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◆実証に依拠しない思い込みの権化の書は、著者の人間性も白日に晒す。著者が専門とする経済「倫理」の名が泣いている◆
2013年(底本1997年)刊行。
著者は元成蹊大学名誉教授(経済思想史・経済倫理学)。
古今東西の36人の思想家・実務家(経済学者でない人も包含)の経済面での理念・思想を開陳せしめる書である。
ただし、多人数による雑駁さに加え、如何にしてかような思想に至ったかの淵源と思索過程の開示が貧しく、やや浅薄だ。
また、著者の自由市場至上主義は兎も角(ただし、それゆえに本書にも人選に難がある)、完全競争や情報の対称性を所与の前提としつつ議論を立て、思想家を評定していくという誤謬(というより、現実を見ずに机上の空論で満足する傾向)も散見される。
ただ、これとてあくまで経済理論の範疇であり、現実を見て理論的に正しいかどうかに懸かってくるのみだ(勿論、行動経済学の知見などに止まらず、現実を見れば、完全競争原理、自由市場主義はあくまでもモデルに過ぎず、その不正確性は言わずもがなだが)。
さらに問題なのは次の件。
「『劣悪』な、出来の悪い人間を社会がいかにしてコントロールするか(⇒何様ですか?)、いかにして犯罪者になるのを防ぎ(⇒出来の悪い人が犯罪者になる必然の関係はない)、勤勉に働かせるかか(勤勉な振り込め詐欺者はどう評すべきなんですかね?)。この問題は貧困問題の変種であるが…」と衒いなく叙述する。
これは、実証に依拠しない思い込みの権化と著者の人間性が滲み出た部分である。
それ故に、彼をして学者と名乗らせてはならない上、人として〇〇すべき存在と確信。
なお、フリードマン批判部分のみは参考に供する。