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第二次世界大戦下の目の見えない少女とドイツ兵の少年の話。それぞれが、石炭や無線、貝や鳥の生態といった自然科学も混えながら、詩的に描き出される。
戦争という大きな力に支配されながらも、人々は、家族を、友人を、隣人を想う。
少女の父親が作った町の模型と同じように、緻密で精巧な物語。
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評判に違わぬ美しい小説。
目の見えないフランスの少女、無線に関して類まれな才能を持つドイツの少年兵、異常な執着を持つ末期がんの兵、鳥に魅せられたドイツの少年、少女の庇護者としての父と叔父。
細かい章立てで時間と空間を行ったり来たりする手法と、
その中に含まれる非常に微細な出来事やキーワードが
次第に織り上げられていき、最後のパリで登場人物たちが
交差する瞬間に向かって劇的な盛り上がりをみせる。
本当に終わるのが惜しい小説。
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短い文章、繊細な情景描写。
シェルコレクターは映画で観たけれど、こちらは少年と少女の世界、戦争を通してうつりかわりがよかった。
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かなり時間をかけて読み終えた。細かな章で構成されていることでたくさんの層ができ、風景や心理の奥深さを感じられる。
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綺麗な言葉で、綺麗な雰囲気で、綺麗な少年少女が描かれた美しい物語だと思う。
洋書だけど全然読み難くなかった。
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たくさんの章に分かれた珠玉の断片が織りなす繊細で美しい抒情詩であり,起こりうる未来への不安を孕んだ叙事詩でもある.生き生きした生命力を持つ盲目の少女マリーと優しい心を隠して生き延びるドイツの少年ヴェルナー,主人公の二人がいつ出会うのかとハラハラしながら読み続けた.また,周りの人物が魅力的で,父親やエティエンヌ,妹のユッタ,鳥の好きなフレデリックはもちろん,パン屋のおばさんまでみんな素敵だ.そして,奇跡のような出会いと別れ,マリーの幸せは読みたかったけれど,ここで終わってもらっても良かったかとその後を読んで感じた.
全編に「月の光」が流れていて,読み終わっても音楽が鳴り止まない感じだった.
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どこまでも哀しく静かな物語でした。 解説や説明はなく、描写、エピソードのみの展開での長編なので、私には少ししんどい面もありました。 でも以外と読後感は、爽やか、というか、しっとり。
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盲目の少女は、誕生日に父親から本をもらう。海底二万里。指で文字をたどり、ノーチラス号に乗り、ネオ船長と共に海底を旅する。戦争が、彼女を本と別れさせる。そして、再び読み始める。誰かに届くように、電波に乗せて。その声を聞いた少年は、少女を見つけ出す。少年は、ずっと昔から、ラジオでその声を聞いていた。仕掛けのある模型の家、魔法の宝石、鉄の鍵。たくさんの貝殻、波の音、海の風。飛行機が飛び交い、爆弾が落とされても、どこまでも静かな物語だった。
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第二次世界大戦中の、敵国同士の盲目の少女と少年兵の物語。それぞれ交互に語られていき、次第に引き込まれていく。翻訳文学なので読みづらく取っ付きづらいものの、それでも一気に読んでしまった。まず、くどいくらい美しい情景描写。と同時に、人物像も際立っている。マリー・ローズの優しく、そして周囲を明るくさせる微笑ましい姿・そして持っている強さに感動したかと思えば、ヴェーラーの聡明さ、そして弱さとそれへの葛藤を持ちながらの優しさも心に沁みる。そんな心情の描写も素晴らしい。タイトルは光を失った少女と、またラジオを通した交流とその輝き、また最終章にあるような、人の心が光となって漂っているという様々な意図が見える。名著。
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ドイツの孤児院で暮らす少年とフランスの盲目の少女が
戦争に巻き込まれ懸命に生きながら最後に運命に
導かれるように二人が出会い別れる物語。
十年にわたって書き綴られただけあって
すべての言葉、文章に伏線が張られているような
登場人物全員、過不足なく人物像が浮き上がってくる
どの言葉も読み漏らすわけにはいかない。
とても面白かったです!
