紙の本
孔明の罠
2016/03/20 10:15
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「陣形」という切り口で歴史書を紐解くと、意外な史実が浮き彫りにされましたという本です。例えば、以下の通りです。
・律令時代に、唐・新羅に対抗するための軍事力として、既に陣形(唐から輸入された八陣)は考えられていたが、蝦夷との戦闘では効力は発揮できなかった(第一章)。
・源平合戦では魚鱗の陣や鶴翼の陣が登場するも、鎌倉幕府は陣形を使用していない(第二章)。
・村上義清の武田を打ち破った必勝隊形を上杉が取り入れ五段隊形が確立した。織田信長の軍事改革は大したものではなく、個人の集積である「軍勢」を組織的に機能する「軍隊」へ作り変えた上杉・武田・北条の軍事改革の方が、ずっと重要である。(第四章)。
・陣形を深く追求すると、川中島の戦いや関ヶ原の戦いが全く異なる様相となる(第五章)。
・大阪の陣での真田信繁の活躍の裏には、伊達正宗の鉄砲のみの陣立による命拾いがあった(第六章)。
・1700年以上も人々を論争に向かわせる孔明の罠は深遠(終章)。
巷間に流布している陣形は机上の空論であり、今に伝わる戦国合戦の陣形は史実ではない可能性が高く、見直すべきという主張でした。一考の余地はありそうです。ただ、本書の目玉と思われる関ヶ原の戦いの見直しは思い込みで描かれており、その根拠が良く分かりませんし、上杉・武田・北条を持ち上げるための信長の過小評価も的を得ていません。細部まで練れておらず、雑な印象が残りました。一方、歴史学者が研究対象として一顧だにしていないものを、丁寧に掘り下げた面白さはありました。
紙の本
結論は読む前からわかっていたが
2016/01/27 22:51
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本には「陣形」というものは結局なかったという当たり前の結論。「甲陽軍艦」の資料価値を主張したり、熱量は感じるが空転している気がする。
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前書きでは「陣形の面白さを伝えたい」といっているが、陣形の面白さを伝えることよりも、如何にこれまでの陣形論が間違っていたかを述べる方に主眼を置いた本。
「鶴翼の陣がこれまで考えられてきた隊列とは異なる」など著者の主説はわかるが、それが正しかったからといって、歴史学者でもなければ何の意味があるのか?
自説のうえにそれによって得られる付加価値を述べて欲しいと感じてしまう。
長々と歴史考証を重ねた上で最後に「兵法の真髄は空っぽだった」と締めるのも興ざめ。
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明快に陣形の歴史を概観できた。といっても陣形らしい陣形はなく、鶴翼のばっさり、魚鱗のびっしり、くらいしかなかった。たしかに小領主が自分の一族郎党を率いた舞台の集合体に細かく指示できるわけでもなく、兵種も混合しているので、ただ個人の武勇や物量で勝敗が決まった。戦国時代、新たな戦陣を編み出そうとしたのが武田信玄と山本勘助。だが、これも捨て身の村上義清に破られ、義清の陣形を取り入れた上杉謙信に敗れで、機能しなかった。結果、村上義清が信玄の首を取るためにやけっぱちで編み出した五段階の陣形が上杉謙信、武田信玄、北条氏康らに取り入れられる。大名が強い権力とお金を持ち、強力な馬廻を組織できて可能になる。織田信長は明智光秀が取り入れた可能性があるくらい。豊臣秀吉以降、全国に広まり、朝鮮でも猛威を振るった。江戸時代はこれが定型となる。シンプルに鉄砲、弓で敵陣を崩し、槍で押し込み、騎馬と刀の白兵戦で決着をつける。石高に応じた馬と槍と鉄砲と人数を軍役として課すことで均一な軍隊が誕生した。八陣などは風后の神話を諸葛亮が推測して八陣を考えのが日本に伝わり、信玄が創造し直したがやはりうまくいかない机上の産物だった。しかし江戸時代、実戦がない中で信玄の八陣が蘇り、甲州流軍学として後世に大きな影響と誤解を与えた。
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「天と地と」を読んだとき、車懸りの戦法はものすごい運動量ですぐバテてしまうだろうにと思った。
本書の内容なら納得。
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日本の陣形の歴史について。
鎌倉時代から戦国時代まで。
