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最初なんのことだかよくわからず、数回最初から読む、なんてことをしたが、ひとつひとつがわかってきたら、めちゃおもしろかった。こんな土地、実際はないですよね…収録ニ篇中の、最初の話。あとの話の活断層にも笑えたけど。
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妙に存在感のある”サイガサマ”が、生々しくて不気味なのだが。対して、あっけらかんとしている町の人達の様子。
『サイガサマのウィッカーマン』も『バイアブランカの地層と少女』も、”他者の幸せを祈る”という境地に至るのは、すがすがしさを感じる。
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本書は、「サイガサマのウィッカーマン」「バイアブランカの地層と少女」の2編が収録。前者は男子高校2年生が、後者は男子大学生3年生が、それぞれ主人公で、彼らの視点から描かれている。表題の「これからお祈りにいきます」とは、2編を読めば理由が分かる。
前者の作品は、男子高校生が家族に不満や不安を抱きながらも、生き生きと自立的に日々の高校生活を過ごしてつつも、周囲に起こる不思議な出来事にも遭遇したりしながらストーリーは展開。一方、後者は、何事にも心配性な男子大学生が主人公。それでも、地球の裏側に住む会ったこともない同じ年頃の女子大学生のことを優先し・・・。両作品それぞれ毛色は違うけれど、楽しみながら読破できた1冊。
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2編を収録。『サイガサマのウィッカーマン』は、なんだか変わった神様を信仰するある地方都市があり、そこでは冬至の祭りに大きな人形(ひとがた)に、"工作"で作った"人体の部分"を入れて祈る...というと薄気味悪く感じるけど、実際にはもっと飄々としていて、人々は別に洗脳されているわけでもなんでもなく。とはいえ個人的にはどうにも入り込めない話だった。設定の奇抜さは充分だけど、そこから(例えば)「祈りとは何か?」を読み取る、または思考していく力が自分にはなかった。あるいはそんなことはそもそも必要ではないのかもしれないけど、そうなると余計に本作の意義がよくわからないことになってしまう(笑)
もう1編の『バイアブランカの地層と少女』ともども、他者のために祈るという話ではあるようだけど...
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津村作品初の男性主人公ということで、どうなってるかと思ったが、すごく良かった。特に「サイガサマのウィッカーマン」は、これまでのものとはひと味違って、作品世界が広がった感じ。
津村さんの、よくも悪くもだらだらとあまり起伏なく進む感じが大好きだが、さいがさまはストーリーがそれなりにあって、より「文学」っぽい。センター試験の問題にしてもいいような?!
物語も、奇習といってもよさそうな伝統行事がいい味だしてる。津村さんの筆でなければ、もっとおどろおどろしくなってしまうかもしれないほどに。
とはいえ、やはり津村作品の、ぼわぼわんと、でも鋭く細部をすくいとる感覚は健在。
もうひとつの「活断層」の方は、男子大学生が主人公だが、こちらの方がこれまでの作品に通じるものがあった。
といわけで、津村さんの新境地を垣間見ながら、かつての味わいも堪能できて、楽しい読書となりました。
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0時過ぎ、風呂上がりにビール片手に何の気なしにつけたテレビ。そこで始まるなんだかすごーく地味なんだけど、でも気になって見るのをやめらんない感じの映画を最後まで見てしまったという感じ。でも不思議と日頃の雑然とした頭がふっと軽くなるような、そんな感覚を味わえる作品だった。津村さんの作品は大きな谷山はないのになんとなく読み終わった後にじわっとくるというか、軽羹や外郎のような旨味のあるところがとても好きです。ぜひ津村さんの作品、主役を江口のりこさんで実写化して欲しいなぁ。ところでサイガサマって本当にいるんですかね?
