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筋肉質の大きな身体の男性が、アップに写る表紙、そして刺激的なタイトル。
この本が単行本として書店に置かれていた時から、「どんな内容なのだろう」と気になっていました。
しかしあまりの分厚さに躊躇っている間に、時は流れてしまいました。
記憶から薄れかけていたところ、上下巻の文庫となって平積みされていたので、今度は迷わず、レジに運びました。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた柔道王、木村政彦の生涯を追った、ノンフィクションです。
熊本の貧しい家庭に育った、木村少年。
その彼が日本一の柔道王、牛島辰熊と出会います。
彼が待ち受けていたのはまさしく、「鬼」の猛練習。
師弟が目標にしたのは、開催不定期の天覧試合を制覇すること。
「強くなりたい」という一心で、人の3倍、9時間とも10時間とも言われる壮絶な練習を積んだ木村は・・・という展開。
戦時中に柔道界トップに登りつめ、全盛期を迎えた木村。
しかし戦争による大会と練習の中断、戦後の柔道の組織統合・ルール変更。
師匠と離れ、抑えられていた奔放な性格を御せず、体力も経済力も堕ちていく日々。
その先に待っていたのが、もうひとりの怪物、力道山。
著者は木村の戦闘能力と、力道山の興行主としての力量を、詳細に検証していきます。
そして格闘家としての名声が地に落ちた木村が、その後どのような人生を歩んだのか、多くの関係者の証言を交えて、トレースしていきます。
一人の柔道家・格闘家の人生を追うということが主題になっているのですが、その副流として、数多くの要素が織り込まれているなあと、感じました。
主だったところを挙げてみます。
・柔道の成り立ちと講道館という存在、スポーツ競技としての柔道、立技と寝技
・師匠と弟子との関係、思想を持つ人間/持たない人間
・究極まで鍛えた人間の強さ
・武道としての格闘技と、プロとしての興行
・ブラジルの日本人移民の歴史と、柔道の世界伝播
・戦中/戦後における在日朝鮮人の意識の変化
・家族愛
上下巻通じて1200ページ近くある大作ですが、本流と副流のバランスが良いこともあり、次へ次へと、読み進めました。
格闘技に全く興味が無い人には辛い分量かもしれませんが、20世紀という時代を振り返るという意味でも、魅力がたくさんつまった作品だと思います。
読了後は、この本で触れられている試合を動画サイトであれこれ、見てしまいましたよ。
久しぶりに、「読み応えのあるノンフィクションに巡り合えたなあ」と感じた、力作でした。
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上下巻を通じて,一気に読んだ。木村・グレイシー戦の動画を見て震えとしびれのようなものを感じたが,本書の文章は眼差しの暖かさと熱意に満ちている。筆者が力道山への敵意に駆られているという印象はあるが,グレイシー戦の王者たる風格を見れば,納得というか,これまで木村という人を知らなかったのが恥ずかしいくらい。迫力の長編木村弁護だね。強さだけじゃなくて,周囲の人間との間での振る舞い,弱さ,時として醜さ,いろんなことを感じさせてくれる素晴らしい人間ドキュメンタリーでもあるから読ませるのでしょう。
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歴史にもしは無いが、あの時もしこうならと筆者のやるせない思いや悔しさが作品全体に漂っている。なぜ殺さなかったのか。人間らしさ、自分を愛する人がいる環境が理由の一つであると思う。強い一面も弱い一面も筆者は認めていて彼に対して正直に向き合いたいという姿勢がこの作品の価値全てであると言っても過言ではない。
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柔道のことだけでなく、戦後の日本の抱えた闇についても描かれている。木村政彦の柔道の強さ、人間性。力道山はここではヒール。
