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時代に突き動かされた弟と、家族のために人生を捧げた兄、そして「彼らの」子どもたち……三世代のドラマはまるで映画を観ているようでスッと映像が浮かんでくるが、それでもずっしりと心になにかを残していくあじわい深い熟成された作品だった。
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2015/04/27 読了(図書館から借りた)
真面目かつ丁寧であるとは思う。構成も文体も。
かなりよくできる秀才という感じはするけれど、新しさとかドキドキ感のようなものはあまりなく、名作とは言えないかなぁ。。
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ラヒリはデビュー作において完成度の高い作品を書いていた。
そして この最新作 「低地」において
より複雑な話を 深く 丁寧に また 時間も 空間も 視点も あちこち 飛びながら 一枚の布を丁寧に織り上げる筆力をみせてくれた。
人は 様々な ものに助けられ 影響され 生きていく。
それらは生きるよすがである。
ある人にとってはとても大事なよすがが 別の人には
害毒でしかなく。 また 好意は 受け入れられるとは限らない。
本書は 60年代の インドの学生運動を物語の背景にし
70年代の アメリカ東海岸を舞台として
人生の意味について丁寧に描いてくれる。
おそらくラヒリがそうだからと思われるが
そこそこ賢い人ばかりが描かれる。
大学をでて 研究をして という人たちである。
その人たちが人生をもがきながら生きる。
本の知識と 実生活は 全く関係がないわいけではないが
生活や人生を決定したりはしない。
ラヒリはこのような小説を書くという思考実験を通じて
人間について理解しようとしているのだろう。
そして 読者はそのラヒリに導かれれて 作品世界を歩く。
読むとく行為がこの上なく心地よい。
読み終わるのがもったいなく感じられるほど 堪能した。
次回作が待ち遠しい。
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主役は二人、政治活動ために政府に命を奪われるウダヤンの兄、スバシュとその妻ガウリ。前半から中盤まではスバシュの青年としての成長、ガウリと結婚しアメリカへ移住してからは忍耐と寛容の物語として語られているけれども、中盤以降、そして全体としてはむしろガウリが主役なんだろうな。
読者目線では、男としてのスバシュの優しさや使命感に同感もするし、同情もする。そうせざるを得ない状況だっんだろうけど、その選択は決してガウリためにならない。一方、ガウリはスバシュとの前向きな生活も作れず、実の娘を愛すこともできず、良心の呵責に悩まされ、学問へと傾倒していき、最後には家を飛び出してしまう。なぜスバシュや娘のベラを捨て、学問のみのストイックな生活を選んだのか、後半にその理由が少しずつ明らかになっていく。結局のところ、彼女にとってウダヤンとの人生が望むすべてだった。ウダヤンの死から始まる家族の長い物語は、ガウリとウダヤンの成就する事のない愛ゆえの物語だったと最後に気づかされる。家族を犠牲にしても報われない思い。胸が苦しくなるほど切なく重たい物語だった。
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三世代をわたる家族のストーリー。弟の革命運動によるある出来事の後の兄スバシュ、弟ウダヤンの妻ガウリ、子のベラ、そして両親の人生。ウダヤンは自分の信念の元突き進み、家族の人生を狂わせた。何かを隠しながら生きていくということは辛い。
それぞれの大きな選択は正しかったのか?連鎖的にその問いが何度も頭をよぎる。
映画を観るような感じで、胸にじーんとくる場面もある。私のガウリの孤独感が一番感じられたのは大学にこっそり入っていた頃学生に話しかけられた場面。他にも孤独感を感じる場面は多々あるけど、この場面が特に。
ウダヤンの生き方に翻弄されたガウリの生き方、選択は私には腹立たしくてあり得ないと反対する感情とその選択をしたくなる気持ちにも肯定していて、矛盾した感情がせめぎ合う。
ラストにあの場面を持ってきた構成がより余韻を残す。ここでも安堵の気持ちと重たーい気持ち、反する感情を残す。
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インドからアメリカへ渡った家族の愛と憎しみの物語。
革命運動家の弟が殺されてしまうなどかなり劇的なストーリーながら、インドとアメリカの風景、登場人物の心情が簡潔だが丁寧に描かれている。
それぞれの孤独に、彼らの絆に共鳴させられる。
著者の集大成だと思う。
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ラヒリは、邦訳されてすぐということはないが、必ず読むと決めている。ひとつはラヒリの文章を訳すのにはこの人以外いないのでは、という小川さんの翻訳を味わうためでもある。
