虫博士の赤裸々な生態
2020/04/16 11:42
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHKのラジオ聞き逃しサービスで著者の話を聴き、少し前のことが走馬燈のようによみがえった。前の職場でお世話になったN博士のおかげで、著者の来館に立ち会ったことがある。その時は、アリの巣に寄生する土壌昆虫の写真をみて、こんな写真どうやって撮るんだ?という素朴な疑問し浮かばなかった。
ラジオを聴いて、すっかりその語り口に魅せられ、手に取った一冊。
この本を読んで、ドン引きするか、抱腹絶倒するかは、読み手の感性に拠る。
元同僚で先輩のN博士のおかげで、この本を手にする機会を得た。
この本には、著者の生い立ちや虫愛は勿論のこと、研究に向き合う姿勢、調査地での数々の珍事件や病気、そして二次元美少女に至る云々まで、博士の赤裸々な生態が綴られている。
この著者には今後も注目です!
2015/08/25 00:33
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投稿者:minomonta - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから何が書かれているのだろう?と思ってたが読んでみると好奇心や観察など幼少のころに私(たち)が持っていた何か忘れかけていたものを思い出させてくれる。それと普通種だと思っていたものがいつの間にか少なくなっていることや普通種であろうとその生態や記録については雑誌等に報告すべきなど大事なことを教えてくれました。
著者が奇人であろうがこの研究者には今後も注目せざるを得ない。
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投稿者:さとう - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても興味深く面白い。
ひとつ残念なのが、文章の端々から滲み出る優越感や卑屈さ。
だんだん疲れてきてしまう。
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昆虫研究者である小松貴氏の著書、彼の専門はアリに寄生する生き物「好蟻性生物」なのだそうだ。多くの生物学者と同じく、小松氏も子供の頃から生き物好きだったらしい。しかも二歳の頃にアリの巣に住み着くコオロギを発見するなど、好奇心だけではない鋭い観察眼の持ち主だったようだ。
今でも小松氏が研究対象としているアリヅカコオロギにはいろいろな種がいて、アリから直接餌を受け取るスペシャリスト型や、アリに嫌われながらもアリの巣に住み続けるジェネラリスト型など、見た目はほとんど変わらないのに非常に興味深い生態である。
近年、外来生物による生態系の破壊が問題になっているが、小松氏が解説するところによると生態系が健全でしっかりしていれば、外来種が繁殖する隙が無いのだそうだ。いとも簡単に外来生物が住み着いてしまうという、環境を作ってしまった我々にも問題があるのだ。
マイナーな生物を好む自らのことを奇人と称しているが、このような人のニッチな研究によって、世界が救われる日が来るのかもしれない。小松氏には今後も更なる奇人っぷりを発揮していただきたい、非常に面白い作品でした。
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バードウォッチングや植物観察のような比較的知名度の高い自然観察でも、普通?の人から見ると、「鳥を見てどうするの」といわれることも多い。道ばたの石をひっくり返して蟻の巣の中に同居している生きものたちに夢中になっていれば更に変な人あつかいされるのは、同類項としてよくわかる。でも研究者でなくても、世界中のどこにいても、当たり前と思われている生き物を眺めていても楽しめる人はしあわせだと思う。変人バンザイ。
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2014 9/6読了。Amazonで購入。
若手昆虫学者である著者の、これまでの研究生活を綴った本。とだけ言うと、なんか博士課程苦労話みたいなのを最近だと想像しちゃうんだけど、そういうのではない。現代版・南方熊楠とでもいうべき、まさしく「奇人」自らが記した奇書。ぶっちゃけ9月に読んだ本の中では群を抜いて面白かった。
