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主人公のムルソーが見ていた世界は、僕らが見ている世界と何も変わりません。世界の不条理に気づいた時に、人は「異邦人」となります。
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最初は、あまりの「直訳」ぶりに、うんざりさせられたのだが、慣れてくるうちにおもしろくなってゆく。早く新訳版が出版されることを望む。
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照りつける日差し、打ち寄せる波、にぎやかな街並み。そういったものをまといながらも、物語は驚くほど静かに進んでいく。
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名作。 太陽があまりに眩しくて暑くて 不条理ながらも状況や周りの評価をむしろ受け入れてしまうという心理、 疲れているときのショッピングで小さく発生している。 あーもういいです!買います買います!買わせてください! みたいな。 非常に些細な例えで恐縮。
周囲の環境と自分のあり方の関係について考えていた二十歳頃に出会ってよかったと思う小説のひとつ。
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根底のテーマは自殺。生きるに値しない人生、関わる価値の無い世界に迷い込んだ人間が、その生を肯定しうる唯一の手段がこれ。(ポチョ)
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彼の目を通してみる世界は、あまりに不条理に思えた。無味、無感動。その世界観は人間的な感情を排除したかのように見えた。しかし、彼が身をおいている世界と、私の身をおいている世界になんら変わりないことに気づく。私と彼の違いは、不条理に気がついた後の解釈だけだ。その人生に価値を見出すか、死を望みながら生きるか。それだけなのだ。
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「死刑判決を受け、それを喜び自らの死を望む」というモチーフ自体はプラトン「ソクラテスの弁明」にも見ることができ、目新しいものではない。この小説の歴史的な価値は、主人公のように無神論を貫くキャラクターがヨーロッパ人の手によって書かれ、出版された点にこそあるだろう。主人公に死刑の判決が下った後からが怒涛のクライマックスだが、そこへ至るまでの描写が冗漫すぎるので星4つ。
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それが何だというのだ。自分の心の動きを言葉に置き換えて説明することに何の意味があるのか。ってことを徹底的に億劫がってる人の話。共感できる部分があった。読み終わった後にも風景が原色で浮かび上がってくるすごい小説!
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中学生の時に読んだきりなので、『太陽のせいで人を殺した』『罵声の中で処刑されたい』という記憶しかない…。(確か)主人公は淡々とした感じで流れに身を任せている感じだったような…。と、記憶が曖昧なのでもう一度読みたい。
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マグレブ、と呼ばれるアフリカのフランス植民地の出身の方です。
結構このマグレブと言う地域は歴史が輻輳していて、『異邦人』もその歴史に絡めて語ると極めて学問的に興味深い話になるのですが、とりあえず置いて置いて。
『異邦人』はとても面白い話でした。
親と仲良く出来ない人にお勧めします。
社会的にはやはりそんなもんなんだなぁと思いました。
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レポートで書くはめになり、すごい苦労した。意味わかんない!不条理ってなに!?って大変な思いをして読みました。今でも正直よくわかりません。ムルソーは合理的な人だなぁと思いました。ほんと、カミュなんて知りません。
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「太陽がまぶしかったから」殺人を犯した男が望むのは、死刑執行の際にすべての人に罵倒されるのが望みだという主人公。カミュの中で初めて読んだ作品で、一番好きな作品でもあります。
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「母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、
映画をみて笑い転げ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、
動機について「太陽のせい」と答える。
判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、
処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。
通常の一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、
不条理の認識を極度に追及したカミュの代表作。」
これを読むと、ムルソーは大罪人、極悪人で、最低って感じがしませんか?
ひどく背徳的で残虐で退廃的・・・。
そんな精神異常者、ムルソーの死刑までをに書いた作品なのかなぁ、
って私は思いました。
けれど、実際、読んでみると、ムルソーはごく普通の裕福でない労働者で、
確かに殺人をして死刑になったけれど、それも
どれもごく自然の流れで起こったとても普通の出来事にしか思えない。
彼が母の死に涙を流さなかったのも、母の死体の前で煙草を吸ったのも、
その翌日海水浴に行ったのも、女性と関係を結んだのも、
どれも普通に起こりうる出来事で、彼は流れのままに動いただけだ。
友人の女性関係にも初めは巻き込まれただけって感じだったし、
銃を持っている時に匕首を持った昨夜の喧嘩相手が居たら、
相手を打ってしまうのは、ありがちなことだと思うのだが。
(全てにおいて善悪の究明は別として)
正義感の強い人や意思力のしっかりしている人にはないことだろうが、
私はムルソーと同じ舞台が用意されていたら、同じ事をするような気がする。
ムルソーの心理が私と一緒、と言うわけではないが、
行動としてはさして差はないだろう。
不条理の認識の追求は、背表紙の説明を読んだ時は、
ムルソーの行動のことかと思っていたけれど、
読んだ後は、観衆の事だな、と。
裁判の際、ムルソーは母の葬式で泣かなかった、と言われ、
彼は非人情的と決め付けられ、
司祭をわが父と呼ばないことも精神異常のように言われる。
大衆というものは、社会というものは、こういうものなんだな、
と、そんな事を思う作品です。
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彼が殺人を犯したのは、ただ太陽が熱かったからだった。ーー実存という言葉で名ざされるものがなんであるのか、その色と感触と匂いを、わたしはこの小説ではじめて認知した。それは自分をとりまく世界のすべてが突如としてすうっと遠ざかっていったときに、取り残された自分を包む音のない光景である。それは通常の意味での「物語」なるものが欠落した、鮮やかにしてなお彩度ゼロの光景である。理由や感情や自分の欲望といったものの首尾一貫性がいっさい感じとれぬまま、ただ自分を巻き込み世界は動いてゆく。その隔絶の感触を、この小説は粘度のない、乾いた、しかしみごとな文体で描き出している。
しかしながら読解がそこにとどまるのなら、実存を語ることは免罪符になってしまう。カミュが描こうとしたのは、世界/社会と自分とのあいだによこたわる不条理から、ひとは逃れられないということではなかったか。『異邦人』において、その不条理は法的・社会的制裁としていやおうなく襲ってくるものとして現れた。『シジフォスの神話』においては、自分の主体という不条理を引き受け社会にかかわってゆこうとする意志の問題が描かれている。
余談だがサイードは『文化と帝国主義』のなかである種の憧憬と敬愛を込めながら、しかし鋭くこの小説を批判している。こちらも必読。
ところで、わたしが読んだのこの表紙じゃありません。もっと古い奴です(すみませんブックオフで100円で買いました)。同じ訳者で同じ新潮文庫、旧仮名遣いではないけれど、「初版昭和29年」とあるから、さすがにここに出てる新版とはあちらこちら(主に漢字の使用感)が違っているのかなあ。一面銀のカバーに赤く「ALBERT CAMUS」とだけ書かれている、モダンな古めかしさを感じさせる旧版でありました。
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殺した動機は
「太陽がまぶしかったから」
・・・何でしょう、この小説からかもし出される無力感?虚無感?
読んで感じていただきたい。