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雑誌ananに連載されたエッセイをまとめた第2弾。
日常に起こった出来事や思ったことが、優しい口調で語れており、その癒しが読むだけでストレスを消し去ってくれる。
雑学のネタにもなり、シーザーズサラダや信頼と信用の違いに東条英機のことまで、様々な分野の「へぇー」ってことを知ることができた。
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村上春樹のエッセイ第2弾。
相変わらずゆるくて肩の力が抜ける。
ところどころ気に入った話もあって満足。
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アボガドを買ってきて食べたという経験が私にはない。だから、どれくらいが食べ頃なのか全く見当がつかない。それを見分けるのがとてもむずかしい。そのことが副題になっている。まあ、だいたいどうでもいい話が多いのだけれど、でもよくもそんなどうでもいいことを覚えているなとつい笑ってしまう。そんな中、印象に残った個所を引用しよう。「人は結局のところ、自分の身の丈に合ったものしか、身にまとうことができない。合わないものを押しつけられても、そのうちに自然に剥がれ落ちてしまう。だから合わないものを押しつけられるのも、ひとつの立派な教育であると言えるかもしれない。」子どもたちには、期待をするあまり、たくさんのものを押しつけてしまっているのかもしれない。けれど、そのなかから少しでも自分に合うものを身につけてくれれば、それでよかったということになるのだろう。ところで、村上春樹が本を出すのは、新潮社、講談社、文藝春秋くらいですよね。ananの連載というのはとても特別なことだと思うのだけれど、そこには何があるのだろう。
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「村上ラジオ」は、村上春樹さんが雑誌「anan」で連載しているエッセイです。
で、「村上ラジオ」は、以前に読んでるんですが(内容はあまり覚えてないかも・・・)、今回も、読みやすくて、心地良い世界観のエッセイでした。
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村上春樹の小説はあんまり好きじゃないけど、これは面白かった。
美容院で渡されて、きっちり2時間で読み終えた。
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村上春樹さんの小説を読んだことはないが、エッセーは面白い。意外と「エッチなオトナの男性」というイメージを持った(褒め言葉です)。
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ブックオフで購入。
村上春樹のエッセイは走ること〜を読んで以来二回目。
他の方のレビューにもある通り、
村上春樹の小説は苦手だけどエッセイは大好きという部類の人間です私も。
彼が言うようにどうでもいいっちゃどうでもいい内容のエッセイなんだけど
村上春樹が書くことに意義があり、読む意味がある。といったところ。
個人的に面白かったのは
「ガラスの家に住む人は」というやつ。
ガラスの家に住む人はみだりに石を投げるべきではない、つまり人を責めたり非難する前に、自分に弱みがないかどうか、一応チェックしといた方がいいですよということわざ。
メモメモ。
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『あざらしのくちづけ』がやたらと印象に残りました。こわいものみたさだろうと思います。
さらさら流れていく文章。
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村上春樹さんのエッセイを久々に読んだ。同年代ということもあり読み易いし楽しめる。「Don't Know Much About History」から始まるサム・クックの「Wonderful World」のことが書いてあったのでハリソン・フォードの「目撃者」のダンス・シーンを思い出しすぐにウォークマンで聴いてしまった
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10代後半から20代半ばくらいの間に、彼の本はよく読んだ。
一度読んだ本は読み直す事はあまりしない私だけれど、
彼の本はなぜか何度も読み直した。
逆に今はなぜか新作が出ても手を出せない。
色々と「忙しく」って心に隙間がなくって
あの世界にトップリと浸かれないからか。
いつかまた読めるようになるといいのだけれど。
その代り、エッセイは今でもよく読む。
内容も押し付けがましくなく
肩の力が抜けてのんびりと読めるからか。
今回の本もそんな感じ。
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久々に村上さんのエッセイを読んだ。