海外の熱帯雨林に行ったりもして、ゲノムを調べたりとかそれっぽい研究もしているんだけれども、著者のイキイキとした研究ライフはむしろ普段の裏山にあることがわかる。
そこら辺の近所の裏山にも生態がよくわかっていないような生き物はいっぱいいて、著者はそれを興味を持って眺めて、調べて、論文にしたりしている。
まず「好蟻性」なんて言葉がIMEで変換できることすら知らなかったけれど、そういうニッチな世界のいきもののことをずっと調べている、それもどんどん発表している人がいて、それを心から楽しんでいそうっていうのは凄いというか、いや本当、熊楠っぽい。まさに「裏庭の奇人」だ。
願わくばそんな「裏庭の奇人」が研究者として大成できる日本でありますよう。
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著者は、博士号をとったばかりの、まだ三十代前半の研究者(ポス
ドク)です。専門は、好蟻性生物。アリに寄生し、或いは、アリの
おこぼれにあずかるべく、アリのそばに生きる生き物達のことです
が、これが実に興味深い生き物ばかり。アリは、この世界でもっと
も多様に進化し、広範囲に存在する生き物の一つですが、そのアリ
の背後には、膨大な数の好蟻性生物が隠れていて、未だよくその生
態を知られていません。当然、未確認の新種もいます。
そんな好蟻性生物に狙いを定めて研究を行なってきた著者は、既に
数々の新発見をし、論文として発表してきました。驚くべきは、そ
の新発見の多くが、民家に程近い信州の裏山でのものだったという
ことです。人跡未踏のアマゾンの奥地ならば、当然、未確認の新種
も多いことでしょう。しかし、そんな地球の裏側まで行かなくても、
自分の足元に、まだ未知の世界が広がっていて、国内で未確認だっ
た生物や、生態をほとんど知られていない生物達が、人知れず暮ら
している。今まで誰にも見つかることのなかったその虫達が、アリ
の行列に乗って、著者の前に続々と現れてくるのです。
著者は、物心ついた時から、裏山で虫や動物を追い続けたと言いま
す。人間の世界に全くなじめず、友達をつくることもなく、ひたす
ら虫や動物と戯れる日々。虫や動物のことで頭がいっぱいだから、
当然、奇行も多い。もし、自分の子だったら、「この子は大丈夫だ
ろうか」ときっと心配したのではないかと思う育ちぶりです。しか
し、幸いなことに、誰にも裏山での時間を奪われることはありませ
んでした。そして、独り通い続けた裏山で、著者は、自然に対する
独自の観察眼と科学的なアプローチの方法を身につけてゆくのです。
本書は、そんな著者の生い立ちから始まり、裏山を起点に、世界中
に広がっていったフィールドでの冒険と発見、研究成果、そして、
不安定な身分のポスドクとして生きる上での不安と野望などを随筆
風にまとめたものですが、これが実に面白く、示唆に富みます。
何よりも教えられたのは、新しい発見をするためのものの見方でし
た。その秘訣は、「いかに不自然を見つけられるか」にあると著者
は言います。そして、「不自然」に気付くためには、ひたすらフィ
ールドに通い、観察し続けるしかない。知識を詰め込んでも、見る
ことはできません。常識や予断が邪魔をしてしまうからです。頭を
カラッポにし、それこそ10m先にいる昆虫が落ち葉を踏む音に気
付くくらいになって、初めて見ることができる世界があるのです。
そんな著者のものの見方を支えてきたのは、「わからないことを、
わかりたい」という強烈な好奇心です。何に役に立つかとか、どう
業績に結びつくかではなく、この世界の、わからないことを、わか
りたいという純粋な好奇心。ただ、それだけに衝き動かされて来た
人ですから、奇人と呼ばれようが、変態と呼ばれようがお構いなし。
わからないことを、わかること以上に大切なことはないのです。
そういう人にこそ自然の女神は微笑み、その秘密を明らかにするの
でしょう。まだまだ自然は、世界は、その全容を人間に明らかにし
ていません。世界は驚くほど多様で、未知のことばかりです。
未知なるこの世界に生を享けたからには、とことんこの世界を味わ
って生きていこうじゃないか。奇人と呼ばれようが、変態と言われ
