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個性的な日本人コンテスタントが多数本選に残った今年のショパンコンクールは、youtubeでのリアルタイム配信もあり近年にない盛り上がりを見せた。そのブームに乗ってショパンコンクールについてちょっと勉強してみようと図書館で借りて読了。
青柳いづみこさんの文章はいつもながら大変読みやすく、ピアニストの視点でありながら一般人にもわかるように噛み砕いて説明することも忘れない心配りが行き届いていて臨場感あるリポートとなっていた。そう、本書はショパンコンクールの概要や歴史についてももちろん触れられているが、基本的には2015年に開かれた第17回大会の記録である。現地で演奏を聴き、コンテスタントや審査員らとも直接話をしたのでなければ得られない臨場感が伝わってくる。
しかし出版からすでに5年経っていることもあり、本書の価値は、ショパンコンクールの成り立ちから現在までの経緯をわかりやすくまとめている点にこそある。ショパンコンクールは設立意図からして思想的・政治的な思惑も絡んでいた。その後も世界の動静と無関係でいられるわけはなく、ポーランドが「東ヨーロッパ」だった間はソ連の影響を受け続け、音楽業界が巨大ビジネス化する弊害もあり、現在は押し寄せるアジア勢の大波で予備選抜の方法も手探りが続いている。浮世離れしているかのようなクラッシック音楽最高峰の舞台は、実は世相を映す鏡だということをあらためて概観することができた。
そしてショパンコンクールで常に問題になるのは、その演奏はショパンらしいのかどうかだというのも興味深かった。もちろん、ショパンの名を冠しているから当たり前といえば当たり前なのだが、そもそも、こんな有名なコンクールで一人の作曲家の曲だけを演奏するコンクールというのは他には寡聞にして知らない。そういう意味ではかなり変わったコンクールである。審査員も聴衆もずーっとショパンだけを聴き続けるのだ。本書ではその「ショパンらしさ」についてかなり専門的な説明もなされていて、なるほどなあと思った。
しかしその方向を突き詰めていくと、音楽はタコツボ化してしまうのではないだろうか。専門的な解釈を突き詰めた演奏者が、同じくわかる審査員に向けて演奏する世界。それはコンサートホールで多くの客に向けて演奏するよりも小さなサロンで親しい人に弾くことを愛したショパンに似ているようでいて、実は最も遠いような気がする。解釈とか説明とか抜きで、聴いている人にあわせて弾いてくれる、そんな演奏が本質的なショパンなのではとサービス精神に満ちた反田さんの演奏を聴きながら思ったのだった。
そしてまさにコンクールが終わり本書を読んでいる最中に、2000年の優勝者ユンディ・リの買春容疑のニュースが流れた。ショパンコンクール、あらゆる意味で世情と最も懇ろなコンクールであるの意を強くした一報であった。