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『ポトスライムの舟』、『君は永遠にそいつらより若い』以来の津村記久子作品。会社の先輩が貸してくれた。(わざわざ送ってくれた)
ちゃんと読むまで、「就活」の話だと勝手に思い込んでいたけど、実際は「信仰」の話でした。
「サイガサマのウィッカーマン」・「バイアブランカの地層と少女」の2話収録。面白いんだけど、すぐに忘れてしまいそうな予感が……。(『君は永遠に…』も、めちゃめちゃ面白くて感動しまくったのに、今となっては内容が思い出せない)
「サイガサマのウィッカーマン」:地元の神様(サイガサマ)に「これだけは取られたくない」もの(臓器や手など、身体の一部)を工作して、祈りを捧げるという、奇妙な祭りの準備で盛り上がる街。崩壊しかけた家庭でイライラしながら暮らす主人公・シゲルは、公民館のバイトを通して、嫌々ながらこの祭りにどっぷり浸かっていかざるを得なくなる。シゲルが「恋心っぽいもの」を寄せるセキヅカさんとのやりとりが、ぐっとくるんだと思う。ピースの又吉が薦めていたらしくて、ピースの又吉的メンタルの男の子が、この本を好きなのは実によく分かる話だと思った。「バイアブランカの地層と少女」に出てくる主人公・作朗の不器用さも然り。遠く離れたアルゼンチンの女の子に思いを寄せて、「リアルな女の子」よりそっちを優先させてしまうなんて、なんてロマンチックファンタジーの世界を生きているんだろう、この男の子たちは。
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神様に「これだけは取られたくない」身体の一部を工作して申告し祈りを捧げるという、奇妙な祭りがある町に育った高校生シゲル。父親は不倫中、弟は不登校、母親との関係もうまくいかない日常のなか、町の一大イベントである神様のお祭りにも、どうにも乗り気になれない。しかしそんな気持ちとは反対に、シゲルはお祭りに巻き込まれていく。
町中の老若男女が手や足、さらには内臓など身体の一部を工作する様は、客観的に見れば異様なように思える。私もサイガサマの風習は受け入れがたく感じた。主人公のシゲルも、サイガサマが日常に溶け込んだ町のなかで違和感を抱きながら暮らしている。彼は小学生の時の自由研究でサイガサマを取り上げたことでその神様をよく知っているがゆえ、にその欠陥性に納得がいかないでいる。サイガサマは人間の体の一部を奪うことで望みを叶える。その部位に関しては「これだけは取られたくない」という申告はできるが、失う部位を選ぶことはできない。サイガサマは全能の神とは言えないが、神様にあるまじきその不器用さにシゲルはいつの間にか親近感を覚えていたのではないだろうか。サイガサマの風習に違和感を抱きながらも、祭りを手伝ってしまっていたのもその為だろう。
サイガサマに不信感を抱きながらも、周りに溢れている理不尽な物事に対し、シゲルは無意識のうちに祈りを捧げている。自分の身体が不自由になっても、誰かを幸せにしたいという思いには切実さを感じる。身体の一部を捧げられるか否かで、願いの強さが量られているのかもしれない。
そもそも神様なんて存在するのか、という話はここでは置いておいて、自力では如何ともしがたい事柄に対して何とかしてあげられたら、と人は祈らずにはいられない。祈りとは優しさや思い遣りのひとつの形なのだと思う。
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例えば受験生だった年の初詣では合格を願った。
例えば母の体調が悪かった年の初詣では母の回復を願った。
そしてどちらの願いも無事に叶ったのだけど、その時に私は初詣に行ったから願いが叶ったとは思わなかった。
叶わなかったら思い出したかもしれないけど(勝手だなぁ)。
願いが切実であれば出来ることは全てしたくなる。
思いつくことは何でもかんでも。
その一つが神頼みなんだと思う。
受験生だった年は勉強も頑張ったし、インフルエンザの予防接種も受けたし、学業御守りだって買った。
その全てが合格に向けて出来ることだった。
母が具合が悪かった時、私に出来ることは多くなかった。
何も出来なくても会いに行くこと、一緒にいること。そして神頼み。かなり切実だった。
この小説でも神頼みはその時出来ることの一つだ。
自分のことでも、大事な誰かのことでも、出来ることは全部やりたいという気持ち。それが祈りなんだな。
神様に届いたから願いが叶ったのか。
それとも個人の努力、能力、生命力、etc.のためなのか。
本当の本当のところは常に曖昧。
(むしろそこを曖昧にしないサイガサマはすごい。すごい設定ですよ、津村さん。)
でもだからこそ全力で頑張れるのかもしれない。
それがこの世界の優しさなのかも。
このやさしい小説を読んでそんなことを考えた。
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神社では、いきなり願い事をするのではなく、まずは今の状況を報告し感謝する事、それから自分の目標を宣言し助力を願う、これが本来のお参りだとどこかで読んだことがある。