ようが構わない。自分の魂に正直に生きたもののみがこの世界の秘
密に触れることができるのだから、恐れずに突き進め。
そんな勇気をくれる一冊です。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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小学校時代はたびたび父親の仕事の関係で引っ越したが、いずれの
土地でも志を同じくできる同年代の子供には出会わなかった。その
ため、人間と遊んだ記憶はまったくなく、虫や動物だけを遊び相手
にした。
小学校の図工で、「自分が一番輝いている瞬間」を版画にするとい
う授業があった際、私はこのコウモリとの戯れを版画にした。する
と担任の先生が大いに私を褒めた。褒めたのは版画の出来ではなく、
その内容である。その後、母親を交えた学校面談のときに、先生は
私の版画を持ち出して嬉々として母親に見せ、「彼のこういう才能
は、絶対に伸ばしてください」と念を押した。この先生は、私が生
涯出会ったどの義務教育過程の教員よりも私の能力、才能を認め、
伸ばそうとしてくれた人であった。
授業の合間には常に大学の裏山にいた。私にとっての学校は信州大
学なのか裏山なのか自分でもわからなくなるくらい、すさまじく長
い時間を裏山で過ごした。一秒でも長くフィールドの生き物と触れ
合うため、大学の授業はギリギリ卒業必須分の単位が取れる程度ま
で減らしたのである。そんな生活は、ナチュラリストとしての私を
ますます鍛えるとともに、人間としての私をますますダメにしてい
くのだった。
私は虫採りでもフィールド調査でも一番重要なのは、いかに地元の
人たちに「赦されるか」だと思う。人嫌いな私だったが、それでも
自分が使わせてもらうフィールドでは、地元の人をけっして敵に回
さぬよう振る舞うのを徹底した。敵に回せば、結局自分が本来の目
的を果たせず損をするから。(…)地元の人たちに嫌われたら、そ
れはそこの生き物に嫌われたのも同然である。
毎晩裏山に一人で通い続ければ、やがて10メートル離れた地面を
歩くカマドウマが落ち葉を踏む音まで聞き取れるようになる。
先輩方は、ことあるごとに私の生き物に関する知識、生き物への接
近・捕獲技術を「素晴らしい。これは将来きっと役に立つぞ。そう
いう仕事につくならな」と褒めてくれた。この「秘められた力」を、
私は次第にもっと大切にしたいと思えるようになった。
フィールド調査で大いなる大発見をする秘訣は、いかに「不自然」
を見つけられるかに尽きる。「不自然」を見つけるには、何が「自
然」かを知っていなければならず、それを知る唯一の方法は、足繁
くフィールドに通い、身を置くことだけだ。
何も知らずにまず先にフィールドに出て、現物の不思議さを目の当
たりにするほうが、ずっと楽しいことのように思える。頭のなかを
カラにしたほうが、そのぶん夢を詰め込むことができるのである。
正気の沙汰ではない仕事は、正気の沙汰でない人間の領分だ。
たとえ些細な虫のことでも、それまで誰も見ることができなかった
ものを世界で最初に見るというのは、何物にも代え難い快感だ。
本職であれ在野であれ、研究者は自身の研究成果を過小評価すべき
ではない。人間は、未来の世のなかのことなどわからない。いまは
格下に見られているその成果報告が、後世でとてつもなく貴重な情
報源として重宝される可能性だってあるのだ。
こういう「銅鉄研究(銅でこうだったことを、今度は鉄で試したと
いうだけの研究)」は、研究者の間では無能のなせる恥ずべき行為
として、すこぶるバカにされるのが普通である。しかし、それが何
だというのだ。私は、純粋にこの虫の生態を知りたかった。わから
なかったし誰も知らなかったから、わかる状態にしたまでのことだ。
「わからないことをわかりたい」、それこそが科学の本質だ。頭の
なかでこれはこうだろうと思い描くだけで結局何もしないのと、実
際にそれを見て確かめることとは、まったく別次元の話である。
裏山は、まだ我々の知り得ないものを隠し続けているのだ。
裏山は、ツンデレ美少女と同じだ。見るべき箇所を見つつ、何度も
じっくり通い続けた者にしか、その隠された本性をなかなか垣間見
せない。だからこそ、私は飽きもせず見慣れた裏山の景色を見に、
これまで通ったしこれからも通うのだ。「黙して語らない自然」と