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早稲田出身の山口六段は、東海林太郎が大学の先輩にあたる 加藤幸夫は千葉県内て整骨院を営む UFCでのホイスグレイシー マルメラーダ(八百長) バーリトゥードのシュート(真剣勝負) グラップラー(組技系格闘家)青木真也 ガードポジション=両脚による下からの胴締めの体勢 マウントポジション=馬乗りの体勢のこと パウンド=寝業で上になった者が下の者の顔を殴ること 勝者が全て正しい。敗者は黙っているしかないのである。 「勝ち組」と「負け組」が殺し合いの抗争を続ける サンパウロとリオデジャネイロは感覚的には東京と大阪の距離である。 コルコバードの丘のキリスト像 マラカナンの悲劇 「屈辱」から「誇り」にまで昇華 「自身の誇り」と「他者へのリスペクト」という人間にとって最も大切なもの 中井祐樹ユー、サムライ 遠ちゃんがそんなことを…? やんちゃな反面、とてつもなく魅力的な男だった 彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。 ホイスはキッと目を剥いてこう言った 関取止まりの力士 パトロン新田新作 資材部長 シャープ兄弟14連戦 あれはただのプロレスのブック破りでしかない 高坂剛 中井祐樹 太田章 柔道家として悔しい サッカーボールキック 刺す瞬間、ほんの一瞬でもいいからそれを味わいたかった ああ…でも悲しいなあ… 介錯を待っている 暗い怨嗟 西郷隆秀 岩釣兼生 武徳会の解散 ヘーシンク 犬鍋 深夜の電柱打ち込み 天理大学 日本航空のスチュワーデス スイス移住計画 金田正一 張本勲 猪熊功 割腹自殺 茗荷谷駅前の焼肉屋 拓殖大学柔道部 ソ連の黒船サンボ ハイキックガール中達也 1トン蹴りの田畑 復讐に賭けた一夏 カナダ代表ロジャース 「今の柔道は豚のやる柔道 」とまで斬って捨てた 頸動脈 プロレスのアングル 聖マリアンナ医大柔道部 肥後犬と秋田犬 三倍努力 石井慧 UFC 大山倍達 山本五十六 合気道の塩田剛三 日本航空大学山梨キャンパス 若い頃に一人で彷徨した海外を斗美に見せたかった 結核にはストレプトマイシン 木村は体力が衰えることを酷く怖がっていた 肉体の衰えは、そして強さを失うことは、木村にとって本物の死よりも辛いアイデンティティの死を意味した 煉獄の苦しみ ヒクソングレイシー 悲しみをたたえた目で私を見ながら、しかし厳しく言った 武道家というのはロッカールームをでるとき、既に生きるか死ぬかの戦いの準備ができていなければならない。 生涯希求し続けた打撃ありの理想の柔道 板垣恵介 オーバーワーク
ハロルド(Harold)は、主に英語圏の男性名、姓。古英語で「英雄的な導き手」 (heroic leader)を意味する。愛称・短縮形は、ハリーまたはハル。
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) - bookworm's digest
http://tacbook.hatenablog.com/entry/2015/03/21/124413
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牛島辰熊から木村政彦、岩釣兼生、
石井慧まで連綿と受け継がれる鬼の柔道。
格闘技好きは必読の書物です。
桜庭がグレイシー狩りをする何十年も前に
エリオ・グレイシーに圧勝した木村。
そして力道山とのセメントファイトの謎。
ラストの岩釣のくだりを読んで、
木村の魂を、柔道家としてのプライドを感じました。
著者の柔道愛に満ち溢れる作品です。
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面白さ文句なし。
したたに抜かりなく生きた人間に興味は覚えない。
迷い、挫折し、それでも生き抜いた人間に引かれる。
最強の男が屈辱に塗れた半生を送ったことに悲しみを覚えずにいられない。木村は最強だった。間違いない。
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http://sessendo.blogspot.jp/2016/10/blog-post_13.html
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師匠・牛島との決別、プロレス団体設立、海外興行、ブラジルでのフリオ・グレイシーとの対決。