面白かったかといえば微妙だし、歴史的な考察もどれほどの信頼性があるかわからなかった。
2度読むかと言われればわかりません。。
以下基本的にネタバレ。
中国では、孫武の登場などによって、古代より戦略、戦術の研究が盛んであったが、その後孔明にもあるように八陣などの定義もおかれている。
日本では、孫武の存在も知られており、知識の輸入もあったところであるが、奥州のゲリラ戦の反省から、陣形というものの効果が認められず、その後力自慢が仲間を引き連れ、士気や個人の武力、機を捉えて戦うといった戦術が発展していった。
本格的な戦術は、武田信玄の登場を待つが、その後も一般化されることはなく、鶴翼、魚鱗など大きく広がる、密集する程度の認識であったとのこと。
作者は指摘される日本の陣容についても、関ヶ原の鶴翼など、誤りを指摘しており、ついに日本では陣形は発展しなかったとのこと。
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なるほどとうなずけるか所も少なくはないのだけれど、我田引水なところも目立つ(白峰旬氏の関ケ原短時間決着説とか「五段隊形」へのこだわりとか)。あと、図表の説明が大ざっぱすぎて、途中でわからなくなるところも散見。
伊藤潤氏推薦とか絶賛とかの物件には要注意ってことか?w
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“時代モノ”のファンを自認する人の中には…「無制限の制作費」を投入して、勇壮でリアルな、そしてドラマチックな戦国時代の合戦場面を映像で再現してみたいというような、傍目には莫迦らしいかもしれないようなことを夢想する人が在るのかもしれない…実は私自身にもそういう傾向が無いでもないのだが…本書に触れて、恐らく著者はそういう傾向をかなり強く帯びているのかもしれない等と思った…
本書の文中でも触れられているが…戦国武将等が「○○の陣」等というモノを用いていたらしいというような事柄に関して、実は然程深い研究は行われていない…本書は、そういう「○○の陣」というようなモノに関して、「“戦”というモノが辿った経過」を考えてみることを積み上げて考察している。或いは非常に画期的な内容を含むのが本書である。
本作は、限られた紙幅の中で、なかなかに深く考察を展開していて、非常に面白かった!!
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タイトルは「戦国の陣形」だが、要点としては日本の戦国時代には実態としての「陣形」なんてなかった、という本。
会戦に際し、兵の集団を決められた形に配置して運用する(それができるよう訓練する)陣形は日本の場合、大陸との戦闘を想定した律令制下には一時、存在したものの、結局大陸との大規模戦闘は白村江以降の古代では発生しなかった。
蝦夷勢力等と戦う上では会戦を想定している陣形は有効ではない(相手が集団ではなく散兵であるため)。
騎馬に乗った武士は運用としては散兵に近く、鎌倉~室町も陣形らしい陣形はない。魚鱗の陣・鶴翼の陣みたいな表現は出てくるが、密集せよ・散開せよくらいの意味できちんと決まった形はない(そもそも、領主ごとの集団や、「俺についてこい!」「おう!」みたいな固まりで戦闘してるので、司令官の下で秩序だった展開なんてしていない)。
きちんと形の決まった陣形を導入したのは武田信玄・山本勘助であることは確からしいが、その陣形も有効に機能した記録はない。
むしろ信玄に一矢報いるために村上氏が生み出した、旗本の下に兵種ごとに一定数の兵を揃えて、それを組み合わせて運用する(その組み合わせの力で一点突破して信玄を攻撃する)先方の方が有効で、その戦法はそのまま上杉氏に取り入れられた上、北条・武田にも波及し、後に豊臣政権⇒徳川政権にも取り入れられる(領主ごとに、各兵種を決められた数拠出することを義務付ける⇒それを兵種ごとにわけて再編成して運用する)。
江戸時代以降に「なんか陣形ってのがあったらしい」と机上で研究が進むが、日本でそれがまともに機能したことなんてなかったらしいぞ、と。
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日本に陣形がもたらされたとされる時代から有名な八陣(鶴翼、魚鱗、雁行、長蛇、偃月等)について論じられる。
はじまりは律令制の時代、7世紀からだった。源平合戦にも陣形とは呼べないが隊形や戦略などは存在していた。そして時代の移り変わりとともに集団戦が重要視され戦国時代に武田信玄によって八陣はマニュアル化されるものの、実演という形では現世まで見られることはなかったのではないか。それが著者の考察である。