とはいえ、俺も貪欲に願い事はしまくってるけども(笑
ザイガサマという神様は、願い事をかなえてくれるが、その代わり体のどこか一部を持って行ってしまう。で、絶対持って行って欲しくない体の部位(心臓だとかのうみそだとか)を工作して年に一度のお祭りにその模型を燃やして奉納する…そういう風習がある街でのお話
って設定はとても良い。ちょっとSFやん、ちょっとファンタジーやん、
でも難をいうと、津村作品ってどうも最初がとっつきにくいねんなぁ。この本に入ってる2作も例外じゃなく、世界観になじむまで妙に読みづらい文体。
でも、そこを抜ければ津村ワールドに入り込める。そうなればしめたもので、読了するまでの間日常とも異世界ともとれるようなたそがれ時みたいな空間を満喫できる。
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20150130
ものすごく久しぶりにこういうのを読んだ気がする。
たぶんブクログのランキングで出て来て、なんとなく読んでみようかなと思ったんだけども、久しぶりで入りこむのに時間かかった…でもわりとすぐ馴染めた方、かな。
読みやすいと思った。
男子が主人公の中編と短編。
お祈りに関するお話。
「サイガサマのウィッカーマン」
「バイアブランカの地層と少女」
特に事件もなく、主人公も普通の悩める青年で、日常を切り取った感じ。
サイガサマの方がシッカリとした話で、読み応えあった。
地層の方はさらりと読める感じ。
実は意外とちゃんとしてる思考の主人公たちだった。
もっとヘタレっぽいのを想像してた。
機会があれば、別の作品も読んでみたいなー
好きかどうかは判断しづらかったな。
面白かったんだけど。
サイガサマ
取られたくない体の部分を作ってお祈りして捧げるお祭りにまつわる話。主人公シゲルは高校生で、家庭の問題を抱えながらバイトしており、毎日イライラしている。サイガサマは好きではないのに、役所の清掃だったことと、昔、サイガサマについて調べたことがあってよく知っていたこと、話を聞いた人がいたことから、頼まれた手伝いを程よくこなすことができてしまい、更にイラつく。一方、何年も父親が寝たきりの幼馴染の女の子、セキグチと再会し、ポツポツと連絡するようになる。みたいな話。
地層
京都を出たことがない心配性の主人公、作朗は、京都のガイドボランティアをしている。心配性で実家が断層の上にあると知っていつも気にしている。恋人に振られたあと、外国人のための京都コミュニティサイトを知り、そこで、バイアブランカの女の子を知るようになる。みたいな話。
エンドーが明るくて程よくヘタレでいい子だ。
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日常の中の信仰について、淡々と、どこまでも淡々と綴られていました。
日々の生活の中で大変だなあと思うこともあるし、家族関係がうまくいかないなんて時もあるけれど、特別大きな事件があるわけでなく毎日が過ぎていって、だけどいろんなことが少しずつ変わっていく。
最初サイガサマの設定を見たときは、随分不思議なものだな、と思ったのに、気付けばそれは日常の中に溶け込んでいて、そもそも「信仰」というのはそんなものなのかもしれないと思ったりしました。
私は特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、震災で福島の母や祖母と連絡が取れなかった時とか、どうしても受かりたい転職活動の結果を待っている時とか、祈るように大きな何かに願いを託していたように思います。
大人になるにつれて、自分の力でどうにもならないような時、そこに固執して苦しくなるのではなく大きな何かに委ねることで楽になれることがあるということを学びました。だからこそ、信仰というのは決して現実から離れたところにあるのではなく、むしろ地に足をつけて歩いている人たちの現実と地続きのものである、というのを改めて感じた思いです。
どこまでも淡々としていて、気付けば読み終わっていて「これで終わりか」と思うようなところもあるけれど、最後はいつも少しだけ気持ちを明るく軽くさせてくれるもので、この淡々とした感じは嫌いじゃないです。
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津村記久子は、吉本ばななに似ていると思う。
ストーリーに大きな起伏があるわけではないけど、ゆるやかに日常生活が描かれるなかで、小さく好ましく変化している。
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主人公の男の子がずっといらいらしてて、だから最初は読みにくかったんよね。西加奈子が好きで、西加奈子のおもしろいのは最初のページからおもしろいのだけれど、西加奈子が薦めてる本はたいてい読みにくい感じの。
