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現代Jpopを感覚と会話から読み解いた作品。2016年4月に宇多田ヒカルの新曲が出たけれどもそれに対して遍く人々が熱狂しているわけではない雰囲気を感じるにつけ、筆者のいう今の日本の音楽界がガラッと変わることはないんだろうと思う。
それと今は宇多田ヒカルのBeautiful Worldが好き。
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20年弱”日本の音楽市場を牽引しなければならなかった”歌姫たちのデビューについて。J-POP終わっちゃったんだな~
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CDの時代は終わっても、彼女たちの時代は続く。1998年の音楽バブルを振り返る1冊。アイドルからアーティスト。メモ。
(1)ビルボードを始めとする我々が目にして来た海外の楽曲単位のヒットチャートの殆どはセールス以上にラジオでのオンエア回数に比重が置かれていた。アルバムをプロモーションする為のツールがシングルだった。
(2)宇多田ヒカルの作品からは宇多田ヒカルの声しか聞こえてこない。音楽にある密室感と親密さはスタジオこそが自分の部屋という感覚。スタジオの音楽家。
(3)Message from Hikki、直接webを使って対話することが音楽メディアの終わりに繋がった。宇多田ヒカル以前と以降で日本の音楽のルールは変わった。
(4)シンガー、作詞家、作曲家、編曲。自己完結型、デスクトップ・ミュージシャン、宇多田ヒカル。セッション型ミュージシャン、椎名林檎。
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宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko…日本の音楽シーンを支えていく女性たちが、1998年に確立していたことを知ることができた。小学6年生のときに、「女性ボーカルの曲だけあればいいな」と思っていたのをすごく覚えているけど、その正体はこういうことだったのか。
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題名が気になって。
あまり音楽の流行には疎かったけれども、色々と動きのある年だなーとは感じていました。そっかー、一番CDの売れた年だったのか、と。
そういや、我が家にもラジカセが来て、初めて買ったアルバム大のCDが、FirstLoveだったもんなぁ、と懐かしく思い出しました。
そして翌年、中学校の音楽室のラジカセで、凄い歌手がいる、と聴いた覚えのある歌舞伎町の女王。でもごめんあんちゃん、あの時の私には高度すぎて理解できなかったんだ、16年近くかかってやっと椎名林檎のよさを理解できるまでになりました。(報告)
あと宇多田ヒカルのすごさも理解できました。firstloveとエヴァしか聞いたことなかったもんで、他のもきいてみよ、と思えました。あ、でも自分、もともと宇多田のジャンル分かってないかも。知っている曲が実は少ないので、いつもぼんやりしてよくわからないのです。
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自分がずっと感じていたものを分かりやすく文章にしてくれた。そんな感じだ。宇多田ヒカルや椎名林檎、そしてあの1998年と今について。先頃、宇多田ヒカルはシングルを配信した。おかえり、ヒッキー。
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著者は元ロッキングオン編集者。
本書は大きく二部構成になっている。
前半は日本の歴史の中でもっともCDが売れたという「1998年」の日本のポップミュージックに焦点を当て、総括を行っている。この年の日本人は人類史上、最もCDを買っていたらしい。誰もがCDを買っていたのだ。
98年の象徴的な出来事として、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみのデビュー、小室ブームの終わり、マキシシングルの登場、小沢健二の音楽活動休止、スーパーカー、くるり、ナンバーガールのデビュー、フジロックフェスティバルが興業として初成功など、確かに語るべき事象は多い。また当時のCD信仰ともいえる爆発的な人々の購買動機がレコード会社や広告業界の現場視線で綴られている。
後半からは宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ、個々のアーティストへの考察を、「革新・逆襲・天才・孤独」のキーワードを基に一章ずつ割いている。宇多田ヒカルの契約条件、椎名林檎とオリンピック、aiko天才論、マイケルジャクソンとしての浜崎あゆみなど、外部要因も網羅した横断的な論考が展開される。一つ一つの相関関係を紐解いていく中で、彼女らのデビュー年が1998年であるという偶然が、まるで必然であったかの様に誘導されていく。
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「史上最もCDが売れた年」に奇跡のように揃って登場した、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ。その栄光と苦悩に「革新・逆襲・天才・孤独」をキーワードに迫る。