それはさておき、ラヒリらしく、そしてまたラヒリらしからぬ、小説であった。彼女の小説はこれまで米国で暮らすインド移民もしくはその子たちが主人公で、自分のいるところが「自分の土地」とは言い切れぬ、なんともいえない寄る辺なさが常に漂うものである。本作も然り。ただ、今回、前半は米国に渡る前のインドを舞台に、兄弟がそれぞれの選択をしていく過程が丹念に描かれていた。
いつも「祖国(であるはずの)インド」が亡霊のように肩に乗っているのを感じながら過ごす人たちが出てきていたが、今回は、ある意味でほんものの亡霊(死者)とともに過ごす人たちだ。
一見、飄々と、またたくましく生きているように見える人たちそれぞれに何と多くのドラマがあることか。
ところで、本筋とは関係ないのだが、ラヒリの小説を読むと、鷹揚に外国人もしくは他人を受け入れているように見える米国人の存在を感じる。さすが移民の国なのだな。在日のインド人たちは、こうはいくまい。
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ついに至った長編。
切り詰めた表現で、人間とその関係性を深く深く掘り出してゆく。
今回も夫婦や親子、さまざまな家族のありようが記される。
主人公はアメリカへ発ち、インドに残った弟はナクサライト運動に深くかかわり悲劇的な道を辿る。インドを、ことに政治問題をここまで作中へ詳細に取り込むのは初めてではなかったかと思います。
小川高義氏による訳文は今回も素晴らしい。
あまりにも素晴らしいので、ぜひ原文で読んでみたくなりました。
英語は私程度の力でもなんとか格闘しながら取り組めるだろうけれど、しかし近著のエッセイ集はイタリア語で書かれているそうですね。うーん、これはどう考えても挑戦できない。
インド人の両親のあいだにロンドンで生まれ、アメリカ各地で育ち、いま夫や子とともに暮らすのはローマ。どんな人生だろうと想像してみるものの、遠く及びません。作品にあらわれるアイデンティティの葛藤や孤独感、複雑な心情はラヒリ氏自身のそれと同じものではないでしょう。
それにしてもインタビューなどを読むと、なんて聡明かつ誠実な女性かと惚れ惚れします。
次作もますます楽しみ。
いつまでも待っているので、どうぞうんと時間をかけていただきたいです。
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やっぱりジュンパ・ラヒリはすばらしい。長編で、すごく読みごたえがあった。満足。わたしはこういう長い話が大好きだ。まさに人生そのものが描かれているというか。
人生、って、自分の思いどおりに生きなきゃいけないとか、楽しく生きなきゃ損だとか、過去にとらわれずつねに前向きに、とかいろいろいわれるけれど、実際は、そういうものでもない、どうしようもないこともある、ということがわかるような。なんだか人生について考えさせられた。スバシュもガウリも、まったく思いどおりの人生ではないし、楽しくも生きてない。過去に、死者にとらわれて、悲しみばかり。それでも人生は続く。
とくにガウリについて、じゃあ、どうすればよかったのか、と思うけれども、どうしてもああいう生き方しかできなかったんだろうな、と。
それと、だれも感情や思いをあらわにしない。自分の思いをのみこみ、人にも尋ねない。なぜ?ときかない。わかりあえない。それでも人間関係は生まれるし、やっぱり人生は続く。
せつなくて苦しい話だけれど、スバシュやガウリの、もがかないというか、なるようになるしかないとでもいうような、淡々とした生き方がいっそ潔いというか、ここちいいような気さえして。
でも、ラストにそれぞれ少しの希望が見えるところがすごくよかった。救われた気がした。
短くて淡々としたような文章がすごく美しくて。インドのトリーガンジやアメリカのロードアイランド、カリフォルニアの風景や季節の描写がすばらしい。
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トリーガンジの低地で生まれ育った二人の兄弟、スバシュとウダヤン。
慎重な兄と快活な弟。対照的な性格の二人は、互いを支え合い信じ合う強い絆で結ばれていた。
やがて、ウダヤンは革命運動にのめり込み、スバシュはアメリカの大学へ。
ある日、スバシュのもとにウダヤンが死んだという知らせが届く。死んだ弟には残された妻がいて、その体内には新しい命が宿っていた。
死んでしまった青年の影を背負いながら生き続ける、残された家族たち。
彼の声、彼の面影、彼のいた土地――すべてが忘れ難い思い出であり、呪縛であり、よりどころでもある。
舞台はインドでありアメリカでありながら、人物の内面描写が巧みで、なおかつ客観性も保っていて、充分に感情移入できます。
死んでしまった人を想いながら、現実の時間軸で生きていく人間の弱さと身勝手なほどのたくましさ。
その人生をまるごと見せてもらえたような、贅沢な読書の時間でした。
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生と死、家族と愛、思想と生活。これらを上手く織り交ぜながら、静謐な筆致で進めるストーリー。
福永武彦の「忘却の河」の国際化版と言ったイメージの佳作。
