紙の本
イギリス繁栄のあとさき
2021/10/20 20:58
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界システム論に基づいてイギリスの「衰退」について、日本は何が学べるかを論じている。世界システム論についても基本的な点を抑えて紹介されており、とても勉強になる。私が読んだ限り、世界システム論においては、オランダ、イギリス、アメリカの三ヶ国がヘゲモニー国家であったとされている。本書ではイギリスだけでなくオランダやアメリカについても論じており、とても勉強になった。
紙の本
イギリスの成熟期以降の経済の在り方とその衰退の中身を丁寧に考察した画期的な書です!
2020/03/10 10:00
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、近代において世界を支配した大英帝国の内情を明確に示し、世界史における大英帝国の衰退について考察したとっても興味深い作品です。大英帝国は、大航海時代に世界中に進出し、多くの未開地でプランテーション経営を行ったり、また資本主義をいち早く導入したヨーロッパ一の繁栄を誇った国家でした。それが時代とともに、世界のトップの座から滑り落ちるように衰退していきました。ここで著者は、現代の日本人がイギリスから学ぶべきは、こうした成熟期を迎えた後の経済の在り方とその衰退の中身についてであると主張します。その点から、同書は、近代以降のイギリスについて、「はじめに 不況か衰退か」、「第1章 近代世界システムのなかのイギリス」、「第2章 ジェントルマン資本主義の内側」、「第3章 文化の輸出と輸入」、「第4章 ヘゲモニーの衰退はどのようにして起こるか」という内容構成で、その内情をじっくりと考察していきます。
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「世界システム」論の中での近代イギリスををわかりやすく説明しています。近代史の場合、「世界システム」論をどのように位置づけるかが大切な課題なのですが、これを扱うと、それまで中高で学んで来たことを逆転させることになります。
例えば、「産業革命」の評価。この立場だと、とても低く評価されます。突き詰めると「革命」ではないことになります。ここのところも丁寧にわかりやすく説明しています。
また現代の日本がこのイギリスをどう評価するかも大きな論点となっています。私はむしろ日本の「生活文化」の再評価が重要なことと思います。
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学生時代には感じなかったが、歴史を学ぶことって面白い。現代の国際経済はヨーロッバが生み出した「生産性」という「物差し」で測られている。その指標を用いて、「アジアの勃興」なんて言っていいのか。現代は、新たな「物差し」を必要としている。そして、それは日本的なものなのではないだろうか。
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[模範としても、反面教師としても]日本においてはときに近代化のモデルとして、ときに「英国病」という言葉が示すように衰亡する国の例として捉えられてきたイギリス。その認識の変遷を確認しながら、イギリスから改めて学ぶべきことは何かについて思いを寄せた歴史エッセイです。著者は、大阪大学名誉教授などを歴任され、I・ウォーラーステインの『近代世界システム』の邦訳も手がけられた川北稔。
執筆されたのが日本においてバブルが崩壊した直後ということもあり、「"衰退"と思われる状況にどう対処するか」という点に力点が置かれています。ただ、特効薬的な回答に走るのではなく、歴史研究者として長期的な、なんなら少し余裕を感じさせる考え方をしている点に、本書が長く読まれる理由の1つがあるのではないかと思います。
また、「近代世界システム論」と呼ばれる考え方を基に、当時の産業革命や近代に関する見方を紹介してくれているところも魅力の1つ。21世紀初頭の紆余曲折を経てそれらがどのように捉え直されているかも気になるところですが、20世紀末までの日本やヨーロッパにおけるイギリスへの視点を確認する際に有益な1冊になってくれるはずです。
〜こうした諸国のいわゆる「衰退」過程にあって、イギリスの特性と言えるものは何か。その最大の特質は、むしろその「衰退」過程が異常に長期に及んでいること、つまり、その「粘り強さ」にこそあるのではないか。〜
やっぱり注目しちゃいますよね☆5つ
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[ 内容 ]