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サイガサマの方はお祭りの設定が割とファンタジーで、体の一部がぽろっと取れたら医学的にえらいことですが、意外と読んでいるなかですんなり受け入れてしまいます。ああそういうもんかと。
シゲルの友達やおばちゃんたちの信仰観もばらばらで、日本の土着信仰に対するおおらかさそのまんまのようでおもしろい。
最初はシゲルの反抗心が読んでいてめんどくさかったけど、終わりがよかったので満足。
バイアブランカも前向きな終わり方。
自分の見えない場所へ想いを馳せる楽しさ。逆に行けなくてよかったのかもしれん。
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サイガサマ、なんだか訳のわからないお祭りだけど、それは立派に信心されていて、地味な地域のコミュニティーを結束させる役割もあり、それを通して主人公のシゲルの少しずつ変わっていくさまをワクワクしながら読んだ。
バイアブランカも、活断層の上に住んでいること、実は正しく私の場合もそうらしい。スペイン語ちょっと勉強しだしたこともあり、なんや状況がわりと似ているせいで、地震が起きたらどうしようとおもいながら読んだ。
結局はアルゼンチンではなく大阪のアウトレットどまりというオチだけど、それも立派な進歩でちょっとうれしかった。
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西加奈子さんが、津村さんの小説が面白いとエッセイで書いていて。読後感がなんとなくほっこり爽やかなのが2人の作品に共通してるかも。
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私たちが神頼みをするのは、たいてい自分のことだけれど
他人のために祈ることだって時々はある。
それが大切な人のためだったら、自らを犠牲にしてでも
助けてもらえるようお願いにすることだってあるかもしれない。
この物語に出て来る『サイガさま』と呼ばれる神様は
願いを叶えるときに、願った人のどこか身体の一部を奪い去るという、ちょっと変わった神様だ。
そしてお話には、自分の一部を捧げてでも
誰かを助けた人たちがたくさん登場します。
最初は『なんだ?このイケスカないヤツは』と思って読んでいた主人公やその弟。
最後にはなんだかやけに愛おしく思えてきます♪
一緒に収録されているもうひとつの短編も秀逸。
思わずずっとそばにいて、支えてあげたくなってしまうような主人公の大学生(地震が怖くて極度の心配性。。。(笑))
こちらもまたわかりにくい愛と優しさではあるけれど
あったかい気分に包まれたお話です♪
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これまで読んだ津村さん作品の中でも、トップクラスに好きかもしれない。
今回は疲れたサラリーマンじゃなくて若い男の子が主人公の2編。2つ目の作朗が感動すら覚えるくらいにいいヤツで、1つ目のシゲルだってちょっとぶっきらぼうだけどかわいくて、ツボでした。
家族や友達や好きな女の子のために「お祈り」をするお話。津村さんなので、やっぱり細部がおもしろくて、設定も変わってて、笑ってしまいます。
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*「できない子」な地元の神様サイガサマ。「これだけは取られたくない」体の一部を工作して申告し祈りを捧げるという、奇妙な祭りがある町に育った不器用な高校生シゲル。父親は不倫中、弟は不登校、母親との関係もうまくいかない閉塞した日常のなか、大切なだれかのために心を込めて祈るということについて知る日がー*
架空の設定と現実感溢れるシニカルな文面が独特の不思議ワールドを引き出している。この人の表現のしかた、好きだなあ。読み終わった後の余韻もいい。
併録の「バイアブランカの地層と少女」もありそうでなさそうで、ほのぼのした良い作品。心配性で真面目な作朗が「みずきちゃんを眺める自分ともう一人、話す役割の自分が欲しい」と切望するシーンと、そのみずきちゃんとの約束をドタキャンしてまで、メル友のためにわめきながら法輪を回すところの対比がぐっときた。誰かのために無償で祈る。素敵な余韻の残る一冊。
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個人的事情からタイトルにひかれ手にとった作品。折しも熊本では大きな地震があり、このタイミングで読む事にも何か意味があるのかもしれないと、頭の片隅で思いながら読んだ。
津村さんの作品に出てくる人達は、普通のどこにでもいる人。集団の中では決して目立たず、その他大勢。容姿もぱっとしない。でもそんな彼らの心の内は考えてないようで、絶えず何かを考え続けている。それがじわじわ効いてくる。
上手く魅力を表現できないのがもどかしい。
ただ、ひっそりと誰かの事を想う、それで日常が回っていく、生きているってその繰り返しなのかも。