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なんか、ほんのちょっとの身の回りだけで話が完結してるのがスゴイ。
この関西弁、読者に通じてるんやろか?と、タマに心配になるけど。
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「サイガサマのウィッカーマン」
“できない子”と言われる神様。でも成長しているらしい。
現実は現実としてあるけれど、夢のようなお話。
「バイアブランカの地層と少女」
時々吹き出しながら読んだ。清凉寺の法輪を二人で回すくだりとか、好きでたまらない。
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サイガサマのウィッカーマンはこの作者には珍しく設定自体が半分SFのようで、でも舞台はいつもの関西圏という作品。
バイアブランカ〜は、主人公の行動にどうにも感情移入出来なかった。それはないだろ、と。
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『サイガサマのウィッカーマン』
人間の願いを叶える代わりに、体の一部を奪う、サイガサマという神様。年に一度、サイガサマに取られたくない部位を申請(細工物の形にして人形に編んだ籠の中に放り込み燃やす)する儀式が行われるという地方が舞台(架空の町)。
主人公・シゲルは、思春期にありがちな、家族、町、バイト、あらゆることに苛立ちを感じている高校生。サイガサマに対しても、どこかで軽侮の念を抱いているが、意に反して儀式に携わるようになり。周囲の人々の願い、歯車の狂った家族、サイガサマに傾倒する弟を目にして、目の前に横たわること、求められたことから逃げない、そんな決意を胸にする。
『バイアブランカの地層と少女』
嵐山で下宿する大学生・作郎は、ひょんなことからアルゼンチンに住む女の子とメールのやり取りを始める。手痛い2度の失恋を経て、恋のチャンスが目の前にやってくるも、なぜかそれを反故にして見たこともない地球の裏側に住む女の子のために祈る。法輪を回す回す。
身体が汚れるのも構わず、1日5度も地面に頭を擦りつける姿、何の変哲もない壁に群がる人々の姿、教典を唱う声に涙する姿。人が祈る姿というのは、なぜかくも美しいのかと、様々な国や地域を訪れたときに感じた。同時に、なぜそこまで祈れるのか、不思議でならなかった。
祈りというのは論理を超越した不思議な行為なんだ。心の奥から溢れる優しさのようなもの(うまく言えない、もっと適した言葉があるはず、)が、祈る人を突き動かしているのかなあと、本著を読んでなんとなく感じた。
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二作入っていた。
あらすじ
シゲルの住む町は、町全体でサイガサマという神様を信じている。サイガサマは、力の弱い神様なので、願いを叶える時には、体から一部もっていくらしい。体のなかで、持って行かないでほしい部分を工作(粘土・フェルト・ガラス)して、燃やすのが祭りだ。
現実離れした設定だけど、それを普通の日常に織り交ぜていて、サイガサマ設定よりも、シゲルたちの毎日の小さなことが印象に残った。お祭りよりも、それまでの準備段階のごちゃごちゃな講習会とか。
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「ディス・イズ・ザ・デイ 最終節に向かう22人」という小説が朝日新聞金曜夕刊に連載されていて、津村記久子作品はそれが初めてだった。J3あたりの地元密着チームのファンである主人公とその家族や恋人を巡る物語で、だいたい6回(1カ月半くらい)で1話が終わるペース。2017年8月現在は第6話を連載中だ。
私、この連載に夢中になってしまった。完全プロ野球派だし、サッカーJリーグなんていちばん興味ないというか理解できないというか、特にあのスタンドを埋める真っ赤だったりオレンジだったりするファンたちはいったい何なんだって、スポーツニュースを見るたび思っていたのだが、こういう人たちなのかということが「ディス・イズ・ザ・デイ」でわかり、実は私も分野は違うがそこそこファン活動をやっているのでまあまあ理解できてしまった。このエピソードはJリーグファンだから成り立つのであって、プロ野球では成り立たない気がする。どの話もいいんだけど、第5話は最後ちょっと泣いてしまった。
ということで興味を持った津村記久子作品、本当はポトスライムに行くべきだったんだろうかと思いつつ、なぜかこの本。「サイガサマのウィッカーマン」、最初はダメかと思った、結構普通かなって。でも逆だった。
この町には「サイガサマ(雑賀さま?和歌山の?)」という少しとろそうな神様がいて、冬至には「申告物」という、生贄というか身代わりのようなもの(臓器の)を捧げる祭があり、その申告物を夢中になって作る地元の人たちと、青春ど真ん中の高校生男子の悩み多き日常とを、フツーな感じで書くというのは並大抵じゃない。この町では、何か大きな助かりごとがあったある人の身体の一部が(引き換えに)なくなってしまうという事実があって、全然ビックリ感がなく描かれていて、何というかじわじわくるのだが、この感じ、「団地ともお」の小田扉の初期作品のような感じといえばいいのだろうか。さらにすごいのは変なだけじゃなくてガツンとした感動があるということだ。
