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「ヨーロッパとアジアを結ぶ航路を発見せよ」。19世紀に大英帝国の
期待を背負ったフランクリン隊は、北極探検中に全員が死亡した。
フランクリン隊は北極で何を見たのか。冒険家・荻田泰永氏と著者が、
フランクリン隊の足跡をたどった記録が本書である。
著者たちの探検の行程とフランクリン隊が辿った運命が交互に記述さ
れる手法は以前に読んだ『空白の五マイル』と一緒。
どこまでも雪と氷。そこを北極での生活に必要なすべてを乗せた橇を
引き引き、ひたすら歩く。しかも同行者とずっと一緒。
ひとりで黙々と歩くよりはいいんだろうが、どんなに仲が良くても一緒
に旅行などで長い時間を過ごすと相手の嫌な部分が目に付いて険悪に
なるっていうのは女性同士に限るのかな。
氷に阻まれて思ったように距離が稼げない日々が続いていても、著者と
荻田氏が交わす会話がどことなくのんびりしているのが印象的。
フランクリン隊の最後の生存者たちの命が尽きた「飢餓の入江」を越え
てふたりの旅は続く。それは、イヌイットたちが「アグルーカ」と呼ぶ
生き残り隊員の足跡を追う為だ。
イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する「アグルーカ」と名付
けられた探検家は何人かいた。自分こそ、イヌイットが言うアグルーカ
だという探検家だと主張する人もいるが、著者同様に私も隊長であった
フランクリン亡き後に隊の指揮をとった男こそ、イヌイットたちの間に
伝わるフランクリン隊の「アグルーカ」だと思いたい。
仲間のほとんどが死んでしまった後に、帰国する為に不毛地帯へ足を踏み
入れてのち、消息の分からなくなったアグルーカは確かにいたのだと。
現実の冒険の合間に描かれるフランクリン隊に関した考察は非常に参考に
なった。しかし、著者たちの冒険の行程で私には何か所か引っ掛かること
があって、心底楽しんで読めたかと考えると複雑なんだよな。
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129人が全員死亡というフランクリン隊の伝説はどこまでも人を引きつける
やっぱり思ったのは角幡唯介氏は文章が上手いなぁと言うことでひたすら変わり映えしない(?)氷原を歩く体験をよくここまで面白おかしく書けるものだと感心させられた
角幡氏の本は空白の5マイルに続いて2冊目だが過去の冒険家たちの物語はやはり面白く、もっと読みたいという気持ちになった
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エンタメノンフ作家・高野さんとの対談を読んで気になった本。トリッキーな主題よりも副題が読者の心に響いてくる。1800年代、世界の中の日本は幕末に、欧州ではポルトガルとスペインが主要航路を押さえてしまったがために、過酷な北極圏を航行する北西航路を開拓する必要性に迫られたことがフランクリン隊の悲劇を引き起こした。極寒の極北、乱氷帯を踏破する辛さ、ツンドラの不毛な大地を進む描写に、自分が安全な場所に居ながらも、旅をしている気分にさせてくれた。
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【人が命を懸けて何かをすることを説明するのに必要なものは、もしかしたら囚われてしまったという、心の片隅に突き刺さった小骨のような心情のひだを持ち出すだけで十分なのかもしれない】(文中より引用)
英国を出発して足取りが途絶えたあと、北極で129名全員が死亡した悲劇のフランクリン隊。彼らがたどったルートを追いながら、旅することや極地を目指すことの意味について考えた作品です。著者は、『極夜行』などの角幡唯介。
著者の冒険記として最高に面白いのみならず、フランクリン隊に何が起きたかを考察する冒険ミステリーとしても一級品の一冊。読書をしながら極北を歩く追体験をさせてもらっているような感覚でした。
角幡氏の著作はやっぱり面白い☆5つ
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2021/1/30 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2023/6/22〜6/29
