紙の本
人生、人について考えさせられる
2023/11/16 21:13
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投稿者:Monty - この投稿者のレビュー一覧を見る
この夏、大阪旅行に行った際に近くまで足を運んだけど、結局行けず仕舞い。ここに暮らす方々のことは想像することしかできないけれど、人とは何かという事と向きあっている方々なのかもしれないなぁと思った次第。会社が会社ごっこをしているような気分。
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「人はみな孤独だと僕は考えます。僕はそのことを前提に日々送ることを受け入れています。
でも同時に、誰かと触れていたいと強く渇望し、望んでもいます。(甲斐賢治)」
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たっぷりとした文章を書く方だと思う。懐の広さというか、独特の速度があって、読んでいてこちらの気持ちが落ち着いていくのだと思う。息をしていることに近い文章かな。
あとは、栗原さんの、難民性の話、異交通の話が気になった。例えば、トランスナショナルな異交通の成立するのは釜ヶ崎もだが、農山村でも起きていて。
自分が、「地域のため」というモチベーションに賛同できなくて、ではどこに可能性があるかと考えた場合に、暫定的に、「結節点」として機能するのが良いのでは?と考えた。これに関連することだと思う。
ここでの難民というのは、いわば、「現実」を目の当たりにして、「幻想」としての共同体に帰属できなくなった人の事を指すのだと思う。
そういう人の行先であったり、求める出会いの質として、「釜ヶ崎」なり、「過疎地」(=被差別地)があるとして、ではそこで彼らをは何を発見するのか。
難民と難民にしか出会えない質、生み出せない場があるということは確かだと思う。まだよく整理できない。
しかし、『現在(いまーここ)を生きる』ということと深いつながりがあることは漠然と思う。無為の共同体との議論とも隣接しているだろう。
つまり、難民性を負った人は、その帰属先として、ある集団也、共同体を選ぶことはもうできない。では、どこにも帰属せずに生きていくのか、外部は必要ないのかと問うた時に、そんなことは到底可能であるはずがない。では、どこに帰属先を見出すのかと言えば、僕はそれは「現実」であると思う、つまり、身体と現実が限りなく隣接し、現実に同期した状態で生きている「感覚」。これだけが、分有可能なのではないかと思う。難民性を負った人が、過疎地であったり、差別を受けている人のところにいくのは、そこに、「現実」があり、また「現実に切り裂かれている人」がいるからだろう。つまり、現実をまずは受動している。そして、それをいきのびている。そして、そこに異交通がなりたつことで、彼らの生きている「現実」と、自分の難民性との間に、何かしらの親和性が帯びてくる。ないしは、お互いの「現実」が、リンクし合い、「現実」を生き直す契機となる。
そこに、難民が、難民でありながら、なお、生きていられる、よすが(縁)があるのだろうか。
以下引用
生きることは表現だ、仕事は表現だ、と大きいことを言ってきたことが恥ずかしかった。表現を担保するとは、お互いの存在を認め、大切にしている場をつくれているかを問われているということなのだ。表現することが大事なのではなく、表現できる場をつくれているか、その場の一人として、他者として生きているか、と。
自分が仲間と思える人との関係はつねに揺らいでいるように感じます。ただ、その揺らぎや不確かさが、僕を注意深くさせ、背筋を伸ばすことをすすめ、、
故郷でも、出た先の都会でも、共同体から排除されるという状況に置かれる。難民性というのは、つまりどこにも行き場がないということ
自分で自分をもてなす、それこそが自立、自治。
ソムリエは直接手助けは出来ず、自分の中の他者を動かす、もてなす、歓待するサポートをする
自分の中の他者を動かすという事態が、サポートするソムリエの側にも起こることがある。もう少し言葉を変えて言うと、ソムリエの側にも難民性がある。