やらに、いつしか饒舌に語らせるために。
私のそばには、人はいなくてもムシはいつだっていた。だから、生
きていく術はすべてムシから教わったではないか。ときにはアリヅ
カコオロギのように頭を垂れつつ舌を出し、ムクゲキノコムシのよ
うに力ある者の懐に滑り込み、フサヒゲサシガメのように詭弁で丸
め込み、クロコバエのようにつかの間の栄光を?み取るのだ。ムシ
だってそうやって生きているのだから、私だってきっと生きていけ
るに違いないのだ。研究者たるもの、ただ生き残るだけではだめで
ある。何かを残さんとして、私はここにいるのである。
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●[2]編集後記
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一昨日、道でバタバタしている二匹の鳩を見つけました。どうも様
子がおかしいと思って見ていたところ、一匹は、巣立ったばかりの
小鳩。もう一匹は母鳩のようでした。
どうやら巣立ったは良いけれど、小鳩は力尽きてしまってうまく飛
べなくなってしまった様子。それを鳩親が一生懸命励ますのですが、
小鳩はどうしても飛び立てません。
何度やってもうまくいかず、そのうち、小鳩のほうは、歩道橋の陰
に隠れてしまいました。そのうち、もう一匹もやってきましたが、
母鳩に比べると小柄で、まだ飛ぶのがうまくありません。恐らく、
一緒に育った兄妹鳩なのでしょう。陰に引きこもってしまった小鳩
を何とか引きずりだそうとするのですが、出てきたと思っては、ま
た引っ込んでしまいます。
その一部始終を娘と一緒に固唾をのんで見守っていました。
どれくらいたったでしょうか。いつまでたっても飛び立つ気配はな
く、日も暮れてきたので、諦めて娘と帰ったのですが、あの小鳩は
どうなったのでしょう?
何かしたくても怖じ気づいて、できない。一歩が出ない。そういう
ことが娘にもあります。あれだけ一生懸命小鳩の姿を見ていたのは、
きっと小鳩の姿を、一歩がでなくなっている時の自分に重ねていた
からだと思います。あそこで小鳩が見事飛び立っていれば、娘も勇
気をもらえたと思うのですが、残念ながら、そういうハッピーエン
ドにはならず…。
現実はなかなか思い通りにはいきませんね。
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アリに寄生する「好蟻性生物」を専門とする昆虫研究者であり、自らを「奇人」と称する著者による、ファーブルならぬ奇人昆虫記。著者がこの仕事につくキッカケとなったアリヅカコオロギとの出会い(2歳のとき!)から、現在に至る研究の成果を紀行文風にまとめた。
本書で語られる事例の多くは、この奇人(著者)の才能と努力によって初めて世界に紹介されるものばかりだ。「わからないことを、わかりたい」という強い好奇心を持ち、凡人には真似のできない辛抱強さと観察眼で、著者はこれまでにいくつもの新種を発見している。そして興味深いことに、その多くはアマゾンやアジアなどの熱帯雨林ではなく、身近な裏山で発見されているのだ。
授業の合間に、著者は常に大学の裏山にいたという。彼にとっての学校は「信州大学なのか裏山なのかわからなくなるくらいだった」。そして今も、「裏山は、まだ我々の知り得ないものを隠し続けている」。
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『裏山の奇人』ということで(一体どんな奇人なのかしら///)とゲスなときめきを抱いて読む。
腐心してカラスの仲間になることに成功し、心満たされた翌日にはカラスに攻撃されたくなり攻撃対象になるように努力したりと、奇人といえば奇人なのかなと思う。
でも文中のそこかしこに(こんなことするオレって奇人だろ?)っぽい雰囲気が漂っていてそこが個人的に残念です。
真性の奇人かどうかはさておいて、昆虫や動物に対する愛情のほとばしり方が素晴らしいです。
私も幼い頃に野生動物にちょっかいを出しては玉砕し続けた過去があるので、著者の忍耐力には脱帽しました。到底かないません。
動物や虫の習性を逆手にとって観察・推理したり遊べたり、こういう人が研究者でなんだか嬉しいです。