角幡氏が北極探検家の萩田泰永氏と行った19世紀に北極圏を探検し、129名全員が死亡したフランクリン隊の跡を追う冒険を描くノンフィクション。第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。
いやあ、こんな過酷な冒険に挑むなんて、本当にタフだなぁ。高野秀行氏といい、早稲田大学探検部はすごい人たち揃いだ。
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アグルーカの行方
~129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極
著者 角幡唯介
集英社
2012年9月20日発行
探検家で、元朝日新聞記者のノンフィクションライター角幡唯介氏が、北極圏の探検に挑んだ時の記録。単なる探検記録ではなく、1840年代(日本の江戸時代終盤)に英国が国をあげて送り出した探検隊129人全員が死亡したルートをたどり、その謎を探る旅の記録でもある。
まだ5月半ばだけど、今年読んだ本の中で今のところ一番面白かった本、角幡唯介氏がヒマラヤ山脈ツアンポー渓谷に挑んだ記録、「空白の五マイル」の2年あとに発行された本。「空白・・」ほどではなかったが、やはり非常に面白い本だった。角幡氏は北極圏への探検経験がないため、今回は北極冒険家・荻田泰永氏との2人旅。
129人が死んだ探検隊というのは、フランクリン隊。海軍将校ジョン・フランクリン隊長は、1819年-22年の北極圏探検に際し、食糧が尽きたため、靴を食べて餓えを凌いだことで一躍英雄となった。チャップリンの黄金狂時代という映画で、靴を食べる名シーンがあるが、フランクリン隊をヒントにしたのかもしれない。しかし、1845年に出発した探検が最後になった。
英国が北極探検を国家事業で行ったのは、北西航路の開拓が大義名分だった。ヨーロッパから北米大陸の北(カナダ)を西へ進んでアラスカとシベリアの間、ベーリング海峡を抜けてアジアへ行くのが北西航路。それに対し、ヨーロッパから東へロシアの北を行くのが北東航路。台頭するロシアへの対抗もあるが、北西航路が徐々に使い物にならないことが分かってきたにもかかわらず、英国は北西航路探検をやめなかった。そこには、いろいろな背景があった。
フランクリン隊は、2隻の船で出たが、カナダ北極圏で氷に囲まれ、身動きが取れなくなり、船を放棄して雪上を歩いて南へ下り、北極圏脱出を試みた。その後の救援隊や探検家により、消息が断続的に分かったが、キングウイリアム島のある地点で1847年に死んだとされた。しかし、著者はそうは考えず、さらに南まで行ったと考えた。イヌイットが「アグルーカ」を含めた小隊と会ったと複数、証言しているためだ。アグルーカとは、大股であるく人という意味(イヌイット語)。
では、アグルーカとは誰のことか?ジョン・フランクリンか?部下の船長のことか?はたまた全く別の人物か?それぞれの可能性を探りながら著者は探検を続ける。
この本の山場は、ちょうど真ん中あたり、著者自身が餓えに苦しみ、ホッキョクグマから身を守るために持っていたショットガンを使い、ジャコウウシを撃って食べるシーンにある。
著者は、ホンモノのガンなど撃ったことがない。しかし、餓えのあまり雷鳥を撃って食べてしまった。これに味をしめてジャコウウシのステーキを妄想し、それが食べたくなった。だが、鳥と野生牛とでは事情が違う、こんなことが許されるのかと葛藤する。
もちろん、一日5000キロカロリーの食糧は持っているが、氷点下30度以下のため、同じことをしても消費カロリーは比較にならないぐらい高くなる。飢えて当たり前だ。生きるた���、許されるのでは・・・悩む。
オスは大きな角を持つジャコウウシ。最初は命中せず。しかし、あるショットでメスに命中。だが、その場で倒れることなく、バランスを必死に保ちながらも歩き続ける。さらに撃つ。ついに我慢できなくなり、そこに横たわる。まだ生きているから、とどめをさすべきだと考える。
だが、オスたちは逃げず、二人を見ている。襲われるかもしれない、と思う。すると、子牛が現れる。このメス牛の子供らしい。さらに、離れたところで、尻に血液がついているメス牛と、粘液にまみれた子牛を見つける。生まれたばかりの子牛。そうか、ジャコウウシは集団で新しい生命を守りながら行動していたのだ、と分かる。
