投稿元:
レビューを見る
四氏の9条に対する所感、私見。
各氏の色が出ていてそれぞれとても面白かった。
平川克美氏の文章を一部抜粋。
『憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。もし、現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。政治家が変転する現実の中で、臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。
当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うに等しい。』
当たり前と言えば当たり前だけど、議論の焦点はずらされてしまいがち。改正論議は「現代にふさわしい内容なのかどうか」を焦点にされてしまうと多くの人が誤った判断をしてしまう恐れがある。
気をつけたい。
投稿元:
レビューを見る
「宙ぶらりん」の状況のまま維持することこそが、自衛隊が「必要最小限度の実力」を超えないために必要、ということでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
正直に告白します。私はかつて、かなり急進的な改憲派でした。しかも、憲法なんて、ほとんど読んだことがないにも関わらず、です。笑止千万で、今、考えても汗顔の至りです。
10年近く前ですが、以前勤めていた会社で何度か同僚と憲法について議論したことがあります。メンバーは4人。私以外は、温度差はあれど、みんな、いわゆるところの護憲派でした。私は旗色が悪くなると、色をなして反論したのを覚えています。
時代は変わりました。世論調査では、国民の過半数が「改憲は必要」と考えているのだそうです。かつての私よりも過激に「改憲」を訴える方も、体感に過ぎませんが明らかに増えました。私は徐々に冷め、今は憲法について考えることは年に15分ほどしかありません。
ちなみに本書で平川克美さんは「憲法なんて意識しなくても、国を愛し、同胞を助け、隣人を敬って生きてゆけるのがまっとうな社会である」と述べています。同感。
かつての私を含め、改憲論者が「改憲すべし」とする、その根拠は何か。恐らく、本書で町山智浩さんが列挙する以下の諸点に絞られると思います。
①有事の際に迅速に有効に対処するため。
②海外に出兵できるようにするため。
③現実に対応するため。憲法は時代に合わせて書き換えられていくべきである。
④自衛隊は「戦力」であり、憲法九条と矛盾しているので、「ねじれ」が生じている。その「ねじれ」を正すため。
⑤「普通の国」になるため。「普通の国」には自国を守る権利があり、軍隊を持っている。
⑥アメリカから押し付けられた憲法なので、日本人の意志で書き換えるため。
⑦日本人の誇りを取り戻すため。
本書の著者たちは、これら全てに対して、「情理を尽くして」反論し、完全に論破しているように見受けられます。
全てについて書くのは紙幅が限られて…というのは言い訳で、私も多忙な身なので詳しくは書きませんが、最も根本的なことと思われる問題として、憲法9条と自衛隊は果たして「矛盾」しているのかについて、内田樹さんは興味深い考察をしています。
「憲法九条と自衛隊が矛盾した存在であるのは、『矛盾していること』こそがそもそものはじめから両者に託された政治的機能だからである。憲法九条と自衛隊は相互に排除し合っているのではなく、相補的に支え合っているのである」
含意は深いものがあります。理路はかなり入り組んでいますし、かなり長くなるので、引き写すのは控えます。仕方ありません。「現実が入り組んでいる以上、それを記述する言葉がそれに準じて入り組むことは避けがたい」(内田氏)のですから。
憲法について関心のある方はどうぞ。中途半端ですみません。
投稿元:
レビューを見る
とっても面白かったです。
四人が書いていて、それぞれに興味深かったです。でも、筆頭の内田樹さんの文章がいちばん好きでした。それだけでも、みんなに読んでもらいたいですね。
編集者が、柔らかいタイトルをつけたくなるのも分かります。とにかく手にとって読んでくれ!という本ですね。
