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上巻に比べると、下巻のが愛に溢れていると言うか、夢のような?物語的な話が多いと言うか。それぞれの話が、あるつまらない女の一生。以外は、結婚に結びつく話しで、まぁ、もうそれがね、夢のようなと言うのじゃないけど。こんな年で、なにを言っておる、なんだけど。も。合間合間に入る、詩の半分は、一次大戦で戦死したウォルターの詩で、暖かく変わらないブライス家の炉端だけれども、アンにとっては、どこか全く変わってしまったというのが、ありありと見て取れて、それがなんだか…でも、アンは変わらず、アンだった。
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大戦(第一次世界大戦)が終わってのちの話だったのでアン一家の詩朗読と会話はウォルターの詩と悲しい会話が多かった。
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第一部では幸せに満ちていた、ブライス家の語らいも、
第二部では、ウォルターを偲ぶように、哀しみに包まれています。
本当に、優しくて、美しい魂の持ち主だったウォルター・・・私は大好きでした。
あのアンに孫がいるというのも、物語とはいえ、時の流れを感じます。
本書の訳者、村岡美枝さんが、既出シリーズの伝説の訳者・村岡花子さんの、お孫さんというのも感慨深いですね。
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この時代に「赤毛のアン」シリーズの新作が読めるなんて思わなかった。それだけで奇蹟。何度も読み返したシリーズ全10巻は村岡花子氏訳だが、この11巻がお孫さんだというのも歳月を感じる。訳者が変わると雰囲気が一変することは普通だけれど、違和感なく読めた。
短編と詩で連なった内容には、アンシリーズのとはいえ驚くほど恨み、哀しみ、死にまつわるバッドエンドが多い。でも、ブライス家恒例の詩の朗読や、オールドミスをめぐる老若男女の物語など、やはりユーモアも溢れていて、ニヤニヤしてしまう。スーザン最高!
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ブライス家がちらちらっと出てくるのや詩の合間の会話が好き。
プリンスエドワード島に住む人々がいろいろな方向から描かれてる。
これがアンシリーズの最後かと思うとあとがきまできっちり読んだ。
もう一度赤毛のアンから読み直したいなあ。
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アンシリーズ11(下)。上巻に引き続き、アンの周りの人々を描いた物語。赤毛のアンシリーズを読み返したくなった。
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アンも年を取っていくんだなぁと思いながら、詩を読むとまだまだ赤毛のアン時代を感じさせてくれる気がします。でも、同じ名前で孫が出てきたりすると、どっちの話?と思ってややこしかったです。
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上下巻に別れているが、下巻は、グレンおよびブライス家の人たちの噂話範囲の二つの大きな物語、そして(おそらくはアンとギルバート亡き後の)グレン、それにウォルターの記憶で締めくくられている。
モンゴメリ作品の明るさに慣れていると、底流に流れる人生への不信感に似た感情、戦争に対する強い絶望に驚く。第一次大戦で心に大きな傷を負ったモンゴメリにとって(そして、ウォルターの崇高な魂を受け継ごうとした、フォード夫人として出てくるリラにとって)堪え難いものだったに違いない。最後を締めくくっている、ウォルターの詩として出てくる苦悶は、モンゴメリ自身のものだったのだと思う。
リラを読んでいると、その後に来る愚かしい大戦の存在を知っていると、居たたまれないほど苦しく、哀しい。直接は知りはしない自分でさえそうなのだから、「体験」した彼女の絶望は計り知れないものだったのだと思った。
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あとがきにもあったが、今回の作品はモンゴメリらしくない。下の後半から2部に入るが、それはアンの息子ウォルターが戦死した後という設定である。そのため、悲しみの詩がほとんどだ。合間の短編小説には、引き続きアン家族の話題が出る程度で本人たちはあまり出てこない。しかも、アンの孫の世代の話も出てくる。今回の作品でアンシリーズが終わってしまうことは残念だが、シリーズ11巻をすべて一気に読み返したら、またプリンスエドワード島の風景を想像させ新鮮な気持ちに返ることが出来るだろう。
