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芥川のアフォリズム集。気取ることと短いものを書くことにかけては人後に落ちない彼の結晶したような箴言。ただ、少し世界を彼流に切り取りすぎた。
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物語はあんなに簡潔明瞭なのに、思想を語るとどうしてこんなにわかりにくいんだろう。・・・自己完結した、人に理解されることを目的にしていない文章って感じがする。
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えぇっと厳密には侏儒の言葉しか読んでないです。
西方の人は半分ぐらいまで読んで、ええわ・・・って思ってやめました。
侏儒の言葉はね、いろいろな文や小説ちっくなのがあって読みやすかったです。
なんか、芥川龍之介はこんな風に考えててんやってその人を少し伺えてこれはこれでおもしろかったです。
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「不倫はしてもいいけど子供に迷惑かけるのは許せない」みたいな言葉があってどきん。普通の人じゃん芥川!すき!
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伊坂幸太郎の「チルドレン」の中に引用があったので「侏儒の言葉」だけ読んだ。アフォリズムも芥川作品も初めて読んだが、かなり面白かった。「罪」についての部分が心を突いた。
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鋭い感性で人間を語ったもの。
彼の思想に全て賛同する必要はないけど、読めば彼の世界が少し近づくかも。
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☆1つなのは、自分の責任。ごめんね、芥川龍之介。この作品を楽しめるほど、キリスト教についての知識を獲得できていないのです。ちゃんと勉強していつか、ちゃんと読むね。それまで本棚に置かせてもらいますね。
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☆200611月21日読了。
っつっても、注解多すぎ!!
適度に読み飛ばし斜め読み。
適度が本当に適切かどうかは私もわからんw
伊坂幸太郎のなんか本、、、名前忘れた・・・を読んで、読んでみようと思った。
がっ!わけわからんーところがたくさんー。
シュジュなんて言葉初めて知ったよ。
しかも、これを読んだ後、また別の本を読んだらそれにもこの本のことが書かれてて、当たり前のことらしいことにチョット凹んだ。
また読み直せ自分。
補足:チルドレンだ。チルドレン読んだんだった。
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「道徳は便宜の異名である。左側通行と似たものである」とか「良心とは厳粛なる趣味である」とか知的孤独から抜け出せなくなるような言葉をたくさん教えてくださる。
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凄い好きです…!ただ侏儒の言葉のインパクト強すぎて西方の人の内容が脳内から吹っ飛んでるという不義。
知性不足でおっつかない部分もあったけどかなり影響されたのは間違いないです。
侏儒の言葉・輿論・鴉・或仕合せ者あたりが凄い印象深い。ゾッときたのは若楓・彼の幸福・わたし。
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読もうと思ったきっかけは伊坂幸太郎の「チルドレン」(笑)
うん、面白かった。好き。ちょっと難しかったけど。少し時間がたったらまた読み返したい。
あたりまえのことなんだけど、このひとに言葉にされて、どきっとなりました。
「侏儒の言葉(遺稿)」のほうが自分の中に入ってくるものが多かったかも。
西方の人はちょっとよくわからなかった・・・。でも友人のことを話すような語り口でふーん・・・?とか思いながらとりあえずじっと聴いてました。
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侏儒の言葉
芥川の思想では無いと言っても、そう受け取ってしまう言葉の数々。
又
難解な部分もあり、手放してしまおうとしてしまった言葉たち。
又
それでも、ふっと読むと何となくニヤリとしてしまう部分があり、赤線さえ引いてしまう。
又
引き込まれる世界は、やはり芥川龍之介。
西方の人
芥川によるキリスト論というか新約聖書物語?
又
解説がついているが、「マタイ伝のどこそこ」というような書かれ方をしているため、手元に聖書があると、内容がさらに理解しやすいであろう。
又
もとより、聖書の話を理解してから、読んだ方がより一層楽しめる。
三浦綾子などの聖書入門書を読んでからでもよいが、新訳聖書の「マタイの福音書」を通読してからだと、趣深い作品となろう。
又
芥川の切支丹ものをまた読みたくなった。
又
畢竟、彼の作品は素晴らしい。
又
私にとっては学生時代以来の芥川龍之介作品であった。
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「天才とは僅(わず)かに我我と一歩を隔てたもののことである。只(ただ)この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html
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侏儒の言葉だけ読みたくて買いました。
思ったことは
考えられていることはいつの時代も変わらないのだなぁ、と。
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(2008.07.27読了)(1998.09.15購入)
「侏儒の言葉」「西方の人」「続西方の人」の3作品が収められています。
いずれも小説ではありません。
「侏儒の言葉」は、「警句集」とでも言うようなものです。「文芸春秋」の巻頭に連載されたものです。何度も読み直して、味わうような読み方をするのがいいのでしょうが、とりあえずざっと読み通しました。
「良心は我我の口髭のように年齢と共に生じるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するものである。」(12頁)
「我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。」(13頁)
「芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。」(20頁)
「シタアルタは王城を忍び出た後六年の間苦行した。六年の間苦行した所以は勿論王城の生活の豪奢を極めていた祟りであろう。その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかしなかったようである。」(27頁)
「政治的天才とは彼自身の意思を民衆の意思とするもののことを云うのである。」(28頁)
「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。」(33頁)
「我々に武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。」(91頁)
「西方の人」「続西方の人」は、キリストおよびその周辺のことを考察した作品です。「西方の人」は、自殺前に発表された最後の作品、「続西方の人」は、最後に書き上げた作品です。この作品を書き上げた後に自殺しました。したがって、「続西方の人」は、死後に発表された作品です。
「クリストは古代のジャアナリストになった。同時に又古代のボヘミアンになった。」(119頁)
「我々を造ったものは神ではない、神こそ我々の造ったものである」(グウルモンの言葉)(123頁)
「若し共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉は悉く共産主義的宣言に変わるであろう。」(142頁)
著者 芥川龍之介
1892年03月01日 東京府京橋区入船町生まれ
東京帝国大学英文科
1916年 『鼻』が夏目漱石に絶賛され文壇に登場
大学卒業後、横須賀の海軍機関学校で英語教師を務める傍ら執筆活動
1919年 文筆に専念するために教職を辞し、
原稿執筆の契約のみという形で大阪毎日新聞社に入社
1927年07月24日 35歳で自殺
(2008年8月1日・記)