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投稿者:ブリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の個人的な読書体験が、文字をキーに描かれている。
作家がどれだけ言葉を選び抜いたとしても、読者に語りかけるのは作家本人の声ではなく書体であり、著者には、本を開けばそこに、さまざまな声を持つ語り手が「いた」のだろう。
わたしは、著者のように、書体が自分に語りかけている声を聞く感受性は持ってはいないけれど、本書を読み終えるときには、自分が今まで開いたあらゆる本の中に、語り手たちがいたのだと深くしみいった。
日本の出版文化の豊かさが、この語り手たちの丁寧な仕事ぶりや豊穣さに支えられていることを、ひとりの女性の読書体験から実感できる。
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書体(フォントではなく書体と呼びたい)を食べ物になぞらえて紹介した本。まさにその通りと思うものあり、少し違うかなと感じるものもあり、自分ならこれだと当てはめながら読むのも楽しい。
書体見本帳が欲しくなる。
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これまで読書する上で書体を意識したことはなかった。あまりにも違和感があるのはさすがに読む気がしない時もあったと思うけど。
でもこれだけ書体から文字の印象を読み取る著者には驚かされた。そして明朝体でもこんなに種類があったことにびっくり。それを子どもながらに見分けていたなんて…
これからは字体もよく見てみよう。読書の楽しみが広がりそう。
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“絵本を箱からとりだして、ページをめくり、食い入るように文字をみつめていた私は、ひょっとしたらあのとき言葉を食べていたのかな。そんなふうに思わずにはいられないのだ。”[P.23]
文字を見てこんな風に感じ取ることができるなんてすごいなぁと始終思ったり。
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書体を気にして本を読んだこともなく、自分がパソコンで文章を書いたとしても明朝にするかゴシックにするかの2択になっていました。光村図書の教科書の文字が懐かしく、書き写しを想定した手書き風の文字だとは教えてもらわないと認識できませんでした。確かに光村教科書体で宮沢賢治のやまなし読みました。「クラムボンは笑ったよ。」
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マンガにホラー書体が使われ始めたのはいつ? 村上春樹が、堀江敏幸が紡ぐ文章にあうのはどんな書体? 本書では「言葉はぴったりの書体との組み合せで読んだときひときわ輝く」と言う著者が選ぶ〈滋味豊かな〉書体×文章の名組み合せを紹介します。小説、エッセイ、マンガ、「JJ」「Number」などの雑誌、宇多田ヒカルの歌詞カードに化粧品のパッケージ、教科書。デジタルフォントではない、ちょっと前まで日本で使われていた「写植書体」を料理の献立に見立て、愛情たっぷりに語ります。本と言葉を味わうすべての活字中毒者におススメです。
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ひたすら文字(というかフォント?)について語り尽くしている本。細かいことはよく分からないしそこが論点ではないなと思い読み飛ばしましたが、とてもユニークな視点で文字について著者の思いが綴られています。それでいてぶっ飛んだ感がないのは、多分本を読みなれている人なら一度は目にした書体であり、懐かしさとともに共感することが多いからでしょう。しかしよくまあこんなにピンとくる表現を見つけたものです。言われてみれば確かに・・・となるものも多くて妙に納得してしまう。書体への愛、ですかね?
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デザイナーという職業柄、タイポグラフィに詳しくなったがゆえに、ルールだ歴史だと妙に堅苦しくなって「文字愛」がすっかりなくなっていたところ、この本で著者のさまざまな書体に対するマニアックながらも超個人的な思いが語られているのに触れて、もっと自由に文字を愛してもいいんだということを思い出すことができました。ありがとうございました。
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作者の正木さんは、わたしより少し年上なくらいで、同年代と言えなくもないので、読んでいる本や雑誌とか、似ているものもあるけれど、内容はともかく「フォント」に着目したことはなかったので、同じものを見たり読んだりしていてもどれほど目に入っていない情報があるのかと思い知らされた。
文字を見て、「瑞々しい」とか、思ったこともなかった。
だけど、装丁とかも全て含めて、「本」なのだなあとも思った。
そう考えると、電子書籍ってのっぺらぼうみたいだ。
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写植の書体について、筆者の思い入れがたっぷりつまった読み物。
それにしても、子どもの頃に読んだ本の文字について、書体毎のささいな違いなど、よくおぼえているものだ。
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わかりみがすごいなコレ…。
精興社書体とかめっちゃ幼少時の読書時代思い出してわくわくするもんな…タイポスめっちゃかわいい…日活明朝体の爽やかさ…宇多田ヒカルの秀英細明朝体わかる…艶かなのマサルさん面白懐かしい…。
全ての乱読者必読、いや必見。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB13935655
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絵を見るのと同じように、日常に溶け込む書体を目で味わう。文章と書体の記憶が強烈に分かちがたく結びついている著者が、書体ごとの思い出と独自の偏見を語るエッセイ。
「絶対フォント感」という言葉は知ってたけどここまでの人がいるんだな。「文字を情報じゃなく物質として見る」というフレーズがこの本をよく表している。フォントの標本箱だ。
本が絶滅するとか言われて久しいが、活字や写植が物理的にそれを"組む"人に結びついていたという身体感覚は私の世代では既に失われている。菊池信義とか杉浦康平みたいなブックデザイナーが作業を始めると部屋はカッターで切った紙屑だらけになったと読んだことはあるけれど、書体を操ること自体が特殊能力だった時代、という過去の話としてしかイメージできない。
正木さんのフォント感は仕事で培ったものではなく天性で、幼いころから本ごとのフォントづかいが強烈に記憶に焼き付いているらしい。カメラ記憶の書体特化版みたいなことだろうか。もしかして可読性がフォントに大きく左右されるタイプの人も、逆手に取ればこういう能力が身につくのかな。それにしても改めて見るとリュウミンって長文に向かなくないか。
正木さんがフォントを語る様子はブラッドベリの『たんぽぽのお酒』にでてくる〈風の壜詰〉を思いださせる。この本は標本箱なのだがそれぞれのフォントは綺麗にピン留めされた剥製ではなく、正木さんが戸棚から思い出を封じ込めた壜をだしてきてくれて、蓋が開かれるとその空気ごと目の前に広がる。タイトルに「食卓」と付き、フォントが「チューインガムの文字」「炊きたてごはんの文字」と食べものに喩えられているように、正木さんにとっては文字のかたちが体感と固く結びついているのだ。この語り口がとても心地よい。