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冬至の日に「取られたくないもの」を申告物として捧げるという祭りの風習が残る町で、半ば流れでその祭りの手助けをすることになった少年のなにげない日常。
普通、の生活を送っているぽい少年はけれど、バラバラの家族を抱え、ワケアリの同級生が気になりだし、というそれなりに気がかりの多い日々を送っている。
そんな細やかな日常模様が淡々と、ときおりコミカルにシニカルに、祭りの風景とともに描かれてゆきます。祭りという要素がかなり異物的だけれど、それもがいつもの語り口にほだされて、まるで「ふつうのこと」のように次第に読み手に受け入れられていきます。なにげなくも細やかな設定がそれを支えています。
ただ大きな事件があるわけではないので、どこか平板には思えはしましたが、最後のまとめかたはすうっとした爽快感を抱けてよかったと感じました。
もう一編併録されていますが、こちらはもっとサクっと読めるコミカルなノリが楽しかったです。甘くも苦くもない、ひととき吹いた想いの風の清らかさが、ああまぶしい、と思う若くはない自分、でした。
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何か特別な事件が起こるわけでなく、一地方都市の少年の生活が淡々と語られる。サイガサマ信仰は奇抜だけれども、それに人々が流されることもない。ちょっとたいくつー、と思いながら読みすすめていったのに、ラストでじわっと涙がでてきた。家族って、あまりに身近すぎて何も考えていないように見えるけれど、本当はそれぞれに考えて悩んで、がんばっているのよね。
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自分には何も、セキヅカに与えられるものがない、と思った。そのことに、むなしくなるのでもなく、辛くなるのでもなく、ただ強く傷付いた。自分はこんな気持ちになることがあるのか、と不思議にも思った。
(P.131)
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まるで、普通にあるような風景がなんとも不思議であるが、心地よく読める。こういう家庭も地域もあるよね、と。「バイアブランカの~」も、この主人公になぜか応援したくなる。身近にいそうで。
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こないだ『ダメをみがく』を読んで、しばらく読んでなかった津村さんの小説を久しぶりに借りてくる。1年前に出た単行本のタイトルは、収録されている小説のタイトルとは違って、収録の2篇は「サイガサマのウィッカーマン」と「バイアブランカの地層と少女」というもの。
メインの「サイガサマ」の話は、神様に「これだけは取られたくない」ものを申告して祈る祭りがある町(大阪府の南部とおぼしい架空の町=雑賀町)が舞台。そういう祭りのことが頭に入ってくるまでは、巻頭の8ページ目にある文章がなんど読みなおしてもわからなかった。
小学生のときの工作で、シゲルはうっかり四本しか指がない右手をつくってしまって、隣席の女子にこう言われるのだ。「高嶋君てなになん、何とられてもええのん、だって高嶋君自身はちゃんと指五本あるやん、せやからこれをカゴに入れて燃やしたって、右手を取られたくないってことにはならんのとちがうのん?」「せやから神様は、高嶋君からなんでも取り放題やんね」(pp.8-9)
何とられてもええ?
右手を取られたくないってことにはならん??
神様はなんでも取り放題???
何の話なのかぜんぜんわからんぞーと思いながら、もうしばらく読んでいると、この町では、サイガサマという神に願いごとをする際に、人体の一部を工作して「これだけは取らんといて!」と申告する祭りがあることがわかってきた。
この神様は、そういうPRをしてもらわないことには、願いを叶える際にだいじなものを取っていってしまう粗忽なところがあるらしい(サイガサマが蔑称で「はつ神様」と呼ばれるのは、願いを叶えたもののハツ=心臓を取ってしまって祈願者を死なせたことからきているらしい)。というよりは、サイガサマはたいして力のない神様なので、なにかをもらわないことには願いを叶えるような力は発揮できないというべきか。
小学生も中学生も大人たちも、工作やら手芸やらで申告物である「人体の一部」(願いが叶えられるときに、他の箇所はともかく、ここだけは取らんといてという部分)を作り、祭りの日にはそれらが巨大な人型の籠へ入れられて燃やされる。そういう奇習はこの町だけのことで、小学生は授業で「人体の一部」を工作し、中学生は人型の籠を編み、公民館では町民が申告物をつくるための講座が開かれる。
