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倦怠期の夫婦の話と、その夫の父親の話の二つが別々に語られながら交差する話。この話ではそれまでの西洋風の女性ではなく、日本的な女性が持ち上げられていたのに驚いた。細雪につながるものが見える。
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この作品は、倦怠期の夫婦が離婚するまでを描いたとよく言われるが、私はこの小説の真の主題は「ピグマリオニズム」であると思う。
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出てくるのは夫と妻と子どもと妻の恋人と妻の父とその妾とおじさんだけ。夫婦は離婚したいが、お互い受身的なので離婚もせず、どーしよーかと悩みながらただ日々が過ぎていく・・。それだけなのに、なぜ2回目を読んでしまうんだろう?
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自分達をモデルにした小説であるから故意にか、他の作品よりも一歩離れて語っているような感がある。
諸所に小道具を使って暗示させるようなところがあるが、気づいても気づかずとも面白いと思う
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お互いに、浮気相手が居る夫婦のお話。夫は妻が外に恋人をもっている事を許している。というか、推奨している。でも、妻は夫が外に女を作っている事は知らない。(多分)離婚の時期をいつにしようか悩む夫婦。すぐに離婚出来ない訳、それは息子の存在。
なんだか、漱石の家族小説みたいな雰囲気が漂う作品でした。
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思い出の品その3.恋とか愛とかの探求も大切だと思うけどハッキリしてほしいな!けじめ的にな!しかし自分も同じようなものですあちゃー
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初めての谷崎作品。粋な昔の人の生活が偲ばれる作品だった。ただ離婚するかしないか揺れる要の心情のその先をもう少し見たかった。
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終わり方がすごい。
谷崎好きなわたしでも途中退屈になったりしたんだけど、ともかく終わり方!
ええーっておもう。
でもちょっとマニア向け過ぎやしないですか谷崎先生…?
というわけで初読者にはおすすめできない。
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いろいろな小説があふれ、
毎月新しいベストセラー本が入れ替わり立ち代り平積みにされるこの時代。
そんななかで今でも読むひとをひきつけ、
共感させ、驚かせる。
どういう風にしたらこういう美しい文章を
かけるのだろうと思う。
妻は不倫。
夫は娼婦の下へ通う。
こんな話を正しい美しさで表現するのは
至難の業だ。
たんたんと進む話のなかでも
要が涙するシーンでは
胸が痛む。
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「性的不調和が原因で夫婦了解のもとに妻は新しい恋人と交際し、夫は売笑婦のもとに行きながら“蓼喰う虫も好きずき”の諦念に達して、互いにいたわりあいつつ別れる時機を待つ」(作品紹介より)夫婦の話。
別れると分かっているのに今さらのように義父の誘いに付き合う夫。仮面夫婦を演じることにうんざりした様子で恋人のもとへと急く妻。まだ小さい一人息子も二人の別れの近い事を感じているけれど何の素振りも見せない。
義父と妾にあてられて、でもその姿が羨ましく感ぜられる夫の心が面白かった。
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もごもご踏ん切りのつかない気持ちを書くのが上手ですよねー。
終わり方は細雪みたいな余韻を残す感じ。上り詰めていく終わりも好きですが、こういう終わり方も素敵。
09.08.21
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理想の別れ方
と言ってしまえば簡単だけど、
この別れ方を出来る夫婦はそう居ないと思う。
12年連れ添ったということ自体に
大きな愛が育まれており
男女の情愛は欠落していても
切れない絆がある。
心に残った一節
『要にとって女というものは神であるか玩具であるかのいづれか』
そして要にとって妻とはそのどちらにも属さない。。。
男にしか分からんことだな。と言いつつ、
女である私はその『妻』に分類されがちな
女であるということが何となく分かるこの頃。。。
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谷崎潤一郎です。お耽美です。
