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引きこもり元官吏が延々と綴る手記。ドストエフスキーはこの小説によって、引きこもりの文学を確立させたと言えそうだ。いわば元祖引きこもり。
作品の構成としては、まず64ページにわたる哲学的独白があり、その後ではこの男の若い時分の話、またこの男がいかにして地下室に引きこもるに至ったか、と言うような話が赤裸々に語られる。
冒頭からして秀逸である。『僕は病んだ人間だ』と来ていて、医者と医学に対する毒舌が入る。そもそも19世紀ロシアの文学では『病んだ人間』と言う表現はここ以外まずお目にかかれないわけだが、その表現は現在の文学界のあちこちで散見される。つまり、病んだ人間だらけの現在を、まさに予言していたといえそうだ。ドストエフスキーの小説群は『現在の予言書』と言われているが、この切り口だけで見てみても、この小説が見事に予言書のひとつとしての役割を果たしていることが分かる。
医者や医学に対する呪詛、と、ここでも医者が出てきたことに留意したい。ドストエフスキーは小説内の様々なところで医者を重要なテーマとして出してくるのだ。例えば『カラマーゾフの兄弟』のコーリャ・クラソートキンの医者嫌いや、『死の家の記録』の人間味溢れる温かい医者達。ドストエフスキーが医者をよく出すことの背後に、彼の殺された医者の父親がいることはまず間違いない。
話が脱線したが、始めの64ページは形としては哲学書に近いと思う。ただ全体的に毒づいており、理性万能主義を徹底的にけなし、人間の利益でもっとも重要なものは恣欲であると解く。この大筋さえ理解しておけば、始めの64ページの哲学の理解は飛躍的に容易になるだろう。
第二部は、と言うより僕はこの小説を学生時代に読んだ時には、引きこもり、またそのような人の考える世捨て人的な論と言うものに対する興味が薄く、ただ単に「風俗嬢に説教する話」ぐらいにしか考えていなかった。しかし、再び読んでみて、とかく始終主人公が毒づいている様子に、また、一般的な常識とはかけ離れた、逆と言ってもいい論を展開していることに引かれた。
話の大部分が陰気ではあるものの、陰気な人が生活上で起こす滑稽なエピソードも色々と詰め込まれていて、吹いてしまうところもあった。唯一明るい光がさしているかのように見えた部分は、例の、リーザに説教をするシーンであるが、これもリーザを陥れようという主人公の企みに過ぎなかったと言うのだから、怖さと滑稽さが半ば入り混じった感情に襲われる。
安っぽい幸福と高められた苦悩、大半の人ならば無難に前者を取ると思うが、あえて後者を極めようと生きる主人公。簡単な言葉で表現できる幸福と、哲学的なテーゼを交え複雑に入り乱れた文章でなければ表現できない苦悩、と言い換えることができそうに思う。人を引き込もらせるに至るその苦悩が、果たして実際的な意味で役に立つのだろうか。しかし、この小説が世界的に読まれているところを見ると、文学的には大いに有用なようである。
召使なのにアポロンなんて気高い名前の彼が面白い。
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ドストエフスキーはこっち側の人間を書くのが巧い人だ
<おまえは空想していただけだが、彼らはそのころすでに現実生活を理解していたのだ>
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うわ〜、イタタタタ。
自意識過剰で、他人に相手にされず、怒りを胸に秘めた引きこもり体質の元小役人。
ある意味自分に正直すぎて、空気を読んでへらへら周囲に合わせられない人なのかな。
身に覚えがあるからイタく感じるんだろうな。
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初、ドストエフスキー。
ロシア文学によく登場する「余計者」の主人公。
一人称で描かれる世界なので、主人公を通した他者からみた自分の世間での浮き具合が楽しい。
幸せを切望すれど、幸せが怖い。
だから、幸せにはなれない。
外の住人と、地下室の住人の、どうしても越えられない壁が切ないです。
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一番すきな地下室の手記で、これまで読んだ
ドストエフスキー作品のレビューを。
どれをとっても死なない文章、生きた文章を感じる。
どの時代にも新鮮と色鮮やかさをもって生き続けるだろう。
真夏に読んでほしい。むせかえるような生の色、かおり、蝉の声。
忘れかけた、強烈な自意識の存在をまた、思い出してほしい。
今、生きている。そして今まで、生きてきた。
これを読むと特に、私には十代だった。
あの頃がよみがえってくるようです。
いつの間にか、懐かしい記憶となっていたんですね。
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2009/12/19購入
2009/
・官能のよろこびは、こうした各種さまざまな自意識やら屈辱のなかにこそ含まれているのだ。
・いったい自意識をもった人間が、いくらかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか?