様々な参考書物をもとに書かれており、なかなか戦略が好きな自分にとっては面白い部分があったが、とくに何かが得られる!といった本ではないので星3つ
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戦闘、特に陸戦が実際にはどのように行われ、何が勝因・敗因となるのかということは、戦争を知らない私には中々理解できない。そういう疑問に何らかの答えが与えられるのではないかとの期待を持って本書を読んだ。
結果的には、その答えは本書にはなかった。その上、近代以前の日本の戦闘には、戦術的な陣形は実際には存在しないも同然ということで、古代中国から移入されたらしい陣形の名前だけが一人歩きしていたというのが結論だった。様々な陣形の名称も、いわば机上の空論らしい。なぜそうなったのかは、古代から近代までの武士・兵士の成り立ちの歴史に沿って説明されており、ここが本書の最も面白いところかもしれない。
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戦国八陣は理論のみで使われることは少なかった。武田信玄が山本勘助と作ったが、村上義清が信玄を討つためだけに考案した兵種別の兵が連携して戦う作戦を謙信が発展。五段隊形。旗持ち、騎馬、鉄砲、歩兵、長槍。
中世は軍勢。寄せ集めなので、体系だった戦いはできない。その後軍隊に。
川中島も関が原も通説の陣形は怪しい。
メッケル少佐の「西軍の勝ちだ」も陣形図なかった可能性から怪しい。
諸葛亮の八陣も内容不明。
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目からうろこ。以下、引用。
●こうして見ると、陣形の起源は何もないからっぽの伝説にあるのだった。そして諸葛亮が推演した神話の八陣の実態は世から忘れられ、日本では山本勘介が諸葛亮の八陣を復元してすぐに有効性を失い、徳川時代には軍学者たちが武田の八陣を思い出して、戦国時代に頻用されたかのように語ったが、これもほどなく机上の空論として顧みられなくなり、そしてまた現代になってこうした文献を参考にとして戦国の陣形が、それらしく語られるようになってしまったのである。そもそも「陣形を使えば強い軍隊になる」わけでもなかった。村上義清と上杉謙信が信玄の陣形を強引に押し破るため、旗・鉄砲・弓・鑓・騎馬からなる兵種別編成の諸隊で結合する五段の隊形を編み出し、これをもって論理的な陣形がハッタリにすぎないことを証明してしまったのである。
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<目次>
序章 鶴翼の陣に対する疑問から
第1章 武士以前の陣形
第2章 武士の勃興と陣形の黎明
第3章 中世の合戦と定型なき陣形
第4章 武田氏と上杉氏にあらわれた陣形
第5章 川中島・三方ヶ原・関ヶ原の虚実
第6章 大坂の陣と伊達政宗の布陣
終章 繰り返される推演としての陣形
<内容>
簡単に言うと「鶴翼」や「魚鱗」などの陣形はなかった(これは中国においても)。若干のシステムはあったが、その場限りに近いものだった。強いて言えば、戦国期武田信玄に攻められた村上義清が、決死の陣として考案したものがあり、それを上杉謙信が学び、川中島などで使い、それを受けて武田信玄や北条氏なども使用した。しかし、それはせいぜい全体の陣の中の各部隊の陣形であった。関ヶ原では使われた痕跡はないし、大坂の役で苦戦した徳川氏が、その後の参勤交代の際に、陣立てを規定したところから、パクス=トクガワーナの中で、軍学者が机上の空論として少々編み出し、それを戦後の歴史学(軍事学)者が、さらに汎用し、ゲームなどで人口に膾炙した。というところか。
だいたい、中国はまだしも山国の日本で、陣形を保って戦うなど無理だし(地形優先でしょ)、様々な思惑の武将の統制は相当至難の業だったと思う。
逗子市立図書館
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甲陽軍艦等の文献の精査で,日本の古代から近代の軍隊の陣形の実態を解き明かした好著だ.村上義清と上杉謙信が五段隊形を編み出して実際に活用した事例紹介は素晴らしい.徳川時代が平和であったため,戦国時代の歴史がおざなりになったことで,当時の陣形に関する研究が不十分だったことは残念なことだ.関ヶ原の合戦の戦況展開図(p170-173)は具体的な形での考証であり,素晴らしいと感じた.