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テクニック本ではないので自分が語れるようになるかどうかは別の話。だけど、世にある全ての本をよめなかったり、読めても全ページを読んでいなかったり、読んだ本の内容を忘れたりすることは当然のことと認識できるようになった。
「きちんと読めないこと」への羞恥心が消えていったのが一番の収穫。
本の紹介がうまいので、作中に出てくる本たちも読みたくなる。
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自分は何かをアウトプットすることに、心理的ハードルが高い人間なので(簡単にいえばプライドが高い)、それを乗り越える契機になればと思って読んでみた。
ちなみにこの本は通読しましたw
いかにもハウツー本の様な題名で、確かにそういった要素はあれど、「本を読んだ」とは、逆に「読んでない」とはいったいどういうことなのかを考えさせられる本だった。
読書や、読んだ本についてコメントしたりする行為は、総じてその本の中身よりも自身の考えや、それまで自身が経験してきた出来事、今までに読んだ他の本との関連(本書では「共有図書館」と呼ばれている)
をふまえて「自身の考え」を語る行為であり、ある意味創作活動であるというのは読み終わった今なら腑に落ちる。
読書はまだしも、それについて語る行為までが極めて主体的・主観的な行為であって、であるとするならば「読んだ」かどうかに関わらず語ることは可能で、それが出来ることこそが真の教養なのだと筆者は言っている。
これはきっと、読書に限らなくて色んなものごとについて、自身の考えで物事を述べることや、その為の「共有図書館」を充実させていくことこそが大切なんだろう。
追記メモ
世界には無数の本があり、何か一冊を読むということは、何か一冊読まないことと同義なので、時には読まない選択も大事。
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過去の人気課題本。いい加減なハウツー本のような表題だが、「評論」や「書評」をテーマにした真面目な本である。改めて本を読む意味について考えさせられる内容で、色々と学ぶところも多かった。
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教養文庫シリーズを持つ出版社6社の共同企画「チチカカコヘ」から2冊目。何とも人を食ったようなタイトルだけれど、ハウツー本などではまったくなく、その正体は至極真面目な読書論であり、教養論。
食べものには「完食」があるが、果たして本には「完読」があるのか、あるとしたらその定義は何か。ここから始まる展開は、古今東西の名作(漱石のあの名作も)を題材にして進む。こじつけでも屁理屈でもない。本を読まないことは、膨大な書物の海にのみ込まれることなく、「教養」への恐怖に負けることなく、自己を律するための活動なのだ。本書を読んだ今となっては「読んでいない本について語ることはまぎれもない創造の活動なので」あり、ひいては「自分自身を語ることなのである」という指摘に、素直にひれ伏してしまう。
と言いつつ、この本を読んでしまったことは、大いなるパラドックスであることにふと気づく。それどころか、本書を読んで更なる読書欲が湧いてきたのは一体どういういうことか。著者のお叱りを受けそうではあるけれど、そんなお叱りならいくらでも受けよう。
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読んでいない本について語ることは悪いことではない、むしろ図書と他の図書との関係や位置関係がわかるならば、内容は知っていなくても語ることはできる。そんな内容の図書。
第一部では「読んでいない」という状態のさまざまな段階を紹介している。内容を忘れた図書、流し読みの図書など「読んだ」と「読んでいない」の境界があいまいということだった。第二部では読んでいない本について語る様々な日常の場面を紹介。第三部が本書の核心部分、良い読者はさまざまな書物を横断することであり、書物に留まるのではなく、自分自身の考察に身を投じ、自分自身について語ることが重要ということだった。
「読む」という行為がかなり自由に感じられて本書を読んでて楽しかった。
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本の内容は同じでも、本を読んで感じたこと、とは人によって様々である。
ちょうどこの感想欄がいい例である。