主人公の高嶋シゲルは、小学生の頃に、サイガサマについての自由研究作文を書き、それで市長賞までもらった。けれど高校生のいま、シゲルはこの祭りにたいした思い入れはない。それでも、アルバイト先の公民館で(そもそもシゲルは清掃の仕事をしていた)、否応なく祭りの準備にまきこまれていく。
シゲル自身の家族のごたごたに発するイライラや、小中の同級生だったセキヅカの苦労などが絡みながら、話はすすんでいく。セキヅカの父親は七年前に倒れて以来、昏睡状態のまま目が覚めない。妻と娘は、父の営んでいた店を守り、生活するために、働きづめだ。セキヅカはアルバイトを三つも掛け持ちしていて、サイガサマの祭りの当日にも来られない。
シゲルは自分のぶんとセキヅカのぶんと、折り紙でつくった二つの心臓を人型の籠に入れ、「セキヅカをもうちょっとらくにさしたってください」と祈る。その祈りは、へたくそな神様がシゲルの顔の左半分の吹き出物を取っていって、叶えられたようだった。
もう1篇の「バイアブランカ」のほうは、ひょんなことから地球の裏側・ブエノスアイレスの少女フアナとメールのやりとりをするようになった作朗が、そのフアナのために京都のお寺へお願いに行く。それも、むかし憧れていたみづきちゃんと会う約束をしたのをぶっちぎって、友人エンドーを連れて、清涼寺へ行く。
ハンドルのついた大きなやぐらのような法輪を、一回まわしたらお経をすべて読んだのと同じ功徳があるという、あれの御利益でどうにかならないかと作朗は考えたのだ。二人でぐるぐると法輪をまわしながら、エンドーの円形脱毛のこともあわせて祈った。
「フアナの彼氏のけがが治りますようにー!」
「治りますようにー!」
「いろいろ治りますようにー!」
「ましになりますようにー!」
「よくなりますようにー!」
「ケガがー!」
「ハゲがー!」
(p.212)
エンドーによると、フアナの彼氏とおぼしきサッカー選手は、膝を怪我したそうだが、「試合に出とったで、けろっとして」ということが分かった。よかった、と作朗は思う。
2篇とも、なんだかフシギな設定ではありつつ、主人公のシゲル(いなかの町でイライラする高校生)あるいは作朗(京都から出たことのない大学生)の、日々のこまごまとした言動の描写が、あーこれこれツムラ節って感じで、おもしろかった。
閉塞感からある日飛び出すような、「祈る」ということをネタにした青春小説というのか。2篇とも主人公は男子だが、これが女子の主人公だったらどんな話になったかなーと思ったりした。
(5/27了)
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文章がしっかりしてる小説は読み応えがあって楽しい。
2編の小説が収録されていてそれぞれ味がありました。
一話目はなんとなく村上春樹の小説を彷彿とさせるような読み応えがあり、二話目は森見登美彦さん的な楽しさがありました。
また読みたくなる作者さんです。
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男子が主人公の2編、津村記久子さんの作品では珍しいかも。高校生と大学生の男の子のかわいいところがよく出てるなぁと思いました。特殊な設定で入り込みにくいのですが、ユーモアのある登場人物に引き込まれて楽しく読み終わりました。つまりは誰かのために心を込めてお祈りができるかということですね。そういう時間は大切にしたいと思いました。
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「サイガサマのウィッカーマン」
「バイアブランカの地層と少女」
東日本大震災のあと。
「何か今できる事を。」
「やるべき事を。」って沢山の人たちが思って。
その中でも、表現する事を生業にする方々は、
突き詰めていく過程でかなり苦しんだり悩んだりされたのではと思うし、そういう話を聞いたりもしていた。
津村記久子さんはどんな風に考えていたのかな、と思いながら読み、優しい気持ちや覚悟のようなものを汲めた気がする。
心配性っぷりがあたしに近い大学生の作朗とニット帽のエンドーが大好き。
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中編2本。両方ともタイトル通りに祈りにまつわる内容。
津村さんの、何も事件が起きない、小さい描写をただひたすら綴る手法が好き。はたから見たら超然として見える主人公たちは皆、とにかく色々考えている。その外と中のギャップが愉快。
ところでサイガサマの儀式は、本当にどこかにあるのかな。ないとしたら、すごく面白い発想だ。