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身につけるべき教養
愛国心の形
言論の自由とは誰でも言いたいことを言う権利があるということではない。発言の正否真偽を判定するのは発言者本人ではなく、自由な言論の行き交う場そのものであり、場の威信に対する信用供与のことである。場の審判力に対する信認のことである。そのような場は、あるかないかではなく、あらしめること、私たちがそこで創り出さなくてはならないもの。
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鷲田清一と内田樹の大人のいない国を読みました。
日本は、人が成熟せず、大人にならなくても生きていける国になってしまった。
クレーマーやモンスターペアレントが横行する国になってしまった、ということが議論されています。
面白いと思ったのは、内田樹の以下のような主張でした。
SNSなどでの匿名のメッセージは本人が正しいと思っていてもそれは呪いのメッセージである。
なぜなら、呪いはその発信源が特定されるとその効果を失うからである。
表現の自由というのは、他の人が認めようと認めまいと自分は正しい、というメッセージを発信することではない。
メッセージはその受信者に対して発せられるものであり、受信者に対する「敬意」が必要である。
そのような呪いのメッセージが充満する世界で、少しでも呪いを中和することができるのは「祝福」のメッセージである。
少しでも、祝福のメッセージを発信できるようになりたいものだと思ったのでした。
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教養について、正しさを規定するもの、身体感覚の一致、言論の自由、二項対立を超えた合(アウフヘーベン)、定型句に込める万感の思い。
結論は、大人になれる気はしないが、めざしてみたい。
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2008年出版の単行本の文庫化。たぶんポイントは、この間に「東北大震災」があったにもかかわらず、お二人が指摘し、危惧する社会の幼稚化は、むしろ進行している印象を受けることです。
どうなっているのですかね、そう感じられる方はお読みになれば、考えるヒントには、確実になると思います。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202001140000/
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小気味良い対談の終章はとくに面白かった。「オメオメ」とか「ノコノコ」といったオノマトペがなぜ伝わるのかだとか、定型に万感をこめて余白をのこすことだとか、「利」でなく「理」で動く政治家がいないことだとか。
知性あるお二人のやりとりは、行間たっぷりであるのにまとまっている。
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2020/8/24
薄い冊子に厚い内容。
内田樹の「呪いの時代」でも言及されていたことなどがまとまっており、内田樹の本を読みたい人に入門編でこの一冊がお勧めしたい。
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ゲームマスターが居るような気になってしまう
つまり責任者出てこい!の思考
そうなったら全てが他人任せになっちゃうね
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違和感を感じる箇所もあったが、それぞれの切り口が興味深い。ほぼ対談の形なのでお気楽に読めるのも○。言葉遊びに興じる子どものような場面もあり、人の多様性を感じられる作品。単純に面白かった。
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対談をまとめたものだから
話は色々と飛ぶが
言論の自由とSNSで好き勝手言うことを混同するなという話には深く頷きました...
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当たりの本でした。
大人とは、幅のある人。本音と建前とか。矛盾を理解。
今は一様、幅がない。
・学びの意味、価値は事後的に知る。消費者マインドは受入れ不可。
・個性とは他者から与えられるもの。探すものではない。
・対話:両義的。善し悪しを理解して変わらないと成果ではない。
・周りの大人の価値観はずれてた方がいい。両親の価値観一致は有害な条件。心のひだ(人としての幅)ができる。
・SNS 投稿は呪い。だから匿名が有効。ネットのでのいじめ自殺は呪殺。言論の自由は呪詛を許容するわけではない。誤解。
言論の自由とは、何でも言って良いのではなく、その価値、扱いを世間に決めてもらうことに同意すること。
・話を「ずらす」ことも大切。煮詰まる前に。
・子供のまま、は厄災。矛盾を受入れ納得して幅が出てくる
・オノマトペ。オメオメ。日本語は特集号。舌が内臓の先端。ケアしていきましょう。外しましょう