投稿元:
レビューを見る
シェイクスピアってこんな感じなのね。
みんなの名前が似過ぎてこんがらがるよ。
指輪は渡すもの?渡さないもの?
投稿元:
レビューを見る
よく「この作品はユダヤ人差別をしている」と言われるけど、シャイロックのキリスト教徒に対する台詞を見る限り、シェークスピアはどっちも笑い飛ばしていたのではないかなぁ、と思う。
そういう意味でも"喜劇"なのかな、と感じた。
投稿元:
レビューを見る
AUN「ヴェニスの商人」観劇後、読了。
やっぱり戯曲は、字面追うのではなく、お芝居観た方がおもしろい、と実感。
シェイクスピア作品では喜劇に分類されているけど、かわいそうなのはシャイロックで。
「今まで足蹴にされていた」っていう台詞があるから、完全な悪人として捉えられなかった。
まぁ、ユダヤ人を完全な悪人に仕立て上げてしまったら、それはそれで問題になるからなのだと思うけれど。
投稿元:
レビューを見る
シェイクスピア著書で最初に呼んだ本。
終わった時の感想はこんなものかっていう感じ。
オチはちょっと屁理屈とも取れるかな。
主人公が良い人すぎ。
昔の本はこんな感じか。
投稿元:
レビューを見る
【粗筋・概要】
物語の舞台はヴェニス。バサーニオーは、美しき莫大な遺産の相続人ポーシャに求婚をしようと考えている。しかし、彼には先立つものがない。そこで彼の友人であり、貿易商を営むアントーニオーは、日頃から敵対し侮蔑しているユダヤ人の高利貸しシャイロックから、友人のために自分の肉1ポンドを担保に借金をする。バサーニオーはポーシャと結婚することになるが、アントーニオーは所有の商船が難破し無一文になってしまう。シャイロックは日頃の恨みを晴らすために、裁判に訴える。
【感想】
シェイクスピアの戯曲をいくつか読んではいるけれど、さほど面白いとは思えない。喜劇という割に最後にポーシャとその小間使いネリサが男装して法廷に現れるまでは、喜劇とは思えなかった。もっとも、最後の指輪騒動は微笑ましく楽しめた。
この戯曲ではもっとも有名なのは人肉裁判であろう。私は初めてこの戯曲を読んだので、男装したポーシャがどのようにどんでん返しをするのか知らなかったので、裁判の成り行きを興味深く読めた。法律は時として柔軟性に欠け、そのまま適用するとこの戯曲のように結論が不当になってしまうことがある。その不当な結論は、男装し法学博士に扮したポーシャの機転により覆される。法律家ではなく法律の素人によって妥当な結論が出されるというのは、皮肉である。当時のヴェニスと現代日本では裁判制度は異なるが、それでも結論の妥当性は市民感覚に裏打ちされるということは相通じている。なお、現代日本ではシャイロックの訴えは、金銭賃貸借契約自体が公序良俗違反により無効とされ棄却される。それを不問に付したとしても権利濫用で訴えは認められない。
訳者の解題を読むと、この戯曲を喜劇ではなく悲劇であると読む人がいるらしい。しかし、どこをどう読めば悲劇と読めるのだろうか。アントーニオーら債務者側は決して好ましい人物ではないものの、シャイロックとしても単なる強突張りな高利貸しに過ぎない。
2008年4月2日読了
投稿元:
レビューを見る
1594年から1597年の間に書かれたとされている、シェイクスピアの名著。
「期日までに借金を返済できなければ肉1ポンドを支払う」
という証書を軸に、物語が展開し、人間関係が集約される。
読めば明白ですが、ユダヤ人がものすごく悪者扱いで、
この部分については案の定、問題になったそうです。
投稿元:
レビューを見る
今度劇団四季の芝居で見るので、復習兼予習と思い読みなおしました。内容、完全に忘れてました……。
さて、古典喜劇の代表とも言える本作ですが、同時にユダヤ人の悲劇でもあり、これをどう読み解くか、すなわちユダヤ人商人シャイロックを舞台上でどの様に演出するか、が一番のキモであることは間違いありません。四季の煽り文句では、まったく新しいシャイロックを演出する様で、かなり楽しみです。
……ていうか、劇団四季を見に行くのは始めてかも。芝居好きなのに、いつもせいぜい中劇場でやるクラスの芝居しか見にいかないしね。
それにしても、ユダヤ教徒とキリスト教徒の確執は、現在の世界情勢だけを見ていると理解しがたいものがあるんだろうと思います。キリスト教圏の人はユダヤ人をバックアップしている様に見えますもんね。実際はそうではない歴史的事実、ってものを本作から感じるのもひとつの歴史理解かと思います。
