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こんな厳しい旅はしたことがない。
トルコすごく行きたい国の1つだけど、場所はちゃんと選ばんといかんと思った。女だし。
旅したい。
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かなりワイルドな旅行記だった。読んでみて「私も一度行ってみたいわ」とは絶対に思わない。でもだからこそ面白かった。村上春樹さん、よくご無事でしたね。
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ちょっと今の自分にはできない旅。でもギリシャのアトスもトルコの人々も興味深い。まさに異文化だ。「愛は消えても親切は残る」
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今度ギリシャとトルコに行くので読んでみました。アトス山は行けないけど、出てきた食べ物など食べられるかな、と。こういったところをなぞりつつ、というのも楽しそうです。どう感覚が違うか、時代が違うかに期待してます
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村上春樹さんの旅行記を初めて読みました。
基本的に愚痴ばかり(笑)
確かにあんな状況ばかりでは愚痴りたくなるのもわかります。が、トルコ編であればその気になればもっと楽で安全なルート、場所へ行くことも出来たのに、敢えて過酷な方を進むあたり、文句を言いつつも楽しんでいたのでは?
本作は20年以上前の旅行記、現在のギリシャ・アトス島、トルコがどんななのか気になるところではあります。
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村上春樹の紀行文は初読。それにしてもハードな旅だ。沢木耕太郎の『深夜特急』にも負けてはいない。ギリシャでは、アトス半島を海岸沿いにひたすら歩き、猫と一緒に黴付きパンに酸っぱい豆のスープを食する。トルコではクルディスタン最奥の地を行く。もう、プロブレムだらけだ。しかも、ちょっと間違えると帰っては来られないほどの。一見したところは軟弱そうに見えかねない村上春樹だが、なかなかどうして見事にタフである。
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なんだか、珍しい感じがする書き方だった。
でも、今まで私が興味を持ったこともないような国を旅したあれこれを書いてあるので、とても面白かった。
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村上春樹の紀行文。
ギリシャのアトスとトルコの旅行について書かれている。
かなり過酷な旅だったようで、基本的に楽しそうではない。
でもその過酷さが生み出す鮮烈な印象もまた旅の醍醐味なんだろうなと思う。
一生に一度でいいから忘れたくても忘れられないほどの強烈な旅を経験してみたい。
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ギリシャはひたすら歩いて、トルコはひたすら車で旅している感が強い。これはこれで面白いのかもしれないけど、もう少し生活してる感じのあるエッセイの方が好きかもしれない。
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沢木耕太郎のミッドナイトエクスプレス的な感じを大御所が書いてる違和感がよかった。
旅行とは本質的には、空気を吸い込むことなんだと僕はその時思った。おそらく記憶は消えるだろう。絵葉書は色褪せるだろう。でも空気は残る。少なくとも、ある種の空気は残る。
全般的にトルコ人の大丈夫はあまり大丈夫じゃないことが多い。
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ギリシャ正教の聖地であるアトス島と、トルコを1周した時の旅行記。
たぶん読むのは2回目。
何度読んでも、アトス島の教会に飾られている聖人の拷問の絵の描写に笑ってしまう。「この人はちょっと弱ったなという顔をしている」とかw
アトス島は女性立ち入り禁止なんだけど、男装して入る人もいるらしい。そこまでの情熱はないけど、行ってみたいなあ。
ウゾーとルクミとギリシャコーヒーの描写を読んでいるだけで、疲れた胃に色々染み込んでくるような気がしました。
トルコはアトス島に比べるとなんとなく印象が弱いんだけど、そんなにいいこと書いてあった気がしないなあ。
どうしても親日国のイメージがあるので、彼の描く少し暗い雰囲気の立ちこめるトルコは新鮮でした。
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作家がなぜこの地域を選んだのかよく分からない(知らないといった方がより適切かな)のだが、この間再読したギリシア関係の本の記憶がまだ残っていてその内容は非常に興味深かった。