柔道と距離を置きショーとしての格闘技に身を置く木村。そして運命の「巌流島決戦」。
全てを手に入れながら命を落とした力道山。
表舞台から抹殺されながらも不器用に生きつづけた木村。
運命に翻弄された男たちの人生と苦悩が交錯する熱くて哀しい人間ドラマ。
筆者の徹底した取材と熱意が作品全体から伝わってくる魂のノンフィクション。
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木村政彦の生涯を追うドキュメンタリーの後編。
後編は師弟の絆を切って始めた、プロ柔道の旗揚げ。
そしてプロレスに進出するところから始まる。
実入りがいいショーとしてのプロレスを始めた木村だが、それがちょうど日本プロレスの黎明期に重なり、時代の寵児となる。
しかし狡猾な怪物、力道山に陥れられ、歴史的な決戦で屈辱的な敗戦を喫する。
その時の恨み、苦しみは生涯晴れることはないが、それでも木村は生き続け、古巣である拓大柔道部に指導者として居場所を見つける。
対してプロレス会の王となっていた力道山はヤクザ者の刃物で死ぬことになる。
武道・格闘技の歴史としても面白いですが、人を踏み台にして成り上がった力道山と大事な一戦を敗けはしたが、その後家族と弟子たちに愛されながらひっそりと生きた木村。どちらの人生がより豊かだったかと考えさせられました。
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下巻、ブラジルでのエリオグレイシーとの一戦。そして力道山との一戦。いかに勝負師である木村政彦が、いかに負けたかを検証するとともに、鬼の木村がその敗北により、葛藤とともに生きていくのかを見事に書き上げている。著者の取材力とその喘ぎともとれる執筆にも目を見張るべきであろう。
果たして木村政彦みたいな怪物が、この時代に出てくるのであろうか。
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プロレスの世界に入った木村は力道山とタッグを組み、シャープ兄弟との闘いを繰り広げる。それがテレビやラジオで放送されるやいなや、たちまちのうちにプロレスは大人気となった。敗戦後、アメリカとの国力の差にいやが上にも気づかされ、鬱屈した気分でいた日本人は互角以上の戦いをみせる日本人チームに歓喜の声をあげ、熱狂した。街頭テレビの前には何万人もの観客が押し寄せた。
しかし、その熱狂とは裏腹に木村の心は暗く沈んでいく。人気が出るのは力道山ばかりだったからだ。それもそのはず、あらかじめストーリーを決められた試合の中で、木村は常に負け役を演じさせられ、勝つのはいつも力道山だったからだ。プロレスがショーではなく真剣勝負だと勘違いしていた国民が、柔道王の木村より、力道山のほうが強いと思うのは当然だった。
最初はプロモーターでもある力道山のやり方に協力をしていたが、自分だけがヒーローになろうとする力道山の仕打ちに、木村は怒りを覚える。
ついに「真剣勝負だったら絶対に勝つ」と発言してしまった。
それはつまり、暗にプロレスは八百長だと公言してしまったことと同じだった。
これには力道山もだまっていない。八百長がバレれば興行は失敗し、プロレスはその黎明期を経験しただけで、消滅してしまいかねない。
このような経緯から「昭和の巌流島」と称される世紀の一戦がはじまった。
しかし木村の絶対の自信に反して結果はKO失神という惨敗。果たしてそこにはどのような駆け引きがあったのか。
現在、YouTubeでもこの試合の動画は観ることができる。
著者は、この動画を様々な格闘家に観てもらい、格闘家の目にはこの試合はどう映ったか、そして真剣勝負だったら、はたしてどちらが勝っていたのかをインタビュー取材している。
ここがこの本の肝であり、最大の山場だから著者が至った結論は伏せたい。
それとは別に戦後のヒーロー力道山と、戦前のヒーロー木村政彦の対象的な生き方が、とても興味深い。
力道山はテレビの顔からは伺いしれない裏の顔があった。権力をもった者には愛想良く近づくが、利用し尽くしたらあとはさっさと切り捨てる。恩を仇で返し、多くの人から恨みを買った。大恩人を割腹自殺をさせる事態にまで追い込んでもいる。