今日、イギリスから学ぶべきは、勃興の理由ではなく、成熟期以後の経済のあり方と、衰退の中身である―。
産業革命を支えたカリブ海の砂糖プランテーション。
資本主義を狙ったジェントルマンの非合理性。
英語、生活様式という文化遺産…。
世界システム論を日本に紹介した碩学が、大英帝国の内側を解き、歴史における「衰退」を考えるエッセイ。
[ 目次 ]
第1章 近代世界システムのなかのイギリス(オランダからイギリスへ;砂糖入り紅茶と産業革命 ほか)
第2章 「ジェントルマン資本主義」の内側(経済合理主義の落し穴;時短のゆくえ ほか)
第3章 文化の輸出と輸入(大英帝国の「日の名残り」;生活文化の輸出国へ ほか)
第4章 ヘゲモニーの衰退はどのようにして起こるか(オランダのヘゲモニーの衰退;「イギリスいまだ衰退せず」 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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イギリス近代史の大家である川北稔氏の著書。
著者の関心は近年日本の経済的衰退が問題となっているが、これを歴史的に見た場合にはどのように考えられるのか、という点である。
そこで、かつて大英帝国として世界中にコモンウェルスを築き繁栄したヘゲモニー国家イギリスの衰退期を紹介した。
従来イギリスの衰退は産業革命以後の工業の衰退が指標となって論じられてきたが、川北氏は近年イギリス史で盛んとなっている「ジェントルマン資本主義論」を以て批判する。
というのも、ウィリアム・ペティの法則「第一次産業→第二次産業→第三次産業」も踏まえて産業革命と呼ばれる程の大きな変革は存在しなかったとしている。
また、これまた近年歴史学では盛んに活用されている「近代世界システム論」による国際社会の分析も行っている。いわゆる搾取する側とされる側という役割分担によって世界の秩序は構成されている。
これは現代の国際社会における経済発展においても、搾取する側・される側の役割は存在しているらしい。
この「近代世界システム論」において、ヘゲモニー国家として存在したオランダ、イギリス、アメリカはどれもが衰退への途を経験している。
その中で、イギリスの衰退は「粘り腰」のあるものであり、なぜ「緩やか」な衰退が可能なのか。ここに日本が今後衰退を「緩やか」にしていく秘訣が隠されているとした。
それは、海外に輸出できるような「文化遺産」(生活文化)があるかどうかである。日本の確固たる文化を、世界に発信できる時、日本は衰退した後も影響を保ち続けれるのである。
以上が簡単な要約であるが、著者が指摘したように日本にきちんとした生活文化を発信できるだけの文化的感受性があるのか否か。私は、まず国内のちょっとした文化を見つめ味わい、各々の文化的感受性を高めていかなければ、上辺だけのグローバリズムに阿る薄っぺらい文化となってしまうだろうと思う。
イギリス史からの日本人へ警鐘を鳴らした一冊と受けりたい。
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二十年前に書かれた、川北史学の基本線を記した本。
英国社会の実相はジェントルマン支配であり、これまでの世界史教育では産業革命が過大評価されている、と筆者は言う。これを敷延すると、工業は必ずしも国民経済の豊かの指標ではなく、金融資本や文化の蓄積も重要な要素だから、先進国の産業空洞化も恐るに足りず、ということになる。
20年後の観点でこの主張を検証すると、日本の産業空洞化は更に進み、経常収支も脅かされるようになったが、日本のカルチャーは世界に評価され、日本経済はポスト工業化時代をそれなりの温度で歩んでいる。米国ではアメリカファーストを掲げるトランプ政権が成立し、イギリス国民はブレグジットを選択した。いずれも工業の空洞化に業を煮やした選挙民の反乱であったが、ニューヨークと中部工業地帯、ロンドンとイングランド北部の格差は無視することができないという点では、彼の警告は二十年経って火の目を見たというべきだろう。
もう一つ、世界システムの中核国が周縁部に低開発国を作り出す、という論点がある。イギリスは砂糖はカリブ海に、綿花と茶葉はインドに、ゴムはマレーシアに、生産を強要して付加価値を自らが独占しつつ、現地の産業や人材の育成には配慮しなかった。現代でも先進国企業の工場が発展途上国に展開するが、工場は次第に付加価値を高め、国自体の経済成長にも繋がり、最早発展途上国という言葉は聞かれなくなった。
