紙の本
たくさんの「なぜ」
2013/10/30 13:39
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
共同通信の社会部記者2人が見ず知らずの姉妹を惨殺した凶悪事件の犯人を追いかけたルポ。事件記者は日々発生する事件・事故を追いかけることだけで疲れ果てる。聞きかじりしたわずかな捜査情報を「続報」として追いかけるのに精いっぱいだ。事件のその後に関心を抱いたとしても、裁判になれば、そこには別の担当記者がいる。でも、時に連載という形で事件を追いかけ、すぐれたルポが生まれることが時よりある。この本もそうした1冊だ。
私自身、この事件はこの本を読むまで記憶から消えていた。読みながら「そんな凄惨な事件があったな」との印象をわずかに蘇った程度だった。つまり、そんなに誰もが知る有名な事件ではない。だが「死刑でいいです」と言い、自分の本心を明かさぬまま犯人が死刑が執行された事件は、被害者の遺族はもちろん、実は何も私たちの社会に還元されないまま消え去っていったという思いが残る。そして、犯人の生い立ちや、事件までの経過からは多くの私たちが考えなければいけない「なぜ」が残る。ぜひ、読んでもらいたい1冊だ。
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投稿者:まきの - この投稿者のレビュー一覧を見る
こうして一つの命が救われることなく消えていくのだと思うと、ぞっとしました。
生まれた時から死刑になるまで、一つも救いがなかったというと、そうではないのかもしれない。
彼自身が自ら選択した部分もあったと思います。殺人など。
ただそれでも、彼をどうにかして救えなかったものだろうかと、思ってしまいます。
来世があるのなら、心から愛されて幸せに生きられる人生をただ願うばかりです。
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新聞連載時に読んでいて、これはフィクション?ノンフィクション?かわからず、文庫で出版され購入。
後に読む「累犯障害者」と一緒で、どうしても手厚く見守れない社会なんだと感じる。
ご都合主義で、元犯罪者をどんどん社会に放出し、危険をばら撒いている国にも責任はあるし、たった一人でもいいから、犯人であるその人の傍にだれがいて、話を聞いてあげられなかったのかと、不条理を感じる。
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カポーティの『冷血』や、一連の「新潮45」の文庫シリーズなど、実際の殺人事件を扱っているルポはけっこう読んでいるのだが、本書はかなり中途半端だった。ところどころ出てくる識者インタビューは筆者が消化して本文に組み込んだほうが読みやすかったと思う。精神疾患を抱えた加害者はさぞ生きづらかったろうと気の毒には思うが、私などはやはり被害者の姉妹(とその遺族)の側に立ってしまうのであった。
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自ら張り巡らせた壁の中に閉じこもってそこから出てこない。なんとなく彼の気持ちは想像できる(気がする)。意地なんて張らない方が楽に生きられるのに…とも思うが、これが"障害"であり、そう容易く矯正することのない性質なのだとしたら…。アスペルガー症候群と診断される(こともある)山地と、彼の犯した重い重い罪。この本から浮き上がってくるのはその罪を徹底的に糾弾する"正義"の姿勢ではなく、こうしたことが二度と起きないにはどうすればよいのかという、未来を見据えた目だ。
母親を殺し、少年院を出てから起こした二度目の犯行は、山地とは全く関係もない姉妹を残虐に殺したもの。山地に下された死刑判決、そしてその執行。これが正しかったのか、これには賛否両論があるだろう。被害者のことを考える、そして孤独の中からついに抜け出せなかった山地のことを考える。個人的には山地に同情はできないが、それでもどうにかして彼の心をこじ開ける術はなかったのか、そこには疑問が残るのだ。殺人を肯定することなどできるわけもないが、山地に何かストッパーがあればこの事件は起こらなかったのではないか。アスペルガー症候群と診断されるような人々が確かに存在し、時に歯止めが効かなくなり得るのが事実である以上(もちろん犯罪を起こすのは彼らの中のごく一部に過ぎないのだが)、彼らに対する理解、そして具体的な社会の受け皿が必要だろう。そして刑罰を与えることも(特に被害者の心情を考えれば)大切なことではあるが、再犯防止のために社会に適応できるよう慣らしていくということも、社会全体にとって有益なことであると思う(有期刑であればいずれ社会に出てくるのだから)。
あとがきで筆者の池谷氏は「最後まで山地の『本音』を聞けず、死刑が執行されたのは本当に残念でならない」という。本当にその通り。でも一体、どうやったら彼の心を開くことができたのだろうか。その答えを見つけるのはやはり難しい。
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アスペルガー症候群など、目に見えない障碍を抱えている人は周りの気付きがないと社会的援助を受けることが難しい。
この加害者の場合は非常に稀なケースなのだろうが不幸な偶然が重なって取り返しのつかない悲劇となってしまった。
彼の行動はたとえ反省できたとしても許されることではない。ただ、周りの気付きや援助があれば違った人生があったのかもしれないという事をこの本を読んだものが考えなくてはいけないのだと思う。
非常に考えさせる1冊
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死刑制度に強く興味を持っていて、意識的に書籍を集めて読んでいる。死刑の賛否は決めかねる。死刑にすれば罪は本当に償われるのかという疑問は相変わらずあるし、かといって死刑を廃止にすれば、「死」が罪びと自身を永遠に滅ぼす最大級の罰であるという概念が強くある日本に於いて、犯罪の抑止力がなくなってしまうのではないかという思いも残るからだ。
「死刑でいいです」といって死んでいく罪びとたちに一様に感じるのは「この世に死にに来たの? 死ぬことで生きに来たの?」この絶対矛盾。
読了して、読後感をまとめることがしばらくできなかった。
