紙の本
“The Sense of an Ending”
2016/09/17 19:36
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとなく装丁が好きな新潮社クレストブックスから。
ジュリアン・バーンズの、4回目の候補にしてやっと受賞した2011年のブッカー賞作品。
それだけで「ちょっと難解かな?」と思わせるけど、200ページに満たない長さと<私>による一人称ということでハードルが下がった感じがして、読んでしまった。 一文一文読み飛ばせないかすかな緊張感をはらんでいるので、中編なのに思いの外、時間がかかってしまいましたが。
<終わりの感覚>・・・それは人生の終わりの気配を感じ始めたこと、年齢を重ねていくことで過去の自分がしでかしたことを違う記憶で塗り固めてしまったことすら忘れてしまうこと。 過去の自分と今の自分は物体としては同じ人物なのだけれど、ある時点を境に中身は別になってしまうこと。 それを成長と呼べるうちはいいのかもしれないが・・・。
60歳を過ぎて仕事も引退し、現在はボランティアなどして時間をつぶしている語り手のアントニー(愛称トニー)による、若き日々(主に60年代)をとりとめもなく回想していく物語。
高校で出会った悪友たちの中でも特別な存在のエイドリアンとのこと、生意気盛りの青年未満たちが背伸びしてあえて挑発的な意見を教師たちにぶつけたり、当時はかっこいいと思ってやっていたことが実に最悪な空気を生んでいたり。 大学に進んで、付き合い始めたベロニカとの日々は結局彼女に振り回されて終わったと認識しているけど本当にそうなのか?
純文学テイストですが、<信用できない語り手>によりミステリ度が高まっています。
ある日、ベロニカの母からトニーのもとに遺品が贈与されることに。 それによってトニーが忘却の彼方に葬り去ってしまっていた・もしくは改変されてしまいこまれていた記憶が炙り出される。 深い意味のない、当時の自分がそのときの感情の赴くがままに書いた手紙がある人物の人生に大きな影響を与えることになっていたとは・・・という恐怖。
それはあたかも身近に起こるバタフライ・エフェクト。
人と人との繋がりはときに微笑ましく、プラス面で語られることが多いけどそればっかりなわけはなく。 いちいち覚えていたらこっちの気が狂うから記憶を変容させているけど、沢山の人を傷つけてきてるんだよなぁ、その分、こっちも傷ついてるけど。
トニーはインテリの割に実行力のない男性によくあるタイプで、彼の繰り事にはいちいち同情できないが、しかし形は多少違えどそういう要素は誰にでもあるので、読んでいてグサグサと突き刺さってくるものがありました。
というわけで、大変ブルーな読後感であります。(2013年11月読了)
紙の本
ラストの重さがずしんとくる。
2015/09/04 16:32
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投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
途中までは主人公男性の愚痴の連なりにややうっとうしさを覚え、ざくざくと読み進めたのだが、後半でかなりの衝撃を受けた。といってもミステリの謎解きのようなすっきりさっぱりする驚きではなく、根源的で、ぞくっとするような驚きである。
主人公の男性が昔の執着にとらわれ、必死にコンタクトをとろうとした女性には、実は自殺した彼の友人との間にできた子どもがいた。そしてその子どもは身体障碍者だった。この子どもにまつわる事実が、主人公が昔の知り合いに接触するうちに判明するのである。その女性は、自殺した友人の遺産から贈られた金を「血の報酬」と呼んでいた。それはなぜか。その理由を知る時、どんな思いで彼女がその事実を受け止め、子どもの面倒を見てきたのかもわかる。読んでいて、ぞわーっとした。
謎めいていた彼女の行動はそこで解き明かされる。けれど、その心の底は窺い知れない。小説の末尾にあるように「すべては混沌」としている。後味は悪くないが、ずしんとした重さの残るラストだった。
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168ページ以降が不満だ。
そこまでがよかっただけに、そしてラストもよいだけに、残念だ。
なぜこの子がマイナスの存在なのか。そこが不満だ。
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主人公のぐるぐるっぷり。老年ならではの老年論や、人生を俯瞰した意見と、どんでん返しのあるストーリーとの絡みが面白かった。
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(借りた本)
新潮クレストの本は同じような匂い、日本語、雰囲気がいつも漂っている。それはこの美しい装丁、紙質、文字のフォント、行間全てが読者に“新潮クレスト”の本を読んでいる感、を意識させるからだろうか?