祈るってどういうことなのか。この作品は、誰かのために祈るということの本質について考えさせられる。自分の力だけではどうしようもないこと、でもどうしてもその人のために何かしたいと思ったときに、祈りというのは自然と発生するのだろうか。そしてそれがかなえられたときに指とか目とか自分の一部がなくなったとしても、それは本人には納得のいくことだから、だからこうして受け入れられるのだろうか。
この小説でいちばん好きな部分です。
「シゲルは、セキヅカのぼつぼつとした話をじっと聞きながら、何もできない、ということを思った。自分には何も、セキヅカに与えられるものがない、と思った。そのことに、むなしくなるのでもなく、辛くなるのでもなく、ただ強く傷付いた。」今、転写して「強く傷付いた」というところで泣きそうになった。最後、シゲルの「祈り」は叶い、サイガサマもシゲルから持っていく。ラストの1ページも笑いながら泣いた。心が温かくなった。頑張れシゲル。
「バイアブランカの地層と少女」こちらは短編。心配しすぎな作朗くんの行動に結構共感する。こちらも地球の裏側の、FBで知ってるだけの女の子のために強く強く祈る話。人は誰かを思って不安になると祈るのだろうか。
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サイガサマという神様を信仰している地域の人達のお話
神話や神様は
時として不条理で。
不思議な読ませる力を持った1冊。
サイガサマいるのかもしれない。
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祈りというものをテーマに書かれた小説。最初の話は不思議で少しぞっとするようなところもある。田舎の町ってそういうことがありそうな感じがする。
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「サイガサマのウィッカーマン」と「バイアブランカの地層と少女」の2編。
タイトルを見ても何のことか良く判りませんね。
◆サイガサマ(雑賀様?);おそらく著者が創出したヘタレの神様。詳細は後述。
◆ウィッカーマン;英語では、編み細工(wicker)で出来た人型の構造物を意味する。また、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀。(wikipediaより)
◆バイアブランカ;(Bahía Blanca、"白い湾"の意)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州の大西洋沿岸、ブエノスアイレスの南西635kmにある都市。(wikipediaより)
このサイガサマという関西のある町内だけで奉られている神様が面白いのです。人の諸願を叶えることに積極的なのですが、もともと力が弱く、それを補うために願った人の体の一部を持って行ってしまう。それが見境なしで、時には心臓さえ取ってしまう「できない子」の神様なのです。困った人達は「ここだけは持っていかないでくれ」という部位を様々な方法で作り、それを集めて巨大な網細工の人型(ウィッカーマン)の中に入れ、冬至の時期に燃やしてサイガサマに「申告」する。
こう書くと、なんだか伝説の世界の様ですが、町内ではごく普通にリアルに捉えられていて、実際にそれと思われる事件がいくつも起こります。
とても面白い設定ですが、これは背景に過ぎません。
主人公はその街で暮らす男子高校生。高校生らしい無暗な怒りを、バラバラな家庭の状況や、恋心を抱く同級生の苦境に感じながら、結局はとても良い人なのです。まわりを固める脇役たちも存在感があります。
エンディングもおしゃれで、気持ち良い読後感でした。
それにしても、どうやってこんなストーリーを思いつくのでしょうか?作家さんの頭の中は不思議です。
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ふしぎな祭「サイガサマ」の話、ほか一遍。今まで読んだ津村さんの本で一番読みづらかった。司書が出てきた。
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願いを叶えるためには何かを持って言ってしまうと言う神様サイガサマ、これだけは持って言ってくれるなというものを申告物として制作し、それを冬至の日に燃やすという変わったお祭りのある地域に住む高校生シゲルの話。
まずはそのサイガサマのお祭りと申告物を作るという習慣におののきながら、なかなか入り込めずにいました。
お祭りの習慣というのは得てして不可思議なものであるものですが、サイガサマはなんだか頼りなげで思わずクスクスと笑ってしまう感じです。
今年のお祭りを経て、シゲルの周りにも変化があり、サイガサマは皆の願いを叶えていたようで良かった良かった。
ウィッカーマンは挿し絵のような感じなのでしょうか。
それが燃える…さすがに怖い。