メス牛にとどめをさし、解体する。解体されたものに、子牛が近づき鳴き続ける。おっぱいをせがんでいるかのように。キャンプ地に肉を持ち帰る。すると、先ほどの子牛がまた現れ、奇声をあげながら突っ込んでくる。
この子牛も生きていけない。葬ってやるのが筋だろう。そう思い、子牛にもショットガンを向ける。
フランクリン隊では、カニバリズムが行われたことが判明している。カニバリズムとは、食人。息絶えた隊員を食べて生き延び、やがて最後の一人が最後の一人を食べ、それも尽きて死んでいった、という構図である。この究極の、生き延びる術、カニバリズム、子牛まで犠牲にして食べたジャコウウシのステーキ、そして靴を食べたフランクリン。著者は、生きること、探検することの意味を凄絶な北極の日々の中で考え抜く。
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角幡唯介の本は去年から読み始め、エッセーを含めるとこれが7冊目。相変わらず彼の文章はリズムが気持ち良く、表現もすんなり入ってきて気に入っている。他で書いていたと思うけど、この本で言えば変化の乏しいと思われる景観や天気なんかについてとてもリアルに新鮮な感じで表現しているように思えてとてもその才能が羨ましい。さすがにテーマそのものが僕の興味をそれほど引くものではなかった上に少々長い旅に感じられたので「極夜行」や「空白の5マイル」に比べると評価は下がるけど、逆にこの長い旅をここまで書けることにこの冒険家の才能を感じた。今は8冊目のエッセーを読み始めていて、相変わらずその表現の的確さに感心している。
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角幡唯介(1976年~)氏は、北海道芦別市生まれ、早大政経学部(早大探検部)卒のノンフィクション作家、探検家。
『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞(2010年)と大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞(2013年)、『極夜行』で本屋大賞ノンフィクション賞(2018年)と大佛次郎賞を受賞。
本書は、19世紀の半ば、英国人ジョン・フランクリンが率いた北極探検隊129人が消息を絶った足跡を辿り、探検家・荻田泰永氏と共に、カナダ北極圏の凍てつく海と不毛な荒野1,600kmを103日間かけて徒歩で踏破した記録である。
ジョン・フランクリンは、1819~22年の北極探検で「靴を食べ」ながらも生還したことにより、既にナイトの爵位を受ける英雄となっていたにもかかわらず、1945年に59歳で129人の隊員と共に、船で再度北極探検に挑んだ。その目的は、当時ヨーロッパが中国との貿易を行うために、北米大陸を北から回りベーリング海峡を抜ける北西航路の開拓が求められており、残る未踏部分500kmの探査を行うことであった。しかし、一行は消息を絶ち、その後次々と派遣された捜索隊やイヌイットの記録により、ある程度の足取りは分かったものの、未だ正確には判明していないという。
そして、この物語を知った角幡氏は、自分で実際に同じルートを歩いてみることを思いついたのである。(因みに、「アグルーカ」とは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味し、かつて北極にやって来た探検家の何人かが、イヌイットからこう呼ばれたのだという。)
私は、角幡氏の著作は、これまで、『空白の5マイル』、『探検家の憂鬱』、『旅人の表現術』を読んだことがあるが、冒険ノンフィクションとしての面白さと、ノンフィクションというものに対する角幡氏の考え方・スタンスに惹かれており、新古書店で目にした本書も手に取った。(また、私は、本書でしばしば引用されているA・チェリー=ガラード『世界最悪の旅』や、アーネスト・シャクルトン『エンデュアランス号漂流記』等も読んでいる。)