九条改変したい、日本再軍備、そうしないと日本人の精神はシャンとしない!・・・みたいな精神論に固まっている方は、何を読んでも何を聞いても、ホボ意見が変わることはないでしょうから(笑)、九条改変について、今ひとつ自分としてはかっちりした意見を持たない人に読んでもらいたいですね。ホント。何しろ、僕たちヒトリヒトリの判断が、子々孫々の歴史に良かれ悪しかれ刻まれる日が、早晩やってきちゃう可能性もありますからねえ。そうならんことを祈りますが。
九条改変を希望するヒトが国会に大勢いて、世論を煽っている、というのは何だかいやーな気がしています。
物凄く単純に言うと、「言った言わない論」に等しい、「誰が作ったか」議論とか、純粋な精神論とか、ほとんど酔っぱらい感情レベルでよく賛成する人がいるんだなあ、と思っていました。
別に九条改変に限らず、なんにつけそうですが、大義名分はどうでもよくって、「ソレをすると、誰が儲かるのか?誰が損するのか?」ということダケだと思うんです。
明らかなのは、喜ぶのはアメリカですね。
だって、アゴでこき使える子分を、戦場にも投入できるわけで。お金、浮きますからね。あとは、兵器を売る人は儲かりますね。ほかは一体、誰が儲かるんですかね?少なくとも僕は儲かりません。むしろ、コレだけ将来に向かって国民の人数自体が目減りして、保険だ年金だって、カネが不安な国が、精神論で軍備にカネ使ったり戦争したりできるわけないじゃん、と。
で、誰が変えたがってるのかっていうと、自民党政権ですよね。
自民党政権っていうのは、戦後ずーっと、アメリカの子分であることを受け入れてきたんですよね。
国粋主義的なこと、「美しい国」とか、看板として一部ヤンキー的みなさんの支持を受けてますけど、一度たりとも、
「日米安保はもうヤメだ」とか
「アジアで同盟しようぜ、アメリカは経済から締め出そう」とか
「沖縄から出て行け米軍」とか
「なんで在日米軍の家族とかの生活費まで日本国民の税金で出すんだよ。こっちも経済大変なのにふざけんな!」とか
「なんで日本に輸出するアメリカ産食品は、アメリカ国内では禁止されてる農薬、ぶっかけてんだ?」とか
って、言ったことないんですよ。
ソコんとこ巧妙に隠してますけど、要はアメリカが自分の金を浮かしたいから、九条改変を望んでいるだけなんですよね。なんでそんな簡単なコトが一般に常識になってないんだか。
と、いうようなことを思っていたわけですね。ぼんやりと。
で、この本は、単純な平和主義九条賛歌、軍隊全否定のマザー・テレサ的観念ではないんですね。もちろん、一方でマッチョ的精神論に基づく改憲論でもありません。
経済、文化、精神、国家とは?国民とは?アメリカとは?日本の未来とは?バブルとは?バブル後とか?自衛隊とは?憲法とは?と言ったような色んな見方から、九条改変問題を分析しています。そして、努めて平易に語ってくれています。チョットでも興味があればサクサク読めます。
2006年の本ですが、全く古びてませんね。むしろ今こそ、読むべき本ですね。僕はケッコウ納得したり、ふむふむと思ったりしました。ですが、それ以上に、読んでよかったなーと思ったのは、いくつもの「へ~」があったことですね。モノの見方というより、その前提になる事実や事象。ちゃんと色んな本を読んで知識を積み上げた上で、それをどうつなぎ合わせて解釈するか、については独自の意見がある。そーゆーヒトの書いたものを読めるっていうのは、幸せですね。
トップバッターの内田樹さんの文が僕はいちばん好きでしたけど、実は2番手以降の方がより平易な語り口だったりします。手にとってもし内田さんパートがとっつきにくくても、諦めずに二人目以降だけでも読んでくださいませ。
投稿元:
レビューを見る
前回図書館から借りて単行本の本書(2006年刊行)を読んで、手元に置きたくなったので買ってみました。前回の時は安倍が「戦後レジュームの転換」を言って、国民投票法を通そう(実際通した)とした時だったが、今回の刊行は2012年の10月である。安倍のアベノミクスが全面に出てくる直前である。よって、まだ民主党政権ということもあり改憲に対する危機意識はあまり高くはない。しかし、特筆すべきは四人とも、2006年も2012年も情勢にほとんど変化はなくて、ここで行われた議論は訂正の必要がないと言っている。驚くべき自信である。よって、彼らは本文には手を加えていない。まえがきとあとがきはあるが、目新しいことはまったく述べられていない。