お祭りですから盛り上がるのかな。
もうひとつの短編、『バイアブランカの地層と少女』はかなり好みの作品。
津村さん節満載で、所々で吹き出しながら読みました。
母をたずねて三千里にもフアナという女の子が出てきましたね。
なので、作朗のメル友のフアナの容姿もある程度想像できました。
作朗の心の言葉、エンドーとのやり取り、あー楽しかった♪
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サイガサマにこれだけは取られたくないものを工作して燃やし、祈りを捧げる祭り行事がある街。
その街で生まれ育ったニキビに悩む茂。
小学生のときにサイガサマの自由研究で賞をとったことのある茂だったが、
高校生になった今では毎年行われるその行事にうんざりしていた。
自分を持て余している母、登校拒否になってしまった弟、不倫している父、バラバラな家族のことや
将来のためにバイトをがんばっているセキヅカのこと
公民館のバイトの延長でサイガサマの祭りの手伝いをすることになり、改めて自分や周りを見つめ直してわかったこと。
他短編。
彼女にふられたばかりの大学生がアルゼンチンのメル友を思い祈ったこと。
誰かのために祈るのは頼りなく、そして何よりも尊い。
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津村記久子さんは、「浮遊霊ブラジル」が面白かった記憶があったので、図書館でたまたま見つけて借りてみた。中編と短編、二編の小説集。
サイガサマのウィッカーマン(中編)
父親が不倫しているようで、中2の弟も不登校になってしまった、母親はなんかいつもズレていて会話するのもダルい。そんな高2のシゲルだが、根は真面目。だから、どう家族と向き合ったらいいか分からない。
そんなシゲルの住む町(京都っぽい)で行われる冬至の祭り、「サイガサマ」。
この行事が好きなわけではないのに、何故だか深く関わることになり、ちょっとずつ自分の中の見方が変わっていく…。
バイアブランカの地層と少女(短編)
ダイワハウスのCMで、中村倫也が演じている心配症の夫のような大学生の主人公十和田。
京都から出たことのない彼は、ボランティアガイドをしているが、ある時アルゼンチンの女子学生とメールでやり取りするようになる。
彼女から送られてくる言葉は、不安症から抜け出せなかった十和田にとって、一歩踏み出すきっかけとなる。
どちらの小説の主人公も、地味で目立たないタイプなのだが、根がとても真面目な愛すべき男子。
こういう子にスポットを当てて書かれていることが、もうたまらなく愛しい感じ。
何かが大きく動くことはないが、小さな変化こそ日常の大事だと感じる。
2020.8.10
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2つの中篇が収録されており、若い男性が主人公の(高校生、大学生の違いはあるが)青春もので、家族や友人、そして、好きな人と、いろいろ悩みがあり、どちらかというと幸せだと思うことは、少ないかもしれないが、それでも全体通して読むと、そんなに悪いものでもないのではないか、と思える微妙な匙加減が素晴らしいと思います。ただ、「サイガサマのウィッカーマン」の方は、やや展開が冗長だったかな。
更に、その中に、日本や世界独自の文化や歴史民俗的要素が、奇妙なのほほんとした雰囲気でありながら、くすりと笑えて、時にピリリと辛い、独特な世界観で、面白いなあと感じました。ウィッカーマンは実際に存在することを知らなかったのですが、これを読んで興味を持ちました。
また、それぞれの主人公の性格が、結構、頭の中では色々毒を吐きつつも、若い頃特有の、妙な他人への気の遣い方加減が可笑しくて、何か好感を持てたのも、印象的でした。
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「何事もないように。いやもちろん何事かはあるだろうけれど、あらゆる物事ができるだけ早くそこから回復できるように」。
祈りのお話でした。誰かのために祈るというのは尊いです。
1話目「サイガサマのウィッカーマン」は、サイガサマという神に、願いの代償に取られたくないものを申告するためにそれを形作り、人形に詰め込んで冬至の日に焼く祭りが中心です。ウィッカーマンそっくりで、町ぐるみで真剣に申告物を作ってるのが異様なのだけれど、どこかのほほんとしているのが良かった。身体の一部を無くしても当然のことと受け入れられるのが信仰心の篤さなのか、長年の慣習なのか。。
主人公は、身体の一部を捧げないと相手の願いを叶えられないなんてサイガサマは力が弱い…と信仰に懐疑的だけれど、それでも祈る。代償は取られてるけれど、それへの反応にもふふっとなりました。
2話目「バイアブランカの地層と少女」は法輪回しで祈ってました。法輪回しはたぶんやったことがあります。
2話とものほほんと感じられたのは関西の方言だったからかも。京都でしょうか。
津村記久子さんなので日常のやってられなさや仕事の徒然としたあれこれもぐちぐち言ってるところもありましたが、根っから嫌な人がいないので、嫌な気分で読み終わる事がありません。それも好きです。