我ながら、何を言いたいのか分からないレビューになりましたな。失敬。ちなみにmixiで芝居はレビューできないので、日記で書くしかないようですな。
(2004年読了)
投稿元:
レビューを見る
佐藤よし子・著『エレガンス速修講座』で紹介。「輝くものは全て金ではない」、見かけの立派なものがすべてその内容も立派だとは限らない、という節の紹介。
投稿元:
レビューを見る
シェイクスピアの喜劇とはどんなものか知らなかったが、
なかなかに痛快な作品だった。
読んでいると、人種等々絡んでくるところもあるが、
そのあたりは深く考えずにざっと目を通すだけで。
(もちろん、背景を知った上で読む方が良いという意見もあろうが)
余談ですが、福田恒存の訳本も初めて読んだけれど、
歴史的かな遣いは出版時に現代かなへ改められたのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
中央大学の教授をなにした犯人が捕まつたさうです。良く分からぬが、教授に不満を抱いてゐたといふ話であります。逆恨みとは怪しからぬ。今後調べが進めば、より動機がはつきりするのでせう。
翻つて自分の学生時代、自らの怠惰な学習態度を思ひ起す時、担当教授に申し訳なかつたなあ、などと考へます。
ある時、フランス文学の先生が、「散文詩」についてのレポートを提出せよ、と我々に課題を出したことがあります。仏文学のレポートにもかかはらず、散文詩なら何でもいいだらうと私は沙翁の作品を論じたレポートを呈してしまひました。これはひどいですね。この時先生は何も言はなかつたが、その後2年ほど経過した頃に、突然この件を難詰されたものであります。当時いかにシェイクスピアを愛読してゐたかが分かります。
さて、ポーシャは法廷にて、男装の若い法学士として登場します。悪役シャイロックは、借金のカタに債権者の胸肉1ポンドを要求してゐますが、ポーシャは「それを許す」と認めます。シャイロックはポーシャを自分の味方と思ひ「名判官ダニエル様の再来だ」などと言つたりします。ところがポーシャは、「肉を切つても良いけど、血は一滴も流すなよ」と無茶なことを述べるのです。一休さんでも無理でせう。裁判員制度が開始されますが、一般市民でもさすがにかうは申すまい。
シャイロックは踏んだり蹴つたりの結末を迎へますが、その存在感から本作を「シャイロックが主役の悲劇作品」と論ずる人もゐるとか。それはちよつと...違ふよね。
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-16.html
投稿元:
レビューを見る
1600年前後の時代背景が良く分かる。金融を営むユダヤへの偏見は、キリスト教徒の道徳的罪という意識からだろうが、キリスト教徒自身がその金融に依存しなければならない自己嫌悪、それがシャイロックいじめを通して発露されている。
投稿元:
レビューを見る
裁判シーンでの逆転劇が有名なお話。
元ネタがあったっとは知らなかった・・・。
【余談+ネタバレではあるが】
シャイロックが少しかわいそう。ユダヤの人が公然と侮辱されてて、それで台本をかけて、それで笑える時代があったんだなぁと。
今もそういうことがあるんだろうけどモヤモヤしますね。
「ここに血を一滴もこぼさず肉を切り取るマシーンがあります」みたいな絶対的(?)正義を描いた異説・ヴェニスの商人とかどっかで上演されてねぇかな。
投稿元:
レビューを見る
シェイクスピアの名作喜劇。ストーリーは単純明快で、友情や愛情、ユーモアにあふれるハッピーエンディングストーリーだが、ユダヤ人に対する侮蔑的な描写が劇全体に通底しており萎える。何といってもシャイロックという個性豊かな悲劇的人物がミソ。屈折した人物ではあるが実は正論を吐いているところが面白い。
投稿元:
レビューを見る
資本主義とのリンクがわからなかったから次は『ヴェニスの商人の資本論』を読んでみようと思う。
素直に読んでもおもしろい作品だと思う。
投稿元:
レビューを見る
再読。
ひとつ前に読んだ『修道院の第二の殺人』でシェイクスピアが題材に取られていた影響で久々に手に取ってみた。
悲劇は喜劇であり、喜劇は悲劇。これを読んだときにたしかにそうだなと納得したことを思い出した。シャイロックの悪徳もあるにはあるが、宗教への差別も色濃い。利子なんて普通といえば普通だし。文化や時代の違いをやはり強く感じた。まあ、ポーシャのへりくつにはついにやにやしてしまうのだけれど。