ちょっと聴きたくなった。
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1998年前後にデビューした、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみをターゲットに、時代背景や活動環境、個々の関係や影響など、周辺との関連性を中心に語られている。変化の大きい時期にそれぞれがとった行動が個性を表していると感じる。(宇多田:休む、椎名:順応する、aiko:貫く、浜崎:揉まれ迷う)
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1998年は日本の音楽市場最高のCDセールスを記録した年。そして、宇多田ヒカル・椎名林檎・aiko・浜崎あゆみがデビューした年でもある。そう、1998年は我が国の大衆音楽業界にとってはメルクマールな年であったんだ!と、この本で知る。
この2つの金字塔的トピックについて、著者は該博な知識と分析力をもって、熱く深く斬り込む。その切っ先には躊躇いがなく、次から次へと納得の波が押し寄せてくる。そうそう名言にも出会った。
「原稿を書く際、絶対に使わないと心した言葉に『独自の』と『世界観』がある。何が『独自』なのかを書くのが仕事。『世界観』は何かを言っているようで何も言っていない言葉の筆頭である」。確かに『独自の世界観』となんて、目も当てられない最悪の言葉である。
歴史は年号という点だけで押さえても、何も見えてこない。「通史」という視点で俯瞰する。続いて、ひとつの出来事にフォーカス。鳥の眼と虫の眼の合わせ技をもって、事象の成り立ちを考察する。そこには必ず何らかの兆しがあり、背景が存在し、必然が浮かび上がる。
1998年は「CDがネットに浸食され始め」、「アイドルの使命である「予定調和」を認めない歌手がアーティストという“なんでもあり”の広義なカテゴリーに包含された」分水嶺な年でもあったとも読めた。4人のアーティストがなぜ今もなお特別な存在であり続けているのか?を革新・逆襲・天才・孤独をキーワードに読み解く分析は読み応えあり。彼女たちの楽曲が、流行歌であった女性には、自身の“その当時”に照らしながら読めます。保証します!
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日本人が一番CDを買っていた時代。その当事者でした。
三人ともみな唯一無二。
椎名林檎の凄さは、クライアントやリスナーのニーズを敏感に察知しながら、「狙って」曲を作ることができるところ、時には自分を変えることができるところ。
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1998年は、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ。
多くの今もなお第一線で活躍し続けているアーティストがデビューした年。
また、この年が一番CDが売れた年。
彼女たちの交友や、今も売れ続けているアーティストとしてのそれぞれの特長などを説明してくれている。
1998年がとても奇跡的な年であること、彼女たちのカリスマ性を認識できる本。
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椎名林檎への思い入れが特に強い気がする。僕もだからかな…
リオの閉会式を見るにやはりこの人のビジョンは外から内を見ることができる人なのだなと思った。
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賛否両論、炎上上等!な語り口の上手さは流石「ロッキングオン」社出身、煽るのが上手い、と感心。
売名と言われようと、ネットで騒がれれば宣伝になるもんね。aikoと浜崎あゆみには少ししか触れてないのに、4人のファンが買わざるを得ないような書き方は上手いけどズルい。編集者が辣腕なのかも。
アイドル花の82年組の方が思い入れあるので、そちらの方やモーニング娘。についても読みたい。今の音楽シーンを語るのにAKBやエグザイルやジャニタレは無視って、それだけでカッコいいかも(笑)。
宇多田ヒカルについて語るなら母の藤圭子について(自死には触れてあるが)もっと語って欲しかったが、ばっさり切ってるのは聴き込んでないから?
今年(平成28年)の宇多田ヒカルのカムバックを煽りまくって終わるのは変だが、2020年の東京五輪セレモニーがAKBやエグザイルやジャニタレで埋め尽くされるのに椎名林檎が危惧しているってそれだけで慧眼。あ、リオ五輪やパラリンピックで椎名さんが出て来たのはそういう…。
日本には提灯持ちの「音楽ライター」とそうでない「音楽ジャーナリズム」が2種類いるってはっきり書いてあり、渋谷陽一は(評論家のようでいて)「誘導尋問的インタビュー」「今やRO社は雑誌よりフェス運営がメイン業務(収入源)」、「渋谷系は過大評価」と、大雑把に言ってこの3つを明記しただけで定価以上の100億点の価値がある。ロッキングオン社辞めた人はこの人に限らずこれまで言えなかったこと言うねえ。楽しめた一冊でした。
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9/28のアルバム発売の前にこれを読んで、椎名林檎の参加という文脈の強さに鳥肌が立つが、問題は発売後の音楽シーンの変化だ。アイドルの登場によって終焉を迎えつつあるシーンの延命装置は、どうなってしまうのだろうか。