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投稿者:こっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわば悪役のシャイロックが最後にどんでん返しを食らう話の筋だけど、このシャイロックの存在無しにはこの物語は成立しない。プロレスではヒールが、野球では金満球団が、はたまたキリスト教ではユダがいないとある意味展開しないのに似ている。悪役の描き方が秀逸であり、シャイロックに着目して読み進めると面白いと思います。
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投稿者:無風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
冷血漢の出鼻を挫く。勝利に酔い痴れる。それも悪くない。けれど、それで終わりだろうか。何か大切な裏を、見落としてはいないか。
クリスト教徒は悪意を問われたのではなかった。友を守る為、証文に判を押し、結果として証文を破った。それでも、事実を受け入れる。自ら進んで裁きを受ける。恰も、悲劇の主人公の振舞うが如く。けれど、どこか危うい。クリスト教徒には、裁きを受ける覚悟はあっても、納得がない。「覚悟」と「納得」は違う。納得しなければ、罰につりあう懺悔は生まれない。クリスト教徒を、悲劇の主人公などとは呼べない。事実を《甘受》したにすぎないのだ。
ユダヤ人をして、『みんなこうなのだ、クリスト教徒の亭主というやつは!』と言わしめている。冷徹なユダヤ人の無慈悲ぶりばかりが槍玉に挙がりやすいが、これに限って、正鵠を得ている。皮肉なことに。
もちろん、ユダヤ人は最終的には斥けられなければならない。好意をも裁けという無慈悲を。けれど、ユダヤ人の無慈悲だけを論点に据えて、それで良いのか。一方的で空虚な物語で終わらせて良いのか。
「法学博士」には、逆転へと導く《意志》があった。《意志》がユダヤ人を斥けた。何故、斥けたのか。ユダヤ人を裁く為か。クリスト教徒を救う為か。それだけでは足りない。蓋し、《甘受》を否定する為ではないのか。《甘受》の虚しさを、示す為ではないのか。《意志》だけが、困難な状況に変化をもたらしたのだ。運命への甘えなど一切ない。何かを変える《意志》が、あった。
価値観をダウングレードして読むべし
2023/07/03 21:03
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投稿者:ブラウン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユダヤ人が今日のファンタジーにおける魔族や鬼のような扱われ方をしていて時代を感じる。軽率に悪事をなして成敗されてスッキリ! なヒールぶりはキャラクターロールとして重宝されていたのだろう。当時の人種観を剥き身で体験できる資料として貴重と言える。
逆転劇の肝となる要素は、行為に伴って当然起こることをあげつらう……なるほど! と一瞬膝を打ちそうになって、いやいや裁判の場でその理屈を通してしまうのはもはやマイノリティを数の暴力で虐めてるのよ。と醒めてしまう。この本は、特濃の色眼鏡で読まなければいけない。
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投稿者:須藤 - この投稿者のレビュー一覧を見る
色々と問題がないこともない(ユダヤ人に対する偏見?など)と思うのであるが、それでもこの物語の本質は非常にまっすぐであり、正義に満ち溢れている。
若き青年実業家アントーニオが、悪徳高利貸しシャイロックにやむを得ず胸の肉1ポンドを担保にして借金をする。しかし、彼は事故により全財産を失い、担保を支払わねばならなくなる。
そしてその裁判で…というお話である。
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バサーニオー「…」〜ポーシャ「奥さんはあまりうれしくないでしょうな、もしここにいらして、その話をお耳にされたとしたら。」〜グラシャーノー「…」〜ネリサ「そういうことは、奥さんのおいでにならぬときにおっしゃったほうがよろしい、さもないと一荒れまいりましょうからな。」〜笑い転げた。あ、でもある人のレビューにあるように、自分のことをシャイロックのようだと言われたらかなりきついかもしれないと思う。
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シェイクスピアには珍しい(?)喜劇で、終盤の展開もスカッ!とするどんでん返しがあって印象に残る作品でした。
劇で上演される回数が多いのもうなずけます。
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有名な物には悲劇が目立つのですが喜劇が私は好きです。
シェイクスピアをまだ読んだ事のない人はもしかしたら「難しい古典文学?」と思っている人もいるかも知れませんが、もともと劇の台本なので物語も短く、登場人物も限られていて、またストーリーも簡単です。
何せ演劇で表現出来る物しか含まれていないからです。
でも色々な要素をうまくまとめて、最終的には色々な事が同時に丸く治まるハッピーエンドはさすがだなと思いました。
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喜劇。比較的最近映画化されてましたよね・・・?