もちろん、一方で現実の情勢は緊迫度を増している。安倍は通常の改憲がむつかしいと見るや、96条改憲を言い出し、それも無理と見るや、集団的自衛権の解釈改憲を日程に組み込んだ。しかし、ここで展開されている、「言葉のアクロバットで護憲を言ってみる」という試み自体にに訂正がいらないのはその通りだろう。
この本の価値は「ああ言えばこうゆう」タイプのネットウヨに「ああ言えばこうゆう」ネットサヨクを対置する武器になり得る、ということだけだろう。
最初は四人の理論展開を整理しようと思っていたのだが、途中で意味のないことだと気がついた。言葉のアクロバットで攻撃してみても言葉のアクロバットが返ってくるだけと気がついたのである。
それに実は生産的な議論は、奇しくも内田樹先生推薦文付きで松竹伸幸氏が「憲法9条の軍事戦略」で始めてしまった。
ただ、ひとつだけ気がついたこと。
内田樹氏は「自衛隊は憲法制定とほぼ同時に、憲法と同じくGHQの強い指導の元に発足した。つまり、この二つの制度は本質的に双子なのである。」(33p)と言う論理で憲法と自衛隊の両立について述べているのである。これは違うと思う。
少し自衛隊の歴史をみると
1950年に「米国の軍事的利益は最大限早い時期に(米国に)提供できるよう日本の(防衛)能力を向上させること」だとし、そのためには「日本国憲法の変更は避けがたい」(米国統合参謀本部への戦略調査委員会報告)という報告を受けて、警察予備隊(1950)→安保隊(1952)→自衛隊(1954)と整備されてきたわけです。
1952年が旧安保条約の成立であり、むしろ自衛隊は本質的に安保と双子関係にあるというのが正しい見方だと思う。
「言葉のアクロバット」で憲法と自衛隊を双子関係にするのはいいけど、この文章を見る限り肝心の安保条約を頭から抜かしている。それは大変な情勢認識の誤り(敵を見誤る)なのだと私は思うのです。
2013年10月9日読了
投稿元:
レビューを見る
内田樹、平川克美の文章が出色。
「彼らに共通しているのは現実というものは、自分たちが作り出すものに他ならないという認識の欠如である。現実に責任を取るということは、現実に忠実であることではなく、現実を書き換えるために何をすべきであるのかと考え続けることである」
投稿元:
レビューを見る
憲法9条について、4人の論客がその見解を展開している。
私の中で、憲法9条の重要性は考えるまでもない。
それは、平和を願ってのことである。
はっきり言って、押しつけの憲法や丸腰外交に屈辱感を持つ意味も理解できない。
けれども、それは性善説をもとに理想論の上に成り立っている考えなのかもしれない。
というわけで、憲法改正論争のなんたるかを理解したいという思いと、論客4人のメンバーに惹かれ本書を読んでみた。
4人のそれぞれの見解に納得し、私の浅い知識がいくらか深まった。
結論を述べていない人もいたが、熟考すればするほど結論を出せない問題なのかもしれないと思う。
しかし、私自身の結論は変わらなかった。
「憲法は現実を追認するものではなく、目指すべき目標」であるということを忘れてはいけないと思う。
投稿元:
レビューを見る
■内田樹
・そもそも法律は「よいことをさせる」ためではなく、「悪いことをさせない」ためにある。「人間は放っておけば必ず戦争をする。」これを前提に、「どうしたら人間に戦争をさせないようにできるか」を考えなくてはいけない。
・9条二項を改訂して「(条件付きで)武力を行使できる。」とすることは、どう考えても「戦争ができるようになりたい」ということ。
・改憲派も護憲派も、武力を持たないことと自衛隊の正当性の矛盾の解消を求めているが、9条こそが自衛隊の正当性の根拠になっている。
・自衛隊は、憲法制定とほぼ同時にGHQの指導のもとに発足した。つまりこの二つの制度は本質的に「双子」であり、両者が矛盾した存在であるのは、「矛盾していること」こそが、そもそもはじめから両者に託された政治的機能だったことを意味している。
・憲法9条と自衛隊はアメリカが日本を「従属国化」するために採択した政略であり、「奴僕」の立場に甘んじる限り、この二つの間に何の矛盾もない。敗戦国である日本人は、奴僕国家として「正気」であることよりも、「人格分裂国家」となる道を選択したことによって、独立国として生き延びることができた。
