集団的自衛権の誤解を解く
2016/11/06 18:27
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投稿者:kongou - この投稿者のレビュー一覧を見る
集団的自衛権についてわかりやすく説明しています。集団的自衛権を認めた場合のメリットもよくわかりました。よくある質問に対しての返しもなるほどと思いました。石破さんは次期総理にふさわしいです。
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投稿者:のび太君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
石破さんの防衛についての考えがわかりやすくまとめられている。ただ、さすがに全てに賛同できるわけではなかった。
批判的に読むことが必要
2017/11/10 22:01
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投稿者:へろろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
あくまでも石破さんの考えであり、「ん?」と思うところがある。批判的に読むことが必要。
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防衛庁長官、防衛大臣を経験し日本の国防に対して強い危機感を感じていることが、文章からはっきりと伝わってきた。
個人的に、石破氏にはプラスのイメージもマイナスのイメージも無かった。
そしてこの本を読み始める時も、「どうせ集団的自衛権を実現させる方向に持ってかせたい強引な主張の本だろう」と斜に構えていた。
しかし、内容は想像以上にしっかりとしたものであった。
前半は、集団的自衛権とは何か、主にどういう誤解をされているか、そしてそれはなぜ必要なのかを丁寧に追っている。さらに後半には主な反論や誤解に答えるという形で分かりやすく説明が行われている。
もちろん、この本を読んだからと言って集団的自衛権推進に両手を挙げて賛成となるわけではない。
例えば、集団的自衛権の行使は国連による集団安全保障が行われるまでの「間」を埋めるものだから、ケンカで警察が来るまでの正当防衛と同じだとの主張に対しては、警察は呼べば来るが、国連の集団安全保障が大事な時に常任理事国の拒否権によって機能しないことは歴史が示しており、そこの改善がなされない限り、集団的自衛権の恣意的濫用は行われかねないとの危惧がある点が挙げられる。
しかし、この本を読むことで、少なくとも筋違いの反論はしなくなるだろう。例えば、日本は平和憲法があり集団的自衛権を禁止してるからこそ戦争に巻き込まれないんだ!とか、アメリカの戦争に巻き込まれるのは嫌だが、アメリカは日本を守ってくれる!とか、それでもアメリカの基地は日本から失くしたい!などの意見である。
集団的自衛権の件に限らず、こうした筋違いかつ感情的な意見はマスコミを中心に多く見られるが、それにより当事者の危機感から来る叫びがかき消されてしまうことは、本当に国益を損なうことにつながっていると思う。
その点でも、本書のように直接的に当事者の声を聞くことは重要であると思う。
話は変わって具体的な内容についてだが、本書の中盤において石破氏は外交力を決める三本柱は「経済力」「安全保障」「武器輸出」であるとしている。
ここで個人的に感じたのは、武器輸出をかなり重視しているなという点である。確かに世界的、歴史的にみても、冷戦期を例に挙げるまでもなく武器輸出は協力関係、支配関係の重要なファクターであるのは間違いない。しかしそう考えると、集団的自衛権の行使が可能になった後は、次なる標的として武器輸出三原則があがることは想像に難くない。
さらに想像でいえば、武器輸出を解禁し、軍事産業を新たな経済成長戦略として考えることもあながち空想とも言えないだろう。
もちろん本書では武器輸出三原則について詳しく触れてはいないが、外交の当事者として日米同盟を維持し安全保障を守るための強い危機感が、そんな考えも想起させるほど強く伝わってくる内容であったことは確かである。
「日本版NSCとは何か」と合わせて、最近読んで良かった一冊である。
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後半の対話編が秀逸。真正面からくどくどと答えているわけではないが、納得はできる。集団的自衛権容認派としては、一番よく書けている。
・政府の解釈自体、変遷を遂げている。
・本来、集団的自衛権を行使して良いかどうかの判断は、「日本の領土・領空・領海への攻撃か」を基準にすべきではなく、攻撃国の行為が「日本に対する攻撃と同じだとみなすことができるか」を基準にすべき。
・世界の常識では、国の外交力は「経済力」「安全保障」「武器輸出」の三つを大きな柱としている。
・日本は武器を輸出していない、立派だねとはならない。なぜなら、どの国も武器を持っているから。
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「集団的自衛権」を認めるように憲法解釈を変えるのが石破さんの悲願なんですが、そのあたりに漂う不安や疑問に丁寧に答える新刊で、良くわかりました。賛否両論のテーマですが、マスコミやネット記事だけでは問題の一部しか捉えられませんから、こういう丁寧な解説は貴重に思います。