しかし作中のキーのひとつの海底二万里
読んだことないんですよね。。
再読するときは海底二万里を読んでからにしないと…。
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ドイツ人の少年とフランス人の少女の戦時下のボーイミーツガール。
「だが実際には、時間とは自分の両手ですくって運んでいく輝く水たまりだ。そう彼は思う。力を振りしぼって守るべきものだ。そのために闘うべきものだ。一滴たりとも落とさないように、精一杯努力すべきだ」(アンソニードーア『すべての見えない光』)
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『マリー=ロールは手を広げて差しだす。ツバメは首を傾げ、しばらく見ている。それから羽ばたいていく。ひと月して、彼女は視力を失う』―『第一章 一九三四年/国立自然史博物館』
全ての記憶は美しい、と誰が言ったのか。美しく改竄されてゆく記憶がある一方で、思い出すたびに身震いする記憶もある。「メモリーウォール」の著者による本書は、どちらかと言えば、その思い出したくない方の記憶についての物語。
各章には無機質に西暦だけが記されている。しかもその数字がどのように繋がっていくのかは前もって知らされない。例えば、目次に並ぶ年号を見てしまえば読者は物語の展開を勝手に想像してしまうかも知れない。そんな杞憂を振り払うかのように、本書には目次もない。一つ一つの場面からなる段落を寄せ集めたような各章を、一つ読み、二つ読み、手探りでそこから浮かび上がる物語を想像してゆく。すべての登場人物の物語にエピローグが与えられる訳ではない。主要な二人の主人公の物語とて、十分に語り尽くされることもない。それでも輻輳する個々の物語が寄り集まりタペストリーを縫い上げるように、記憶にまつわる物語は語り上げられる。完成した織物を俯瞰して眺めることは重要ではない。一つ一つの縫い目を指先でなぞり、その感触から拡がる物語を想像する方が本書には適しているように思う。ひょっとするとそれは、この作家が稀有な短篇作家であるためなのかも知れない。大きな物語を先読みしてしまえば読み飛ばしてしまうかも知れない登場人物の物語にも、一つの正義はある。そのことを改めて思う。大義が正義とは限らない。
パリに暮らす盲目の少女とドイツの炭鉱の町に暮らす孤児の少年。頁を繰るにつれ二人を繋ぐものがどこにあるのかが徐々に明らかとなるが、その謎自体は複雑ではなく丁寧な読者の期待通りの展開が待っている。それこそが「すべての見えない光」という邦題の意味するもの。もっとも光とは通常可視光線の周波数帯に属する電磁波のことを意味するけれど、それが一続きのものなのだということも「見えない光」を通して教えられる。少年にとっては夜空を飛び回るその見えない光こそ希望の光。一方で、少女にとっての見えない光とは五感に伝わる全ての存在。視覚を補うそれ以外の感覚の作り上げる世界は見えない光として少女の頭の中に再構築される。まるで父親の作り上げた模型の中で指先が辿る街路が、杖と脚で辿る本当の街並みへと変換されるのと同じように。巧妙に張られた伏線とそこから導かれる結果、そして見えない光に導かれて必然的に起こる二人の邂逅、その焦点へ向けて加速度を増す時の流れ。模型の家は、その中に収めていたものは、あの人は、どうなったのか。その謎解きは、砲弾と爆撃の渦中にある時間とその時空間に吸い寄せられるまで二人の辿ってきた時間を行き来しながら進んでいく。その緊張感が読む速度を上げようと働きかけるが、それに逆らって点字を辿るように読まなければならない。何故ならそこが終着点ではないから。
最終章にも全ての答えが用意されている訳ではない。しかしそこには時空を超えて繋がった二人の間に、触れ合った手のぬくもりを通して通じ合った確信を裏切らないメッセージが待っている。そのメッセージの意味を静かに読み解き、二枚貝の群生する洞窟の光を想像する。