5
・ところで、聞きたいが、自分自身の屈辱感のなかにさえあえて快楽を見出そうとするような人間が、果して、果して多少なりとも自分を尊敬したりできるものだろうか?
・ぼくが自分でさまざまなアバンチュールを案出し、人生を創作したりしたのは、せめてなんとか生きているという実感を持ちたかったからである。
・
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19世紀の引きこもりの小説。
地下室で世界に呪いを吐いてる主人公が、現代のネットで呪いを撒き散らしてる人とダブってみえる。今こそ読むべき本。
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ドストエフスキーが自分と同じ誕生日ということで、手に取った本。あと、世界的に有名な作家の本は読まないでおくことは絶対無いと思ったので。
1ページしか読めてない。読まないと!
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地下室にひきこもりしてる元小官吏の人生論。
人間とはなにか…人間とは「2×2=4」の方程式に永遠に苛まれる弱き生き物である。2×2=4は死の始まりである。人間は恐怖から2×2=4の探究に一生を費やし歴史を築き上げた。このこと自体滑稽に他ならず(基本的に人間の人生そのものが喜劇)2×2=4はこれからもまた人間を苛むであろう。
僕はこんな方程式大きらいだ!…けどたまには、2×2=5もいいではないか?
↑ほらね、意味わかんね
(作中の『2×2=4』が一体なにを表するのかは個人の判断によると思います)
はっきりゆって何が言いたいのかよくわからんかった。支離滅裂もいいとこです。(まぁドストエフスキー文学なんて概ねそんなもんですが…←誉め言葉)
共感とかでなく客観的に読んだほうが面白いです。
まぁ狂人日記みたいなものだと思います。深く考えるとドツボにはまりそう。
3年ほど前に東京大学でロシア文学シンポジウムがありまして聴講させていただいた折に安岡先生(ロシア文学助教授)のご高説を賜って読むに至りました。
個人的に秀逸だったなと思うのが
『芸術とはつまり、詩人や小説家たちから勝手に剽窃してきて、どんな注文にも要求にも応じられるようにした、まったく出来合の美的な生活形態のことである。…』
このへんの文章かしら。
なんとなく徳富蘆花のいう“美的百姓”(BY『みみずのたわごと』)を思い出したのは、彼がトルストイの小説を剽窃した、晴耕雨読の美的な生活形態を営もうとしたから
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前半部分。結構うんうんって思ってしまった。共感できてしまう自分って、、、
割と合理的にできている人間だから、自由を確かめたくて非合理的な行動をする衝動にかられてしまうのか。
とにかくものすごい洞察だと思います。
こんな難解な内容を文章にできる力もすごいし、これを翻訳できる力もすごいと思う。
安っぽい幸福or高められた苦悩
難しい。とりあえずどちらか一方だけじゃ生きていけない気がする。
またしばらくしたら読み返したい。
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やっぱりドストエフスキーは難しい。しかしなんとなく納得する部分もあり、なかなか楽しめた。
いずれ改めて読むつもり。
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主人公の思いが空回っていて可哀想だった。けれども、
きっと、誰しもがこういう感覚を体験したことがあると思う。
でも、理解はできるのだけれど、実際、回りにこういう人間がいたら僕は
うっとうしく感じてしまうのだろう。僕も自分勝手で厭な人間だな。
この本が初ドストとなったけれど、とても面白かった。
「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」などの代表作からどんどん読んでいきたいな。
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100ページも過ぎると、話にのめりこみ、それまでに何とか読んでみた100ページがなんとなく理解できるようになってきます。しかし読み進めていくうちに地下室の男に対して「もう、お前いいよ」と思う感情が生まれ、そして唐突に・・・。この話の続きはどうぞお読みください。100年前の本の中で風刺されている事柄が現在にも通じている事にも驚かされます。
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極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。
作品時代はすぐ読めるページ数だが、内容が難しく、かなり読みづらさを感じた。一度読んだだけでは理解に苦しむ小説だと思う。
いつか再読する機会があれば、その時はじっくり内容をかみ砕いてみたい。
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あぁなんでそうしてしまうの!!と思いました。哀しいよぉ。
人間は矛盾を抱えている存在なんですね。好きなのに傷つけて、友達になりたいのに嫌がらせて、善くありたいと思いながら罪を重ねるなんて。