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まえがきで石破茂氏が集団的自衛権は、決して「軍事オタク」だけが知っておくべきことではありませんし(以下略/P7より引用)と述べているように日本国民の誰しもが真剣に考えるべき問題である。集団的自衛権に関してはマスコミによる情報操作のせいで誤解を招いているような気もする。この本には石破氏がわかりやすく噛み砕いてあるので、一度読む事をおすすめする。
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非常にわかりやすい。想定問答や、ケース紹介もあり、くどい位にわかりやすい。勿論、集団的自衛権が必要だという論理を突き通す。読み手も、そうか、と思ってしまう。勿論、読む前からその必要性は分かっていたつもりだが、警察的自衛権、集団安全保障、個別的自衛権の違い、法的解釈、閣議決定の歴史について詳しく分かる。石破さんのロジックは素晴らしい。
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「集団的自衛権」と安全保障理事会による採択の元に発動される「集団安全保障」の違いや関係性について知る。
集団的自衛権や個別的自衛権は各国が自然権として保持している権利であり、国連加盟国にとっては、どちらも安保理による集団安全保障が発動されるまでのいわば「つなぎ」として国家の安全を守るために使われる権利だということ。
主張は非常に論理的で分かりやすい。
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集団的自衛権が国家にとっての自然権であるということはすでに国際的には議論の余地がないほどに受け要られている。
日本は今、同盟国であるアメリカの技術に相当程度依存している。
日本には巻き込まれるという受け身の発想だけではなく、日本有事の際にはアメリカを巻き込むという積極的な発想こそが必要。
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スタンスがはっきりしていて、主張も明確。基礎勉強としては面白い。
まず原則は「集団安全保障」。第一次世界大戦以降に生まれる。
これを機能させるために、加盟国は兵力その他の援助をする。それに関わることは安全保障理事会で決める(国連憲章第43条)
安全保障理事会15か国中、9カ国以上が賛成すれば決定。しかし、5の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)のうち1つでも拒否したら合意は成立しない。非常任理事国は毎年半分が改選。
集団的自衛権の概念は、国連憲章第51条。
自国が攻められた場合に、安全保障理事会の対応までの間、「個別的又は集団的自衛」の固有の権利が妨げられるものではないと規定している。ただし安全保障理事会への報告は必要。
国連の現在のコンセンサスは、集団的自衛権の行使に冠詞、
①加盟国への武力攻撃
②安保理が必要な措置をとるまでの間
③行使したら遅滞なく安保理に報告
④不法な武力攻撃の存在を被害国が宣言
⑤被害国が支援を要請
⑥必要性、均衡性を有する
⑦危害を避けるためにやむをえないものであること
が要件。
かつてのベトナム戦争(アメリカの軍事介入)、プラハの春(ソ連の軍事介入)は、上記の要件に沿って考えれば、集団的自衛権の行使たるか怪しいもの。
日本はこれまで自衛権に関する解釈を変更してきた。
①最初は、憲法は自衛権を否定していないが、それを行使する手段は憲法9条2項により存在しないので、自衛権が行使できない。
②自衛権はある。しかし、米軍が集団的自衛権として行使する。(朝鮮戦争時。このとき警察予備隊が発足(米軍が朝鮮半島に移動し、国内に強力な治安維持勢力が存在しなくなることを回避するためにアメリカの要請を受けて作ったもの。独立回復後、警察予備隊は国家防衛を任務とする保安隊に移行)
③個別自衛権だけはある。(1954年自衛隊が発足。憲法9条2項がある限り、国同士が対等に防衛しあうといった取り決めを結ぶことができないので、集団的自衛権を行使できない。
④在日米軍を守ることは、個別自衛権の行使として行使可能。
⑤国際法上、集団的自衛権は保有しているが、そのソチは必要最小限であり、他国に対する武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は憲法上許されない
⑥現在の解釈は、集団的自衛権の行使は憲法に定められた自衛の範囲を超えるので、全く使えない。集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されない。(1981年)
憲法9条で集団的自衛権の行使を認めない理由が見つからなければ解釈で変更可能。法に基づき、要件等を決める。安倍、石破、前原等はこのスタンス。
個別的自衛権の行使を容認する根拠は、国家の性質としての「生存権」(正等防衛は、自分の身を守る自然権であり、救助に「間」がある以上、個人による個別自衛の発動は認められる。間を生めて、社会の秩序に役立つ、との考え)
世界の常識で考えれば、国の外交力は「経済力」「(軍事力を含めた)安全保障」「武器輸���」の三つを大きな柱としている。
現状、世界の潮流は「武器の共同研究、共同開発、共同生産、相互連携運用」という方向に向かっており、冷戦後特にその傾向が顕著になりつつある。
イラク攻撃は、アメリカの自衛権行使ではなく、国連安保理の決議に基づいて多国籍軍が動いたもの。