意外な視点と発想でゆる~く綴られる彼のエッセイは結構好きです。
濃厚なミステリーにどっぷり浸かった後の箸休めにちょうどいい軽さだと思います。
でも、小泉今日子をウォークマンで聴きながらベネチア旅行している村上さんがどうしても想像できないのは私だけ?(笑)
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約10年前に刊行された『村上ラヂオ』は、ワケがあるわけでもないのに二冊買ってしまいました。つまり、読んだのを忘れて買った。それは当時、読書記録をつけていなかったせいかもしれない。はたまた、今回のエッセイもそうですが、すらすらと書かれた他愛のない(でも、おもしろい)一篇3ページ、挿絵をいれて4ページの短い文章なので、きっと3ヶ月後くらいには読んだことを忘れてしまいそうなくらいです。それほどに、毒っ気のないような清涼なエッセイだと言えるでしょう。小説家は、小説を書くのに小ネタのようなものを溜めこんでいて、必要に応じて小説に使うのだ、と村上さんは言う。そして、『1Q84』を書きあげた後だからこそ、残った小ネタを放出できるから、このエッセイの連載を引き受けたというようなことをおっしゃっている。それで、その吐きだされた、残っていた小ネタの数々なんですが、おもしろいんですよ。ユニークです。バーで隣の女性に話したら喜びそうな話ばかり。そして、その語り口もおだやかかつ軽妙で口当たりがいいのです。こういうおもしろい話をいっぱいできるから、村上春樹さんってすごいよなぁって思える。そこかよ、ってツッコミが入るかもしれませんが。もちろん、このエッセイでも文章の旨味っていうのは存分に味わうことができます。
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村上ラヂオ2ですね。やっぱりエッセイ楽しいなぁ。
『僕は本業が小説家てあって、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと考えています。』とのことだけど、そういうのが良いよね。とっても美味しいです。
サブタイトルの「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」の話は、ちょっと深いような、そうでもないような…どうなのかなぁ…。でも話の切り取りかたが独特ですよね。流石は春樹さん…?
好きな文章メモ(上に書いたエッセイのことも含む)
マニュアルの運転は、オートマよりも要領を覚えるのに多少時間がかかる。足も一本余分に使わなくてはならない。でも自動車や水泳と同じで、いったん身体で覚えてしまえば、一生忘れることはない。そしてオートマしか運転しない人よりも、人生は目盛りひとつぶん確実に楽しくなる。本当ですよ。
エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなもの
人の悪口を具体的に書かないこと
言い訳や自慢をなるべく書かないようにすること
時事的な話題は避けること
三十歳を過ぎて変わったといえば、小説家になり、生活を一新したことだった。煙草をやめ、早寝早起きをし、毎日走るようになった。
二十代はかなりどたばたした忙しいものだった。普通の人は学校を卒業し、就職をし、それから結婚するものだけど、僕の場合はまったく逆で、結婚してから仕事を始め、そのあと大学を卒業した。むちゃくちゃといえばむちゃくちゃなんだけど、結果としてそういう順番になっちまったんだからしょうがない。
うん。やっぱり独特。好きなほうの。
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おいおいどうしたムラカミ、なんだかあんまり面白くないぞ。1冊目はよかったのに。…と言いつつ再読中。
NY bookoff $4
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村上春樹のエッセイ。1Q84を書き終えたあと、肩にちからを入れずに書いた。そんな抜け感が心地よい作品。
シーザーズサラダ。夏の昼下がりにアイスティーを飲みながら、ぱりっと鮮やかなシーザーズサラダを食べるのは、人生最大の喜びのひとつだとまではいわないけど、なかなか心なごむものです。とか。素敵な表現。
日本の書店では、作家が男女別で置かれている。外国では見ない。これは普通のこと。でも、男女別でも意味ない、文章に男女はないから、でも外国にはゲイレズビアンコーナーがある。これは、日本では見ない。ちなみに、シシャモをオスメス別で売っていた、オスはやっぱり美味しくないという展開。文化の違いと日常の面白い瞬間を、読者と繋げて引きこむ。こういう文章を書きたいものだ。
日常の素敵なものごと、生活することの嬉しさ。ナンテコトナイ、幸せを見つけては、それを紡ぐようにして文章をつくる。自分にも、何か届くような感覚がある。まずは、肩の力を抜いて、電車に乗ってみようか。