異なる場所から来ている人たちが一種の難民性を背負っていて、異交通が成り立つ。私たちも心をひらいて、耳を澄ませて来ることで、異交通を経験できるかも
詩人の仕事
生存というぎりぎりのところで役にたつのは、特定の人が特定の勉強をして得るような専門知でも教養知でもない。
市民から排除されていたひとたちが、自治の問題を考える中で、野生知がひらかれる。そこにアートがひらかれる。
故郷でも、出た先の都会でも、共同体から排除されるという状況におかれる。難民性というのは、どこにも行き場がないということ。
自分が自分をもてなすということ、それこそが自治。自律。
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この本の著者“上田假奈代”さんの名前を見て「どこかで見たっけ?」
名前の假という漢字が珍しいのでぼんやりそう思ってたら、この本の40ページで答えはすぐ見つかった。
-彼女は私が大学時代に大きく影響を受けた橋口譲二さんの写真集「十七歳の地図」(その後復刊時に「十七歳」と改題)に載り、独特の存在感を示していたその人だった。-私の目前にいわば“再登場”した形。
さっそく書棚から、17歳から10年後を追った同じ橋口さんの写真集「十七歳の軌跡」を取り出し、上田假奈代さんの章を読んでみる。17歳の時の「アーティストになりたい」発言から、29歳では自己の表現のために生きようとすることの葛藤や困難と、それにもかかわらず表現の追求にこだわり続ける思いが赤裸々に語られていた。
私が書店でこの本を手に取ったのは、上田さんやココルームのことを知っていたからではない。「釜ヶ崎」と「表現の場」とが入ったタイトルを見て第一印象でレジに持って行っただけ。
でもこの本を読むまでは実際のところ、世間で日雇い労働者やホームレスの街として認識されている「釜ヶ崎」と「表現」とがつながりにくかった。
ところが上田假奈代さんの文や談話を読むと、私の「釜ヶ崎」のイメージが変化するのがわかった。
-つまり彼女は、釜ヶ崎が「労働者の集まる街」としてではなく、「自分を表現したい者が集まる街」「自己を表現したいがうまく表現できず、上手に生きられない人が集まる街」であることを発見したのだ。
どちらかと言うと独特といえる個性をもち、世間のなかでその置き場所を探しあぐね、自分の生き方に悩んでた彼女は巡りめぐって「釜ヶ崎」に辿り着いた。
他方で労働者も、人生で様々な挫折や曲折を経て「釜ヶ崎」に行き着き、両者は交差した。
そこで彼女が労働者のなかに自分と同質のものを見いだし「労働者たちが自分と同じく表現に悩む者なのだ」と発見できたとしたら、まるでドラマのように劇的だ。
もちろん美談ばかりでない。同じ表現に悩む者でも、その人生における背景が全く異なる両者は幾たびかの激しい摩擦を生じさせている。
でも彼女ならば、悩み苦しんだうえで、労働者の“自己主張”すらも、その数奇な人生からくる「表現」だと悟ることができるのでは、と思える。
それは私の買いかぶりではない。その証拠に、謙遜し韜晦する彼女を暖かく見守るかのように、それぞれの道の達人が心に残る文章や談話を彼女に寄せている。
谷川俊太郎さんは、自らの半生を小粋に照れ隠しながら語る労働者になりきったかのような詩「路上」を彼女に献上(これがいい詩!)。
政治社会学者の栗原彬さんは、釜ヶ崎に労働者が集まることについて、どこからも排除され行き場のない“難民性”と関連付けている(これが彼女のヒントになったのかな?)。
美術家の森村泰昌さんは、労働者が表現にかかわることに関して「表現は自分と世界との出会い直しである」と看破している。
生きづらさを抱えていた上田假奈代さんが紆余曲折の末に自分の居場所を釜ヶ崎で見つけられたように、すべての生きづらく感じる人たちにと��ての「釜ヶ崎」が見つけられますように。
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ココルームには数回だけ行ったことがあります。その活動も存在自体も気になりつつ、なかなか深く入り込めず。
ココルームができるまでと、できてからと、これからが、関わる様々な人の声を集めて語られます。また行ってみよう。