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自宅前の低湿地て、両親と身重の妻の目の前で射殺された革命家の弟。
両親と同居しながら黙殺されている弟の妻を、留学先のアメリカへ自分の妻として連れ出す兄。
時の経過とともに、二人は本当の家族となっていく…話なのかと思って読んだが、ジュンパ・ラヒリはそんなに簡単ではない。
小さい時から何をやるのも一緒だった年子の兄弟。真面目でおとなしい兄のスバシュと、活発で何事にも物怖じしない弟のウダヤン。
まっすぐな正義感から革命にのめり込んでいく弟を見ながら、スバシュは少しずつ家族と距離をとり始める。
インド人社会の濃密な家族関係を重く思いながらも、面と向かって意思表示のできないスバシュは、アメリカに留学する。
スバシュにとってインドの家族が徐々に遠くなった頃、突然弟が死んだと連絡が入る。
親が子どもの結婚相手を決めるのが当たり前のインドで、ウダヤンは自分で決めた女性と結婚した。両親の承諾も得ないで。
両親と同居してはいるが、家族として扱われていないガウリを、スバシュはアメリカに連れ出して、自分の妻とする。
時間が解決すると思った。
いつかは本当の夫婦として、家族として暮らせると思っていた。
しかしガウリは頑なにウダヤンにこだわり、自分が生んだ娘であるベラのことをも本当には愛せないような気がする。
ガウリは自分の元々の専攻である哲学に没頭し、ついにはスバシュとベラを置いて家を出る。
不在の存在感。
スバシュとガウリの間には常にウダヤンがいて、ガウリが出ていった後のスバシュとベラの間には常にガウリがいる。
視点を変えながら、時系列も行ったり来たりしながら、少しずつ彼らの半生が明かされていく。
“どうということのなさそうな日常の家事が、どうしてこれだけ苛酷なのか全然わからなかった。どうにか一段落すると、なぜか知らないが疲弊しきっているのだった。”
慣れないアメリカで家事と育児をしている頃のガウリの心情。
ガウリの不安や、育児の重圧などはとてもよくわかる。
だが、だからといってそれは家族を捨てるほどのものなのか?
実の父親ではないスバシュがベラを慈しみながら育てているのに、なぜガウリはベラを愛しきれないのか。
こういう小説にネタバレは関係ないと思うので書いてしまうけど、ガウリはベラを愛さなかったのではない。
ベラを愛することを自分に禁じたのだと最後まで読んで思った。
ウダヤンがしていたこと。
ガウリがしてしまったこと。
人は社会とは無縁に生きられないのだ。
古い社会と新しい社会がせめぎ合っていたインドで、どうしようもなく壊れていった家族の話。
重く苦しい話なのに、なぜか心が洗われていくような。
自分とは。家族とは。
正解なんてないのだろう。
だけど考えずにはいられなかった。
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人生の終盤にさしかかったとき、あるいは自分の死を覚悟した時に、思い出すのはどんなことだろう?
こんな風に、たわいもない場面の記憶かもしれない。
それだけに、余計に切ない。
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静かで淡々とした物語なのに、読んでいるこっちは激しく心揺さぶられてました。とても激しく。
読んでいた実際の時間は数時間のことなんだろうけど、読み終わった時は、自分が何十年もかけて、スバシュとガウリの二人の人生をただ黙ってじっと見守ってきたように感じました。
不要なシーンは一つもない気がします。出来事のすべてが、ぜんぶつながってこの二人の人生を作っていく。
誰かと心を通わせる、というのは奇跡のようなことなんだなぁ、努力ではどうにもならない部分があるんだな、なんて思った。
ラストは、ちょっとビックリしました。どんな風に終わるのだろうと思っていたので、ああ、こんなラストなのか!と。さすがだなぁと思った。胸が震えました。
長い人生の中の一瞬のきらめき。ウダヤンの目を通して見た若いガウリ。
年老いて、いろんな感覚が鈍ってきた時、ふとした折に思い出すのは、自分が見てきたそういう瞬間かもしれないな、なんて思った。
どうでもいいことだけど、裏表紙の山田太一氏のコメントは、私の読んだものとは別の本では?と思った。(笑)
感想なんて人それぞれだから正解不正解はないんだけど、裏とは言え表紙で本の顔なのに、なんだかポイントがズレてる感。
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長編はちょっとハードルが高いけど、著者の作品はなぜか一気に読める。
どの登場人物にも共感してしまうせいか?
家族を捨てたガウリにしても、そうせざるを得ない気持ちが何となくわかる。
最初にインドで結婚した相手が過激派に入っていて射殺されてしまう。
アメリカに連れ出してくれたその兄に感謝はしても、男女の愛が芽生えるかどうかはまた別だし、
子供が生まれても、全ての女性が子供が大好きで、献身的になれるかというとそうでもないだろう。
むしろ、彼女は自分の感情に忠実に生きたらそうなったという感じがする。
そのしっぺ返しも十分に受け入れる覚悟がある大人の女性なのだろう。
どのシーンも鮮やかに映画の様に思い浮かべることが出来る小説の力を感じる。