主人公・斯波要と妻・美佐子は夫婦でありながら
互いに夫婦としての愛情を持てず、他に愛人を持ち、離婚間近にある状態。
幼い息子・弘や、仲介人の高夏、妻の父とその愛人。
情景描写や人形芝居などの古めかしく綺麗な文章と、
なまめかしいエロチシズムと称される独特の雰囲気が特徴でした。
個人的にはお久が一番魅力的だったかな。
こういう谷崎作品のとろりとしたなまあたたかい雰囲気が結構好きです。
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初めての谷崎小説。随筆集に収められている『私の見た大阪及び大阪人』『陰翳礼讃』『いわゆる痴呆の芸術について』と併せて読むと、著者の文化観をより詳細に把握できて面白い。
話自体は、関係の冷え切ったとある夫婦が正式に別れるまでを淡々と描いた、特に何のドラマがある訳でもない地味な物語だ。起承転結のはっきりした、流れるように運ぶ小説に慣れ切っている、もしくは好きだという読者には辛い一冊。ただ、よくよく読むと実はこれが男女間の痴情のもつれを描いた話などでないことが分かる。露骨には書かれない分、著者の暗に意味するところのものに気が付いた時には、思わずぞっと怖気が立つ。この物語には、本当の「女」などいない。そこには、男が自らの趣味生活を投影する虚像として購入した、「人形」たる虚ろな女の姿しかいない。
結局、主人公の要が妻・美佐子に対し一切の感動を失ったのは、彼自身の文化的嗜好に彼女がそぐわなくなったからである。要は、元々東京人として、首都のさっぱりとした、いかにも都会的な雰囲気を好んでいた。義太夫など、京阪のいわゆる「伝統芸能」は、ずうずうしくていやらしいものとして生理的に嫌悪していた。それが、いつしか(舅とその情婦の影響だろうか)否応なしに日本の古典文化に心惹かれるようになり、中盤の淡路島のシーンを経て後、彼はすっかり昔気質の文化人へとその本質を変貌させてしまう。そうなれば、無論それまでに愛した女など糞の役にも立たない。要にとって、「女」は生身の実体などではなく、彼の趣味生活の理想を現実にあるものとして再現するための、奢侈品の類に過ぎないのだから。彼にとって、「女」とは自身のセンスを問われる写し身だ。好みが変われば身につける服の趣味も変わるように、人間として「女」を愛することのできない要は、気分によって侍らせる女の種類を変える。そこに罪悪感はあっても、真の反省はない。だから、妻の浮気にも彼は他人事のような不感症を保っていられる。彼の趣味に合うものでなくなった時、美佐子は彼にとっての「女」でなくなる。骨の髄まで芸術という病に冒された、孤独な男のそれは見上げた自慰行為ではないか?
とはいえ、心底気の毒な男だとは思うものの、物語自体に対しては個人的に好きな部分もある。とりわけ、美佐子の可愛さときたら本当にたまらない。浮気相手の阿曾と結婚の話になって、「僕は君に対して誠実になりたいから、君が夫と別れた後お互いに飽きることがないという保証ができない。だから結婚の約束はできない」と言われ、それでもふざけた間男の放言を信じて、「あたしは飽きないつもりなの」と虚勢を張っている。否、虚勢を張ることしかできないでいる。愚かで、気の毒で、つくづく最後まで救えない女だと、その可愛さだけで本当に胸がいっぱいになる。著者自身、「女」という生き物に対し言い知れない軽蔑の念があるのではないか。しかし、そんな彼が描く馬鹿な女たちは、いかにも人間らしい哀れっぽさに満ちて、読者の心を同情と共に締めつける。なんて馬鹿でかわいそうな、それでいてたまらなく愛おしげな女だろうと読んでいるこちらとしては眩暈までしてくる。
単に、これが「女」の幻影を愛することしかできない、酔���な男の物語であるというなら、これほどつまらない話もなかったろう。それでも、この単調な物語が味わい深いものに仕上がっているのは、この物語の中に著者自身の自らに向かう強烈な皮肉が込められているからだ。第一、妻を浮気相手に譲渡するつもりでいる物好きな男という主題そのものが、著者自身の「小田原事件」にまつわるエピソードを彷彿とさせる。「蓼喰う虫」とはつまり要、ひいては谷崎自身を表す言葉だ。趣味を通じてしか女を評価できない、自らにとっての「神」としての女を追い求めるだけの哀れな男。もし、著者が真実要のような男であったとしたら、女としては本当に願い下げだと思う。彼の恋は、ただの自己満足に過ぎない。理想への信仰に縛られるがあまり、彼はそこで空虚な女の微笑みを、手の届かないものとして永遠に思慕しているだけに過ぎない。
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話の途中から浄瑠璃にまつわるうんちく噺のオンパレードが始まり、なんだこれはエッセイか?というくらい小説らしからぬ様相を呈してくる。
『陰翳礼讃』や『文章讀本』とやや被っている部分も多い。
私は谷崎のファンだが、正直この作品はマニアックすぎてついていけなかった。上級者向け。