日本ではあまり意識されない(しない、できない、する能力が無い?)歴史の中の現在を、彼の地で暮らす人々は半ば本能的に、半ば訓練の結果として理解していると思われ考えさせられるところ大いにありです。
ところでこの手の本には『深夜特急』という”山”が存在していると思っておるのですが、それと比するに何だか全ての間合いが微妙に遠い感じがして『深夜特急』ほどの評価とはならない次第で。
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地球上には、まだまだ辺境と呼ばれるところがたくさんあるのだということを感じさせられた。
前半のギリシャ・アトスでは、カビの生えたパンを食べるところが、後半のトルコでは、子どもたちの群がり来る村を車で通り抜けるところとか、国道24号線を車で走る様子などは、まるで映画を見ているような迫真性であった。
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こんなに(作者が)気の毒で、かつ読んでておもしろい旅行記はなかなかいない。
旅行記というのは、作者がひどい目にあえばあうほど、おもしろくなる。
特に村上氏の旅行記はそれが顕著だ。
(村上氏の旅行記は他にもあるけど、ひどい目にあわないでおもしろいのは、おいしい料理を食べられているときと、マラソンを走っているときくらいだ)
タイトルからして大変さがにじみ出てる。
「雨天」は、たった3泊4日の旅なのに、雨の中、険しい山道を半ば遭難しながらさまよってヘトヘトになったギリシャ正教の聖地アトスへの巡礼期だ。
「炎天」は、3週間かけて灼熱で、車の運転は荒くて、ゲリラに囲まれてたばこをせびられて、ホテルで水を飲めば下痢をして、ノープロブレムと言われれま問題だらけで、「もう一度そこに行きたいかといわれれば、今のところ僕の答えはノーだ」というトルコの一周旅行の記録だ。
さて、これだけ気の毒な旅行記だというのに(旅行した当事者たちはともかく)読んでいるほうは、不思議と自分もアトス、そしてトルコに行きたくなる。
アトスの修道院で固いパンと冷めた豆のスープを飲みたくなるし、トルコのチャイハネでトルコ人のおしゃべり攻撃に耐えながら日記を書きたくなる。
なぜかと思えば、村上氏の(ユーモアあふれる)筆致により、村上氏が感じた当地の「空気」が活き活きと表現されているからだ。
そして、その「空気」を「リアル」に感じることが、旅行の醍醐味だと、村上氏は述べている。
その旅行感そのものを村上氏と追体験したくなるのだ。
ギリシャ正教の人もそうじゃない人も、トルコでヴァン猫を見に絨毯店に入りたい人も入りたくない人も、いちど読んで損はない一冊。
(なお、僕はそうまでしてトルコには行きたくない)
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かなりの数のひとを敵に回してしまうかもしれないが、村上氏の著書はあまり読みたくない。
何冊か読み、面白さも知っている。だが、村上ファンの勢いに押されて、どうも読む気がなくなってしまう。
「そんな人におすすめなのが村上氏のエッセイである。」、というのを某ブログで知った。
「小説の内容が気に入らない人は、彼のエッセイを読むと、普通のおじさんだということが分かる」ということらしい。
たしかに村上氏が期間限定でオープンしていた「村上さんの~(タイトル失念)」はよく読んでいたし、彼のエッセイは読んだことはない。
トルコは大好きな国だし、読んでみようということで、手に取った。
読んでみると、さすが世界の村上、秀逸な文章が目に付く。下記に秀逸だと思ったものを挙げる。
・信仰宗教について
仏教徒と答えるよりは「ハイテク教徒」とか「高度資本主義教徒」と答えておけばよかったのかな、と思ったりする。そういうことについてなら、仏教に関してよりは少しは詳しく説明できる。いかにしてソニー・ウォークマンは誕生し、発展したか、とかね。
・下痢について
その水は僕を無慈悲に打ちのめし、締めあげ、揺さぶった。まったく勝ち目はなかった。この下痢は―詳しい説明は省くけれど―凄かった。
・豆スープと黴パンで生きている猫について
山をいくつか越えると、そこにはキャット・フードなるものが存在し、それはカツオ味とビーフ味とチキン味に分かれ、グルメ・スペシアル缶なんてものまであるのだということを。
このエッセイを読もうと持ち出した朝、トルコで軍事クーデターが発生した。
大好きな国でこんなことが起こってしまったという悲しさと、本書でトルコの軍事についての記述や本書が書かれた時も政情が不安定だという記述を読み、今後もトルコの政情(治安)は安定しないだろうと心が重くなった。
私が旅行した時期は2010年で、なんでも中東が最も安定していた時期らしい。
すべての問題が解決するとは思わないが、2010年後との治安状態に戻って欲しいものである。
本書の内容とはずれてしまったが、村上氏の小説が苦手な人も十分楽しんで読めると思う。
村上氏が本書に書いてあるようなサバイバル旅行をする方だとは知らなかった。
ひとつ難をいうならば、本の結びが唐突すぎて、続刊があるのかと思ったくらいだ。これも村上式小説美なのかもしれない。