本書の最大の面白さは、何と言っても、角幡氏(と荻田氏)が3ヶ月以上かけて極寒の地を1,600km歩き、様々なことに出逢った体験にあるのだが、構成としては、自分たちの行動とフランクリン隊の足取りを交錯させる形を取っており、これはデビュー作『空白の5マイル』(私は読んでいないが、2作目『雪男は向こうからやって来た』もそうらしい)と同じ手法である。そして、角幡氏はあとがきで、本作品でこの手法がひとつの完成型に達したので、今後は別の手法を試みたいと書いている。
私は、上記の通り、角幡氏を単なる(という言い方も失礼だが)冒険ノンフィクション作家としてではなく、ノンフィクションに様々な手法をもたらす書き手(沢木耕太郎のような)としても気に留めているので、その後の作品も読んでみたいと改めて思った次第である。
(2024年1月了)
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探検家の著者が北極探検家の相棒と二人で北極圏を1000km以上歩いて探検するノンフィクション。
19世紀に北極圏で消息を絶ったフランクリン隊129名の足跡を追うのがテーマ。21世紀にこんなことをする人がいるのか。
GPSや衛星携帯などの文明の利器を持ちつつも、「GPSに従っているような気がする」感覚は素人には分からないものだ。平坦に見える氷の台地だが実はソリがはまりやすくて難儀するとか、不毛地帯と呼ばれるツンドラ地帯が生命に溢れているとか、行った人でないと分からない描写に魅了される。
ところどころ引用されるフランクリン隊の文献がまた興味深い。アグルーカとはイヌイットの言葉で「大股で歩く男」らしいのだが、それが誰なのかも一つのテーマになっている。
飢えた筆者が妊娠している牛の親子を射殺するシーンが何とも言えない。
楽しみは食事だけという行軍を何ヵ月も続けられるモチベーションはなかなか理解できないが、探検と北極の過酷な大地に魅せられた人とはこういうものなのかな。この探検に持っていった気晴らし本が南極探検の「世界最悪の旅」というのだから。
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1845年にイギリスを発ち、129人が全滅したフランクリン隊の足跡を現代の探検家が追うという筋立てのノンフィクションである。
フランクリン隊は船と隊長含む隊員を何らかの理由で失う。その後クロージャ―船長が指揮をとるも、極地を方々に彷徨い、食人まで行われていたという謎と衝撃から、フランクリン隊に好奇心をかき立てられる者は多く、今もフランクリンやクロージャーの墓探しなどをする人々が後を絶たないようだ。
「アグルーカ」というのは大股で歩く男というイヌイットの言葉であるという。彷徨う白人の集団と出会ったという当時のイヌイットの証言が残っており、アグルーカはそのリーダーである。イヌイットたちがフランクリン隊の生き残りと会っていたことは間違いないとされ、カニバリズムに手を染めていたことも科学的な調査から事実とされている。ただ、証言は何パターンにも分かれており、また、アグルーカの名をイヌイットから授かった探検家は他にも複数いることから、本書で追っている「アグルーカ」が本当にフランクリン隊の生き残りだったのかどうかは分からない。当然に本書でフランクリン隊の行方が明らかになることはない(新しい発見があればニュースになっているだろう)。
研究室で資料を読むだけではなく、フィールドに出た者の手記というのが本書の特徴だろう。そこに行って初めて気が付くこともあるのだと思う。著者も「実際に彼らと同じ季節に同じ場所を旅してみて、彼らがこの早い時期に船を出発した理由が私 には何となく分かった気がした」「 まだ冬の寒 さが残る季節に船を出たのは、なぜだったのか。それは彼らの行方を捜索していた者たちにとっては大きな謎のひとつだった」が、「春がやって来た。もしかしたら、ただそれだけのことではなかった か」といっている。
また、英雄時代の神話のような極地探検しか知らなかったので、現代の探検家の探検観や探検生活も垣間見ることができて興味深かった。観光客が氷河や氷山を見に行く時代であっても不毛地帯のほとんどは人が立ち入らないのだから、まだまだ探検の余地はあるのだろう。
何度も読み返すかといわれると、そうでもない気がするけれど、フランクリン隊の行方や分かっている事実などの概観をつかむのにちょうどよい本だった。