低開発地域は低開発のまま放置されるという命題は、18世紀のカリブ海には当てはまるが、同時期のアメリカ南部には当てはまらない。そして21世紀に東・東南アジアに形成された分業ネットワークは、植民地時代のモデルで説明できるほど単純ではない、ということなのだろう。
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かつてのイギリスの繁栄は、ほんとうに植民地経営により成り立っていたのか。
クルーグマンによって国家経済における貿易の影響力の小ささが指摘されているなかで、貿易こそが世界各国の地位を規定したとする世界システム論は、自分のなかでやや説得力を失っている。
もちろんそれで奴隷貿易や砂糖プランテーションの事実が消えるわけではないし、周辺国が輸出のための産業に依存していないと言い切れるわけでもない。
だが、本書にはその影響を測る数値が出てこない。
確かにインドの低開発化とイギリスの工業化は同時に進行したし、アメリカの衰退と東南アジアの台頭は相関があるように見えるが、その因果は本書内では証明されない。
とすると、本書は歴史社会学の域を出ず、事象を学ぶことは出来るが、経済を学べるとは言い難い。納得感のある論ではあるが、その真価をどこまで斟酌できるのか。読み手の力量が試される。
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イギリス 繁栄のあとさき
川北稔さんの、記念碑的名著。川北さんと言えば、近代世界システム論という新たな歴史観を提唱し、南北問題の解決の困難さを論じたエマニュエル・ウォーラ―ステインの日本語訳を行い、自らも『世界システム論講義』などの本を出す、世界システム論の第一人者だ。
その川北さんが、史上2番目のヘゲモニー(覇権)国家となったイギリスが、覇権を握るところから、現代に至るまでを様々な観点から論じると共に、そこから得られる教訓を、どう日本に活かすかということが書いた本が、本書である。
いささか、専門用語が多くなってしまったが、ここで最も重要な概念である近代世界システム論を簡単に解説すると、歴史とは「各国が平行に、そして独立して」に進んでいくのではなく「水平的に、関係性の中で」進んでいくというころを提唱した一つの歴史観である。
前者は、ヘーゲルの弁証法をルートとするマルクスの発展史観である。歴史が、いくえの段階を通じて発展していく、階段の様なイメージ。例えば、産業革命を起こした後に、金融サービス業を確立した国は、農業を基軸とする産業構造を持つ国に対して“先進”した国であり、農業を基軸とする産業構造を持つ国は“発展途上”であるとする考え方だ。
我々が無意識に使っている先進国・発展途上国という言葉は、実のところ、この歴史は単線的に進むという価値判断を孕んだ言葉なのだ。
では、歴史が「水平的に、関係性の中で」進んでいくということはどういうことか。16世紀以降、大航海時代を皮切りに、カリブ海やラテンアメリカはヨーロッパの経済圏に組み込まれていく。西ヨーロッパを中心に商業化・工業化が進んでいく中で、エルベ川以東の東ヨーロッパやラテンアメリカは西ヨーロッパに食料や原材料を供給する第一次産業にシフトしていく。一つの経済圏の中で、西ヨーロッパの産業か高次化していくことにより、それ以外の国の産業が低次化していくという国際的な分業体制が形成されていくという仕組み、近代世界システム論と呼ぶのだ。
実際、発展史観では、この時期に見られたエルベ川以東の低開発化や農奴制の復活を説明できない。教科書的には再版農奴制と書いているところもあるが、歴史は発展していくという理屈では、農奴制の復活を説明できないのである。
私は中高大とバレーボール部に属していたが、バレーボールにおける花形は点取り屋のスパイカーである。しかし、当たり前だが、チーム全員がスパイカーではチームは勝てない。
レシーブをするリベロがいて、トスを上げるセッターがいて、初めてスパイカーは点を取ることが出来る。ここにも、チームの総力を向上させるための分業化のメカニズムが働く。レシーブをするリベロは、点を取るスパイカーに対して“遅れて”いたり“下手”なわけではない。スパイカーになった選手が、スパイカーになるその過程で、レシーブに専門化したのである。Vリーグでも、人気やファンが多いのはスパイカーであるが、ここでいう人気やファンを「富」に置き換えると、世界システム論は理解しやすい。所謂「先進国」は自らの役回りによって、「富」を集積し、「後進国」は搾取さ��ている。