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前半は上巻と同じく、詩とブライス家の人々の軽い会話と短編。
1/3程読み進め、第二部に入るとウォルターが戦死した後の設定になり、詩もブライス家の人々の会話も重く暗いものとなる。
短編に登場する人々は従来と同じように偏屈な老人であったり純情無垢な子供であったり恋する女性であったりするが、従来作品のように微笑んで読める出来事では少なく、心の奥深くのタールのように暗く淀んだ心理を描きだしたものが多く感じた。
明るく快活な女性像を描くモンゴメリの作風にしてその裏面のような本書作品に、本書原稿を出版社に届けた直後に自殺したモンゴメリの心理を映しているのだろうと思わずにいられない。
幾多の大戦の時代を迎え、明るい気持ちでいられない時代を憂えたのか、自身の分身であるアンも年老い時代の波に飲み込まれてしまったことを憂えたのか。
それとも遺作という思いがそのように感じさせているのだろうか。
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赤毛のアンのシリーズを夢中になって読んだのは、中学生の頃だったか。大人になり子供が出来て読み返した時、「アンの夢の家」まではなんとか楽しみながら読めた。しかし、「虹の谷のアン」で、胸が苦しくなり、「アンの娘リラ」は、とうとう読み返すことができなかった。ウォルターの死が、小説の中の出来事としても受け入れられない事だった。自身がアンと同年代となり、感じ方が違ってきたのだろう。この本も短編小説は、読めたが、詩の部分は、読めなかった。永久に無理な気がする。
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2016.4.10読了。『アンの想い出の日々』の下巻は戦後になってお上巻とは雰囲気がガラリと変わる。特に詩の朗読の後のアンの家族とスーザンの会話に暗い影がうかがえる。この巻ではアンの息子であり才を最も受け継いだウォルターの詩も掲載されている。その為作詞者の名前は詩の最後に書かれてるからアンの詩かな?と思ったらウォルターの詩だったり、逆もあったり。ウォルターはアンの才を本当に受け継いでたんだなと思う一方でたとえ物語の中の人物であっても戦死が本当に悲しかったし悔やまれた。上巻ほど過激な内容はないが人々の様々な事件がこの巻でも描かれている。アーシュラみたいな人生には憧れるな。周囲にはつまらない人生を送ってるように見えてたけど、人知れず大恋愛をして影で我が子を見守り支え時には助け誰も知らない自分だけが知ってる幸福の中で静かに息を引き取る。羨ましいし私にはかっこよく思えた。アンの孫の代の話まで読めてとても長い時間を過ごした気がする。私がアン・シリーズを読んでこれを読み終わるのにかけた年月は間にかなりの空白はあるものの6年だ。でもそれ以上の時間を読んだ気がする。私が生きているうちにこの2冊が読めて本当に良かった。
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これでおしまい。第二次世界大戦まで来ると、知っている人の暮らしまで来た感じがしてつながる。一番上の大叔母がリラとほとんど同じ年。祖母の世代がちょうどリトルジェムたちの世代。カナダに行ってみたい。
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もうじき読み終わるこの本
たしかに
いままでのアンシリーズとは違う!
暗くてシャープな小編の数々
こんなに斜めに、意地悪く人間を見ていたのか
やはり作家魂はあった!
というのは失礼か
アンシリーズは10冊と思っていたのも
一冊目の『赤毛のアン』は傑作
まあ読み返すのは『アンの青春』までかなぁ
とも思っていたわたし
だから
お気軽で楽しければいいのよ
の、わたしの意識を変えたこの著作が
本国カナダでも作者死後67年後の
2009年になって日の目をみ
日本語に訳されたのが2012年の11月で
はじめて『赤毛のアン』を読んでから
58年後にやっと遭遇したのだった
という因縁めいた時代の隔たりはどうでもいいが
なかったものが現われたのには
ちょっとセンセーショナルにして意味深長
モンゴメリの最後(亡くなりかた)の謎も含めて
作家と言うものは、、、精神がおかしくなっても仕方ないのか
感慨深し
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「赤毛のアン」は中学時代 全巻を友人と回し読みした事があり
懐かしくなってこの本を読んでみました。
半世紀以上前に読んだ本の後のシリーズで 名前を忘れていた人も
あったけど 懐かしかったです。
本文は アンと息子のウォルターの詩と家族の感想に挟まって
短編が入っている形式。