ブッカー賞受賞、土屋政雄訳と聞けば、ある種の読者は読まずにはいられない気分にさせられるだろう。しかし内容は少年の日のリアルな思い出、同級生の死、ガールフレンドとの手探りな関係、覚えたての哲学者の言葉をからめる幼い詭弁。むず痒く、居心地が悪くなるようなシーンが続く。
後半、大人になった主人公は別れたガールフレンドの母親から謎の遺産が相続される。ここから過去の記憶を照らし合わせながら、前半のあの時のあの場面にはどういう意味があったのか読者に認識させるという小説の技法。
ミステリーと言えるほどではない、しかしこれは、なかなか気が付かないことなのだ、おそらく男性は。女性は理解して欲しいと願い、それを口にすることは出来ない。
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高校時代の歴史の時間、老教授の「歴史とは何だろう」という問いに、主人公トニー・ウェブスターは「歴史とは勝者の嘘の塊です」と答えている。斜に構えて見せたつもりだろうが、紋切り型の使いまわしにすぎず、主人公の凡庸な人となりを現している。老教授は「敗者の自己欺瞞の塊であることも忘れんようにな」と生徒を諭す。同じ問いに主人公の親友エイドリアンは「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」と、先人の言葉を引用して答える。この問答が、この小説の主題である。
今は引退し、平穏な生活を送っていた主人公のところに、かつての恋人の母親から遺産として500ポンドとエイドリアンの日記が遺されたという手紙が届く。エイドリアンは高校時代の憧れの人物であったが、別れた恋人ベロニカが自分の次に選んだ相手でもあった。何故エイドリアンの日記がベロニカの母の遺品となっているのか?また、その日記がなぜ送られてこないのか?主人公は疎遠になっていたベロニカの消息を尋ね、やがて衝撃の真実を知る。
60年代に青春時代を過ごし、一流とまではいかないが、二流の上くらいの人生を生きてきて、今はボランティアなどしながら余裕のリタイア生活を送っている。良くも悪くもない平均的な人物の代表のようで、同世代の読者からすればまるで自分のことを描いているように思わせられる。
たとえば、彼女のチェックを受けるレコード棚の話。彼女が毛嫌いするチャイコフスキーの『序曲一八一二年』と『男と女』のサントラ盤は隠してある。問題は大量のポップスだ。ビートルズ、ストーンズは許されるが、ホリーズ、アニマルズ、ムーディーブルース、それにドノヴァンの二枚組みアルバムは「こんなの好きなの?」と言われてしまう。このあたりでニンマリするご同輩も多いのではないだろうか。
齢を重ねれば、誰にだって一つや二つ心に突き刺さった棘のようなものがあるにちがいない。ただ、それは時の経過とともに記憶の劣化作用を受け、尖った角はまるく削られ、その上を幾重にも皮膜が被い、かつてあれほど感じた痛みを感じなくなってしまっている。
この小説は、それを一気にひっぺがす。小説は読者を問い詰める。いかに矮小であったにせよ一人の男の人生もまた歴史である。おまえのそれは「敗者の自己欺瞞の塊」ではなかったか、「不完全な記憶が不備な文書と出会ったために生まれた確信」に過ぎぬのではないか、と。臆病で、面と向かって真実に向き合う勇気がなく、日々を無事に送ることだけを念じ、面倒なことに背を向けて生きてきた結果としてある平和な老後。それが如何に欺瞞に満ちた偽りの平穏であるかを暴き立てずにはおかない、これは残酷な小説である。
周到に準備され、張りめぐらされた伏線、後の事態を暗示する象徴的な事件、結末に用意された衝撃のどんでん返し、と上質なミステリを読むようなサスペンスフルな展開。『フロベールの鸚鵡』などで知られる、どちらかといえば既成の小説の枠を越える小説を書いてきたバーンズだが、それまでの実験的な作風を封印し、人生に真正面から切り結んだ実に小説らしい小説である。2011年度ブッカー賞受賞作。
蛇足ながら、ドノヴァンの二枚組LPのタイトルが『花から庭への贈り物』と訳されている。“a gift from a flower to a garden”だから、訳としては正しいのだが、発売当時の邦題は『ドノヴァンの贈り物/夢の花園より』だった。当時のファンとしては、邦題でないと、あの民族衣装風の装いをしたドノヴァンの姿が浮かんでこないのだが、今の読者にはどうでもいいことなのかもしれない。