・この病気を直すことよりも、この病気に向き合い、病とともに生きるというあり方が日本人が選びうる最適なソリューションではないか。
・9条を改正しても、アメリカとの従属関係が改善されることはない。むしろ、アメリカは9条廃止を黙認し、増加した国防予算で米製兵器の大量定期購入を要求してくるはずだ。
・改憲しても、改憲派が求める「普通の国」には慣れない以上、確信犯的にあえて病み続けるべき。
■町山智浩
改憲派の掲げる改憲目的
1有事の際に迅速に有効に対処するため
2海外に出兵できるようにするため。集団的防衛、国際貢献に必要。
3憲法は時代にあわせて書き換えられるべき。
4自衛隊は「戦力」。9条との矛盾を解消する必要あり
5自国を守る権利を持つ「普通の国」になるため。
6アメリカから押し付けられた憲法なので、日本人の意志で書き換えるため。
7日本人の誇りを取り戻すため。
・1、2は口実でしかなく、改憲派の本音は6、7。
・「平和憲法があるのは世界中で日本だけ」は間違い。「平和」や「不戦」を謳う憲法は120カ国以上ある。ただし「すべての戦力の保有を否定」は日本だけ。
・「60年も改正されていないのはおかしい」というのも嘘。ドイツは、憲法5条「表現の自由」で、憲法批判さえ認めていないし、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言にあたる憲法の基本理念部分は、未来永劫書き換えることなどできない。
・軍隊には実は戦争よりももっと重要な役割がある。国民を作ることである。本来「国民」は「民族」ではないが、日本ではその認識が明確になっておらず、偏狭なナショナリズムが台頭する恐れがある。国民というアイデンティティが民族というアイデンティティを押しつぶさないよう、両者を分離して考える必要がある。
・改憲したとして、徴兵制のない、65歳以上が人口の4割を超える老人国で、だれが兵隊になるのか?
・欧米で���徴兵制度の廃止に反対しているのは、日本とは逆に、リベラル派である。それは、職業軍人だけに軍隊を独占されるのは危険だから。国家権力の横暴を防ぐためのものでもある。
・「そんなに軍隊を持ちたいなら持てばいいが、その場合は自分もちゃんと兵隊やれ」それができないのであれば、別の方法で極東での地位を確立した方がいいのではないか。
投稿元:
レビューを見る
これ!絶対みんな読んだ方がイイ!!
全文引用して書き留めておきたい内容。
憲法なんて、現実と乖離してていいんだって!
そこ、共通の認識にしようよ。
投稿元:
レビューを見る
今の私はTVに映る自信に満ち溢れた〇〇の顔を見るのも嫌で、反吐が出そうです。こういう態度は反知性主義の最たるものでしょうが、この激情は自分自身ではとても抑えがたいものです。ですから、内田樹氏や鶴見俊輔氏の仰ることを鈍い頭でなんとか理解し、気持ちを鎮めておとなの振る舞いをしようと努力しています。でも、政府のあまりの蛮行に地団太を踏み続けすぎて、とうとう椎間板ヘルニアを発症し、手術することになりました。今の政府は私にとって毒以外の何物でもありません。
投稿元:
レビューを見る
「改憲論議」の閉塞状態を打ち破るには、「虎の尾を踏むのを恐れない」言葉の力が必要である。四人の書き手によるユニークな洞察が満載の憲法論! (アマゾンより)
憲法がこのままで何か問題でも?(内田樹)
改憲したら僕と一緒に兵隊になろう(町山智浩)
三十六計、九条に届かず(小田嶋隆)
普通の国の寂しい夢(平川克美)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は大学の一般教養で憲法を学習して以来、御無沙汰だった人間なんで・・・たくさんある憲法・9条本から何を読もうか、アマゾンのレビューを参考に選んでいるんですが、この本は賛否両論でそれほど期待してませんでした。
読み終わって。
良かったです。
9条について初心者だから良かったのかもしれません。「どこかで聞いたことがあることばかり書いてある」と酷評している方がいましたが、私はどれも初めて聴くようなことばかりだったので(苦笑。