それはとても良心的な書ではあるけれど、私の印象では、結局発達障害を持つ罪びとが一筋縄ではいかないという印象と、究極発達障害は面倒だという印象が払しょくできないでいるからだ。「対岸の人々」という印象を根付かせているからだ。
当事者であり死刑囚・山地悠紀夫が最終的に「居場所」をなくし、結果、姉妹を殺めるに至った経緯がこの本では全く抜け落ちているので、唐突の感も否めない。
「結果の間」に何があったのか。この世から本格的に自分の居場所を奪いさる自殺を選ばなかったのは、他人を殺めることで自分を生かそうとしたからだとしか思えない。
この世で自分らしく生きるということは、どういうことだろうか。
自分のセンスの赴くままに生きてみて、どうやら他人に迷惑をかけているようだ、傷ついているようだ、自分ではそのつもりはないのだけど、結果的に自分がいることで他人も自分も居場所を狭くしていくのであれば、死ぬしかないよね‥‥。
そんな山地の声が読み取れはすまいか。
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福祉とはなんだろう。ここ10年ぐらいでアスペルガー症候群の知名度はかなり上がったけど、先天的な要素が強いらしいので昔からあった病気だろう。昔はそんなに若い子が凶悪な事件を起こすってなかったよなぁ。必ずしも犯罪につながる病気ではないらしいし、今よりも人間関係が濃くて、フォローしてくれる人も多かったんだろうな。
なんでもかんでも福祉っていうのはちょっとどうなのかな、と読み終わってから思ったけど、そこしかないのかな、とも思った。
便利な世の中になったけど、その分確実になにかを失ってる。それを補うのってやっぱり福祉になっちゃうんだろうな。
内容は濃くて、読んでて面白かったけど、著者たちの上から目線がもうイライラした。
なんだろ、「俺たち社会のためにがんばってます」みたいな。自分たちがいいことをしているってことに疑いを持っていないというか。
私の偏見だけど、「新聞記者」の典型。なんだかんだ正論めいたことをいうけど、結局は人ごとなのかよ、って感じたので、星-1。
あと、時間軸が前後して読みにくく、識者インタビューも読みにくかった。
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タイトルが気になって手に取った。
ジャケ買いならぬ、タイトル買いか。
アスペルガー症候群、発達障害、ADHDなどの知識が無い状態で読んだので、理解が深まった。
見た目でわからない病気・障害というのは、人に気付いてもらえないので、わかってもらえないのは辛いね。
いろいろ勉強になりました。
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社会との繋がりについて、考えさせられた本。発達障害があっても、(人も含めた)環境に恵まれていれば事件を起こすことなく生活ができただろうと思う。事件が起きた以上、現状ではこのように裁くしかない。しかし、事件の抑止には、私たち一人一人が発達障害の特性を理解し、目の前にいる人と関わっていくことが必要だと感じた。
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アスペルガー障害と社会の向き合い方を考えさせる本。
知名度は上がったが、社会はまだまだアスペルガーの特性を分かっていない。事件を起こした時、反省を求める事自体が目的になってはいけないという。従来の司法なり矯正教育が通用しない障害だと思った。
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仕事的にも非常に役に立ったし考えさせられた一冊でした。罰すればそれで済むのか。刑事政策を考えるうえでも必読の一冊だと思います。
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既に死刑が執行された、大阪の姉妹殺害事件の犯人、元死刑囚、山路悠紀夫の生涯、発達障害…そして、事件を防ぐ事は出来なかったのか…を綴ったルポ。
私見だけど、死刑の判決自体は妥当だと思う。著者もそこはどうこう言うつもりはないみたい。
この本がテーマにしてるのは一つの司法の限界とも言えるもの。
考えさせられる一冊でした。
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読了の「居場所を探して~累犯障害者たち」と非常に関わりの深い内容であり福祉介入の向上と私たち一般人も勉強し認識を高めるべきだと痛感している。刑を既に執行された山地死刑囚に対しては成育歴による人格障害かアスぺルガー障害だったかは専門家でさえ意見が分かれるだけに素人には言える立場ではない。しかし幼少時からの虐待・貧困・いじめの三重苦を強いられて、健全な精神が宿るわけはない。母親を殺害して感じた「全てが整理された」この感覚が後に仕事や人間関係の混乱からフラッシュバックしたことはあり得ることの様な気がした。
アスペルガー障害・ADHDだからと言って全ての人が犯罪を犯す訳ではないし、それに対して偏見を抱いてはいけない事を著者は強く主張している。そうなればやはり家族や福祉の協力は絶対的なものである。山地は全ての条件に見放されいた。彼自信がもし障害を抱えていると自覚していたらどうなっていただろうか。死刑執行前に「生まれてくるべきではなかった」という言葉に無念しか感じない。なんらかの学習障害を抱えている人は30人に1人と言われている。学校のクラスでいうと1クラスには1人いることになる。現代社会で人間関係による ”生きずらさ”を感じている人が増加している様に感じるだけに周り気付きが必要である。この様な本は教材として使用されるべきだと強く感じている。
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人間という面で見ると、
精神障害、パーソナリティ障害、発達障害、
犯罪という面で見ると、
刑罰、反省と更生、再犯防止
どれもこれも、なんとなく違いをわかったつもりで
わからず漠然と同じ様に捉えていた。
考えさせられた。(きっとあとがきのように
忘れてしまうのだけど)
この本を読んで、違いが分かったわけではなく、
この事件で何かを学び、他者と自身との
違いをわかろうとし、お互いが生き易い、
生まれてよかったと思う
悲劇が繰り返されない世界を。