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先日ラジオの書評を聞いて、矢も盾もたまらず買ったジュリアン・バーンズ「終わりの感覚」。
直ぐ読みたいのに、読んではいけないような気がして、数日躊躇していたけど、結局は3日をかけて読んだ。
未読の人の興を損なわぬ範囲でどんな物語か紹介すれば、60歳代となった男性の、自分でも無意識に封印していた40年前の旧悪が遠回しに他人の手によって暴かれるというものだ。
どんな小説も基本的なテーマは人生の意味を問うものだろうが、切り口は様々。
ここでは、「記憶」や「時間」がそのツールだ。
その中から興味深いセリフを抜書きしよう。
●歴史の先生の質問に主人公トニーが答える。
「歴史とは勝者の嘘の塊です。」と私は答えた。少し急ぎすぎた。
「ふむ、そんなことを言うのではないかと恐れていたよ。敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな。」
●秀才エイドリアンの同じ質問に対する答え。
「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である。」
●晩年のトニーの述懐
「記憶は、飛行機事故を記録するブラックボックスのようなものだ。墜落がなければテープは自動消去される。何かがあって初めて詳細な記録が残り、何事もなければ、人生の旅路の記録はずっと曖昧なものになる。」
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自分の経験や問題意識とも重なっているので、これはていねいに読んだ。一晩で一気呵成に読んでしまうこともできるボリューム(180P)だけど、あえて、一呼吸置きながら、ジグソーパズルのピースを慎重に嵌めこみ自分なりに物語を再現していった。
2部構成で、
前半は、主人公トニーの20歳代の思い出が語られる。
後半は、40年後(の今)。トニーに思いがけない人から一通の遺書が届けられることで、彼の平安は破られてしまう。
最初は謎だらけだが、前半に敷いてあった伏線が、後半に至って新しい意味を持って回収されてゆく。
少しずつ糸がほぐれるように、過去が明らかになってゆく。
明快な語り口。巧みな構成。人間性への鋭い考察。そして予断を許さぬ展開。
すべてを読み終えた時、僕のジグソーパズルは一幅の絵として完成する…はずだった。
しかし、最後のピースが嵌らない。想定外の展開に、最後のピースの収まるべきところが分からない。
ということは、終盤にかけて、僕はいくつかのピースを既に間違って嵌め込んでいたのかもしれない。
読みこめば読み込むほどミスリードされる陥穽が仕掛けてあったのか。
いや、そこまで、意地悪く計算して書かれているとは到底思えないので、僕の「ていねい」さが不足していたのだろう。
人間観察力や想像力が不足していたのだろう。
しかし、腑に落ちない。納得できない。
人間関係図(というほど複雑ではなく名前を覚えるため)は書いてある。
これに時間軸を加えた2次元図解でも作らないと完全征服はできないようだ。
仕方がない。もう一度最初のページからやり直すとするか。
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実に巧みに構成されて、書かれている。
どの行も、どの言葉も、うっかり読み飛ばしたのでは重要なメッセージを読み落としてしまうだろうし、何よりも周到に貼られた伏線を見逃しては大切な物語の核心を衝撃を以って味わうことができない。
人生の意味について、これまでの来し方についての、具体的な言葉で書かれた含蓄のある箴言は、それ自体いちいち心に突き刺ささって、もう、僕のような凡庸な人間をこれ以上責めないでくれ、と叫びたくなるほどに力を以って迫ってくるのだけど、この本の面白さは、やはり、そこにとどまらない。