最後に向坂環さんにきちんと感謝していたところが好ましい。
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いやー,面白い本だった。
著者は,「好蟻性昆虫」を主な研究対象としているようだけど,本書の題材は,その研究に付随しながら,著者の好奇心のおもむくまま,もっと多岐にわたる。
で,そんなマイナーな研究をちびちびとやっている話かというと,そうじゃない。
文章が上手だからなのか,「研究が大好きだ」と言うことが伝わるのからなのかは知らないが,この極めてピンポイントでしかない話題を,たのしくドキドキしながら読ませる力がある。
文章力があるんだろうなあと思う。研究者然としない文体は,とても好感が持てて,「おれも研究者になりたかったなあ」って思ったりもした。
著者の小さい頃を知っている知り合いの話では,その頃から「研究者にでもなるんかな」と思っていたというから,こりゃ,本物だ。
「私が,私の知識欲を満たしたくてやるのだから,そして何より,そうした研究のなかにこそ科学という言葉の本来持つ重みが隠されていると,私は思うのである。(p.262)」
いい言葉だ。
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【新着図書紹介】学生さんからリクエストのあった本です。
http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=TB10075840&key=B145102111405576&start=1&srmode=0
図書館においてほしい本は、MyLibraryからリクエストできますよ。MyLibrary → https://lib.s.kaiyodai.ac.jp/myopac/
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アリヅカコウロギ、ミヤマアメイロケアリ等々、聞き慣れないけれど気になる名前が続々登場。
虫を愛する著者の研究者魂に惹きつけられました。
三十路を過ぎた著者が親や親戚から「お前は将来何になるんだ」と言われ続け、「そんな遊び(研究のこと)はさっさとやめて、サラリーマンにでもなれや」と入れることについて、「それでは幼少のころからあなたがた大人たちから偉くなって好きなことをして生きたいなら勉強しろと言われてきた人生が報われない」述べている。本当にその通り。
実用が重視される昨今の研究現場ですが、実用よりも興味で進めるフィールド研究の魅力が伝わってくる本でした。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB16359550
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http://blog.livedoor.jp/masahino123/archives/65892841.html
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アウトドアマンや猟師、隠遁者を描いた話が好きなので、タイトルに惹かれて手に取る。
本を開いたら、口絵にいきなり「シジュウカラの雛に寄生するハエ」とかの写真が出て来て、あ、やっちまった(いけない本を開いてしまった)・・・と思ったのが第一印象。
著者は昆虫学者(博物学者)で、「アリヅカコオロギ」を中心に、日本の裏山にいるような(と言うとありふれたつまらないものと最初は思うわけで)虫たちの生態や苦心の発見譚をめんめんと綴る。学術書ともエッセイ集ともつかない。まさに裏山の奇人(著者自身のこと)の書である。
学名や詳細な参考文献リストが載った本でありながら、「どういうことですかバアサン」とか「マルヤマ? 誰だそいつ(と共同研究者をつかまえて言う)」とか「虫採りの楽しさを知らない人間には、逆立ちしたって一生わかるまい」とかざっくばらんな表現が躍っていて、サイコーに楽しかった。
研究者になる(である)ためには、そのテーマが三度の飯より好き、ってのがないとダメなんだろうなあというのがサイコーに伝わってくる。ところどころに登場する「美少女ゲーム」より好きかどうかはともかく。
「アリヅカコオロギ」に関心がなくても、最後まで一気に読ませられた本であった。