作で重視された「志」を真の意味で抱き続けた(つまりただ「志」を持つのではなく考え抜き深化させ実行に移した)のは、楊令ただひとりであった。これは意図的な演出で、楊令は最後までリーダーの孤独を一身に背負っていた。彼の苦悩をみるのは、彼を愛する多くの読者にとっても辛かったのではないか。また人物も増え、それぞれが個々の思惑で動くため、魅力が出るキャラもいる一方で、印象の薄いままあっけなく消えてしまう者もいて、不完全燃焼な部分もいくらかあった。
ただ、この作品で何より印象的だったのは、「誰しもがそれぞれの戦場を持っている」ということである。前線に立ち敵を倒すことだけが戦ではない。商人が物を仕入れ運び売ることも、馬飼が馬を育て鍛えることも、飛脚が情報網を巡らせ文を届けることも、役人が法を整え政を行うことも、それに本気で立ち向かう者にとっては全ての営みが戦なのだ。
私が『三国志』や『水滸伝』、あるいは60年代の学生運動の雰囲気などに惹かれるのは、理不尽な権力に対する反抗、新しい国家体制の夢想というテーマとともに、何よりも見果てぬ夢のため命がけで戦う、ということに強い憧れを持っているからである。戦争は人を傷つけ命を奪う行為であるという事実からは逃れられないが、私の心の奥にはそういう理性を超えて、ただ思うさま暴れてみたいという荒々しい欲求が眠っているのだ。決して満たされることはないだろうと思っていたが、この作品を読んで、何も剣を手に取る必要はないのだとわかった。私には私の武器があり、戦場がある。望む戦場に立つことが許されるかどうかも実力のうちであるし、出陣するなり討ち取られたりせぬよう、鍛錬を積まねばなるまい。
さて、物語は『岳飛伝』へ���引き継がれる。正直なところ、岳飛は頑固でイジイジしたところがあって、迷う余裕も無かったがゆえに決断力に溢れていた(そうならざるを得なかった)楊令に比べると、少し苦手である。しかし岳飛は、超人的であった楊令よりもさらに民に近い存在として、人間の営みの混沌のなかで、国の姿を考え続けている。それゆえに、真の意味での「民主」の姿が描かれるのではないかと、期待している。