教養小説とか哲学的小説とか言ってもいいかもしれないけど、それを超えて、「物語」としての巧さを味わうためにも、どの行も、どの言葉も読み落としたり見逃したりしてはいけない。
久々に「物語」を読む面白さにやや興奮してしまった。
だから、ていねいに読んだつもりだった。
自分の怪しくなっている記憶力を確かめながら読んだつもりだったが、いよいよ大団円というところで、想定外のドラマが突き付けられ、心の準備はあったが脳内整理ができないでいたところに、さらにラスト数ページで仰天のドラマが続いて、僕のジグソウパズルは完成寸前でバラバラになってしまった。
それで、もう一度、読み返した。
全部ではないけど、重要な部分は付箋を貼り、人間関係図に推定年齢を付け加えて、いちいち確かめながら、彼女が何歳の頃彼は何歳だったのか、そんなどうでもいいようなことまで、確認しながら、再読した。
それでも、どうしても全体像が完成しないのだ。
どこに嵌めて良いのやら分からないピースが幾つか手許に残ってしまう。
ネット情報を渉猟した。
この本に関する書評・感想をできるだけ拾って読んでみた。
しかし、どこにも僕の知りたいことは書いてない。
物語のミステリー性から、何かを書けばネタばらしになってしまうという理由もある。
書いて未読の興を削ぐのはマナー違反だ。
しかし、誰も書いていないのはそのせいだけだろうか?
このドラマの全体像をしっくりと心の中に再現できた人はどれほどいるのだろうか?
そこが疑問だ。
でも、その点は、本筋からみて、少なくとも作者が書きたかったことに比べると枝葉のことだという、とても俯瞰的な括り方ができるかもしれない。
当面、そうしておこう。
僕自身が、三読でもして、スッキリ腑に落ちたら、感想-2として書こうと思う。
その頃には、既に興味を持って読みたい人は読んでしまっているだろうから、ネタばらしの罪も小さいだろうから。
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些細な事も、納得したい、という性格だから一部に引っかかりが残っているのだけど、大所高所から俯瞰的な括り方をすれば、この物語は、「序」にも書いたように「記憶」と「時間」を切り口にした人生の激辛批評として、すこぶる刺激的だ。
人は、歩んできた人生の記憶をどのように形作っているのだろう。
トマス・ハリスが「レッド・ドラゴン」で引用しているアルフォンス・ベルティヨンという人の「人は観るものしか見えないし、観えるのは既に心の中にあるものばかりである。」という言葉は「観る」ということに関してまことに言い得ている。
そして、それを詰め込んだ集合体としての「時間」は「記憶」の中に整理されて閉じ込められる。
その「記憶」はその所有者にとっては「歴史」である。
エイドリアンが看破したように「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」。
不完全と不備が掛け合わされて無意識に自分の都合の良いように捏造される。
それだけなら良い。
その記憶を大切にしながら不安のない人生をまっとうできればそれに越したことはない。
しかし、ある時、自己記録から完全に漏れていた記憶と文書が他者から提出され、そこに他人の人生を狂わせるようなことを自分がしていたという事実を突き付けられては、一体、どのように身を処すればよいのだろう。
すべては時間の経過とともに過ぎ去り、戻すことも修復することはできない。
この物語の語り手は、作者自身に比べて、知性も才能も人間としての真摯さも劣る者として設定されているが、そうはいっても二流の上を生き抜いてきた人物だ。勝ち組といっても良かろう。
おそらく、この本を手に取る読者の多くは、容易に主人公に自分を重ね得るのではないだろうか。
どちらかと言えば、誠実に生きているつもりだし、人を積極的に傷つけるようなことはなかった。
しかし、真実に向き合う勇気には欠け、それを自覚し、できるだけ波風を立てない生き方を心がけてきた結果として今ある平和な日々を送っているかもしれない(主人公は自嘲的に自己防衛能力と呼んでいる。)。
この物語は、しかし、その生き方に隠れて、ひょっとしてその中に罪深さを隠蔽しているのではないか、と、暴き、責め立てるのだ。