(介護にあけくれている間、いろんなことがあったんだなあ・・・としみじみします。)
4人のどの方の憲法論も勉強になりました。特に私は内田氏と町山氏が好きです。語り口がやさしくておバカなワタシの脳ミソにもスンナリ入ってきます。
ブクログの引用で書ききれない部分は、いつものようにノートに書き写しorコピーして貼りました。
いつか、私の脳ミソにしっかり理解できるようになるまで(オバサンは年とるとスグ忘れちゃうのよ)ときどき読みたいな、と。
オススメです。
(憲法や9条の本で他にオススメがあったら、是非教えてください。)
投稿元:
レビューを見る
基本的に9条を肯定、又は少なくとも現在の段階では肯定する人たちの意見でまとめている。読むとそれなりに説得力はあり、変える必要はないのでは、と考えさせられる。
投稿元:
レビューを見る
内田樹の本かつ憲法関係ということでよんでみた。
そもそも憲法って何のためにどのように決められているのか、という予備知識が自分にあった方がよかったので、今後別の機会に勉強しておきたいと思った。
だいぶ前に読んだので、微妙な要約だけど
内田樹:憲法9条と自衛隊の矛盾を正す必要はないし、そもそも実態と法律が矛盾している憲法なんていくらでもあるし、矛盾を内在しながらも維持していくことが大切
町山智浩:おもしろかった
いろんなトピックを述べていてまとめるのは難しいけど改憲するなら皆徴兵されるべきという意見でそれはごもっともと思った 憲法改正して軍隊は持つけど自分は戦争にいきたくないなんて示しがつかない 日本人の母親から日本で産まれただけで日本国民といえるなら全然立派なものじゃないね
小田嶋隆:現実の社会を動かしているのは、多数派に属する人々 すなわち、無知で短絡的で時に感情的な市井のテレビ視聴者たちなのだ。というところがそうなんだよなーという感じ。自分を含め
日本対中国のサッカーの試合から考察
平川克美:なんやったっけ
投稿元:
レビューを見る
むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
ご存知、井上ひさしさんの「名言」です
さて
「九条のお話し」
まさに
「九条をどうすべきか」
「九条を考える」
「九条を堅持する」
「九条を打破する」
などではなく
ー九条どうでしょう
というタイトルそのものに
井上ひさしさんの提言が
そのまま
日常の言葉で
日常の文脈で
こういうことは考えていきたい
ものです
投稿元:
レビューを見る
護憲の立場を明瞭に掲げる4人の論者が、従来とはちがった切り口から憲法九条の改正を求める声に対する反論を提示している本です。
著者の一人である内田樹は、「まえがきにかえて」のなかで、「どこかで聞いたような話」になってはあらたに本を刊行する意味がないといい、「これまでの論者たちとは違う視座からの論考」となることをめざすことを述べています。こうした意図は、かなりの程度果たされているといってよいと感じました。4人の論者のいずれも、改憲派も護憲派ともにおなじことをくり返すばかりで、スタック状態に陥っているかに見える憲法九条をめぐる議論状況に新鮮な空気がもたらされるのであれば、こうした著者たちの試みは歓迎するべきなのかもしれませんが、正直なところでは文体も含めて奇をてらっているかのように見えてしまう点もありました。
わたくし自身は、内田の議論を読むことが本書を購入した目的だったので、その点にかぎって気がついたことを記します。内田の論考は、心理学者の岸田秀の考察を受け継いで展開されています。岸田は、ペリーの来航以来の日本人の集団心理を、「内的自己」と「外的自己」が分裂してしまったと考えます。この議論は、加藤典洋の『敗戦後論』に受け継がれ、それに対して高橋哲哉が批判をおこなったこともよく知られていますが、内田はそこには立ち入らず、岸田の議論にまで引き返して、精神分析的な方法にもとづいて考察を展開しています。そのうえで、集団心理における解離症状から疾病利得を獲得し、戦後の平和と繁栄をきずいた日本人の賢明さを、むしろ肯定的に受け入れようとしています。
内田自身は護憲の立場を鮮明に打ち出していますが、憲法をめぐる議論がスタックしている現状そのものについての、いわばメタ的な観点からの解釈として理解することもできるのではないかと考えます。