個人的には、9条2項の内容を読む限り、「前項の目的を達成する(侵略戦争の放棄)ため」、軍隊が否認されているわけであって、自衛隊が存在している以上、自衛のための軍隊は保持できるし、交戦権も認めらているのであって、であれば、個別自衛権と集団的自衛権を憲法上の文言では分けていないので、憲法上、個別自衛権が認められており、集団的自衛権が認められていない、とする論理的な理由はないように思える。であれば、確かに、憲法解釈の変更により、集団的自衛権を認めることは可能。これまでも憲法の解釈は政治的要請・アメリカとの関係等により変更されてきた。解釈変更は、閣議決定だね。主意書が閣議決定で決まっているのだから、閣議決定の変更は閣議決定でする、という考え方は納得。あとは、権利義務を縛るものだから、立法によって、その権利の内容や要件を記載する、ということか。石破さんの主張は、筋が通っていると思う。
しかし、改めて憲法制定時の、アメリカ側の原案を見てみたけど、これはひどいな。もし原案のまま憲法ができたら、永遠に軍隊保持すらできず、個別自衛権すら認められない奴隷国になるところだった。当時の日本も敗戦してわずかだが、国の誇りは失っていなかったのだ。
<マッカーサーの憲法草案(出典不明)>
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
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来週初めに安保法制懇の報告が出て、安倍首相が集団的自衛権の解釈改憲を行うのかが、焦点になっています(5月10日段階)。そんな中で最も近著の自民党幹部による集団的自衛権解説本である。
「あらゆる疑問、懸念に正面から答える。冷静な議論のために」と帯にある。その通りで、わりと正直に答えているように思える。
「必要であれば、地球の裏側にも行く」「アメリカに飛んでいく弾道ミサイルを撃ち落とすことは現状出来ない」「ホルムズ海峡の地雷除去も警察権的行使で出来る」など、従来の自民党の主張をアッサリ覆しているところもある。しかし、多くは突っ込みどころ満載の内容だった。
「大前提として強調しておきますが、集団的自衛権というのは「戦争をしかけられる確率を低くするための知恵」です」(141p)
石破さんの歪な頭の中ではそうなのかもしれないが、戦後の歴史と、現代のアメリカ発信に寄らない国際情勢をきちんとみれば、何の根拠もない主張だということがわかるだろう。
「アメリカの巻き添えになるだけではないのか?」という疑問には、「相反する二つの恐怖が同盟にはつきまとうのです。それは「同盟国の戦争に巻き込まれる」恐怖と「同盟国に見捨てられる」恐怖です」(144p)と答えています。かなりホンネだと思えますが、見捨てるのはアメリカの大企業だろうし、見捨てられて怖いのは、日本の一部だということは述べられていません。
そんなことのために、日本が営々と戦後60数年積み上げて来た憲法9条のある国という名誉を投げ捨てていいものだろうか。いや憲法9条があったからではない、と石破さんは言います。「日本が他国に攻め込まれなかった主な理由は、日米安全保障条約があり、アメリカという強大な軍事力をもつ国と同盟関係にあり、自衛隊という自国を守ることが出来る組織があり、といった条件が揃っていたから、と考えるのが自然でしょう」(154p)
まったく理解出来ない。というのが、私の正直な気持ちです。戦後の日本の歴史の中で、ベトナム戦争にしても何にしても、何処に日米同盟以外で他国から攻められる契機があったのだろう。
「イケイケドンドンにならない。制限をかけるのだ」とも言っている。しかし、石破さん自身が「スタート段階はかなり(範囲が)限定されたもの」といいつつ、「もし必要であれば、それをさらに広げることは可能だ」と語っています(5月2日)。こういうのをペテンとは言わないのか?限定というけれども無限定となり、どこまでも広がっていくだろう。
因みに「集団的自衛権が国家にとっての自然権であることはすでに国際的には、議論の余地がないほどに受け入れられている」(31p)というのは、まったくの反対であって、国際的にも国際司法裁判所の判決でも、反対の流れになっているのである。それはこの本より半年前に出された「集団的自衛権の深層」(松竹信幸)に詳しい。
2014年5月4日読了
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集団的自衛権の行使を認め、より対等な形の条約に改定することで、米軍基地を減らすことができる可能性が高くなるのは間違いない。
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《論点整理》
①集団的自衛権とは何か
②現行憲法9条において、集団的自衛権は認められるのか
③日本は集団的自衛権を行使できるようにするべきか
④その他
《自分の考え》
①定義はある程度理解したが、何でもアリになる可能性を否定できない
②9条の解釈変更で行使可能。但し、三権分立に基づき、憲法解釈は司法の権限では。
③当然するべき。今そこにある危機は明白。力と判断力を備えた、大人の国になるべき。
④抑止力になるか、は評価する人次第。
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石破さんの本
Q&Aが分かりやすい。
この本を読むと集団的自衛権が行使できるようにいろいろと議論を深めていくことが必要だと感じたが、逆の立場からの本を読んだら自分がどう感じるか興味があるので、別の本も読んでみたい。