「終わりの感覚」とはそのような状況に置かれた者が人生の終盤まで差し掛かって味わう煉獄かもしれない。
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込み入った仕掛けがあるわけではないが、洞察に富む文章を味わいつつ、どんでん返しのラストに驚愕する。月並みな感想だが、まさにそのとおり。
主人公そのままの鈍い俗物としては、苦く辛い気分で身につまされながら読んだ。
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老年を迎えた主人公のアントニー・ウエブスターが、とあるきっかけから過去を振り返る独白として記される。
親友と出会った思い出深い高校時代の頃から、恋に目覚めた60年代の大学生活の思い出までが前半に置かれている。
若さの特権に満ちた輝かしくも苦い青春の思い出話をさりげなく読み飛ばしがちだけれど、この著者はそこかしこの叙述にいくつも地雷を仕掛けている印象。
物語が大きく動くのは、昔の恋人ベロニカの母の死を告げる一通の手紙が届いてからだ。なぜに遺言が彼に届くのか謎が深まるばかり、、、
その後の急展開は、主人公のリアルタイムでの体験と重なっていく。鮮明だったはずの記憶の中の出来事は、突きつけられてくるいくつかの事実によって、次第にぼやけてくる、、、
主人公の困惑は我々にも伝わってくる。なぜならこの独白を読み進めている以上、読み手も主人公と同じ過去に囚われているからだ。事実が判明し始めるあたりのスリリングさは、まるで乗っている椅子ごと振り回される感覚で、遊園地の乗り物に乗っているかのよう。
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自分が覚えてない事で他人を傷付けたことを穏やかな老年期に突きつけられる怖さ。日々、発する何気ない言葉や振る舞いがどんな影響を人に与えているのか考えると身震いがするラストのどんでん返し。年齢を重ねてから再読したい作品。
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わずか184頁の中篇小説ながら、その破壊力たるやすさまじい。
まず目につくのは簡潔で明瞭な筆致。選び抜かれたワードによって形成されるセンテンスほどモチベーションの高まる読書はない。愛と性、老いと記憶を中心に書かれたこれら言葉の数々は、シンプルだけど感情の奥深くにまで浸透する。作家が主人公の口を借りて主義思想を主張する威圧的な雰囲気はなく、主人公に何かしらの役を演じさせているように見受けられた。もちろん、前者のような意識下で書いているのかもしれないが、読み手にそう悟られない心配りとしたたかさが行間から漏れ伝わってくる。老いに対する緩やかな楽観目線が気に入った。
サプライズの後にくる主人公の感情の揺らぎが心地よかった。ひとつひとつ結び目がほどけていくような感覚。一種のカタルシスなのだが、そこに畏怖と悔恨の重ね塗りを見たような気がする。重いです。重いけどそれ以上に巧い。そして大胆。余裕のある周到さに脱帽。
想像力に秀でているというよりは、実体験が大部分を占めているのではないか──そう思わずにはいられないリアルな空気感がある。現実と虚構の隙間にフワフワ浮かんでいるような独特の世界観。作者がミステリ作家ならば残らずリピートしたいところだが、ミステリ作家にはこのような世界観は創れないし、また必要ともされていないところがある意味ラッキーだったのかも。たまには、きちんとした文学作品も摂取しないといけないね。
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2011年ブッカー賞受賞作。
穏やかな引退生活を送る男のもとに、見知らぬ弁護士からの手紙が届く。
ある日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。
その女性とは、学生時代の恋人、ベロニカの母親だった。
そして、日記は、同じ学生時代を過ごした友人エイドリアンのもの。
ベロニカは男と別れた後、エイドリアンと付き合っていた。
そして、在学中に突然自殺してしまった彼。
なぜ、彼の日記が母親のもとに?
