紙の本
終わりの始まり。
2016/12/03 09:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うりゃ。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴァルデマール年代記の中でも、この「嵐」シリーズは本当に濃密でこれまでの要素がたっぷり詰め込まれていたように思う。
ヴァルデマールを守る仕掛けをしていた<最後の魔法使者>から、かつての魔法戦争すら生き延びた皮肉げなあの人、<東の帝国>に至るまで、いろいろな因縁にある程度決着がついた巻だった。
終わりも喪失も悲しい。しかし、その中に含まれている始まりと獲得に、次巻への期待を感じさせられる。
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ヴァルデマール年代記ではほとんど常時、魔法または魔法に近いもの(ヴァルデマールの「使者」が使う心理魔法など)を中心に据えて物語を語ってきた。
けれども、『魔法使いの塔』において、ヴァルデマールの宗教について大きな視点が置かれる事になる。
これは非常に興味深い。
勿論、それは、カース国の若き司祭であるカラルが主要登場人物のひとりであるからなのだが、なんと古代の魔法使いアーゾウの塔で、魔法嵐に対抗する術を皆が探そうとしている間に、カラルは重要な事に気付く事になる。
それは、一神教の一種であるカースの太陽神ヴカンディスと、例えばシン=エイ=インが信仰する「星の瞳」カル=エネル、そしてその神々とつながりがあるものの共通点。
すなわち、「真理」(真の神)は唯一であるが、それぞれの民に向けている顔が違うだけなのではないか……?
日本では明治時代から、宗教家や思想家がしばしば同じような事を語っている。
それはおそらく、神道的な観点からなのだと思うが、アメリカ人であるラッキーが、同じような結論に達したのは本当に面白い事だ。
もっとも、ラッキーが単に神道的な観点を持っているというのではなくて、それはあくまでもキリスト教(一神教)的なものの見方を発展させたものだと思われるが。
物語としては、世界観の中での時間も、空間も、大きく広がった物語を、ここで全て集約する手法がスリリングだ。
魔法嵐がどうなるかについては読んでのお楽しみだけれども、『黒き鷲獅子』を読了の方は、おそらく想像できるものに近い、と思われる。
全てを集約するのだから、シリーズがここで終わりかといえばそうではなく、まだまだ新刊が書き続けられているという事だし、カラルを始めとする登場人物も、大きな傷を受けながらも今後についても少し触れられている。多分、この物語の続きも、いずれ語られるだろう、と期待される。
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発売と同時に買っておきながら、読了までずいぶん積んでしまった。
しばらく長期出張で、徒歩圏内での通勤だったから。
すっかり電車でしか読めない体質になってしまったなあ。
と、ここまで本書の感想とはまったく関係のない事を書いていますが、
ここまでシリーズを読み継いでくると、もはや感想もねえ、という感じで。
いや、もちろん作品自体は大満足の完成度で、いつも通り楽しく読みました。
本書は山口緑さん訳ということで、より一層愉しかった。
で、普通はこういう感想は書かないのだけれども、なぜ書いたかと言えば。
本書の帯に、「ヴァルデマール年代記、堂々完結!」みたいなことが書かれていて、
それはたぶん、「嵐」3部作が「堂々完結!」なのであって、
ヴァルデマール自体はまだまだ続くよ!ってことだよね?と書きたかったから。
ただでさえ出版不況で、その中でもファンタジィは元々不人気ジャンル。
となれば、続刊は難しいのかなと当然ながら思います。
訳者の方々も、翻訳だけでご飯が食べられている人なんて稀だろうと思います。
でも、だからといって、良書の翻訳が止まってしまうのは悲しいのです。
間隔が空いても我慢しますし、定価がポーンと上がっても頑張ります。
なので、良質なファンタジィの翻訳は、どうか続けて頂きたいのです。
一読者の勝手な思いですが、翻訳がなければ、触れる機会すらなくなってしまう。
ファンタジィというのは、すべての文学の源流で、文学のすべてが詰まっている。
そう、自分は思い続けています。
創元さん、頑張ってね。お願いだから。