本の最大の目的を、「著者の伝えたいことを理解するために完読すること」としてしまうと、読後の感想は、全て同じ内容でなければならない。
ここにこう書いてあるから正しいだの、それは拡大解釈だから間違いだの、いわゆる字面読みでの、まるで内容の答え合わせのような意見交換は、むしろ読書の悪い面である。
そうではなく、内容は忘れてしまっても、だいたいこんなことを言っていた、この本は本棚のここに入りそうだな、と、もっとふわっとした目的を持って読む方が気が楽であるし、感想はもっと多様であって良いと思う。
2018年6月ごろから、再び自分の中での読書ブームが来ている中、転換するという意味で、この本を読んでよかったと感じた。
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挑戦的・挑発的なタイトルで、また、そういうタイトルの本を読む、という矛盾をはらんだ本だが、これがなかなかどうして非常に真面目で非常に面白い本。
どんなに多読であっても世にあるほとんどの本を読むことなく一生を終えるわけで、その意味で読書家とそうでない人の差など全体から見れば誤差にすぎないかもしれない。「読む」という行為も、読んだ/読んでないという0と1の関係ではなくて、名前も聞いたことのない本から、人づてで聞いたことのある本、他の本で言及された本、ざっと流し読んだ本、何度も精読した本、あるいは読んだけど忘れてしまった本まで、極めて微妙なグラデーションの中にある。そのように「読む」を考え直してみると、われわれが本を「読む」と言う時それはいったいいかなる概念・行為なのか、という問いが立ち現れる。とするならば、われわれが「語る」ことができるのは本当に読んだ本だけなのか、読んでいないからといってその本について「語る」ことができないと言えるのか。
と、感想を書いてはみたが、ぼくが本当に本書を読んだのかどうかはわからないわけなんだよな。
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ハウツー本と見せかけて、読書につきまとう規範性からの逸脱を説いた、とてもクレバーな読書論・教養論。語り口が明晰かつユーモアがあり、面白い。
個人やコミュニティの「教養の体系のあり方」を図書館に例えた「共有図書館」「内なる図書館」「バーチャル図書館」という考え方と、その図書館を構成する書物のあり方についての定義「遮蔽幕としての書物」「内なる書物」「幻影としての書物」は、いろいろ応用が利きそう。
終盤、「批評の創造性」を説きながら、創造性の涵養のため書物から距離をとることをアジるくだりなんか、パンキッシュですらあるな。ある種のエビデンス至上主義を相対化する薬にもなる。
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半ば冗談のつもりで買ったんだけども、これはヤバい本だった。これは本についてだけでなく、色々なことについて言える。
聞いてない音楽について語る
見たことのない絵について語る
そして、それは積極的な意味をもつ
「「本を読んだ」ということの意味からよくわからない」
というあっぱれな根拠から、「書物と我々の関係を根本から変える」ことは、より創造的になることでもあるからだ、と
そもそも本について語る、ということ自体が、本の中身ではなく語り合う2人のあいだの関係なんだ、という、ものすごく当たり前な、しかし、極めて重要な指摘
「音楽を聴いた」ということの意味や「絵を見た」ということの意味は、確かによくわからない。極めて曖昧で不確定であり、常に忘れさられる途中の出来事であり、変化している途上のものだ。
精読するのはエネルギーの無駄とばかりに、本が意味をもつのはそのディテールではなく、位置付け、コンテクストである、という。なるほど、間違いない。
音楽を聴いてたときも、位置付けを意識してた。
書棚やCDラックには、自然とその位置付けが反映されていた。
アップルミュージックの五十音順や、決められたジャンルわけや、そもそもスマホの限られた視野ではその位置付けは、見えない。
この位置付けの貧弱さというのが、デジタル体験の乏しさ、レイヤーの薄さを端的に表す
位置付けず、検索に頼るのではダメなのだ
自分の地図、自分の年表があるから、それをもとに、見てない絵、聞いてない音楽、読んでない本について語り得る。
この位置付けする地図の鮮度をよりよいものに保つために、読書はあり、この位置付けによって読書は意味あるものになる
そしてそれが教養ということである
素晴らしい!!