なぜ、エイドリアンは死をえらんだのか?
しかし、日記はなかなか彼の手元に届かない。
彼は、日記を取り返すべく、あの手この手でベロニカに接触する。
それは、苦く重い青春時代を思い出すことでもあった。
そして、隠された謎がだんだん明らかになってゆく。
ちょっと衝撃。
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ブッカー賞受賞作。読みやすいのに深い。
自分らしさというのは瞬間瞬間にでると思う。その人がどう何を判断するかの積み重ねが自分らしさじゃないか、と。で、その判断にもっとも影響するのが記憶であり経験だろう。
でも記憶ってのも、とんでもなくあやふやだよね。あれ?じゃあ自分ってなんだよ。
と、いうのが最近の自分のテーマ。
で、そんな俺にぴったりな小説。
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2/20のヨモウカフェ課題本でした。
ブッカー賞は聞いたことなく、でもイギリスではかなり評価の高い賞らしい。
賞金も5万ポンド(現在の為替で700万以上)という破格の高賞金でもある。
作者のJulian Barnesはブッカー賞に4回候補に挙がって2011年が
初の受賞となりました。内容はというと、ある男の人生の回想から
とんでもない結末へと進んでいくいわゆる推理小説というところか。
作者がフランス文学、哲学を大学時代に専攻していたこともあって、
本の中で印象的な言葉がありました。
「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる
確信である」なんてこの本の真髄を表している。
本の感想はというと、かなり読みやすい内容でした。
でも読み返すたびに新たな発見がある。
結末がわかっていても引き込まれるのは、正直驚きだ。
主人公の男にいらいらさせられると自分は感じていたんだが、
それって主人公が自己愛が強すぎるよね、
とグループのある女性が言った時に僕はびくっと来た。
だって裏を返せば自分が彼を批判するのは、
結局のところ自分を批判しているのと同じだからだ。
僕も自己愛が強くて、でも最近少しは自分に向き合えるようになってきた。
文学は本当に考えさせられますね。終わりのないJourneyです。
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高校時代の悪友3人、トニー・アレックス・コリン、そこへ転校生のエイドリアンが加わり、最高の仲間だった。エイドリアンは哲学的な秀才で、ケンブリッジに進む。トニーは、大学に進み恋人になったベロニカを高校時代の親友3人に紹介する。その後ベロニカはトニーと別れエイドリアンの恋人になる。しかし、エイドリアンは在学中に自殺してしまう。
悲劇的な出来事から時は流れ、引退したトニーのもとへベロニカの母親の死亡の知らせと、遺言として500ポンドとエイドリアンの日記を送ると伝えられる。なぜ、エイドリアンの日記がベロニカの母親のもとにあるのか。疑問を解こうと、トニーはベロニカに会おうと弁護士に掛け合う。
前半はトニーの青春時代の悪ふざけや、若々しい異性への欲望とベロニカへの思い・失恋の悲しみをつづる。
後半は、ベロニカの母親の遺言に隠された真実を探る年老いたトニーを追う。そして最後の最後に明かされるエイドリアンの自殺の真相。
青春小説と思って読んでいると、最後に大きなパンチをくらうサスペンスチックな筋立て。本書で4度目の正直のブッカー賞を受賞というのも納得です。