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確かに
2020/06/07 11:06
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
19歳~24歳という、まだまだ恋愛におぼれそうな時期は、私もずるずると、今考えると無駄過ぎることに悩まされ男に翻弄されていたように思う。
主人公は、最後には男より一枚上手になれたが、自分もギャフンと言わせたかったなぁ・・なんて思ったw
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タイトルがめちゃくちゃ好きで何回も唱えました。
が、内容は高度すぎて、わからなかった。わからなかったということすら、解説を読ませていただくまでわからなかった。本谷さん大好きなんですが、ほんとレベルが追いつかず申し訳ないとしか言い様がない。
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読んでも全然すっきりしないし、言ってしまえば、後味が悪い。
でも、自分でいろんなことを言い聞かせながら、言い訳しながら、向伊というだめな男にハマっていく主人公の姿は、人間の痛さをありありと描いていると思う。
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文庫で再読。
単行本で読んだときはなんかイマイチな感じだったのだけれど、文庫が出たので改めて読んでみた。そしたら面白かった。この感想の違いは何故だろう、ということを考えてみた結果、以前にイマイチだと思ったのは、同著者の「ほんたにちゃん」を読んで間がなかったからなのではないか、ということに思い至った。
「ほんたにちゃん」と「ぬるい毒」の主人公は真逆である。それは「男と女」のように「全く性質が異なる」ということではなくて、「右と左」のように「相反する方向に向かっている」という意味での真逆である。
どちらも「自分は特別である、他の女どもとは違うんだ」という過剰な自意識を起点にして、それを外に向けて膨張し、炸裂させたのが「ほんたにちゃん」、内に向けて収縮し、どす黒い塊にしてしまったのが「ぬるい毒」である。と、私は思うのだ。
「ほんたにちゃん」は著者の処女小説をリメイクしたもの、ということもあり、荒々しくて衝動的でものすごい勢いがあって、作品の主題(?)でもある「若気の至り」というヤツがグサグサくる感じだった。
たいして「ぬるい毒」は、同じ系統の「痛い女」を描いているのに雰囲気は全然違って、じめじめした空気感、人肌の匂いと温度が色濃く漂っていて、慎重に練られたのであろう心理描写は吐き気を感じるくらい生ぬるくてドロドロしている。
つまり同じカテゴリの女性を描きながら全く手触りの違う小説を短期間に読んだせいで、その強烈なギャップを処理できずに気持ち悪くなってしまった、ということだったのかもしれない。と、今になって思った。
この作品が野間文芸新人賞受賞という、著者の作家としてのキャリアにおける最大の評価を受けていることに実は疑問を感じていた。
けれど再読してみて、これは「痛い女」を描きつづけてきた著者の明らかな成熟を見せつける作品であり、のちの「嵐のピクニック」や「自分を好きになる方法」に繋がる一つの到達点だったのだな、と、改めて思ったりした。
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はじめて読む作家さん。
もっと毒々しいものを期待していたけれど、「ぬるい毒」だった。よく分からないと思いながら読み始めたけど、結局よく分からないまま読み終えた。もっと時間をかけて読めばよかったかな。
そしたらこの「ぬるさ」にもっと違う感覚を覚えたのかも。
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人の心を弄ぶ男の魅力にやられてしまった女の自意識過剰なモノローグが終始タレ流される。締めつけられるような嫌悪感を覚えつつ、一気に読んでしまった。このイタさを受け入れられるかどうかが評価の分かれ道なのでは?後半をもっと丁寧に書いてほしかった。
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ひたすら苦しかった。熊田の戦いは、すべての女が経験することだと勝手に思った。ここにはわたしが描かれている、太宰の女生徒くらいの衝撃があった。昏い魅力に溢れている人間は実際いるし、知れば知るほど彼らは悪魔的だ。引きずりこまれたなら、毎日毎晩自分が鬼になる瞬間を想像しながら精一杯生きて苦しんで、自分が愛おしいかなしい生き物だと気づく以外に、逃れられる道はないのかもしれない。