悲劇だけれど「ハムレット」の方が好きです。
脚本だから、演技によって、だいぶ解釈も変わると思います。会話だけだから、登場人物たちの外見的な特徴も表情も分からないし、普通に小説を読むのより読みにくい。
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かわいそうと思ったらそれはこの本の読み方を誤ってるとどこかに書かれていて、確かに。と思いました!あくまで喜劇。
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ヴェニスの商人。
実際この脚本が書かれた時代は、ヴェニスのユダヤ人たちは世界的に見ても結構良い生活を送っていたらしい・・・。
のに、この脚本では凄い扱いを受けているのでそこが変に引っかかる。
書いた人間がイギリス人だからだろうか、ユダヤ人への酷い扱いが目立つ気がする。
喜劇として読めばそれほど気にならないが、悲劇として取ると後味が悪く感じた。
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おもしろい!
オシャレな皮肉。
悪の論理付けはどこかで破綻する。
ロジカルになることは答えじゃないんですね。
「もし善を行なうことが、それを知るくらいに簡単だったなら」
「あの方は顰め面よりほかに能がない。わたしが嫌なら、お勝手に!まるでそう言いたげな。おもしろい話を聞いても、にこりともしない。きっと歳をとったらあの泣き虫哲学者とやらになるのだろうよ。いまの若さでああ人前もなくふさぎこんでいるようでは…。」
「ぼくは好かないね。巧言令色にして、内に邪心を育むというのは」
「外観は中身を裏切るものだ。世にむき出しの悪と言うのはない。かならず大義名分を表に立てているものだ」
「慈悲は強いられるべきものではない。恵の雨のごとく、天よりこの下界に降り注ぐもの。そこには二重の幅がある。与えるものも受けるものも、共にその幅を得る」
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相手はユダヤ人だ。渚にたって、盛り上がる高潮に鎮まれと命じるようなものではないか。
オオカミに向ってなぜ子羊を食い殺して雌羊泣かせたと問うても仕方がない。
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イタリア人と同じような背景で育っていないため、
ユダヤのシャイロックに同情してしまい、
とても喜劇には感じられなかった。
しかし、この感覚は、日本人にもあるのではないだろうか。
シャイロックを「金を稼ぎに来日し、風俗業や、ギャンブル、犯罪スレスレのグレーゾーンで日本人以上にもうけている移民」に置き換え、主人公をまじめに働いている日本人と考えたら、この物語の喜劇の意味がわかると感じた。
この感覚こそが差別意識というものだと
気付かなかっただけで、自分にも普通にあるものだと思った。
シャイロックは嫌だとしても、
ここで生きて行くしか道がないのだ。
職人になりたかろうと、キリスト教で卑しいとされる
金融業しか許されていないのだ。
シェイクスピアは単なる勧善懲悪ではなく、
シャイロック言い分をちゃんと書いている。
ユダヤ差別のために書かれた書なら、
ユダヤ民話の「肉を取る話」を使わないだろう。
物事には多面性があるが、
なかなかそれに至る過程が見えないので、
すぐには気付けないものだなあと思った。
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悲劇よりも読みやすい。
一休さんばりの機転で恩人の危機を救うばかりか指輪を使って旦那を尻に敷くなんてしたたかなお嬢様だ。一生頭が上がらないだろうな。
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現代の感覚では悪役として描かれているシャイロックに同情してしまう作品。この作品が書かれた当時は、ユダヤ人に対する差別は当然のものだったらしく、純粋な喜劇だったらしい。だが今の感覚では、ユダヤ人シャイロックの悲劇としても読むことができます。このように時代を経て多面的にみることができると云うのが、この作品が名作たる所以であると思います。
個人的に、戯曲を読むのは得意でない人には映画を見ることをお勧めします。割と最近の作品で、映像も美しく、アルパチーノの名演を見ることができるので。