弟子であるジャイアント馬場には「人間的には尊敬できるところがひとつもなかった」と言わしめ、アントニオ猪木には「けっして弱い者いじめはだけはしないと心に決めた」と反面教師の扱いを受けている。
これだけ人から恨みを買っていれば、やくざに刺されなくても、遅かれ早かれの問題で殺されてたんじゃないかと思う。
木村はガキ大将がそのまま大きくなったような裏表のない豪放磊落な性格で、無茶をして迷惑もかけるが、どこかに茶目っ気がある。そして人に好かれる。
もともと木村がプロレスの世界に入ったきっかけも、家族を養うため、妻の結核を治す薬を手に入れるため大金が必要だったという一面もある。
後半生は後進の指導にあたり、多くの逸材を育てている。
しかし、力道山との再戦が叶わず、汚名をすすぐ機会を永遠に奪われた木村の心には、そのことが澱となっていつまでも残り続けた。心中いかばかりかは察しようもないが、木村の後半生で暗い部分があるとすれば、これが原因としか言えない。
著者がヒクソン・グレイシーにインタビューした様子も記されている。
グレイシー一族のなかで、木村政彦はいまでも尊敬されている伝説の格闘家だ。そもそも木村の名前が再び注目を集めたのはUFCの大会でホイス・グレイシーが尊敬する格闘家として「マサヒコ・キムラ」の名前をあげたことからだ。ケネディが尊敬する政治家として上杉鷹山の名前をあげたようもので、木村はほとんどの日本人に忘れ去られていた。だからグレイシー一族の活躍がなければ木村の復権もなかった。
そのヒクソンのコメントが重く響く。
「木村先生のような勝負師が、そんな八百長の舞台にあがるべきではなかった」
この言葉に尽きると思う。
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(01)
木村政彦という主人公から離れることはないが,近代柔道史とも言える内容で,木村が活躍した20世紀前半の柔道が日本のスポーツ(*02)の中で大きな一角を占めていたことからすると,格闘技史を超えて,日本スポーツ史の重要な部分を含む内容になっている.
また,戦後日本におけるプロスポーツの初動がどのようであったか,その動きの中でプロ柔道やプロレスリングはどのように起こったかなどにも,本書の射程(*03)は及んでいる.
(02)
柔道がメジャーなスポーツであったことなど,今からでは考えられないが,近代における武道の位置づけ,また武道がつなげた戦後社会の人脈なども興味深い.
20世紀後半のスポーツは安全に競技されるものであり,木村や師の牛島らが戦前に行なっていた鍛錬は,現代の様々なトレーニングを考える上でも何事かを示している.
柔道(柔術)がアメリカ大陸やヨーロッパへの展開することによって,かつてあった寝技につなげる最強の柔道が海外に保存され,現代の格闘技に復興されていることは,武道や武術も文化であり技術であることを告げている.
(03)
本書の方法として,文献調査もさることながら,関係者へのインタビューに多くを負って構成されていることにも注目すべきであろう.
つまり,この格闘技に関わる記録は,書かれたものとしてはあまり残らずにいたこと,過去の美化も含む自伝的な記述としては残されていたこと,講道館正史よりも新聞報道などが記録として価値があったこと,これらから洩れた過去が木村という強い個性とともに関係者の記憶の中にまだ遺されていたことなどはまだ歴史的な記述の及んでいない分野があることへの示唆にもなっている.
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【文章】
読み易い
【気付き】
★★★・・
【ハマり】
★★★★・
【共感度】
★★★・・
力道山のブック破りというのは、ささいな要因であり、木村政彦が力道山に負けてしまった本質的な原因は、プロレスに対する気の緩み。
自分自身もプロレスの興行をやり続ける中で、ブックは守られて当然というプロレスに対する固定観念が出来ていたのかもしれない。
牛島辰熊は天覧試合での優勝を木村政彦に託し、木村政彦はスポーツではなく実践的な格闘技としての柔道を岩釣兼生に託した。
木村政彦が師匠である牛島辰熊に対して、緊張感を持って接するのは分かるが、牛島辰熊も木村政彦に対して緊張感を持って接していたというのは面白い。牛島辰熊も木村政彦という人間を尊敬していたのだと思う。