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えげつないほど生々しい、平凡な日常に対する抵抗。
本当は恋愛も男もセックスもどうでもいいくせに、それから逃れたい為に溺れる。簡単に足の着く浅瀬だとわかっているのに、気付かない振りをして溺れる。
死なない程度のリストカットを繰り返し、血を見て悦ぶ子供と同じように。
本谷有希子の小説は、小説の体裁を取りながらもいつも別のものであるように感じる。
例えば、そう。私以上に私を愛し、憎み、蔑むひとは、この世のどこにもいないだろうーーそれを知ってしまった人の悲鳴だ。
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あぁ虚しいな苦しいな
人が信じられないって、
その人を信じられないことがその人を魅力的にみせるって
どこまで私を騙せるのか
どこまで私が騙されるのか
自分を使ってゲームをしてる
たぶん魅力的なゲームだ かけてるものが大きいからね
中毒性があるね
もっと華麗な嘘で鮮やかに騙してほしい
でもきっとそこまで手をかけてもらえないんだろう
どこで終わるんだろうって思ってたけど
あぁそうふぅんそういう風に終わるんだって思った
あぁほんとうにぬるいなぁ
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この小説の論点として吉田大八が「『恋』か、そうではない(本谷曰く『戦い』)か」を挙げていることがとても興味深い。
どう読んでいくか、そして決めた道でどこまで掘り下げられるのかが気になるところだ。
まだ共感だとか説得力には欠けるかもしれなくとも、女の自意識にたどり着くまでのプロセスを、これまでの本谷作品と比べればたしかに感じられたので面白かった。
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この小説に対して何も思うことはない。だから私の今の気持ちだけ。胸くそが悪い。こういう小説が一番嫌い。ブクログの足しにはなったかな。
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気色の悪い小説。その一言に尽きる。
登場する人物、向伊にしても熊田にしても誰にしても、その思考回路・発想というものが、まったく理解できない。人の見下し合い・馬鹿にし合い、軽蔑。読むにつれて、ひたすら疲れていく。
さっさと読んでしまうに限る、っていうわけでさっさと読み終わったのだけれども、不快になったほかは何も残らなかった。
ただ、気色の悪い人たちが、気色の悪いことばかり考えていて、気色の悪い描写に徹した作者の、その文学的野心というものが、実に下品でうんざりしてしまった。
フィクションというのは一種のゲームみたいなもので、自分が体験できない事柄を、ゲームを通して体験できるというところに魅力があるのだけれど、不快さだけが残ってしまうというのは、俗に言うところの「糞ゲー」であって、しかも、この小説は、リセットすればすべて無に帰することのできるゲームとは異なり、読み終わっても不快感がべったりとこびりついてしまうから非常に性質が悪い。
ほかの本を読んで、この小説を早くに浄化(=記憶から抹殺)したい。
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『私は胸の音を鎮めようと、息を吸った。それから自分に言い聞かせた。勝手に女性ホルモンを出すんじゃない、あばずれ。』
『私は、この人間の思い通りにいかないことが一つくらいあってほしかった。』
『ここだけの本当の話。一年一年、約束したかのように私は輝きを失っているのだ。』
『いまなら分かる。あのファミレスで笑ったとき、原からもこの音が聞こえたから。人が傷を負っていくときには音が聞こえるのだ。心が壊れる音。ごめんね。ごめんね。ごめんね。』
『〈なんだ、そうだったんだ。私も両親も人間ですらなかったんだ。人じゃないのに、お金を持ってる必要はないね。だったら、お金を取ったあと、全員殺してくれたらいいのに!〉』
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久々に大傑作に当たった。
声が出る程醜い!
声が出る程汚い!
あまりにも感情が揺さぶられすぎ、
読みながらリアルに涎が出てしまった。
全てはこの涎が滴り落ちる瞬間の
ための読書体験です。
激ヤバ鬼マスト!!
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本谷氏の小説は好きだ。が、ここ最近は切れ味がマンネリ気味な気がする。大江賞を取った短編に期待しよう。