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ゆっくりと二人は近づき、出会い、交差する。留まるのではなく交差なんだなぁ…残酷で過酷で辛い事ばかりなんだけど、不思議と静かな感じがする文章がとても好きだった。5点満点やったら10点あげたいくらいの感動。そのうち映画化すると予言しとこ。
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パリで暮らすマリー=ロールと、ドイツのツォルフェアアインで暮らすヴェルナー、ふたりの人生を交互に描く。1944年8月、ドイツ軍の占領下にあるサン・マロを襲うアメリカ軍の爆撃で幕を開けたあと、物語は十年前にさかのぼり、その後も時間軸を行きつ戻りつしながら展開する。
二人はすぐ近いところにいながらなかなか出会わず、最後にようやくほんの少しだけ接触する。ドキドキする場面。
戦争を扱う小説という枠にとどまらない。目に見えない世界や、人間と自然との交錯、人間に対する細やかなまなざしなど、幾重にも豊かで奥行きを感じさせる小説。
(あとがきのこと)
『屋根裏の仏さま』のあとがきで触れられていた岩本正恵さんのことがこちらでも。この本も岩本さんが訳される予定だったそうだ。藤井光さんは「僕は岩本訳によるドーア作品を何度も読み返し、そのたびに、こんなふうに翻訳ができたら、と憧れずにいられなかった」と書かれている。
p55 目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな? 色と呼んでいるね。だが、電磁のスペクトルはある方向にはまったく走らず、反対方向には無限に走るから、数学的に言えば、光はすべて光に見えないのだよ。
P63 ヘルツの理論は興味深いが、彼がもっとも愛するのは、なにかを作り、両手を使って作業をして、頭のモーターと指を接続することだ。ヴェルナーは、近所の人のミシンや、<子どもたちの箱>の古時計を修理する。日なたにある洗濯物を屋内に取りこめる滑車の仕掛けを作る。バッテリーと鈴とワイヤーで簡単な警報器を作り、幼児が外に出てしまったときにエレナ先生がわかるようにする。
P140 フレデリックは指をひらひら動かして言う。「鳥は好きかい?」
「好きだよ」
「ズキンガラスのことは知っているかい?」
ヴェルナーは首を横に振る。
「ズキンガラスはたいていの哺乳類よりも賢いんだ。サルよりもね。自力では割れないクルミの実を道路に置いて、車が踏んでいくのを待って、中身を食べようとしているのを見たことがある。ヴェルナー、きみとはすごくいい友達になれるよ。間違いない」
P152 五階の書斎で、マリー=ロールは、大叔父が『ビーグル航海記』をさらに読み上げる声に耳を傾ける。ダーウィンはパタゴニアではレアを狩り、ブエノスアイレスのはずれでフクロウを観察し、タヒチでは滝を測量している。彼は奴隷たちや岩石、稲妻やフィンチ、そして、ニュージーランドでの鼻を押しつけあう儀式について書いている。マリー=ロールは南アメリカの暗い沿岸についての話を気に入る。人を寄せ付けない木々の壁や、腐りかけた海藻や、出産するアザラシの鳴き声に満ちた沖合のそよ風。彼女はよく思い浮かべる。夜、ダーウィンが、船の手すりから身を乗り出すようにして、波のなかで発光する生物を見つめ、ペンギンが通過したあとの燃えるような緑色の跡を眺めている。
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名作。読み終えて、胸いっぱい吸った息を長々と吐いた後、しばらく動けなかった。清らかな魂の持ち主が時代の暗い影に飲まれていく様を、胸を痛めて見つめ続ける500ページ超。彼らが守ろうとする世界の美しさと終盤に訪れる奇跡の眩しさ。