近代世界システム論の示唆は、南北問題の解決方法の難しさにも及ぶ。南北問題を解決しようと思った時、今の後進国が産業の高次化を行おうとしても難しいのである。そもそも、後進国が産業の高次化をするということは、現在の先進国の産業構造を一部低い次元に落とすことになる。イギリスは徹底した農業のアウトソース化により、食料自給率は低い水準にしているが、アウトソースしている後進国が農作業をしなくなると、イギリスは今まで工業に割いていたリソースを割いて、自ら農業を行うか、別の国を見つけて、その国の産業の低次化を進めることになる。
随分と世界システム論について話すぎてしまったが、本書で興味深いところは2点ある。イギリスの「ジェントルマン資本主義」と「文化のヘゲモニー」である。
イギリスの産業革命において「ジェントルマン」の担う役割が大きいということである。まず、ジェントルマンは経済合理主義者ではなく、自らの社会的威信を価値基準の上位に置く人々である。一国の産業が発展する上で、必要になるのが、大量の公共財である。この公共財をいかにして早期に形成していくかということが、国の産業の高次化のボトルネックともいえる。往々にして、公共財の担い手は国家である。しかし、公共財を国家が担うということはつまり財源の必要性から重税が課される。重税が課されると消費行動は落ち込み、結果として公共財は出来ただけになってしまう。一方、民間でこれを担おうとする場合にもゴリゴリの経済合理主義者は短期的に採算の合わない公共事業に手を出さない。そこで、社会的威信を価値基準の上位におく、ジェントルマンの出番なのである。ジェントルマンは持ち前の地代や証券により得た巨万の富を、自らの社会的威信の向上の為に、公共財に使ったのである。まさに「ノブレス・オブリージュ」である。ジェントルマンによる公共財への投資は、イギリスが小さな政府で発展できた理由なのである。
余談だが、公共事業を国家としては、ほぼ0円で形成した国がある。旧ソビエト連邦だ。ソ連は、政敵や捕虜を大量にシベリアに送り込み、無賃&無限労働させることで公共財を形成したある意味“最強”の経済合理性を持った国である。そのソ連という国が持ち前の最強の経済合理性をもってヘゲモニーを取ったかということは、もはやここに書く必要はないだろう。
本書は、後半でイギリスはそもそも衰退しているのか?という命題について考える。川北さんの答えは、イギリスは衰退をしているものの、その衰退の期間が異常に長く、その「粘り強さ」に学ぶべきものがあるというものだ。日本はもうすでに下り坂を下っている。人口減少社会の中で、いかに発展するかという議論はあまり適切ではないとすると、いかに衰退期間を長く、「粘り強く」その角度を緩やかにとどめるかという議論が必要になる。では、イギリスはいかにして「粘り強く」衰退を耐えているのかと言えば、それは世界に発信できる文化を挙げることができる。文化の最たるものは英語である、同じ英語を使う超大国があることは幸運でこそあるが、イギリスに生まれる限り、世界中に「英語教師」という雇用があることは世界を見渡しても類を見ないアドバンテージである。音楽であれ、文学であれ、生活文化であれ、世界中に人々は今なおイギリスに魅了される。ハリー・ポッターを知らない人や、ビートルズを知らない人は、なかなかお目にかかれない。ハリー・ポッターを知ろうと思ったとき、ビートルズの歌詞を理解したいと思った時、世界中の人々の英語への欲望は駆動する。その欲望は、イギリス人の雇用を生み出すのである。この世界に発信できる文化という圧倒的なアドバンテージがイギリスの粘り強さの根源である。日本が下り坂を「転げ落ちていく」のか「ゆっくりと下っていく」のかの鍵を握るのは、まさしく文化なのである。そう考えた時に、現在の日本の大学教育における理系重視と文系軽視は嘆かわしいことである。無論、理系と文系という分け方が適切ではないかもしれないが、日本はもっと独自のカルチャーとその発信方法を明確に目標に定める必要がある。
そして、最後に川北さんは東アジアの発展について語る。東アジアの発展を語る上で、近代世界システム論というフレームワークそのもの自体を懐疑する。実際、資本主義の指標を中心におく世界システム論は、環境破壊などの外部不経済を起こしてきたことは否定できない。アジアの発展といった時に、そういった環境へのインパクトや、ブラック労働に対する人権意識などの、無形(短期的には)の指標を組み込んだ新たな物差しは必要になると語っている。
川北さん、歴史学とは未来学であると語る。まさしく、未来を語る為には歴史への視線が必要なのである。とても読みごたえのあり、面白い本であった。
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ダイヤモンド社(1995)の文庫化
https://calil.jp/book/4478200351