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【メモ】
全体を掌握する能力が求められる
目次だけ読むだけでもできること
読むと読まないの境界はきわめて曖昧
音楽や絵画についても言える
だからこそ本の位置付けが大切
位置付けによって話をすることが出来て一冊ごとの詳細な情報は詳しく言及せず、話の一部(位置付け)でしかない
作品を知らない(読まない)ことは直接的な接近を可能にする。作品が持ちうる無数の豊かさの一つへの接近である。そこには読んでいたらもらたしえなかった独創的な解釈を可能にする
内なる書物は人それぞれ違うので作者の意図とはズレて解釈されるからとにかく曖昧に褒める
教養は個人の無知や他の断片化を隠蔽する
読んでいない本について語ることに気後れする必要はない
我々は他人に向けた真実より、自分自身にとっての真実の方が大事
後者は教養人に見られたいという欲求から解放されたものだけが接近できる
他人がそれを読んでいるかを知るのは難しい
漱石の草枕 適当に開いたページを読みテキストは分からない
ただ大事なのは書物の外側にあり、大事なのは書物について語ることであって、そのための口実や方便でしかない
書物の空間よりも書物についての言説の時間の方が大事
この曖昧さが会話の邪魔をせず、夢見る可能性(独創)できる
重要なのは書物ではなく自分自身を語ること、書物を通じて自分自身を語ること
ティヴ族がハムレットを批評できたのも、書物ではなく自分たちを投影して語っている
読んでない本を語ることは創造すること、作家になること
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本を読んだとはどんな状態なのか。
みんな如何に読んでいるのか(いないのか)。
全ての本が読めるんわけでもないし読む必要もない。
その本が置かれたマッピングや状況を知る。
読むということは熟読することでもない。
(完璧になんて読めないし覚えてられない。)
たとえできたとして、そうなると人の意見に侵される。
大事なのは自分の意見を持つこと。
自分の読書のあり方について考えさせられる内容でした。
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いろんな人がやたらと薦めていたので。
タイトルからしてグググと惹かれるものがあるが、中身もまた惹かれる……というか、考えさせられるものがあった。そもそも『読んでいない』とは、どういう状況なのか。1ページも開いていない状態なのか、それとも全体を流し読みした状態なのか……うーん、今まで疑問に思ったことすらなかった。
終始、読書論や書評について著者の主張が語られていて非常に面白いし、興味深い。そうか、批評もまた芸術であり創作物だと位置付けて良いのかとハッとさせられる。
が、クセのある仏蘭西文学の所為か(※個人の見解です)、途中「ちょっと何言ってるか分からんな??」と首を傾げてしまった。
にも関わらず星5の評価をする最大の理由は、著者自身が『読んでいない本』から『読めるはずがない本』まで堂々と語っているから。この一文を執筆してる時、きっとドヤ顔してたんじゃないかなーって想像したくなるぐらいの堂々っぷりなので笑えました。
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ブンゲイ批評(批評)
かかった時間150分くらい
痛快。
「読んでいない本について堂々と語る方法」というが、「読んでいない」ことのグラデーションを語り、「完璧に読んだ本がないように、完全に読んでいない本はない(存在を知った時点でそれはもうある意味で読んでいる)」と主張する。おもしろい。
一貫して、本はそれをとおして自分を語るためにある、と述べている。自分を語るという究極の創造的行為において、本の細部に埋没することはむしろ害悪だとさえ言う。おもしろい。
バイヤールの〈書物〉と〈図書館〉はそれぞれ3つの様相からなる。
〈共有図書館〉…ある時点である文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体。これを把握することは、それぞれの本の、その文化における位置づけを把握することの前提となる。その力を「教養」という。集団の価値観をつくった本の集合?のようなものか。
〈内なる図書館〉…〈共有図書館〉の下位に分類されるべき集合体で、〈共有図書館〉のうち、個々の読書主体に影響を及ぼした書物からなる。人格の形成の根本であると同時に、書物や他人とかかわるときの根本となる。個人の価値観をつくった本の集合?のようなものか。
〈ヴァーチャル図書館〉…書物について口頭ないし文書で他人と語り合う空間。語り合う者それぞれの〈内なる図書館〉が出会う場所。あいまいさをかかえた遊戯的空間であるべき場所。
〈遮蔽幕(スクリーン)としての書物〉…書物そのものではなく、状況に応じて作りあげられる代替物。書物の自己投影的性格に着目した言い方。幻想(思い込み、記憶、願望など)を受け止める器として、再構成された本のこと。〈共有図書館〉に属している。
〈内なる書物〉…われわれが書物を〈遮蔽幕としての書物〉にする際の影響源。各人の現実受容のシステム。ある本に対する?神話的、集団的、ないし個人的な表象の総体。個人の価値観?のようなもの。〈内なる図書館〉に属している。
〈幻影としての書物〉…われわれがある書物について話したり書いたりするときに立ち現れる、変わりやすく捉えがたい対象。読者が自らの〈内なる書物〉を出発点として構築するさまざまな〈遮蔽幕としての書物〉どうしの出会いの場に出現する。〈ヴァーチャル図書館〉に属している。
おもしろい。
誤った権威的教養主義を超克して、みんな創造主になろうぜ!というものすごくラディカルな本。
おもしろい。
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わたしのイメージにあるフランスの文学者っぽい、とっても遠回りな眠たくなる文章。皮肉は好きだ。
本を語る時は、堂々と自分の話をしよう!
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人から評判を聞いて読みました。これはすごい本です。読書についての今までの謎や悩みが、きれいにに整理されたような感じです。年月をおいて再読したいです。